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調査④


 たからとミヤビは廊下に出る。不気味な足音が耳元近くを通り過ぎ、大きく屋敷が軋む音がする。

 しかしそれ以外音が全くしない。先程までしていた子どもたちの声が一切しないのだ。


「また音が消えたな」

「あれぇ? あれは神格さんのささやかなイタズラじゃなかったんすか?」

「あいつは鈴の音だろう。前回は鳴っていたからな」

「じゃあ泥棒さんの仕業かぁ」


 その時、ドンッと床を強く踏みしめるような音が響いた。それは軽快に駆け出す幼子の足音とは違って、誰かが地団駄を踏んだような音だった。


「……おん?」

「苛立っている……みたいだな。先程邪魔をしたのが効いたらしい」

「あらまぁ、泥棒さんイラッイラでウケる」


 ミヤビが軽口を叩いた矢先、廊下の先でまたもや悲鳴のような声が聞こえてきた。

 

遊梨(ゆうな)様!」

「遊梨姉様! しっかりしてください!」

 

 廊下の先で、車椅子から落ちたであろう一人の子供が苦しげにのたうち回っている。その子の体は透けるどころか、色が濃くなりすぎて、どす黒い炭のようになっている。

 その近くを二人の子供が、彼女に触れることも出来ずに、涙声を上げている。


「今度は『取り込みすぎ』たらしいな」

「……っすね」


 ミヤビは痛みに顔を顰めながら鏡を取り出す。

 遊梨と呼ばれた少女は、息も絶え絶えになりながらも、這うように移動している。


「……行かねば。池に、行かないと……」

「でも……遊梨姉様ひとりじゃ……」

「お取り込み中ごめんよぉ! ちょっくら離れてくれねぇかい!?」


 ミヤビは遊梨に鏡を向ける。二人は慌ててその場を離れる。白煙が上がり、どす黒くなった影が逆流し、淡い光を帯びて霧散していく。

 鏡の中へと取り込まれる影の一部が、ミヤビの手首に巻きついて、抵抗を試みる。


「抵抗したって無駄なんですぅ! 嫌なら直接来なさいばーかばーか!」

「……煽るんじゃない」


 ミヤビが鏡を落とす前に、たからがそれを奪い取るようにして受け取った。酷い火傷をおったような痛みと傷が両手に広がっている。


「……あと一回が限界でもいいっすか?」

「それでことが済めばな」

「ちくしょー! ブラックめ! 労災を申請します!」

「後でな」


 たからは遊梨に駆け寄った。濃くなった体は一旦元通りになったように見える。

 遊梨は何度か咳き込み、青い顔を上げた。体がとにかく痛むのか、酷い脂汗を滴らせる。下半身が麻痺しているのだろう、腕の力だけで上半身を起こす。


蓮華(れん)

「……はい、遊梨様」

砂月(さつき)、ごめんなさい、少し手伝っていただけますか?」

「はい、遊梨姉様」


 近くにいた山吹色のリボンをつけた少年、蓮華と、白藍色のリボンをつけた少女、砂月が二人がかりで遊梨を車椅子に座らせる。たからも手を貸そうとしたが、やんわりと断られてしまった。

 遊梨は車椅子に深く沈み込み、たからに笑顔を見せる。たからは彼女が無理に作った笑顔を見て、胸がざわついた。

 

「私は……まだ、大丈夫です」


 車椅子に座った遊梨の膝の上で、彼女の山吹色のリボンが、まるで生きているように遊梨の指に絡みつく。


「ですので、触れないでください。……今、何が起きているのか、全く分からないのですから」

「……そうだな。選ばれた時とは随分様子が違う」

 

 たからは差し出した手を、無造作にポケットへ戻した。拒絶された怒りはない。ただ、彼女たちの結束が、脆いガラス細工を必死に支え合っているような、危ういバランスの上にあることを察したのだ。


「……遊梨様、お身体は……」

「平気です。この程度の痛み、大したことはありません。あなたは平気ですか?」

「……はい。僕は平気です。お気遣いありがとうございます」


 遊梨の傍らに控える蓮華は、必死に彼女の車椅子を支えているが、その指先には血の気がまったくない。

 その隣に立つ砂月も、真っ白な指を抱き抱えるように握りしめている。

 

「砂月、あなたは?」

「私も大丈夫。遊梨姉様が守ってくれたから。ごめんなさい、何も出来なくて……」

「問題ありません。あなたが無事なら、白藍も文句を言わないでしょう」

「……ありがとうございます」

 

 遊梨がまた咳き込むと、口から黒いタールのようなものがこぼれ落ちる。高い粘度の液体が、小さく丸くなる。


「ゆ、遊梨姉様!」

「大丈、夫――っ、」


 遊梨は何度か激しく咳き込み、ドス黒い液体を吐き出す。

 蓮華は車椅子を支えたまま、視線だけを遊梨の口元に落とした。黒い液体が零れるたびに、ほんのわずかに指先の力が強くなるが、それ以上は何も言わなかった。


「来たな。その気持ち悪い登場の仕方は何とかならないのか」

「……やだこれ神格さん!? きっしょ!」


 ヘドロは遊梨の膝の上で、指に巻きついていたリボンに攻撃するように覆いかぶさった。途端にリボンは動きを失い、自然と解けた。

 遊梨はその様子を怖がるでもなく、興味深そうに見ていた。


「……へぇ」


 その瞳には恐怖も嫌悪もなく、ただ、パズルを解き明かした子供のような純粋な愉悦が宿っていた。

 そしてリボンをこちらに差し出してくる。そこにはうごうごと蠢く黒い文字が浮かび上がっていた。


「……イケ? ……池?」

「中庭にあるため池でしょう。砂月、案内してあげなさい。私たちも向かいましょう」

「はい、分かりました」


 砂月がたからを促すように一歩踏み出すが、たからの足は一歩も動かない。

 彼女はポケットから手を取り出し、遊梨の膝の上で解けたリボンの残骸を指し示した。


「……待て。遊梨……と言ったか。君、鏡を見る習慣はないのか?」

「……おかしなことを聞くのですね、探偵さん。今はそれどころでは――」

「『それどころ』なんだよ。自分の唇が変色していることにも気づかないほど、君の感覚は死んでいる。それを余裕とは呼ばない。ただの放置だ」

「うへへ、さすが遊梨ちゃん! 障害のせいで無能価値無し判定を頭の良さで切り返しただけはある! 自分の苦痛を見て見ぬふりする天才だぁ!」


 遊梨の瞳が、一瞬だけ揺れる。指先がリボンをぎゅっと握りしめ、それからゆっくりと離す。そして不快そうに眉を寄せた。

 ミヤビのふざけた声を、たからの冷徹な一喝が切り裂いた。


「黙っていろ。……遊梨、君は大丈夫なのか、と聞いている」

「ええ、もちろん。私は、みんなを守る義務がありますから」

「義務を果たすのは、君が壊れていい理由にはならない。……蓮華くん、砂月くん。君たちの姉様は、自分を消耗品だと思っているらしい。そんな奴に案内を頼めるか」

 

 たからの冷徹な問いに、蓮華はぴくりとも動かなかった。ただ無機質な瞳で遊梨の背中を見つめ、陶器のような指で車椅子を強く握りしめている。それは同意でも否定でもなく、ただ「それ以外に道はない」と悟りきった、子供らしからぬ静寂だった。

 対照的に、砂月は「あ、あの……」と声を漏らし、真っ白な指先を泳がせてあわあわと狼狽えた。たからと遊梨の顔を交互に見比べ、今にも泣き出しそうな顔で、壊れ物を扱うように遊梨の袖をそっと引く。


「なら、どうしろというのです? 屋敷全体が危険に侵食されている中で、私一人だけが安静にしていろと?」

「ミヤビの言う通り、君は自分を騙す天才らしい。だが、探偵の前で嘘はつかないことだ」


 たからの声は低く、そしてひどく重い。


「君がここで倒れれば、残されたこの子たちはどうなる。今度は彼女たちが、君の代わりに無理をし始めるぞ。それが君の望む『義務の遂行』か?」

「……いえ、それは……」


 遊梨の言葉が詰まる。その隙間を、たからの容赦のない断罪が埋めた。

 

「子供が子供を、命を削って守らなきゃならない現状そのものが、既に壊れているんだ。それを当たり前のような顔で受け入れている君のその根性が、私は反吐が出るほど気に入らない」


 絶句する彼女を見下ろしながら、たからはわずかに視線を和らげ、しかし逃げ場のない現実を突きつけるように声を低めた。

 

「君が安静にする必要はない。だが、まずは自分が壊れかけていることを認めろ。……砂月くん、案内しろ。遊梨くん、君も来い。君が倒れないように見張るのも、私の仕事だ」

「……はい」


 その返事を聞いて、ミヤビは「おぉ〜」と感心したように手を叩いた。


「壊れかけてることを認める……。いいっすねぇ、欠陥品であることを自覚しながら使い潰す美学! 遊梨ちゃん、今の言葉で一段と価値が上がっちゃいましたよ。ね、たからさん?」

「……勝手に鑑定するな。行くぞ」


 砂月がおずおずと頷き、案内を開始した。

 たからのぶっきらぼうな言葉を合図に、静かな廊下へ車椅子の軋む音が響き始めた。

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