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救済②


 屋敷の濃い影に逃げ込もうとした理歌の肩を、ミヤビの細い指が、逃げ場を許さない猛禽のような強さで掴み取った。

 

「あ、れ……お姉さん? ど、どうしたの、そんなに急いで……」

 

 理歌は、またあの「完璧な笑顔」を貼り付けようとする。だが、ミヤビはその完成を待たなかった。

 

「なにつまんないことしてんの?」

 

 芯まで凍てつくような声。

 理歌の肩がビクリと跳ね、貼り付けたばかりの笑顔が引き攣り、完璧さを失っていく。

 

「な、にって……私はただ……」

「やるつもりっしょ。四人揃って、仲良く一斉に、死んだお母様にでも会いに行こうってわけだ」

「……その、」

「なんで、わざわざ助けを求めに来たの? あんたは?」

 

 理歌の瞳が、底なしの絶望に染まる。ミヤビはその様を、慈悲の一欠片もない、無機質な瞳で見下ろした。


「……私は、ただ、みんなで笑っていられたら、それで……。でも、みんなは、食べ物がなくなったから、一人減らした方がいいって、なら、みんなで終わりにしよって……っ!」

「そこで待ってろ」

 

 ミヤビは理歌の震える返事も待たず、迷いのない足取りで近くの部屋の襖を乱暴に引き開けた。

 襖を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、部屋の中央に整然と並べられた四つの座布団と、その前に置かれた「遺品」の山だった。

 線香の煙が、換気を止めた密室で逃げ場を失い、重く淀んでいる。

 

 勇虎は、レンズをあえて自分たちに向けた三脚付きのカメラの前に、死装束のように真っ白なシャツを着て座り込んでいた。対照的に敦稀は瞳孔を散開させ、ミヤビの侵入にすら気づかない。ただ手の中の小瓶を凝視し、肺の半分も使わないような浅い呼吸を繰り返している。

 文蘭は膝を抱えて丸まり、古い本に顔を埋めていた。それは読書というより、母親の遺骨を抱いて啜り泣く子供の姿そのものだ。


「辛気臭ぇ顔してんな〜」

 

 ミヤビは入室するなり、言葉を交わす代わりに行動を開始した。その動きには一切の躊躇もなく、事務的なほどに迅速だった。

 

 勇虎の存在など、最初からそこにはないかのように、ミヤビの手は迷わずカメラの脚を掴んで投げた。

 金属がひしゃげる鈍い音と、レンズのガラスが砂利のように床を削る音がする。精密なレンズや本体が、無惨な機械の死骸となって飛び散った。

 次に、敦稀が祈るように抱えていた小瓶を奪い、壁に叩きつけて砕く。中身の液体がぶちまけられ、どこか異国の市場を思わせる、不釣り合いに甘い匂いが部屋に充満した。

 最後に、文蘭が盾のように縋り付いていた古い本のページを、鷲掴みにして引きちぎった。紙の裂ける悲鳴のような音が、静寂を切り裂き、文字の書かれた欠片が雪のように舞い上がる。

 

「……な、何してんだよ!」

 

 勇虎が壊れたカメラの残骸をかき抱き、血を吐くような叫び声をあげる。割れたガラスが腕に刺さり、じわりと赤い血が滲むのもお構い無しに、彼は獣のような目でミヤビを睨みつけた。

 敦稀は、足元に広がる芳香の染みをじっと見つめたまま、膝を震わせてゆっくり立ち上がった。空虚だった瞳の奥に、暗い、冷たい炎が灯る。

 

「……なんで」

 

 喉の奥から絞り出したような小さな声が、低く鋭く響いた。

 

「これは、お母様がくれた、のに……。僕には、これしか、ないのに……! なんで壊すんだよ……ッ!」

 

 彼はガラスの破片を、指が白くなるほど掌に握りしめた。滴り落ちる血が床を汚すが、その痛みさえ今の彼にはミヤビへの憎悪を燃やす燃料でしかなかった。

 文蘭は必死に散らばったページを集めて胸に抱き、ガタガタと歯を鳴らしながら壁際へと後ずさる。その瞳からは大粒の涙が、止めどなく溢れ出していた。


「やだ、……やだよぉ……!」

「……で? いいじゃん、どうせ今から死ぬんでしょ? ならもうこれ全部ゴミじゃん。何か問題ある?」

「……ゴミじゃないっ! お前が……お前が壊したんだろっ!」

 

 勇虎が屈辱に顔を歪ませ、ミヤビに殴りかかろうと、剥き出しの拳を振り上げる。

 ミヤビはそれを、楽しそうに、羽虫を避けるような軽やかさでかわす。


「元気だねぇ〜、いいよいいよ〜」

「……ひどい……ひどい、こと、しないでよぉ……!」

「ウケる」


 ミヤビはわざとらしく、足元に落ちたページの残骸を、その細い足で踏みにじった。

 文蘭の掠れた声が嗚咽に変わり、部屋の重苦しい空気を震わせる。

 敦稀が、小瓶の欠片を集めていた手を止め、幽鬼のような形相で顔を上げる。

 

「俺たちの大事なモン壊して……楽しいかよ……」

「おん、楽しいね。死にたがってるやつの玩具壊すの、楽しいわ〜」

 

 勇虎が弾かれたように顔をあげ、怒りに顔を真っ赤に染める。

 

「こんなことして……許されると思ってんのか!!」

「いいじゃん別に。お前らが黙って死ねば誰にもバレないし。私は楽しい、お前らは死ぬ。これ以上ないハッピーエンドじゃん?」

「……っ、姉様に……遊梨姉様に、絶対、言いつけてやるからな……ッ!!」

 

 勇虎が、喉を引き裂かんばかりの憎悪を剥き出しにして叫ぶ。

 

「へぇ、言えんの? 『自殺しようとしたら、ミヤビに虐められました。助けてください』って。滑稽すぎて笑えるんだけど」

「うるさいっ! お前なんか、嵐の外に放り出してもらうからっ! 覚えてろよ!」

「あー、怖い怖い。じゃあ報告しに行くまでは、死ねないね。楽しみにしてるわ」

 

 勇虎の瞳から、死を待つ者の静かな気配は消え失せていた。

 代わりに宿っているのは、ミヤビという「敵」を殺さんばかりの、生々しく、ドロドロとした生への執着――憎悪だ。

 それを見て、ミヤビは満足そうに、フンと鼻を鳴らした。


 自分に向く三対の憎悪を、まるで極上の香水でも浴びるかのように深く吸い込む。

 絶望に濡れていた彼らの瞳が、今は自分を殺したいという欲望でぎらついている。

 

「お、いいじゃん、生き物みてぇでさ。その調子で頑張れ〜」

 

 廊下に出た瞬間、彼女の口元には、毒気を含んだ薄い嘲笑が残っていた。

 外で待っていた理歌が、怯えと困惑が入り混じった表情で、震える声を絞り出す。

 

「……お姉、ちゃん……」

「……死なれんのが、一番つまらん。苦しいが人生なのに、楽になろうとすんなよ。なぁ?」

「……だ、大丈夫……なの? みんな、あんなに怒って……」

「知〜らない。自業自得ってことにしといて〜」

 

 ミヤビは軽やかに手を振り、背中を向けて立ち去る。その瞳に、慈しみや憐れみといった温かい感情は一切ない。

 

「……はぁ……クソつまんなかった」

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