救済④
「……自殺未遂、ですか……」
遊梨は、自身の膝に置いた掌を握りしめ、申し訳なさそうに頭を下げた。
足元の床では、ミヤビに命を拾われた四つ子が泥のように眠っている。泣き叫び、抗い、最後に力尽きたその寝顔は、年相応の幼さに満ちていた。
その傍らでは、たからと合流した三人が毛布にくるまっている。彼らは、眠る四つ子に、自分たちの行く末を映す鏡を見るような、じっとりとした視線を向けていた。
「申し訳ありませんでした」
「君の責任ではない。だが、本当に知らなかったのか?」
「……ええ。彩弓は?」
彩弓は、遊梨の膝に置かれた綺麗な掌から目を逸らすように、爪を噛んだ。
「……知るわけないじゃん。あの子たちが、あたしに話してくれるわけないでしょ。……あんたじゃないんだから」
「……そうですか。ならば知る術はありませんね」
遊梨は悲しそうに、長く繊細な睫毛を伏せる。
「気づいてあげられませんでした。……難しいですね。目いっぱい目をかけているつもりでも、それは『つもり』でしかありませんでした」
「……気負う必要はない。君も、まだ守られるべき子どもだ」
たからは、車椅子の遊梨と目線を合わせるように、片膝をついた。
「そういう泥臭いことは大人に任せろ。……と言っても、今のこの状況で大人を信用しろというのは無理な話だろうが。それでも、私は精一杯やろう。君のために」
「……ありがとうございます」
遊梨の声は微かに震え、深く頭を下げた。そのやり取りを、ミヤビがニヤニヤと眺めながら割り込む。
「ま、死にたくなったら言ってくだせぇ。その車椅子ごと、私が景気良くぶっ壊して差し上げますことよっ!」
「……お願いだから、これ以上破壊しないでくれ」
「ふふ、……では、どうしてもという時はお願いしますね」
遊梨は、嵐の中に響く鈴の音のように、凛として笑った。
たからとミヤビは廊下へ出た。外は大気そのものが怒っているような激しい唸りを上げている。
「しかし意外だな」
「何がっすか」
「君は自殺を止めるんだな。……もっとこう、滅びを愉しむ側かと思っていた」
たからの言葉に、ミヤビはわざとらしく肩をすくめて、三日月の形に目を細めた。
「……たからさん、私のことなんだと思ってます? 私にだって崇高な美学があるんすよ。傷口ってのは、温くて赤い生きた血肉の上がいちばん映えるんすから!」
「……つまり、死体には興味がないと」
「いえすっ! 最強面白コンテンツ『お前』は、常に更新し続けていただかねぇとなぁ! 心の傷なんてもんは、深ければ深いほど、多ければ多いほどいいんですから。勝手にリタイアされて、物語を終わらせられたら困るんすわ」
醜悪な回答。しかしその根底にある、勝手に幕を下ろされることへの、ほとんど苛立ちに近い執着を、たからはあえて指摘しなかった。
その時、廊下の先、大広間の別の出入口から影が伸びた。三人の少年の姿があった。
「……おや、早速の命令違反者っすよ」
「大広間の近くの部屋なら構わないと言ったが……どこへ行くつもりだ」
たからとミヤビが駆け寄ると、三人の顔がパッと明るくなった。
「たからさん! 探しておりました!」
「……私を?」
叶馬と悟留が、競うように歩み寄ってくる。莉騎はその一歩後ろで、獲物を警戒する獣のように周囲に目を配り、護衛の姿勢を崩さない。
「叶馬くんに悟留くん、それに莉騎くんか。どうしたんだ?」
「書庫に行くとお聞きしました。……ぜひ、お役に立てるのではないかと思いまして」
「書庫の管理、情報の精査は僕たちの仕事でした。必ず、たからさんの力になれます」
二人は胸を張り、淀みなく言い切る。だが、その胸に置かれた指先は小刻みに震えていた。期待に応えたいという渇望と、もし期待を裏切れば次はないというトラウマ。
その相反する感情が、彼らの立ち姿に奇妙な違和感を与えていた。
「……今は大嵐の影響で、外周に近い書庫は危ない。それは理解しているか?」
「はい。もちろんです」
「慧衣兄様には『条件付き』で許可を頂きました」
「……『条件付き』?」
二人は、精密機械のように同時に頷いた。
「一つ、自分の身の安全を第一に考えること。もう一つはたからさんの指示に絶対に従うこと、です」
「……なるほどな」
たからは、目の前の少年たちを静かに観察した。
彼らにとって、この申し出は自発的な親切などではない。
自分たちが黄金派としてまだ機能していることを証明するための、喉元に刃を突きつけられた最終試験なのだ。
「気持ちは嬉しい。だが……断らせてもらおう。君たちの安全が確保できない」
「っ!」
叶馬と悟留の顔から、瞬時に血の気が引いた。
悟留は眼鏡を直そうとして、指が空を切り、そのまま激しく震え出す。
「ど、どうしてですか……!? 僕は、書庫の分類を全て暗記しています! 悟留だって索引を完璧に管理できる! 足手まといには、なりません、絶対に……っ!」
「僕たちの能力が不十分だというのなら、今すぐテストをしてください! 何でも答えます! だから――」
それは懇願というより、処刑台へ送られる者の叫びだった。拒絶は、彼らにとって不要という烙印と同義なのだ。
一歩後ろの莉騎までもが、一歩前に出ようとして、自分の役割を思い出して踏みとどまった。
「……違うんだ。君たちの能力を疑っているわけじゃない」
たからは困り果てたように眉を寄せた。
ここで安易に危ないからと優しさを見せれば、彼らはそれを無能への憐れみと受け取ってしまうだろう。
彼らの心根は、善意さえも、自分を刺す刃に変えてしまうほど鋭利に研ぎ澄まされている。
たからは救いを求めるように、隣のミヤビに視線を送った。
「ミヤビ、君からも言ってくれ。この嵐の中、子どもを連れ回すわけにはいかないだろう」
ミヤビはひょいと肩をすくめ、期待を裏切るように満面の笑みを浮かべた。
「えー? 何言ってるんすか、たからさん。連れてけばいいじゃないっすか! 使える駒は骨の髄まで使い倒すのが、黄金派の美しい伝統っしょ?」
「……ミヤビ!」
「いいじゃないっすか。自分たちで『役に立つ』って言ってるんすよ? そこで無理やり部屋に閉じ込めたら、この子たち、自分の存在意義を求めて、この屋敷の埃の数でも数え始めますよ。そっちの方がよっぽどホラーっすわ」
ミヤビは面白がるように、絶望の縁にいた三人を手招きする。
「おーい、エリート諸君! たからさんは『不完全な案内』で時間を無駄にするのが大嫌いな、すーぱー効率主義者っすよ! 君たちが一秒でも早く目的の資料を暴き出せるってんなら、同行を許しましょう! 私がっ!」
毒を含んだその煽りに、叶馬と悟留の瞳にパッと「生」の光が戻った。
「……はい! 最短で、完璧に案内いたします!」
「一秒の無駄も出させません!」
莉騎もまた、威圧感を消し、静かに深く一礼した。
たからは深く、深く溜息をつき、自らの額を押さえた。彼らの顔に浮かんだ安堵の色を見てしまえば、もう強引に追い返すことはできない。
「……分かった。ただし、私の指示には絶対に従うこと。身の危険を感じたら、すぐに私の後ろへ隠れる。いいな?」
「はい!」
三人の揃った返事が、嵐の唸る廊下に響く。
たからは翻り、重い足取りで書庫へと続く薄暗い廊下を歩き始めた。その後ろを、ミヤビと三人の少年たちが、一分の隙もない完璧な隊列でぴたりと追従していく。
嵐の音が、建物の奥深くへと入り込むにつれ、まるで獲物を追い詰めるように強まっていた。




