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『好きな人がいるので、幼馴染に恋愛相談していたら、なんだか様子がおかしくなりました』   作者: 伊佐波瑞樹


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第10話 好きな人とのデートを終えた翌朝、幼馴染の顔を見ただけで安心してしまいました


 月曜日の朝、午前五時三十六分。


 目を覚ました私は、昨日よりもずっと静かな気持ちで天井を見つめていた。


 竹下くんとの初めてのデートは、もう終わっている。


 昨日の今頃は、何を着るか、どんな話をするか、待ち合わせへ遅れないかと考えるだけで胸が落ち着かなかった。けれど今は、楽しかった時間がすでに思い出として胸の中へ残っている。


 水戸駅北口で見た、制服ではない竹下くん。


 今日の方が可愛いと言われたこと。


 パスタを食べながら、春斗のことを正直に話したこと。


 映画の中の幼馴染へ春斗を重ね、泣いてしまったこと。


 雨の音を聞きながら、竹下くんの過去の恋を教えてもらったこと。


 そして、別れ際。


 手を繋ごうとして止まった竹下くんの指先へ、自分からほんの少し触れたこと。


 思い出すと、胸が温かくなる。


 竹下くんと出かけてよかった。


 もっと知りたいと思った。


 次も誘ってほしいと思った。


 好きだという気持ちは、昨日一日で弱くならなかった。むしろ、これまで遠くから見ていた竹下くんが、少しずつ現実の相手へ変わったことで、前より強くなった気がする。


 それなのに。


 今日の朝、一番気になっていることは別にあった。


 春斗と、どんな顔で会えばいいのだろう。


 昨夜、私は春斗へ「楽しかった」と伝えた。


 細かいことは話さなかった。


 竹下くんに可愛いと言われたことも、少し嫉妬したと言われたことも、手が触れたことも。


 それは竹下くんとの時間だから。


 全部を春斗へ渡すのは違うと思えた。


 でも、春斗はきっと気づく。


 私の顔を見れば、楽しかったことくらいは分かる。


 竹下くんへの気持ちが昨日までより少し強くなったことまで、見抜かれてしまうかもしれない。


 そう考えると、胸が苦しくなる。


 春斗には苦しんでほしくない。


 でも、竹下くんとの時間を楽しまなかったことにはしたくない。


 どちらも本当だからこそ、どうすればいいのか分からない。


 枕元のスマートフォンを手に取る。


 竹下くんからは、昨夜の最後に届いたメッセージが残っていた。


『今日はありがとう。また学校で』


 私も。


『こちらこそありがとう。次も楽しみにしてる』


 そう返した。


 春斗とのトーク画面には。


『明日の朝、一緒だよね』


『当たり前だろ』


『良かった』


『今日楽しかったのに?』


『楽しかったよ』


『なら竹下のこと考えてれば』


『でも明日は春斗と学校行く』


『そうだな』


『それも楽しみ』


 並べて見ると、自分がどれだけ欲張りなのか分かる。


 竹下くんとの時間を楽しんだ。


 次も行きたい。


 そのうえで、春斗といつも通り学校へ行けることへ安心している。


「……今日はちゃんと話せるかな」


 私は小さく呟き、布団から起き上がった。


     ◇


 午前五時四十一分。


 玄関を出ると、空はまだ薄暗かった。


 昨日の雨で道路は濡れており、家々の塀や庭木にも小さな水滴が残っている。風は冷たく、春の朝というより季節が少しだけ戻ったように感じた。


 今日は私の家の送迎当番。


 父はまだ仕事へ出る準備中で、母が車を運転することになっている。


 春斗の家の前まで迎えに行く。


 私は後部座席へ座り、窓の外を見ながら何度も手を握ったり開いたりしていた。


「緊張してるの?」


 運転席の母が、前を見たまま聞く。


「何で」


「朝から静かだから」


「いつも静かだよ」


「真理が?」


「……少しは」


 母が笑う。


「昨日の竹下くん、どうだった?」


「格好よかった」


「楽しかった?」


「うん」


「じゃあ、今日は何に緊張してるの」


 答えられない。


 母はバックミラー越しにこちらを見る。


「春斗くん?」


「何で分かるの」


「昨日の夜、帰ってきてから何度もスマートフォン見てたでしょう」


「竹下くんとも連絡してたよ」


「でも、春斗くんから来たときの方が顔が安心してた」


「そんなに違う?」


「お母さんにはね」


 私は窓の外へ顔を向けた。


「今日、どう話せばいいか分からない」


「昨日のこと?」


「うん」


「全部話さないって決めたんでしょう」


「手が触れたことは言わない」


「そこまであったの?」


「少しだけ!」


 声が大きくなり、母が楽しそうに笑う。


「それなら、なおさら全部言わなくていいでしょう」


「でも春斗、顔で分かるから」


「じゃあ分かってもらえば?」


「苦しむよ」


「隠した方が苦しいこともあるんじゃない?」


「……」


「ただ、竹下くんとの約束を詳しく話す必要はない。でも、楽しかったのに楽しくなかったふりをするのも違うと思う」


 正しい。


 母も愛ちゃんも、最近は私が逃げようとするたび正しいことを言う。


「二人とも大事なんだろうけど」


 母が続ける。


「大事にする方法は、同じじゃなくていいんじゃない?」


「どういうこと?」


「竹下くんとの時間を、春斗くんへ全部報告しない。春斗くんとの時間を、竹下くんへ隠して恋人みたいに扱わない。それぞれに、その人との関係があるでしょう」


「難しい」


「人との距離は、全部同じじゃないからね」


 私は膝の上で鞄を抱える。


「でも、どっちかを選ばないと駄目だよね」


「恋人にするならね」


「うん」


「ただ、選ぶために誰かを悪者にする必要はないよ」


 窓の外に、春斗の家が見えてきた。


 胸が大きく鳴る。


 門の前には、すでに春斗が立っていた。


 制服。


 いつもの鞄。


 いつもの少し眠そうな顔。


 ただそれだけ。


 それなのに、姿を見た瞬間、胸の奥へあった不安が少しだけ薄くなった。


 母が車を停める。


 春斗が後部座席のドアを開けた。


「おはようございます」


「おはよう、春斗くん」


 春斗が私を見る。


「はよ」


「おはよう」


 昨日一日会わなかっただけ。


 でも、久しぶりに感じる。


 春斗が隣へ座り、ドアを閉める。


 母が車を動かした。


 車内へラジオの音が流れる。


 春斗は前を向いている。


 私も前を見る。


 沈黙。


 何を話せばいいのか分からない。


 昨日の朝までなら、何も考えず話せた。


 今は一つ口を開けば、竹下くんとのデートの話へ繋がりそうで怖い。


「真理」


 春斗が先に呼ぶ。


「何?」


「眠れた?」


「うん」


「そう」


「春斗は?」


「普通」


「昨日、何してたの?」


「本読んでた」


「何の?」


「買ったまま読んでなかったやつ」


「面白かった?」


「ほとんど進まなかった」


 理由を聞きそうになり、止める。


 私のことを考えていた。


 たぶん。


 でも、本人へ確認するのは残酷な気がした。


「昨日」


 春斗が続ける。


 胸が固くなる。


「うん」


「楽しかったんだろ」


 私は少し迷い、頷いた。


「うん」


「そう」


「春斗」


「何」


「無理して聞かなくていいよ」


「聞いてない」


「でも」


「顔見れば分かる」


 やっぱり。


 私は視線を膝へ落とした。


「そんなに出てる?」


「少し」


「どんな顔?」


「昨日より竹下のこと好きになった顔」


 胸が詰まる。


 否定できない。


 春斗の声は平らだった。


 でも、鞄を持つ指が少しだけ強くなっている。


「……たぶん」


 正直に答える。


 春斗は窓の外へ顔を向けた。


「そっか」


 それだけ。


 母は何も言わない。


 ラジオでは朝の交通情報が流れている。近くの道路で事故があり、一部渋滞しているらしい。


「でも」


 私は口を開く。


 春斗がこちらを見ないまま聞いている。


「春斗に会えて安心した」


「何で」


「昨日、ずっと会わなかったから」


「一日だけだろ」


「うん」


「竹下と一緒だったのに?」


「それとこれとは別」


 また言ってしまった。


 春斗が小さく息を吐く。


「お前、それ便利に使いすぎ」


「でも本当」


「俺には別じゃないって言っただろ」


「うん」


「昨日、竹下と楽しかった顔で、俺に会えて安心したって言われても困る」


「ごめん」


「謝るな」


 声は強くない。


 でも、苦しそうだった。


「じゃあ言わない方がよかった?」


「……分からない」


 春斗は窓へ映る自分の顔を見ているようだった。


「言われたら期待する」


「うん」


「でも、言われなかったら離れた気がする」


「うん」


「どっちでもきつい」


 昨日までの春斗なら、こんなふうに素直に言わなかった。


 聞きたくない。


 でも、知らないのも嫌。


 その矛盾を、少しずつ私へ見せてくれている。


「春斗」


「何」


「昨日のこと、全部話さなくていいって思えた」


「……そう」


「竹下くんとのことだから」


「うん」


「それで、春斗とのことも、全部竹下くんに話す必要はないと思った」


 春斗が少しだけこちらを見る。


「何で急に」


「二人とも大事にする方法が同じじゃなくていいって、お母さんに言われた」


 運転席から母が小さく咳払いをした。


「私の名前出さなくていいのに」


「だってお母さんが言った」


「そうだけど」


 春斗は少し考えたあと、静かに言った。


「それでいいと思う」


「本当?」


「全部共有されるのは嫌だ」


「竹下くんも同じこと言ってた」


 言ってから、春斗の表情が僅かに硬くなる。


「竹下と話したのか」


「昨日のこと、どこまで春斗に話すか聞かれた」


「……そう」


「手が触れたことは言わないって言った」


 言った瞬間。


 車内の空気が止まった。


 私は口を押さえる。


 話さないと決めたことを、自分から話してしまった。


「真理」


 春斗の声が低い。


「ごめん!」


「何で言うんだよ」


「今のは忘れて!」


「無理だろ!」


 母が運転席で小さく笑いを堪えている。


「お母さん、笑わないで!」


「ごめん。笑ってない」


「絶対笑ってる」


 春斗は窓の外へ顔を向けた。


 耳まで赤い。


「春斗」


「話しかけるな」


「怒った?」


「怒ってる」


「ごめん」


「謝るなって言ってるだろ」


「でも」


「手が触れたって何だよ」


「聞かないで」


「言ったのお前だろ」


「だから忘れて」


「無理」


 さっきまで重かった空気が、別の意味で落ち着かなくなる。


「繋いだの?」


 春斗が小さな声で聞く。


「繋いでない」


「本当?」


「少し指が触れただけ」


「どっちから」


「……私」


 春斗が目を閉じた。


「最悪」


「そこまで?」


「聞かなきゃよかった」


「春斗が聞いたんじゃない」


「言い出したのお前だろ」


「ごめん」


「もういい」


 春斗は完全に窓の外へ顔を向けた。


 私は隣で縮こまる。


 母がバックミラー越しに、呆れたような顔で私を見ていた。


「真理」


「何」


「話さないって決めたことを、本人の前で一分以内に話すのはどうかと思うよ」


「分かってる」


「春斗くん、ごめんね」


「いえ」


 春斗の声は硬い。


「でも、真理が自分から触れたってことは」


「お母さん!」


 これ以上は本当にやめてほしい。


 春斗がさらに赤くなる。


「もう降りたい」


「まだ駅まであるよ」


「歩く」


「駄目」


 母は笑いながら運転を続けた。


     ◇


 岩瀬駅へ着く頃には、春斗の機嫌は少しだけ戻っていた。


 完全ではない。


 でも、私を置いて先に歩くほどではない。


 ホームへ上がり、いつものベンチへ座る。


 昨日の雨で線路脇の草は濡れ、朝の光を受けて細かな水滴が光っている。通勤客はいつもより多く、ホームの端ではスーツ姿の男性が電話をしていた。


 春斗は本を取り出した。


 開く。


 でも、同じページから進まない。


「春斗」


「何」


「怒ってる?」


「少し」


「手が触れたから?」


「聞くな」


「ごめん」


「謝るな」


「それしか言えない」


「なら黙ってろ」


 私は少し黙る。


 でも、春斗の横顔が気になる。


「竹下くん、手を繋ごうとしたと思う」


 春斗が本を閉じた。


「お前、何で話すんだよ」


「分からない」


「本当に分からないの怖いな」


「でも、途中でやめた」


「そう」


「私が迷ってるからだと思う」


「そうだろうな」


「それで少しだけ触れた」


「もう聞いた」


「嫌だった?」


 春斗はすぐに答えなかった。


 ホームへ流れるアナウンスの音が、二人の間へ入る。


「嫌」


 静かな答え。


「うん」


「でも、お前が竹下を好きなら、そうなることもあるだろ」


「うん」


「いつか手繋ぐかもしれないし」


「うん」


「付き合ったら、もっと」


 春斗はそこで言葉を止めた。


 私は続きが分かった。


 手を繋ぐだけではない。


 もっと近い関係になる。


 それを春斗は想像してしまう。


「春斗」


「何」


「そこまで考えなくていいよ」


「考えるだろ」


「まだ何もない」


「昨日触れた」


「少しだけ」


「少しでも嫌」


 はっきり言われる。


 胸が痛む。


 でも、やっぱり少しだけ嬉しい。


 その顔が出たらしい。


「また嬉しそう」


「え」


「俺が嫌って言うと嬉しいんだろ」


「少し」


「性格悪いな」


「竹下くんにも言われた」


「嬉しかった?」


「少し」


 春斗が本を膝へ置いた。


「真理」


「何」


「お前、誰かに嫉妬されるのが嬉しいだけじゃないのか」


 昨日、私も考えた。


 春斗に嫌だと言われても。


 竹下くんに嫉妬したと言われても。


 嬉しかった。


 私は誰かに求められることが嬉しいだけなのだろうか。


「分からない」


「ちゃんと考えろ」


「うん」


「俺も竹下も、それで振り回されるのは嫌だ」


「……うん」


 春斗の言葉は正しい。


 私は二人へ好かれていることに安心しているだけかもしれない。


 どちらかを選べず、両方を失いたくないと願っている。


 でも、それだけではないとも思う。


「春斗」


「何」


「春斗がほかの女の子を好きになったら、嫌だと思う」


 春斗の表情が止まる。


「昨日、竹下くんと出かけても?」


「うん」


「竹下が好きでも?」


「うん」


「それ、嫉妬されたいだけじゃないだろ」


「……そうかな」


「俺に聞くな」


 春斗は目を逸らした。


「でも、そういうこと簡単に言うな」


「何で」


「期待するから」


 昨日までと同じ言葉。


 でも今は、意味が前より重い。


「春斗」


「何」


「私、ちゃんと考える」


「うん」


「竹下くんが好きなことも」


「うん」


「春斗に離れてほしくないことも」


「うん」


「両方」


「分かった」


「待ってくれる?」


 聞いた瞬間、春斗の顔が少し歪んだ。


「その聞き方ずるい」


「何で」


「待ってほしいって言われたら、待つしかないだろ」


「嫌なら」


「嫌でも待つ」


「どうして?」


「好きだから」


 春斗は言ってから、少しだけ目を見開いた。


 昨日までなら、言葉にするのを避けていた。


 今は。


 はっきり言った。


「今」


「忘れろ」


「好きって」


「聞こえただろ」


「うん」


 胸が大きく鳴る。


 嬉しい。


 竹下くんに可愛いと言われたときとは違う。


 もっと深い場所が熱くなる。


「春斗」


「何」


「もう一回言って」


「嫌」


「何で」


「一回で十分」


「ちゃんと聞きたい」


「聞こえたならいいだろ」


「顔見て言って」


「無理」


 春斗の耳が赤い。


 私は少し笑った。


「笑うな」


「嬉しいから」


「それも期待する」


「ごめん」


「だから謝るな」


 春斗は本を開く。


 でも、やっぱり読めていない。


 私も隣で何も話さなかった。


 沈黙は気まずい。


 でも、嫌ではない。


 春斗が私を好き。


 もう、ほとんどではない。


 はっきり言葉になった。


 私は竹下くんが好き。


 それも、昨日一日で確かめた。


 そのうえで、春斗に好きと言われて嬉しい。


 答えはまだ出ない。


 でも、昨日までより逃げられなくなった。


     ◇


 午前七時二十五分。


 水橋高校第三校舎、一年特進SSクラス。


 教室へ入ると、竹下くんはすでに自分の席へ座っていた。


 私へ気づく。


 すぐに笑う。


「おはよう」


「おはよう」


 昨日、駅で別れたばかり。


 それなのに、制服姿を見ると少し照れる。


「昨日、大丈夫だった?」


「何が?」


「疲れてない?」


「大丈夫。竹下くんは?」


「俺も平気」


 周囲にいた生徒たちが、すぐにこちらへ注目する。


「お、デート翌日」


「竹下、顔明るいな」


「久保さんも」


「どうだった?」


 小野寺くんが面白そうに近づいてくる。


「普通」


 竹下くんが答える。


「普通でその顔?」


「どんな顔だよ」


「次ある顔」


 教室に笑いが起きる。


 私の頬も熱くなる。


「次あるの?」


 誰かが聞く。


 竹下くんが私を見る。


 私は少し迷い、頷いた。


「また行こうって話した」


 周囲から歓声が上がる。


「順調!」


「もう付き合えば?」


「映画で手繋いだ?」


 心臓が跳ねる。


 竹下くんの表情も一瞬固くなる。


「繋いでない」


「本当に?」


「そこまで聞くな」


 竹下くんが少し強い声を出す。


 小野寺くんが笑いながら両手を上げた。


「悪い悪い」


 私は自分の席へ鞄を置いた。


 愛ちゃんがすぐ隣へ来る。


「朝、春くんとどうだった?」


「それ、今聞く?」


「竹下くんに聞こえないように」


「好きって言われた」


 愛ちゃんの目が大きくなる。


「え」


「はっきり」


「今日?」


「駅で」


「何て?」


「好きだから待つって」


 愛ちゃんが口元を押さえる。


「春くん、ついに言ったんだ」


「うん」


「真理は?」


「嬉しかった」


「竹下くんとデートした翌朝に?」


「……うん」


 愛ちゃんは少し黙る。


「やっぱり、ただの幼馴染じゃないね」


「うん」


「竹下くんへの気持ちは?」


「変わってない」


「昨日より好き?」


「たぶん」


「春くんは?」


「もっと気になるようになった」


 愛ちゃんが静かに息を吐く。


「大変だ」


「私もそう思う」


「でも、今までより正直になったね」


「良くないこともある」


「良くないけど、分からないふりするよりはいいよ」


 愛ちゃんは教室の前方を見る。


 竹下くんは友人たちに囲まれながらも、時々こちらへ視線を向けている。


「竹下くんには話す?」


「春斗に好きって言われたこと?」


「うん」


「言った方がいい?」


「すぐには言わなくていいと思う」


「何で」


「竹下くんとの関係をどうするか決める前に、毎回春くんの気持ちを報告されたら、竹下くんも苦しいよ」


「でも、隠すのは」


「隠すことと、今すぐ全部伝えることは違う」


 昨日、母にも言われた。


 全部を共有しなくていい。


「自分の気持ちが少し見えてからでいいんじゃない?」


「うん」


「ただ、竹下くんに期待だけ持たせすぎないように」


「分かってる」


「本当に?」


「努力する」


「努力じゃなくて」


 昨日、春斗にも竹下くんにも言われた。


 私は思わず笑う。


「みんな同じこと言う」


「真理がいつも努力で逃げるから」


「逃げてないよ」


「少し逃げてる」


 否定できない。


     ◇


 午前中の授業は、ほとんど頭へ入らなかった。


 黒板へ書かれる数式。


 教師の声。


 教科書をめくる音。


 全ては聞こえているのに、意識の半分は別の場所へ向いていた。


 竹下くん。


 春斗。


 二人の言葉が、何度も頭へ浮かぶ。


『今日は俺を一番見てほしい』


『好きだから』


 どちらも真っ直ぐだった。


 私は二人に対して、真っ直ぐ返せていない。


 二時間目の休み時間。


 竹下くんが私の席へ来た。


「昨日の映画」


「うん」


「姉ちゃんたちも見たいって言ってた」


「そうなの?」


「帰って話したら、何で自分たちより先に見たって怒られた」


「理不尽」


「チケット代出せって」


「もっと理不尽」


 二人で笑う。


「昨日のこと、家で話したの?」


「映画と昼食くらい」


「私のことも?」


「少し」


 胸が鳴る。


「何て?」


「久保さんが可愛かったって」


「え」


 竹下くんの耳が赤くなる。


「姉ちゃんに聞かれたから」


「そうなんだ」


「嫌だった?」


「ううん。嬉しい」


「良かった」


 竹下くんは少し黙った。


「久保さん」


「何?」


「昨日、春斗くんに楽しかったって連絡した?」


 胸が止まる。


「うん」


「そっか」


「それだけだよ」


「分かってる」


「手が触れたことは言ってない」


 言ったあと。


 昨日と同じ失敗をしたと気づく。


 竹下くんが少し笑う。


「そこ、言わなくていいのに」


「ごめん」


「でも、言ってないなら嬉しい」


「うん」


「今日の朝、春斗くんと一緒だった?」


「うん」


 竹下くんは机の端へ手を置いたまま、少し視線を落とす。


「どうだった?」


「普通」


「本当に?」


「少し話した」


「俺のこと?」


「少し」


「何て?」


 竹下くんも知りたい。


 春斗と同じ。


 聞けば苦しいかもしれない。


 でも、知らないのも嫌。


「昨日より竹下くんのこと好きになった顔してるって言われた」


 正直に答える。


 竹下くんが私を見る。


「否定した?」


「してない」


「……そっか」


 口元が少し緩む。


「嬉しい?」


「うん」


「本当だから」


 言う。


 竹下くんの表情が柔らかくなる。


「ありがとう」


 それだけで、胸が高鳴る。


 竹下くんへ好きと伝えるのは、恥ずかしい。


 でも、言ったあと嬉しくなる。


 春斗へ向ける気持ちとは、やっぱり違う。


「でも」


 私は続ける。


「春斗のことも考える」


 竹下くんの笑顔が少し薄くなる。


「うん」


「ごめん」


「昨日から変わってないんでしょ」


「うん」


「なら、分かった」


「怒らない?」


「怒ってもどうにもならないから」


 少し寂しい声。


「でも、待つだけは嫌だな」


「え?」


「俺も動く」


「どうするの?」


「もっと話す」


「うん」


「次も誘う」


「うん」


「春斗くんより、俺といる方が恋愛として楽しいって思ってもらう」


 真っ直ぐな言葉。


 胸が熱くなる。


「それ、春斗に言ったら怒るよ」


「言わないで」


「言わない」


「俺と久保さんの話だから」


 昨日と同じ。


 二人だけのこと。


 私は頷いた。


「うん」


 竹下くんは少し笑い、自分の席へ戻った。


 その背中を見ながら、私は胸の中にある二つの感情をもう一度確かめる。


 竹下くんと話すと、恋が進む。


 春斗と話すと、自分の根本が揺れる。


 どちらも大きい。


 まだ比べられない。


     ◇


 昼休み。


 今日は愛ちゃんと二人で食堂へ行くつもりだった。


 でも、教室を出る直前。


「久保さん」


 竹下くんが声をかける。


「一緒に食べない?」


 周囲の視線が集まる。


 昨日までなら、小野寺くんや愛ちゃんも一緒だった。


 今日は。


「二人で?」


 私が聞く。


「嫌?」


「嫌じゃない」


 愛ちゃんを見る。


 愛ちゃんは少し考えたあと、笑った。


「行ってきなよ」


「愛ちゃんは?」


「小野寺くんたちと食べる」


「いいの?」


「昨日の続きしたいでしょ」


 竹下くんが少し気まずそうに愛ちゃんへ頭を下げる。


「ごめん」


「謝らなくていいよ。ただ、真理を困らせすぎないでね」


「大杉さん、お母さんみたい」


「春くんにも言われた」


「何を?」


「何でもない」


 私は慌てて会話を切った。


 竹下くんと二人で食堂へ向かう。


 廊下には昼休みの生徒が多く、購買へ急ぐ者や、教室前で友人を待つ者がいる。私たちが並んで歩いていると、何人かが振り返った。


「昨日のデート組」


「今日も二人?」


「順調じゃん」


 小さな声が聞こえる。


 竹下くんは気にしていないように見える。


 私は少し恥ずかしい。


「嫌?」


 竹下くんが聞く。


「何が?」


「見られるの」


「少し恥ずかしい」


「俺も」


「見えない」


「顔に出ないから」


「それ便利」


「久保さんは全部出る」


「知ってる」


 食堂へ着き、窓際の二人席へ座る。


 昨日のパスタ店とは違う。


 学校の食堂。


 周囲には知り合いが多い。


 でも、二人で座るというだけで少し特別に感じる。


「今日」


 竹下くんがトレーの上の唐揚げを見ながら言う。


「放課後、少し話せる?」


「部活は?」


「始まる前に十分くらい」


「うん」


「昨日のことじゃなくて」


「じゃあ何?」


「次の約束」


 胸が鳴る。


「もう決めるの?」


「早い?」


「少し」


「でも、次あるって言ったから」


「うん」


「いつなら空いてる?」


 竹下くんは本当に待つだけではない。


 私へもっと自分を見てほしいと言い、そのために次の時間を作ろうとしている。


「来週の日曜は、たぶん空いてる」


「じゃあ」


 竹下くんが少し考える。


「今度は映画じゃなくて、外歩く?」


「どこ?」


「偕楽園とか」


「渋い」


「嫌?」


「嫌じゃない。でも高校生のデートで偕楽園?」


「梅の時期じゃなくても歩けるし」


「竹下くん、散歩好き?」


「人混みよりは」


「昨日駅ビル混んでたもんね」


「久保さんと一緒なら平気だった」


 さらりと言われる。


 胸が熱くなる。


「じゃあ、偕楽園でもいい」


「本当?」


「うん」


「まだ確定じゃなくて、部活の予定確認する」


「分かった」


 次の約束。


 また二人で出かける。


 嬉しい。


 そう思う。


 でも、同時に。


 日曜日。


 また春斗と一日会わない。


 そのことまで考えてしまう。


「何考えた?」


 竹下くんが聞く。


「顔?」


「うん」


「次、楽しみだなって」


「それだけ?」


 私は少し迷う。


「春斗のことも少し」


 竹下くんは箸を止める。


「正直だね」


「嘘つきたくないから」


「分かってる」


「嫌?」


「嫌」


 はっきり。


 でも、そのあと竹下くんは続ける。


「だから、次は春斗くんのこと考える時間なくす」


「どうやって?」


「楽しませる」


「自信ある?」


「少し」


「すごい」


「久保さんに言われると頑張りたくなる」


 竹下くんが笑う。


 私も笑った。


 竹下くんの前では、こうして未来の約束が増えていく。


 春斗との間には、昔から続く朝と帰り道がある。


 新しく作る時間。


 失いたくない時間。


 どちらが私にとって大きいのか。


 まだ分からない。


     ◇


 放課後。


 竹下くんとは約束通り、部活へ向かう前に十分だけ話した。


 次の日曜。


 部活が午後からなら、午前中に偕楽園へ行く。


 完全に休みなら、もう少し長く過ごす。


 予定はまだ仮。


 それでも、次があるというだけで嬉しかった。


「じゃあ、分かったら連絡する」


「うん」


「今日、春斗くんと帰る?」


「うん」


「そっか」


「嫌?」


「少し」


 竹下くんは昨日より、嫉妬を隠さなくなった。


「でも、家近いんでしょ」


「うん」


「それで毎日一緒なら、止めろとは言えない」


「ごめん」


「謝らない」


「うん」


「ただ、俺との時間も増やして」


「分かった」


「じゃあ部活行ってくる」


「頑張って」


 竹下くんが走っていく。


 私はその背中を見送った。


 好き。


 やっぱりそう思う。


 そのまま、いつもの合流場所へ向かう。


 春斗は壁際へ立ち、本を読んでいた。


 私へ気づく。


 本を閉じる。


「遅い」


「三分」


「三分は三分」


「今日は少し多い」


「何が」


「いつものやつ」


「昨日デートしたからって時間変わらないだろ」


「分かってる」


 二人で歩き始める。


 朝より、少しだけ気まずさが薄い。


「竹下と次の約束した?」


 春斗が前を向いたまま聞く。


「何で分かるの」


「顔」


「みんなそればっかり」


「したんだ」


「仮だけど」


「そう」


「聞く?」


「聞きたくない」


「分かった」


 私は黙る。


 数歩進む。


「いつ」


 春斗が聞く。


「聞きたくないんじゃないの?」


「日付だけ」


「来週の日曜」


 春斗の歩みが少し遅くなる。


「そう」


「まだ部活次第」


「どこ行くかは?」


「聞きたい?」


「……少し」


「偕楽園」


 春斗がこちらを見る。


「竹下、渋いな」


「私も言った」


「映画の次に偕楽園」


「悪い?」


「悪くないけど」


 春斗の口元が少し緩む。


「お前、歩き疲れてすぐ休むだろ」


「昨日も歩いた」


「駅ビルだろ」


「偕楽園も歩ける」


「靴ちゃんとしろよ」


「またお母さんみたい」


「もう心配しない」


「してるじゃん」


「してない」


「靴って言った」


「お前が途中で足痛いって言うから」


「春斗には言わない」


「竹下に言え」


「うん」


 返事をすると、春斗の表情が少し曇る。


「何」


「何でもない」


「顔」


「お前に言われたくない」


「竹下くんに頼るの嫌?」


「少し」


「でも、恋人になったら頼るよ」


 春斗が足を止める。


 私も止まる。


「真理」


「何」


「そういう未来の話、俺にするな」


「ごめん」


「だから謝るな」


「でも、春斗が聞いたから」


「靴の話だろ」


「うん」


「恋人になる話まで聞いてない」


 春斗の声は苦しい。


 私は胸の奥が痛む。


「春斗」


「何」


「朝、好きって言ったよね」


「……言った」


「もう逃げない?」


「逃げたい」


「でも逃げない?」


「たぶん」


「私も逃げない」


「うん」


「竹下くんと次の約束することも、春斗に会えて安心することも、どっちも本当」


「うん」


「すぐには選べない」


「分かってる」


「でも」


 私は春斗を見る。


「春斗に好きって言われて、嬉しかった」


 春斗が目を逸らす。


「それ、もういい」


「良くない」


「何で」


「ちゃんと伝えたいから」


「期待するって言っただろ」


「期待させたいわけじゃない」


「じゃあ何」


「嘘つきたくない」


 春斗は黙る。


 夕方の道には、部活動へ向かう生徒たちの声が聞こえる。自転車が横を通り過ぎ、少し先の交差点では信号が赤へ変わった。


「真理」


「うん」


「俺は待つ」


「うん」


「でも、ずっとは無理かもしれない」


 胸が詰まる。


「どういうこと?」


「お前が竹下と付き合って、それでも俺を今まで通り隣に置こうとしたら、無理」


「……」


「俺も離れる」


 はっきり言われる。


 怖い。


 春斗が離れる未来。


 考えたくない。


「嫌」


 すぐに言う。


「だから、それだけで俺を選ぶな」


「分かってる」


「本当に?」


「春斗を失いたくないだけで選んだら、それも違う」


「うん」


「でも、失いたくないのも本当」


「うん」


 春斗は静かに頷いた。


「俺も、お前を失いたくない」


 胸が熱くなる。


「でも、幼馴染のまま何でも受け入れるのは無理」


「うん」


「だから考えろ」


「考える」


「竹下のことも」


「うん」


「俺のことも」


「うん」


「自分のことも」


「……うん」


 春斗が少しだけ笑う。


「最後が一番大事だろ」


「難しい」


「お前は人の顔ばっかり見るから」


「春斗が言う?」


「俺も同じか」


「うん」


 二人で少し笑った。


 朝より、少しだけ空気が軽くなる。


     ◇


 帰りの電車。


 今日は座席が空いていた。


 私と春斗は並んで座る。


 窓の外へ夕方の街が流れる。


 しばらく、どちらも話さなかった。


 私は竹下くんとの次の約束を考える。


 偕楽園。


 歩きながら何を話すのか。


 もしかしたら、今度こそ手を繋ぐかもしれない。


 同時に、隣にいる春斗の存在を感じる。


 肩が近い。


 いつもの距離。


 少し手を動かせば、触れそう。


 竹下くんの指へ触れたとき、胸が高鳴った。


 春斗の手へ触れたら。


 どうなるのだろう。


 考えてしまう。


「真理」


「何」


「何見てる」


「春斗の手」


「何で」


「何となく」


 春斗が少し警戒する。


「触るなよ」


「何で」


「昨日竹下に触った手で触られたくない」


「子どもみたい」


「うるさい」


「洗ってるよ」


「そういう問題じゃない」


 私は少し笑う。


「春斗」


「何」


「手、繋いだことあるよね」


「小さい頃は」


「覚えてる?」


「少し」


「私、道路渡るとき春斗の手引っ張ってた」


「お前が勝手に走るから」


「春斗、強く握るから痛かった」


「離したら危ないだろ」


「今は?」


「何が」


「今、手繋いだら」


 春斗の表情が固まる。


 私の胸も大きく鳴る。


 聞いてから、自分でも何を言っているのかと思った。


「真理」


「うん」


「試すな」


「試してない」


「竹下と触れて、次は俺の反応見るのか」


「違う」


「じゃあ何」


 答えられない。


 竹下くんの手へ触れた。


 嬉しかった。


 そのあと、春斗の手も気になった。


 それは比較したいからなのか。


 春斗を男の子として意識しているからなのか。


「分からない」


「またそれ」


「でも、気になった」


「俺は嫌」


「何が」


「今、繋ぐの」


 少しだけ胸が沈む。


「そっか」


「竹下の次みたいになるから」


「……」


「俺は二番目で試されるの嫌だ」


 春斗の言葉が胸へ刺さる。


 そうではない。


 でも、そう見えても仕方がない。


「ごめん」


「謝るな」


「今日はそればっかり」


「お前が謝ることばっかりするから」


「ひどい」


「でも」


 春斗が自分の手を膝の上へ置く。


「お前がちゃんと決めて」


「うん」


「俺を選んだら」


 声が少し小さくなる。


「そのときは繋ぐ」


 胸が大きく鳴る。


「本当?」


「今は駄目」


「うん」


「竹下を選んだら、二度と聞くな」


「……うん」


「だから、簡単に試すな」


「分かった」


 私は自分の手を膝の上へ置いた。


 触れない。


 でも、距離だけが気になる。


 春斗の手は、昔から何度も触れたことがあるはずなのに。


 今は、竹下くんの手より遠く感じた。


     ◇


 夜、午後十時二分。


 自室の机へ座り、私はノートを開いた。


 勉強用ではない。


 誰にも見せないための、小さなノート。


 愛ちゃんに言われた。


 竹下くんといるときの自分。


 春斗といるときの自分。


 どちらも見た方がいい。


 私はページの左側へ「竹下くん」と書いた。


 右側へ「春斗」と書く。


 その下へ、今日感じたことを並べようとする。


 竹下くん。


 昨日のデートが楽しかった。


 次の約束が嬉しい。


 可愛いと言われると胸が高鳴る。


 もっと知りたい。


 手を繋いでみたい。


 恋人になれたら嬉しい。


 春斗。


 会うと安心する。


 好きと言われて嬉しい。


 離れると言われると怖い。


 女の子として見てほしい。


 手を繋いだらどうなるか気になる。


 ほかの女の子を好きになってほしくない。


 書いている途中で、手が止まる。


 どちらも恋に見える。


 でも、同じではない。


 竹下くんへ向かう気持ちは、前へ進みたい。


 新しいことを増やしたい。


 もっと近づきたい。


 春斗へ向かう気持ちは、失いたくない。


 でも、今まで通りだけでは足りない。


 自分だけを見てほしい。


 私はペンを置いた。


「……どうしたら分かるの」


 小さく呟く。


 スマートフォンが震える。


 竹下くん。


『部活の予定、まだ確定じゃないけど、来週の日曜たぶん午前空いてる』


『分かった』


『偕楽園、本当にいい?』


『うん。楽しみ』


『じゃあ決まったら連絡する』


『待ってる』


 胸が温かくなる。


 少しして。


 春斗から。


『明日、五分早い』


 いつもの連絡。


『また?』


『話す時間欲しい』


『何話すの?』


『知らない』


『じゃあ普通でいいじゃん』


『普通が分からない』


 胸が少し痛み、同時に温かくなる。


 春斗も迷っている。


 私と同じ。


『分かった。五分早い』


『寝坊するな』


『しない』


『ノート書いてた?』


 驚く。


『何で分かるの』


『お前、考えるとき書くから』


『見たことあった?』


『中学のとき』


 春斗は、私が忘れていることまで覚えている。


『何書いたか聞く?』


 送る。


 少し間。


『聞かない』


『本当?』


『聞きたいけど聞かない』


『何で』


『自分で考えるためのものだろ』


 胸が揺れる。


 春斗は、何でも知りたいと思いながら、私の中へ無理に入ってこない。


『ありがとう』


『何が』


『聞かないでいてくれること』


『竹下のことも書いた?』


『うん』


 長い沈黙。


『俺のことも?』


『うん』


 また沈黙。


『そう』


 短い返事。


 でも、春斗が少し安心したことが分かる。


『春斗』


『何』


『好きって言われたこと、書いた』


『消せ』


『嫌』


『恥ずかしい』


『誰にも見せないよ』


『お前が見るだろ』


『私のノートだから』


『余計嫌だ』


 私は少し笑った。


『でも嬉しかったから残す』


 既読。


 返事は来ない。


 一分。


 二分。


『期待する』


 届く。


『分かってる』


『それでも書く?』


『うん』


『そっか』


 そのあと。


『おやすみ』


 春斗から来る。


『おやすみ』


 私はスマートフォンを置き、ノートへ戻った。


 右側。


 春斗の欄へ、最後に一つ書き足す。


 好きと言われたことを、忘れたくない。


 左側。


 竹下くんの欄へも書く。


 次の約束が、楽しみ。


 どちらも消せない。


 どちらも嘘ではない。


 だから。


 今はまだ、無理に一つへまとめない。


 ただし。


 いつまでも二人の優しさへ甘え続けない。


 私はページの一番下へ、少し大きな字で書いた。


『自分が選ばれることではなく、自分が誰を選びたいのかを考える』


 その言葉を見つめる。


 難しい。


 でも、逃げたくない。


 明日の朝。


 また春斗と会う。


 教室では竹下くんと話す。


 次の日曜日には、竹下くんとの新しい約束があるかもしれない。


 私の時間は、二人へ向かって伸び始めている。


 そのまま両方へ進み続ければ、いつか必ず誰かを傷つける。


 もう、それは分かっている。


 それでも今夜だけは。


 竹下くんとの次の約束を楽しみにしながら。


 春斗から好きと言われた朝を思い出しながら。


 私はまだ、どちらの気持ちも嘘にしないまま、ノートを閉じた。

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