救済①
「食料が減っている?」
ルームツアーを終えた数日後。
たからとミヤビは、黄金派のリーダー、慧衣に呼び出されていた。その隣には菖蒲派の奏楽と、撫子派の牧庭が立っていた。
かつての「管理者」である親たちが消え、実質的にこの巨大な屋敷を回している少年たちの顔には、隠しきれない疲労の色と困惑の色が滲んでいる。
「ああ。食料庫から缶詰、野菜、肉……全ての数が減り始めた」
「……逆に今まで減らなかったのか」
たからの素朴な疑問に、ミヤビが小馬鹿にするように笑う。
「そらそうっすよ! こんな大人数、物資が減ってたら養っていけねぇっすよ。今までは減った分だけ、お社が勝手に補充してくれてたんですから」
「……『はぐいさま』だったか。等価交換してくれるという、奉日本家が仕える神様は」
奏楽が重々しく頷く。
「はい。……供物を、捧げることができなくなってしまったのが原因、だと思われます。一応、牛の生肉を供物として置いていたのですが……」
「それではダメだ、ということか」
「そらぁ、人間食いたくて呪ってんのに、代わりの牛の生肉じゃあねぇ。はぐいさまもボイコットっすわ。契約違反だ! 労働基準法(神)を守れ! ってね」
ミヤビはひらひらと手を振って茶化すが、その言葉には鋭い棘があった。
捧げられるはずだった「供物」とは、この屋敷の子供たちのことだ。システムが停止したのではなく、システムに投入する「素材」が拒絶された結果、物流が止まった。
彼らにとって「はぐいさま」は信仰の対象であると同時に、逆らえば飢え死にを意味する非情な生命維持装置でもあった。
「……分かった。あまり時間はない。少々危険だが、風の神について調べてみよう」
「多分資料とかはほぼ無いと思うの。基本的にタブー扱いだったし、私たちもお父様が言ってたことしか知らなくて……」
牧庭は申し訳なさそうに眉を下げる。彼女の撫子色のリボンが、不安をなぞるように小さく揺れた。
「奉日本家がこの土地に住む前からいて、優しいそよ風を吹かせられる……それぐらいしか」
「いや、それだけでも十分だ。ありがとう」
「大嵐の神様たぁ、恐ろしい限りだぜ!」
ミヤビはわざとらしく肩をすくめた。
今現在、神の慈愛が、この屋敷においては子供たちを囲い込む「檻」として機能している。
ミヤビはその矛盾を、まるで出来の悪い喜劇を楽しむ観客のように眺めていた。
「……それから、たからさん」
去ろうとしたたからを、慧衣が呼び止めた。
「どうした?」
「……皆に、気を抜くなと、注意してください」
慧衣の冷徹だった表情が、わずかに、雪解けのように柔らかくなる。
管理責任者としての言葉ではなく、同じ屋敷で生きる者としての、不器用な気遣いがそこにはあった。
「元より死が身近にあった。危険な環境でも、すぐに順応して、気が抜けてしまう。あなたの話ならば、皆……聞くでしょうから」
「……なしてたからさんには敬語? 年増だから?」
反射的に、たからの掌がミヤビの脳天をパァン! と小気味よく叩いた。
一瞬だけ殺気立ったものの、たからの内心には小さな喜びが灯る。
「ああ、分かった。任せてくれ」
部屋を出た二人の前に、山吹派の理歌が現れた。
「お姉さん、元気〜?」
「あ゛! ルームツアーの時は見逃してやったのに! また性懲りも無く出てくるたぁ、生意気なっ!」
「……急にどうした」
呆れるたからを余所に、ミヤビは指をさしながら猫のように威嚇する。
「天敵ですっ! 天敵その二ですっ!」
「えへへ、お姉さんとはとっても仲良しなの! 嬉しいな〜!」
「嘘つくなっ! お前と仲良くなった覚えなんか一度もねぇよ!」
ギャアギャアと騒ぎ立てるミヤビと、それを花の綻ぶような笑顔で眺める理歌。
傍目には年の離れた姉妹がじゃれ合っているようにも見えるが、理歌の笑顔は、あまりに隙がなく、あまりに完璧すぎた。
「まぁいい。それでなにか用か?」
「あ、はは……え〜っとぉ……」
理歌は笑顔のまま、不意に言葉を詰まらせた。
その視線は泳ぎ、指先が服の裾をぎゅっと握りしめる。たからには、その笑顔が今にも剥がれ落ちそうな仮面のように見えた。
数秒の後、理歌は弾かれたように、また明るく笑いだした。
「何でもないですっ! ごめんなさい!」
「あ、理歌くんっ!?」
「また遊ぼうね、お姉さんっ!」
逃げ出すように走り去る理歌。その小さな背中は、何かに追いかけられているようにも、何かを必死に隠そうとしているようにも見えた。
たからは困惑したように眉を下げた。
「一体なんだったんだ。なぁミヤビ――」
たからは言いかけた言葉を途切らせ、息を飲む。
隣に立つミヤビの横顔から、一切の温度が抜け落ちていた。
さっきまでの騒々しさなど嘘のように、その瞳は冷酷なまでに静まり返っている。
まるで、期待していたページが突然真っ黒に染まった瞬間のような——心底つまらないものを見る、絶対零度の眼差しだった。
「ミヤビ……?」
「……すんません、行ってきますわ」
「どこへ?」
「……人助け」
「だからどこへ行くんだ!? ミヤビ!?」
たからの制止の声など聞こえていないかのように、ミヤビは駆け出した。
その背中には、慈悲の欠片も感じられなかった。
ただ、冷たい決意と、抑えきれない苛立ちだけが、風を切り裂くように漂っていた。




