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第五夜


 廊下に出てすぐ、背後から荒い息遣いが聞こえた。

 

「待ってよ……!」

 

 たからとミヤビが振り返ると、彩弓が少し前屈みになりながら駆け寄ってくる姿があった。山吹色のリボンが乱れ、頰がわずかに上気している。

 彼女は二人から少し距離を取ったところで足を止め、荒い息を整えながら顔を上げた。

 

「……あんたら、本気なの?」

 

 声はいつものように棘だらけだったが、瞳の奥には隠しきれない動揺が揺れていた。

 ミヤビが旗を肩に担ぎ、にやりと笑う。


 「へー、彩弓ちゃんから自分から話しかけてくるなんて珍しいっすね。どうしたの? 寂しくなっちゃった?」

 

 彩弓はミヤビを一瞬睨みつけると、すぐにたからへと視線を移した。唇を強く噛み、言葉を選ぶように間を置いてから、吐き捨てるように言った。

 

「……六十人よ。全部で。今、あの屋敷にいる子どもは六十人。

あんた、本気で『全員連れ出してやる』とか言ってるの?」

 

 彼女は拳をきつく握りしめ、地を這うような声で続けた。

 

「お父様たちはもういない。使用人だって、もういなくなった。『はぐいさま』の加護もない。この大嵐が止まったって……外に出たら、誰がご飯を食わせるの? 誰が寝床を用意するの? 六十人なんて……病弱な子もいる。歩けないやつだっているのに」

 

 彩弓は一歩踏み出し、たからの白いスーツの胸倉を掴まんばかりに睨みつけた。瞳の縁が、悔しさで赤く潤んでいる。

 

「『自発的に生きていけ』って言う気? 私たちみたいな、親に顔も名前も覚えてもらえなかった『余り物』が? 外の世界で……本当にやっていけると思ってんの?」


 彩弓は吐き捨てるように言い放つと、耐えかねたように視線を足元へ落とした。

 

「ただの自己満足で、私たちを連れ出して、途中で見捨てるんじゃないでしょうね……!」

 

 最後の方は、声がわずかに震えていた。

 ミヤビが珍しく口を挟まず、ただ面白そうに目を細めて見守っている。

 彩弓の言葉は「現実」という名の重石だった。六十人の命を背負う重みを、彼女はその小さな背中で誰よりも理解している。

 たからは静かに彩弓の言葉を受け止め、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ああ、その通りだ」

 

 彩弓がわずかに目を見開く。

 

「君の言う通り、今の私たちに六十人全員を養う力はない。外の世界がどれだけ優しいかも知らない。……正直に言えば、ただの自己満足の部分もあるだろう」

 

 たからは一歩近づき、彩弓の瞳をさらに深く覗き込んだ。

 

「以前は出られなかった。屋敷の境界があり、外へ出ても、強制的に連れ戻されていた」

「そうよ。相変わらずよく知ってるじゃない」


 たからは怯まず、淡々と続けた。


「……しかし今は違う。不幸中の幸いか、この大嵐が収まれば、その境界も弱まるはずだ。少なくとも、一時的に外へ出ることは可能になるだろう」

 

 彩弓が息を詰める。

 

「だから、こうする。嵐が収まり次第、全員で外に出る。外の空気を感じて、地面を踏んで、海を見て、世界の広さを知る」

「……できるわけない」


 彩弓は声を震わせ、拳を強く握りしめた。


「無理に決まってる。さっきも言ったけど、六十人いるのよ? あんたと、あんたの相棒とあの幼女含めたら、六十三人。こんな人数で、ぞろぞろと、外に出て何ができるのよ」

「なら、屋敷に戻ってきてもいい」


 たからの言葉に、彩弓は不意を突かれたように固まった。

 

「……え?」

「一度外を見て、帰ってくる。それでいいんじゃないか?」

「……それじゃ、外に出る意味が……」

「意味ならある」


 たからは少しだけ声を柔らかくして、諭すように告げた。

 

「私は君たちに、選ぶ権利を持って欲しいんだ。ここに残るか、外へ出るか。……外を見て、それでも『やっぱりここがいい』と言うなら、私はそれを尊重する。……どうだ?」


 彩弓は唇を震わせる。声が少し掠れていた。

 

「……勝手なこと、言わないでよ。そんな……希望みたいなもの、持たせといて、後で取り上げる気?」

 

 たからは、はっきりとした確信を込めて呼びかけた。

 

「取り上げない」

 

 彩弓の動きがピタリととまる。

 たからはまっすぐ彼女の目を見つめ、言葉を続けた。

 

「私は君たちに、綺麗な夢を売るつもりもない。私がしたいのは、君たちに『自分の目で確かめる権利』を渡すことだ。……約束するよ、彩弓くん。私たちは、必ず君たち全員を外に出す」


 彩弓は言葉に詰まって一瞬だけ立ち尽くす。溢れそうになる何かを堪えるように、逃げるように踵を返した。

 今度は足取りが乱れていて、廊下の曲がり角に消えるまで、その後ろ姿は泣いているようにも見えた。


「あ〜あ、言っちゃった。いいんすか?」

「何がだ?」

「んな希望みたいな猛毒を吐いちゃって。死にたくなるぜぇ〜? 今まで何も知らねぇから、苦しくても地獄でも幸せだったのに。自分の地獄が、世界に取っちゃあ取るに足らん砂以下だったと知ったら、も〜生きちゃいけねぇ。この世で一番不幸なのはいつだって自分であるべきなのだから!」

「……それは、そうだな」

「あれ!? 響かねぇな!? 全肯定!?」


 たからは意に介さない様子で部屋に戻る。ミヤビは「ちょ、待ってくださいよ〜!」と慌ててその背中を追った。

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