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日常①


「はぁああ! ようやく全キャラ出せたっ! もういやっ! 群像劇いやっ! まだスポットライトの当たらんキャラがおる! 出番が偏るっ!」

「そりゃそうだ」

「同じ区画に五人も六人も出てきてっ! 可愛いトラウマと虐待設定の開示と、成長と、楽しい会話とみのりちゃんやってたら、物語が終わらんすぎるっ! もうやらんっ!」

「……学びがあって良かったな」

 

 ようやく嵐が止み、屋敷に日常が帰ってきた。

 命の危機が完全に去った屋敷内は活気に溢れ、耳を澄まさなくても、どこにいても、明るい子どもの話し声が聞こえてきた。

 たからは、巡回を兼ねて屋敷内を歩いていた。その後ろをミヤビは、小さな体で一生懸命歩くみのりの手を引き、足並みを揃えて進む。


「なにが全キャラの心のケアだっ! 無理だろっ! 神格も捕まえられねぇ、みんなの心のケアも不完全、たからさんの目標がフワッフワッで何一つ達成できてねぇからって馬鹿にするなよなぁ!」

「……誰に言ってんだ」

「時間がねぇよ時間がよぉ! 脱出は三日後なんて宣言されちゃあ、大人しくエンディングを迎えるしかあるまいて」

「そうだな」

「迎えたら、私たちも現実へ帰るんすよね?」


 たからはそこで足を止めた。


「……ああ、そうだ」

「じゃ〜、急がないとっすねぇ。声かけるなら手遅れになりそうなやつだけに絞るとか?」

「……本当は、全員と向き合うべきなんだろうがな」


 たからは、苦く笑った。


「時間が足りない。私一人では、どうにもならん」


 たからは振り返ることなく歩き始めた。その背中には、使命感と焦燥が混ざり合った、硬い緊張が張り付いている。

 ミヤビとみのりは足を止め、遠ざかる後ろ姿を見送った。


「たから、あせってる?」

「焦ってますねぇ、あれは。あせあせっ、どうにかしなきゃっ」

「あせあせ」

「ま、気にせず行きましょ。ケアなんざ、たからさんが一人でやってらいいんすわ。めんどくせぇ」


 ミヤビはみのりの手を引いて、近くの部屋に入った。

 そこは大広間よりも少し狭い部屋で、主に年少組が頻繁に出入りする憩いの場所だった。

 中央では菖蒲色のリボンをつけた蒼天、撫子色のリボンをつけた日暖がトランプで遊んでおり、部屋の奥には瑠璃色のリボンをつけた鐘雨と、菖蒲色のリボンをつけた歩惟が楽しそうに談笑している。

 反対側では白藍色のリボンをつけた澪緒と砂月が本を広げて話していた。

 色とりどりのリボンが目に痛い。ミヤビはげんなりした様子で目を細めた。


「……人数が多いのよ、一区画によぉ……」

「そら、ひなた」

「おう? みのりちゃんさん? どこに行かれるんです?」


 みのりはミヤビの手を離れ、部屋の中央へ進む。快く受け入れた日暖とは対照的に、蒼天は未だに暗い影を顔に落としたままだ。

 みのりは、そんな蒼天の頬を指先で無造作につつく。


「……えがお」

「ああ、すいません……」


 蒼天は、無理やり口角だけを吊り上げた、痛々しいほどに不器用な作り笑いを浮かべた。

 みのりは少しだけ首を傾げてその仮面を観察した後、蒼天の膝の上に、断りもなく、すとんと無遠慮に座り込んだ。


「あの、えっと……みのり、様?」

「みのりしん……はなし、きく」


 膝の上で胸を張るみのりは、どこか「威風堂々」としていた。かつての神としての名残か、あるいは幼子ゆえの純粋な傲慢か。

 突然の重量感とあまりに直球な慈愛の眼差しに、蒼天は言葉を詰まらせ、どう対応していいか分からず、助けを求めるように周囲をキョロキョロと見渡して困り果てた。


「い、いえっ、そんな……僕に触れないでくださいっ、あなた様が穢れてしまう……!」

「もんだい、なし」

「ですが……!」

「蒼天くんねぇ、神棚倒しちゃったの、ずっと気にしてるらしいんだよね。みのりちゃん的にはどう? 怒ってる?」


 痺れを切らした日暖が、助け舟を出すふりをして、核心を突く質問をみのりに投げかける。蒼天の体がびくりと跳ねた。


「……きにしない。もう、おこった。ゆるした……いってた」

「風の神様とお話できるの?」

「できた。わるいのは、みやび。そら、ちがう」

「……そう、ですか……」


 蒼天の顔に、わずかな安堵が差し込んだ。しかし、染み付いた自罰的な感情がそう簡単に消えるはずもない。

 眉間には依然として、自分を許しきれない暗い皺が寄っている。

 みのりはまた少し首を傾げ、それから蒼天の頬を、小さな両手でぺたりと優しく包み込んだ。

 

「……かみさま、おこった。ゆるした。もう、おわり」

「……そんな、簡単には」

「かんたん」

 

 蒼天は二の句が継げなかった。彼が積み上げてきた「懺悔の塔」がガラガラと崩れるような衝撃が、彼から言葉を奪ったのだろう。

 子供の論理はあまりに短く、あまりに絶対的で、逃げ込むための複雑な言い訳を許さない。

 ミヤビはその一部始終を、部屋の入り口で腕を組んで眺めていた。みのりが「かんたん」と言い切った瞬間、三日月の形に不敵な笑みが浮かぶ。


「元神様が言うことに反論なんて、随分威勢がいいっすねぇ、蒼天くん?」

「……っ」

「あーあ、許されちゃった。……神様に許されたら、自分を責める理由がなくなりますねぇ。困っちゃうねぇ?」

「……そんな、こと……」


 蒼天は蚊の鳴くような声で、弱々しく反論する。

 自分のアイデンティティが奪われるような感覚に陥っているのだろう。

 

「なら素直に許されたらいいじゃんね」

「それは……結構です。僕に、そんな資格はありません……から」


 蒼天は俯いて、頭を垂れた。ズボンを握りしめる蒼天の手が白く震えている。

 みのりは彼の頬を一度「ぺちん」と景気よく叩く。叩かれた頬の熱さに、彼が呆然と目を見開いた。

 そして、みのりは蒼天に興味を失ったようにトランプの山へ手を伸ばした。


「……ひなたも、ゆるされた」

「俺はなんも悪いことしてないよ」

「……ちがう。いきること」


 トランプを配ろうとしていた日暖の指先が、ぴたりと凍りついた。

 それを見逃さず、ミヤビが愉快そうにけらけらと笑い出す。


「みのりちゃん、無自覚なら結構なこと言いますねぇ。日暖くんが兄様姉様に庇われて守られるのが、本当は嫌で嫌で、それが何より苦しくて申し訳ねぇって、生きてること自体に引け目を感じてることなんて」


 日暖の視線が、鋭くミヤビを射抜いた。それは怒りというよりも、心の奥底に隠していた宝箱を無理やりこじ開けられたような、剥き出しの驚愕だった。

 日暖の喉が、何かを言い返そうとぴくりと動く。だが、彼はすぐに奥歯を噛み締め、視線を床へと落とした。


「……神様に嘘はつけないや」


 絞り出した声は、ひどく掠れていた。彼はその小さな肩を震わせる。

 日暖は震える呼気を一度吐き出し、自分を落ち着かせるように、静かにみのりに向き直った。


「……俺は、兄様や姉様を守りたいんだ。……できるかな」

「……うん、できる。……うけとったひと、かえせる」

「お外は危険がいっぱいかな。こことどっちが危ない?」

「ここ」


 日暖は、こらえきれないといった風に小さく噴き出した。

 その瞳の奥で、消えかけていた灯がふっと酸素を得たみたいに揺れた。


「……そっか。じゃあ、どこへ行っても平気だな」

「がんばれ」

 

 みのりは満足げに蒼天の膝から滑り降り、今度は壁際で話していた鐘雨と歩惟の元へ、とことこと歩んでいく。

 

「おう? なんだなんだ、今日はみのり元神によるメンタルブレイク行脚かぁ? どうしたんマジで」


 みのりは、ミヤビから逃げるように鐘雨と歩惟の元へ歩み寄る。二人の前で立ち止まると、その顔をじっと、魂の形を確かめるように見つめた。


「……しょう、あい」

 

 そして何かに得心したように、こくりと深く頷く。

 他の子へ向けるような探る視線ではなく、完成した絵を確かめるみたいに静かに目を細めた。


「ちゃんと、じぶん。……うらない。……きれい」


 二人は顔を見合わせて、不思議そうに首を傾げた。

 その仕草には、恥じらいも、取り繕いもない。

 その困惑すら、みのりには正しい状態に見えているようだった。ひとしきり満足したように頷くと、みのりの興味はまた次へ移った。


「みのりさん、帰りますよ。もう目的は果たせたでしょう? あんまり皆を困らせたら、私が怒られちゃいますっ」


 ミヤビはみのりを回収しようとするが、その合間を縫ってみのりは壁際にいた二人――澪緒、砂月の所へ行く。


「……どうしたの、みのりちゃん」

「ミヤビさんが困ってるよ」

「私たちにも、何か言うの?」


 澪緒は慈しむように微笑み、砂月は困ったように眉根を下げて笑う。二人は静かにみのりと視線を合わせた。

 みのりは一人ひとりを凝視した後、吸い寄せられるように砂月の膝の上へと収まった。


「みお、さつき」

「そうだよ。正解」


 みのりは得意げな顔をして、ふんぞり返るように胸を張った。ミヤビに向かって、どうだと言わんばかりの誇らしげな視線を送る。

 ミヤビは呆れたように肩をすくめて、ゆっくりと近づいてきた。


「いやぁ、すごいすごい。ちゃんと覚えてて偉いっすね。じゃ、帰りますよ?」

「……かえらない」

「え!? どうして!?」

「まもる。みおも、さつきも」

「……は?」


 きょとん、とした間抜けな声が漏れる。

 ミヤビがみのりの小さな手首を掴み、ぐいと引く。だが、みのりは砂月の膝の上に根を張ったみたいにぴくりとも動かなかった。細い指が砂月の服地をきゅっと握りしめ、その丸い背中には妙に頑なな意思が宿っている。


「何から守るの?」


 砂月が、宥めるように穏やかな声で尋ねる。

 みのりは少しだけ考えるように首を傾げ、それから迷いを断ち切るような鋭さで言い切った。


「ぜんぶ」


 丁寧に磨かれたガラス細工のように、曇りひとつなく整えられた子供の表情。

 ミヤビは引いていた手を離し、獲物を定めるような細めた目で二人を順に見やった。


「……全部? そりゃあ父――」


 ミヤビの声が、途切れる。みのりが振り返ったからだ。

 黄金色の大きな瞳が、まっすぐにミヤビを射抜いていた。

 言葉はなくとも、その瞳は雄弁に物語っていた。「お前の好きにはさせない」と。

 ミヤビはしばらくその視線を正面から受け止め、やがて盛大に顔をしかめて、降参するように両手を上げた。


「……先回りとか、ほんっと性格悪いっすねぇ」

「みやび」


 ミヤビの口端がピクリと引きつる。ちぇっ、とあからさまに舌打ちを鳴らした。


「みお。いやだった。さつき。いたかった」


 澪緒が触れられていない肩を、まるで冷たい指が這ったかのように竦める。砂月が自分の喉元を、他人の手を振り払うような強さで、無意識に覆い隠した

 二人の時間が、そこだけ物理的に止まった。

 彼女たちの肉体だけが、かつて誰かに強引に奪われ、書き換えられた「痛み」の記憶を、音もなく晒し続けている。

 みのりはそんな二人を庇うように、砂月の膝の上で胸を張る。


「……まもる」


 そのあまりに小さく頼りない、けれど誰よりも強固な様子を見つめ、ミヤビはわざとらしく天を仰いで深いため息を吐き出した。


「はいはい、分かりましたよ。今日はみのり神様に花を持たせてあげましょう」


 ミヤビは、まだ未練がましく二人へ残酷な視線を流した。だが、これ以上彼女たちの心の結界を土足で踏み荒らせば、本気でみのりが「神」に戻って怒るだろう。

 それはそれで、死ぬほど面倒くさい。


「じゃ、好きにしなさいな。ただし、余計な問題を起こしたら全部みのりちゃんさんの責任ですからね。私は一切、知りませんから」

「うん」


 迷いのない、短い返事。それが、ミヤビにはどうしようもなく癪に障った。


「……ったく。ガキのお守りをガキに任せるとか、世も末っすわ」


 ぶつぶつと毒づきながら、ミヤビは踵を返した。

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