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調査③


 医務室を出てそうそう、ミヤビが歓喜の声をあげる。


「いやぁ、虐待の痕跡が色濃く残るあの感じ。たまんねぇ〜! 長男より優秀で勉強できちまったばっかりに、それだけが価値だと洗脳から抜け出せない博喜くんっ! 影の薄さが幸いして悪運よく臆病で、周りが潰れてく様子を見てるだけだった蒔時くんっ! 宗教本流の正式跡取りとして寝る暇すら与えられずに働かされちゃった、超優秀お兄ちゃんの奏楽くんっ! 可愛い〜! えっち〜!」

「君の脳漿は、一度煮沸消毒してもらった方がいい」

「なんで!? たった一つの価値を強要されて、そこから一歩も動けなくなった子どもの傷痕が、どれだけえっちか知らないんすか!?」

「……そういう目で見るな」


 たからは吐き捨てると、追いすがろうとするミヤビを無視して歩調を速めた。

 二人が廊下を進むと、そこには数人の子供たちが集まっていた。

 しかし、その光景は異様だった。

 

 談笑しているはずの彼らの声は、まるで薄い膜を隔てた向こう側から聞こえてくるようにこもっている。

 たからの視界の端で、一人の少年の肩がふっと透け、背後の壁の模様が透けて見えた。目を凝らせば元に戻るが、注意を逸らせばまた霧のように形を失っていく。

 

「……ミヤビ。君の目にはどう映る」

「最悪っすね。ページをめくるたびに、文字がかすれて読めなくなっていく古い本を読んでる気分っす」

 

 ミヤビは眼鏡を指先で押し上げ、不快そうに目を細めた。

 二人の気配に気づき、ポンチョを揺らして雫桜が駆け寄ってくる。その後ろには、翡翠色のリボンをつけた夢追と、他にも数人の子供たちが続いていた。

 

「お姉さんたち、博喜兄さんは、どうでしたか……?」

 

 雫桜が問いかける。その瞳は澄んでいるが、彼女が踏みしめる床には、足音が響かない。

 彼女のすぐ後ろに立つ夢追も、激しく息を切らしていたはずなのに、その胸の上下は幽霊のように緩慢で、生きている実感が伴わなかった。

 

「安静にしているよ。……雫桜くん、一つ聞きたい」

 

 たからは屈み込み、雫桜と視線を合わせた。

 

「君たちの影や体が薄くなっているのは、いつからだ? 誰かが『選ばれる』前から、こうだったのか?」

「ええっと……」

 

 雫桜は自分の透けかかった指先を、もう片方の手でぎゅっと握りしめた。

 

「最初は、自分でも気づかないくらいだったんです。でも、誰かが選ばれ初めてから、段々みんな薄くなってく感じで……なんだろう、分け合ってる……っていうのかな」

「分け合っている?」

「はい。選ばれた子はパッと消えちゃうんですけど、それ以外の子はじわじわ無くなってく……みたいな。あ、でも、夢追ちゃんはもっと詳しいかも!」

 

 振られた夢追が、おっとりとした動作で首を傾げる。

 

「う〜ん……。私はねぇ、最近、自分の名前を書こうとすると、最後の一文字だけどうしても思い出せなくなるの〜。不思議だよねぇ」

 

 夢追は笑っているが、その頬の輪郭は陽光に溶け、背景の廊下と同化し始めている。

 

「……徹底してるっすね。残り少ない燃料をどうやって長く持たせるか、試行錯誤してるみたいっす」


 たからは、しばしの沈黙ののち、ゆっくりと息を吐いた。

 その視線は、目の前の子供たち全体を撫でるように巡りながら、どこか一点に引っかかっている。


「……ミヤビ」


 低く、確かめるような声音。


「君には、これが減っているように見えるか?」

「はい?」


 気の抜けた返答とは裏腹に、ミヤビの視線はすでに同じ違和へと辿り着きつつあった。

 眼鏡の奥の瞳が、すっと細められる。ミヤビは喉の奥で、楽しげに笑った。


「なるほど。そういうことっすか」


 たからは答えない。ただ、静かに顎で示す。

 視線の先。子供たちの輪の奥に、一人の少女が立っていた。

 背丈は他と大差ない。装いも、特別目立つものではない。

 だが、その存在だけが、妙に重い。

 足元に落ちるそれは、朝日を受けてなお深く沈み込み、まるで床板そのものに染み込んでいるかのようだった。


「……増えてるやつがいる」


 ミヤビの声が、ひどく愉快そうに歪む。


「減ってるんじゃない。『移ってる』んすよ、これ」


 言葉が落ちた瞬間だった。

 奥にいた少女が、こちらに気づいたように、ゆっくりと顔を上げる。

 そして、何の屈託もない笑みを浮かべた。

 その笑みが完成するより早く――すぐ傍にいた少年の膝が、唐突に崩れた。


「……え? 雪羽(ゆう)くん!?」


 雫桜の声が、小さく震える。

 少年の身体は、力を失った操り人形のようにその場に崩れ落ちる。

 その輪郭が、一瞬だけ、陽炎のように揺らいだ。

 次の瞬間には薄くなっている。

 先ほどまで確かにそこにあった質量が、ほんの一呼吸のあいだに削ぎ落とされたかのように、頼りなく、曖昧になる。


琴祢(ことね)ちゃん! 拓輝(だいき)くん……!」

「雫桜くん! くっそ……!」


 次々と幼さの残る少年少女が倒れていく。

 そしてそれと同時に、奥に立つ少女の影が、ぐっと深みを増した。

 床に張り付くように広がり、わずかに脈打つ。


「ミヤビ、止めるぞ」

「いやいや」


 即座に返る否定。

 ミヤビは肩をすくめ、しかし視線は一切逸らさない。


「……いやいや、これは流石にどうこうできます? 存在を奪うとか、急にガチファンタジー方向へ舵切られても困るんすけど……」

「だが何とかせねば、君の大好きな子どもたちが消えてしまうぞ。永遠に」

「そうなんですよ〜! 消えちゃうのは不本意ですぅ!」


 ミヤビの悲痛の絶叫が廊下に反響する。それを潮に、奥にいた少女がくるりと背を向けた。

 彼女が踏み出した一歩ごとに、床の影が重く引き摺られ、周囲の子供たちが砂のようにさらに薄まっていく。


「あ、逃げた!」

「……とりあえず、あの子を追うぞ。名前は?」


 叫び終えるのと同時、ミヤビの姿がブレた。ふざけた言葉とは裏腹に、その足先はすでに冷徹な獲物への最短距離を刻んでいる。

 たからは奥に佇む少女――存在を「増やしている」菖蒲色のリボンをつけた快活そうな彼女の、その背中を見失わないように凝視している。

 

青風(はるか)ちゃんですね。菖蒲派の最年長で、イタズラ好きの可愛い子でして」

「……イタズラ、ね。化け物役を演じるのがか?」


 たからの冷徹な指摘に、ミヤビが「おぉっ」と声を弾ませた。


「さすが、お目が高いっすねぇ! おちゃらけたスケープゴート、自分が全部引き受けて傷つけば、みんなは無事――なんて、そんな自己犠牲の呪いに縛られた健気な最年長っす! 可愛いっ!」

「君は後で消そう」

「どうして!? でも彼女には玲香(れいか)ちゃんっていう双子の妹兼相棒がいるはずなんすけど、見当たらないっすね」

「今のところは一人だな」


 二人は後を追いかけていく。すると青風はとある部屋の前で足を止め、部屋に入っていく。その部屋の中から「やめて!」と、悲鳴にも似た声が上がる。

 急いで中へ入ると、そこにはミディアムヘアの女の子が、柱に縛り付けられ、青ざめて震えていた。胸元についた菖蒲のリボンが同じくカタカタと震えている。

 その輪郭は薄く、背にしている柱が透けて見えるほどだ。誰が見てももう間もなく消えてしまうと分かるほどに、彼女の存在は希薄だった。


「やめて、青風! もういいよ、もういいって!」

「……大丈夫」


 青風はうわ言のように大丈夫、と繰り返している。その虚ろで緩慢な動きは、昨日の博喜と同じように正気ではない様子だった。


「やめて! 青風はそんなこと望んでないよ! 私のことはいいから、返してきてあげて!」

「……大丈夫、大、丈夫……わたしが、わ、たしが……なんとか、するから……」


 青風が玲香の肩に触れた瞬間、パキリ、と空気が凍りつくような音がした。玲香の輪郭がさらに霧散し、彼女が縛り付けられている柱の木目が、彼女の胸元を完全に貫いて透けて見える。

 もはや、声すらも実体を失い、風鳴りのような音へと変わっていく。


「不味いな。ミヤビ!」

「はい! 昨日と同じようにやってみますよ!」


 ミヤビは小さな鏡を取り出して打ち合わせる。美しい音が辺りに響き渡るものの、青風自身に変化は無い。


「昨日と同じ洗脳ならこれで解けるはずなんすけど……ダメだ、これ、本人の意志が強固すぎて、鏡の方が割れそうっす!」

「……昨日は神格による『外部からの強制』だったが、今日は別のナニカによる『自発的な献身』の可能性がある」

「じゃあ逆っすね……! 玲香ちゃん! ちょっと痛いけどごめんねぇ!」


 ミヤビはもう一度鏡を打ち鳴らし、その鏡面を玲香の方へ向けた。白い光が玲香の輪郭をなぞり、その存在を器のように固定する。

 次の瞬間、青風の内側に滞留していた「重み」が行き場を失い、堰を切ったように逆流した。


「あつい……いたい……!」

「今まで吸い取っちゃった分も返していただきますよ!」


 ミヤビが鏡を向けると、青風は絶叫して倒れ込んだ。あたり一面に、肉が焼けこげたような嫌な匂いが充満する。

 ミヤビが鏡を落とす。真っ赤に染まった指先を見て顔をしかめる。たからがそれを拾って差し出した。

 鏡から溢れ出した白い光が、逃げ場を失った蛍のように部屋中を乱舞する。それは、青風が溜め込んでいた子供たちの重みだった。


「これでなんとか……取られた分はこれで全部っすね」

「随分と代償がでかいな。何でも出来るみたいだが」

「そういうもんでしょ。呪物なんて」


 光が壁を通り抜け、廊下で倒れている子供たちのもとへ帰っていくたび、玲香の輪郭もじわじわと確かな肉の感触を取り戻していった。

 たからは玲香の拘束を解いてやる。玲香は気を失っている青風の元へ縋り寄った。


「青風、青風……! ごめんね、ごめんね……私のせいで、ごめんね……」


 たからは、泣きじゃくる玲香と、その傍らで横たわる青風を見て、辛そうに眉根を寄せていた。

 だが探偵としてのプライドか、それを表に出すことなく、淡々と問いかける。

 

「……ミヤビ。鏡で『すべて』返したと言ったな」

「ええ、元通りっすよ。これ以上ないくらい清々しく」

「……なら、なぜまだ床が鳴らない」

 

 たからが自身の足元を、軽く踏みつける。コン、と乾いた音が響く。それは実体のある床の音だが、部屋の隅、影が溜まっている場所を指差す。

 それと同時に、遠くの部屋からも、短い悲鳴や、何かが倒れる音が聞こえてきた

 

「あの子の存在を戻しても、この部屋の空気が軽くなっていない。今この瞬間も、別の場所で同じことが進行していると見ていい」

「同時多発テロってこと!? なんだなんだ? 攻撃範囲が広いぞぉ!?」


 たからはミヤビを無視して玲香の隣へ行った。その背中を撫でながら、優しく声をかける。

 

「……玲香くん、だったか? 彼女を任せられるか?」


 青風の顔をじっと見る。それから決意したように、顔を上げた。

 玲香は涙を乱暴に拭い、大きく頷く。


「ごめんなさい。ありがとうございます、大丈夫です。……今度は、勝手に、やらせません」

「ああ、頼んだぞ」


 たからは頷いてから、早足で部屋を出た。ミヤビは玲香の泣き声に耳を傾け、わずかに首を傾げた。

 呼吸の乱れと声の高さを聞き分けるように数拍だけ静止し、喉の奥で笑いを噛み殺すように、わずかに肩が揺れた。そしてそのまま振り返らずに廊下へ出た。

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