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救済③


「待て、ミヤビ!」

 

 たからの制止を振り切り、ミヤビは廊下の奥へと消えていった。

 追いかけようとしたたからの耳に、背後の大広間から、ひどく場違いに明るい、けれど熱の伴わない子供たちの話し声が届く。

 

「……結局、あいつらが一番乗りか」

「いいなあ。僕もお母様のところへ行きたかったな」

「……私も。お母様のお歌が聞きたいな」

 

 大広間から力なく出てきたのは、幸多、駿来、そして光先の三人だ。その足取りには、生きる者の力強さなど微塵も感じられない。

 

「幸多くん、駿来くん、光先くん」

 

 たからは、山吹派の子どもたち一人一人の名を、間違えることなく真っ直ぐに呼んだ。

 

「……へえ」

「間違えないんだあ。ミヤビさんもすごいけど、たからさんもすごいよね」

 

 駿来は警戒心を露わにしたまま、光先を庇うように立っていた。それを幸多がふんわりと肯定する。

 

「……私のことは苦手か?」

「ううん、駿来くんは怖いだけだと思う。光先ちゃんも。みんな怖がりさんだからさあ」

「君は?」

「僕は好きだよ。お母様とは違うけど、僕は好き。お母様はチリチリするけど、たからさんはビリビリする」

 

 幸多は独特の空気をまとって、ゆったりと微笑む。そこだけ別の空間であるかのような、奇妙な異色さが漂っていた。

 

「……幸多、喋りすぎ。だから空気読めって言われんだよ」

「だめ? だってもう、みんないなくなるからさ。最後くらいお話しようって言ってたじゃん」

「……何を言っているんだ?」

 

 幸多の語り口は優しいのに、その底には不穏な影が滲んでいる。何かを察したのか、光先が幸多の裾をぎゅっと掴んで引っ張った。

 

「……行くよ」

「うん。宝物を取りに行かなきゃね」

「待て」

 

 たからは努めて冷静に、だが逃げ場のない厳しさを持って彼らの前に立ちはだかった。

 その時、廊下の奥から、精密な機械が砕け散る凄まじい衝撃音が響き渡った。続いて瓶が粉々に砕ける音、そして紙が容赦なく引き裂かれるバリバリという音が、静かな廊下に反響する。

 

「――っ、ミヤビか!?」

 

 たからが奥へ駆け出そうとした瞬間、幸多が場違いに澄んだ声で問いかけた。

 

「自殺って、あんなに激しくやるの?」

「幸多っ!」

 

 咄嗟に光先が彼の口を小さな手で塞ぐ。

 

「……自殺? 何の話だ」

 

 二人は気まずそうに目を逸らす。口を塞がれた幸多だけが、事の重大さを理解していない様子で小首を傾げていた。

 たからが沈黙で見つめていると、駿来が諦念を含んだ声でぽつりと言葉を零した。

 

「……別に、よくないですか?」

「何がだ」

「……どうせ僕ら、生きてたって役に立たないんだし。ただの『余り物』が、少し早めに片付くだけなんだから。役に立たないまま放置されるより、マシだと思うんですよね」

 

 その言葉に含まれた猛毒のような自己卑下に、たからは衝動的に駿来の肩を掴んだ。

 

「……駿来」

 

 声が低く落ちる。

 

「そんな言葉を、自分に使うな。誰にそう教え込まれたかは知らないが、それを真実みたいに口にするのはやめろ」

 

 低い叱責に、廊下がしんと静まり返る。だが、子どもたちは怯えることさえしなかった。代わりに、光先が感情の消えた瞳で、ゆっくりとたからを見上げた。

 

「……でも、死ねば……『供物』になれば、お父様はお名前を呼んでくれます。間違えずに、ちゃんと」

「生きてるうちは『余り』だけど、供物になれば『特別な一つ』になれる。お父様が呼んでくれる。……あんたには分かんないんでしょうけど」

 

 光先の言葉に、駿来が同調する。それがこの屋敷の絶対的な摂理だと信じて疑わない口調だった。

 たからは拳を白くなるほど握りしめ、喉の奥に詰まった重い沈黙を無理やりこじ開けた。

 

「……死んでから呼ばれる名前に、何の意味があるというんだ」

 

 絞り出すような声だった。たからは駿来の目線に合わせるように、掴んだ、その細すぎる肩に力を込める。

 

「いいか、よく聞け。死んでようやく認められる場所を、居場所と呼ぶな。そこは君たちの居場所ではない。君たちが必要な場所は、他にある」

 

 その時、廊下の奥からミヤビが悠然と姿を現した。

 その手は埃や油で汚れていたが、彼女の瞳には確信犯的な光が宿っていた。

 

「あら、何してんすか、たからさん」

「……ミヤビ」

 

 ミヤビは目を細め、たからと三人の子どもたちを値踏みするように眺めた。そして何かを納得したように小さく頷く。

 

「前にも言ったでしょ。死にてえやつは何しても死にてえって。特に山吹派なんて、死ねって言われて育った死にたがりばっかりっすよ?」

「……だからなんだ」

 

 たからが睨みつけると、ミヤビは面白そうに唇の端を上げた。

 

「『生きろ』だの『価値がある』だの、そりゃ聞こえはいいっすけどねえ。そんなもんをぶっかけられてひっくり返るなら、とっくに状況は変わってる」

 

 たからは黙ってミヤビを見据え、言葉の先を待った。

 

「だから必要なのは、もっと下品で、もっとどうでもいい理由」

「……何?」

「ムカつく、とか。仕返ししてやる、とか。一発ぶん殴ってやりたい、とか」

 

 ミヤビは軽く肩をすくめて見せる。

 

「大体、死ぬ理由なんか、すぐ後回しにできるんすから」

 

 ミヤビはたからの脇を抜け、三人の前に立った。

 

「君ら、今から大事なもん取りに行くんすよね?」

「……なんで、それを……」

 

 驚きに目を見開く子どもたちの前で、ミヤビは「じゃーん!」と軽快な調子で袖口からそれらを取り出した。

 大きなレコード。紫の花が押し花になった栞。そして、柔らかな手編みのマフラー。

 

「僕の栞!」

「私のレコード……!」

「僕のマフラーだあ。わぁ、取ってきてくれたの?」

 

 驚愕し、慌てて手を伸ばす駿来と光先。対照的に幸多だけは、ほわほわとした笑みを浮かべて喜んでいる。

 

「そうだよ。あんなガレキの中に置いとくと危ねえからな」

 

 ミヤビはあざ笑うような態度を崩さないまま、たからを一瞥した。たからは唖然として彼女に問いかける。

 

「……なぜ、持ってきた」

「山吹派の子って、母親の遺品を大事にしてるやつが多いんすよね。君らもそうでしょ?」

「……そう、だけど……」

 

 駿来が困惑した様子で、ミヤビの意図を探るように見つめてくる。

 

「これを取りに行って……で、ついでに死ねたらそれでおっけー、ってつもりだったんでしょ?」

「うん。お母様がいた部屋で死ぬんだ。そしたら、風の神様も許してくれるかなって。神様、子どもが食べたいんだもんね」

 

 幸多の純粋すぎる言葉に、ミヤビは彼にマフラーを無造作に巻き付けながら、はっきりと否定した。

 

「残念ながら違うんすよー! 風の神様は多分、人間なんて食べません」

 

 幸多がきょとんと首を傾げる。

 

「……え?」

「君らがどこでどう死のうが、食い散らかすのは『はぐいさま』。風の神は関係なし。君らが死んだところで、この嵐だって一分たりとも止みやしませんぜ」

 

 ピシャリと言い放たれた言葉に、廊下の空気が凍りつく。

 

「母親の部屋で死ねば見つけてもらえるとか、許してもらえるとか。そんなセンチメンタルな展開、期待してたなら大ハズレー!」

 

 子どもたちの顔から希望とも絶望ともつかない色が消えていく。

 

「……じゃあ、お母様には会えないの?」

 

 幸多の震える声。そこで、たからが静かに、だが揺るぎない口調で割って入った。

 

「だから、調べるんだ」

 

 たからは三人を見つめ、言い含めるように言葉を重ねる。

 

「風の神のことも、この屋敷のことも。君たちが何のためにここに縛られてきたのかも……全部だ。死ぬかどうかを決めるのは、それをすべて知ってからにしろ」


 幸多は視線を逸らした。ほんの少しの間があき、その視線をたからに戻した。

 

「……そっかあ。なら、もう少し後にした方がいいね」

 

 幸多が納得したように呟く。駿来はまだ複雑そうな顔で黙り込んでいたが、光先は返されたレコードを壊れ物を扱うように抱きしめた。

 

「……じゃあ」

 

 光先はそこまで言って口を噤んだ。だがその瞳には、先ほどまでの虚無ではない、微かな生への執着が宿っていた。

 

「さあ、大広間に帰った帰った! まだまだ嵐は止みませんぜ? 仲良くお昼寝でもしてるこったな!」

 

 ミヤビに追い立てられるようにして、三人は渋々ながらも自らの足で部屋へと戻っていった。

 その背中を見送ってから、たからは小さく息を吐いた。

 

「……なるほどな。こういうやり方もあるわけか」

「こういうやり方もあります」

 

 ミヤビとたからは顔を見合わせ、皮肉と信頼の混じった笑みを、ほんの少しだけ交わした。

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