紹介⑦
大広間の中央、重苦しい沈黙が淀む場所に、白藍色のリボンを無気力に揺らす者たちが固まっていた。
先程までの威勢をどこへやら、ミヤビは力なく旗の先端をゆらゆらと遊ばせている。
「はーい、皆様注目ー。どっちつかずの傍観者集団、白藍派でございまーす……」
ミヤビが投げやりな足取りで現れると、円を描いて座り込んでいた男女が、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
「……ようやく、お出ましですか」
眼鏡のブリッジを押し上げ、加織が溜息をつく。その隣で、微かに水の匂いがする里凪が「あ、たからさん!」と花が咲いたような笑顔を見せた。
たからは、その場の空気に奇妙な、そして厭な違和感を覚えた。ここは他の派閥のような、肌を刺す殺気も、鼻を突く選民思想の臭いもない。
ただ、世界から切り離されたような、ひどすぎる静寂が満ちているのだ。
「ここ、白藍はねー、宗教もしないし政治もしない。泥沼の屋敷において、常に安全圏から高みの見物。周りの地獄を見てるだけの、一番性格の悪い派閥っす!」
「……相変わらず、よく回る舌ですね」
「んなことないと思うよ!? ……そ、そりゃ、……みんなより、傷ついちゃ、いない、けども……」
加織が喉の奥でくつくつと笑う。
里凪が懸命に食い下がるが、視線を彷徨わせるうちに、その言葉は霧のように消え入っていった。
「だって事実じゃないっすか! 誰からも恨まれ妬まれ、でも 誰の味方でもないから、誰からも信用されない、仲介役として生かされるだけの、寄生虫人生!」
ミヤビの毒舌に、そばかすの目立つ蒔時が困ったように眉を下げた。
「否定はしません。僕らは……いえ、僕は、運が良かっただけですから」
砂月は、祈るように自身の指先をぎゅっと握りしめた。
「見て見ぬふりをしろ。他派閥の子とは目を合わせるな。抵抗せず、ただ透明であれ、と……」
「……私たちはその教えを、呪いのように忠実に守ってきました。……どんなに虐げられようとも、絶対に。……絶対に」
加織の声が、冷たく響く。チョッキの裾を掴む手が震えていた。
その足元ではポニーテールの雅祈が転がったまま膝を引き寄せ、腹を抑えた。
「んなもん、こんな閉鎖的な屋敷じゃあ無理がありますわ。限界集落じゃあるめぇし。……あ、茅与ちゃん、琥介くん。お姉さんにおやつちょうだい!」
ミヤビがパンと手を叩くと、背後で静かに遊んでいた可憐な双子の茅与と琥介が、弾むような足取りで駆け寄ってきた。
「いいよー!」
「今日のは特別なんだからね!」
二人は競い合うように小さな手を袋に突っ込み、丸いクッキーを差し出した。
「はい、ミヤビお姉さん! まぁるいのだよ」
「たからお姉さんも! はい、配給でーす」
「ありがとう」
「甘味じゃー! 命の洗濯じゃー!」
手渡されたクッキーを、たからは無造作に口へ運ぶ。口内で崩れる素朴な甘さは、この殺伐とした屋敷に似合わず、優しかった。
だが、ミヤビは自分の掌に乗ったクッキーを、検品でもするかのように凝視したまま凍りついている。
「……ねえ。なんで私のだけ、明らかに一回り小さいんすか?」
「え? ……あ、本当だ」
「それはきっと……日頃の行い?」
「琥介くん、君、今めちゃくちゃ純粋な瞳で残酷こといいましたね!?」
わあわあ騒ぐミヤビの喧騒を背に、たからは目の前の光景に問いかけた。
「君たちは、どうしてこうも無邪気でいられるんだ?」
「そういう『役割』だからですよ。ねー?」
ミヤビが声をかけると、二人からも声を揃えて「ねー!」と返ってきた。
「ちよたちが一番おチビさんなの!」
「だから僕たちは、無条件に愛されなきゃいけないの!」
「愛される、っていうのが、ちよたちのお仕事!」
「助けられるっていうのが、僕らのノルマだよ!」
「……そうか」
たからは二人を見つめ、短く頷いた。この地獄において、彼らは「愛される子供」を演じることで生存権を得てきたのだ。
たからは、少し離れた場所で佇む澪緒の隣に立った。
「……元気かい」
「……澪緒です。それなりに、生きてますよ」
澪緒は虚空を見つめる視線を動かさぬまま、指先に巻きつけた白藍色のリボンを執拗に解いては結び直した。
外では相変わらず荒れ狂う嵐が、屋敷の骨組みを不気味に軋ませている。
「……すごい嵐」
「ああ。止んでくれるといいのだが」
「……出られますかね、ここから。本当に」
澪緒の、すべてを諦めたような昏い瞳が、射貫くようにたからを捉えた。
その足元で大の字に寝転んでいた雅祈が、天井の染みをなぞるように指を動かし、不意にぽつりと呟いた。
「……お姉さん、僕、海っていうのを、見てみたいんだよね」
それは、この派閥に漂う淀んだ空気そのものが漏らした、言葉にならない祈りだった。
「水平線の向こうまで、何もない場所。神様も、役割も、境界線も、何一つ存在しない……ただ青いだけの場所。……って本に書いてあった。ほんとかな」
深い沈黙が落ちる。
ミヤビさえも道化を止め、静かにたからの背中を見守った。
「ちよたちも見たいなぁ、海!」
「絵本でしか見たことないや! 青くてキラキラしてるって!」
いつも通りの無邪気な笑顔を浮かべ、茅与と琥介がたからの袖を掴む。その手は小さく震えていた。
「……海って確か、なんか、魚?ってのがいるんでしょう?」
「ええ。オステイクティス、エラ呼吸という非効率なシステムで動いていて、水の中でしか生きられないのだとか」
里凪の素朴な疑問に、加織が教科書をなぞるような無機質な声で答える。
双子がさらにたからの袖を引っ張った。
「食べられるんでしょ〜?」
「おさしみ、って名前なんだって! 可愛い!」
「……二人とも、たからさんから手を離しなさい」
「え〜!」
蒔時が、双子を回収する。双子は蒔時から逃げるように澪緒の所へ行く。
「澪緒姉様もおさしみ食べるよね?」
「海を見て、おさしみ食べて、おなかいっぱいにしよ!」
「……あったらね」
澪緒は二人に対して、祈るように優しく微笑んだ。
たからは膝の上の埃を払うようにゆっくりと立ち上がると、乱れのない白いスーツの裾を整え、白藍の面々を一人ずつ、射すような眼差しで見据えた。
「……ああ、見に行こう。必ずだ。私が、この手で君たちをそこへ連れ出してやる」
その宣言に、里凪が小さく息を呑み、蒔時が静かに目を伏せる。
今はまだ根拠のない約束。けれど、その力強い言霊は、停滞していた白藍の空気を確かに震わせ、一筋の亀裂を入れた。
「さーて! しんみりタイムはおしまい! お次はラスト、問題児の詰め合わせ、最終セクションへ向かいますよー!」
ミヤビが強引に空気を塗り替え、旗を勢いよく翻して歩き出す。
たからは最後にもう一度だけ振り返り、子供たちの切実な祈りを胸の奥へ刻みつけて、次の派閥へと足を踏み出した。




