迎合③
「博喜はどこだ!」
鮮烈な声が響き、食堂内が一瞬で静かになる。片側を髪の毛で覆い隠した少女が、真剣と思わしき刀を持って現れた。その手には瑠璃色のリボンが小刻みに揺れていた。
たからは博喜の手当から顔を上げ、立ち上がった。
「舞妃さんか? 彼ならここだ」
「選ばれたと聞いた。聞いた、が……」
その顔には困惑の表情が浮かんでいた。聞いて駆けつけた様子とは随分違うのだろう。博喜を制止していた瑠璃色のリボンをつけた青年――一葵が彼女に近づき、事の次第を説明した。
舞妃は警戒心を露骨にし、たからたちに向き直る。
「……何をした」
「まだ生贄の選定途中だった、その間に割り込み、選定先を迷わせた。だが捕捉には至らず、逃げられた」
「……苦痛は。違和感はあるか」
「……あり、ません」
舞妃の問いかけに、博喜はゆるゆると首を横に振る。
不自然な方向へ曲っていた腕は完全に折れており、博喜は青い顔で脂汗を滲ませながら、大人しく手当を受けていた。
たからはその瞳の奥に、痛みとは別の、深い諦めのような色を見た。
「……点数、つけられないな」
小さく零れたその一言に、博喜は自分で気づいたように唇を強く結んだ。
貧血が相当に酷いのだろう。酷く荒い呼吸が続いている。
舞妃は硬い表情のまま、たからを見据える。
「……体が透けていない。本当に何をした?」
「むしろ逆に聞くが、体は透けるとは?」
舞妃はたからから視線を移し、博喜の全身をなぞるように彷徨った。
「『選ばれた』ヤツは、正気を失う。血を吐き、体が耐えられない程の攻撃を行い、最終的に死ぬ。仮に上手く生き延びたとしても、体が透け、一週間もしないうちに『欠落』する」
「……欠落」
「ああ。その存在ごと、全員の記憶から消える。残るのは気配だけ。いた気がする程度のな」
「なるほどな」
たからは周囲の子供たちの顔をゆっくりと見渡した。
誰もが、青い顔をして俯いている。博喜が助かった奇跡を喜ぶ余裕など持っていないかのようだ。
「……選定のルールを、向こうが変えてきたな」
たからの低い声が、凍りついた食堂に響く。
「予兆から実行までの間隔が短い。しかも、一度に複数へ干渉している可能性がある。……鈴が鳴ったのは、この屋敷にいる全員への、食事の合図だったんじゃないのか?」
その言葉を裏付けるように、食堂のどこかで、またしても小鈴の音が聞こえた。
たからは、舞妃が握る刀の鯉口が、カタカタと微かに鳴っているのに気づいた。
彼女のような覚悟を決めた人間が、敵への怒りではなく、理解不能な事態への恐怖に震えている。
「鈴がなった日は、絶対に誰も暴れないって〜……」
「絶対安心だって思ってたのに……」
「だが、そうではなくなった」
短い前髪を揺らす双子の少女、沙良と汐鈴が、不安そうにそう呟いた。
沙良は、救急箱から取り出した厚紙を博喜の腕の形に合わせて素早く折り曲げ、添え木代わりに当てがった。
その横で汐鈴が慣れた手つきで包帯の端を口で咥えて固定し、緩みひとつないテンションで巻き上げていく。
包帯は、何度も繰り返した手順のように、淀みなく巻かれていった。
「たからさぁん、ガーゼありますぅ?」
「もうない。そっちはどうだ?」
「莉騎くんも敦稀くんも、血は出てますけど、大丈夫そうっす。男の子ってのは勇敢っすねぇ!」
「……すいません」
黄金色のリボンを腕に巻いた、筋骨隆々の青年、莉騎は掠れた声で申し訳なさそうに呟いた。その隣で敦稀と呼ばれた、人懐っこそうな青年が、山吹色のリボンを不安そうに何度も解いては結び直していた。
ミヤビが倒れたテーブルに触れた。テーブルが音もなく軋み、傾く。
「気にしないでくださいよ! も〜、こんなことあるあるですって!」
「あってたまるか。痛み止めはそのうち効いてくると思うが……今は大丈夫か?」
「……はい。大丈夫です」
博喜が少しだけ口角を上げて答える。掠れた声だが聞き取りやすい。たからが数秒動きを止めて、辺りを見回した。
――何かがおかしい。
「その『鈴がなる日』、他にはどんな特徴がある?」
「え? えっと……色々あります。何かが壊れたり、大きな音がしたり、逆になんの音もしなかったり……」
「今がそうじゃないか|?」
たからがそう言うと、食堂が一気に静けさを帯びる。
皿の重なり合う音がしない。テーブルの足が床に当たっても音がしない。シルバーが触れ合っても、投げおいても、音がしないのだ。
誰かが息を呑んだ――はずだった。
だが、その音すら、聞こえない。
沙良の手が、博喜の背中をさする。
その動きは確かにそこにあるのに、布が擦れる気配が、まるで存在しない。
「……え?」
汐鈴が小さく声を漏らす。自分の声が、聞こえなかった。
叫ぼうとした喉の振動だけが空しく伝わり、吐き出した空気は虚無に吸い込まれた。
「ミヤビ!」
「任せてくださいよ!」
ほぼ息も同然のような微かな声で、たからが叫ぶ。ミヤビも軽口を叩いて応戦するも、その声はたからまで届かない。
その時だった。誰も口を開いていないのに、声が落ちた。
『――ひとり』
低く、湿った声。耳ではなく、頭の内側に直接響くような感覚。
だが、ミヤビがもう一度鏡を打ち鳴らした瞬間、全ての音が返ってくる。食堂に、ざわめきが一気に戻る。
「いまの、なに……?」
「音が……消えて……」
誰もが口々に不安を吐き出す中、たからは、ひとりだけ視線を動かさなかった。
数は合っている。全員いる。それでも。
「……誰だ」
低く呟く。“ひとり”は、確かに選ばれたはずだ。
誰も、倒れていない。不穏な動きは今のところ見えない。負傷者は壁に寄りかかり、手当を手伝う子が寄り添っている。
誰も変わっていないように見える。子供たちですら、互いが互いに疑るような視線を向けあっている。
「ま、そんなこともありますよっ!」
ミヤビがやたらと明るい声を出して、もう一度鏡を打ち鳴らした。今度はしっかりと甲高く美しい音が響いた。
「あっていいわけないだろ。人の命がかかってるんだぞ!」
「そんなこと言ったってぇ。なんかルールが書き変わってんだか無いんだか分かんないっすけど、こんなん知りませ〜ん! 記憶にございませ〜ん!」
「それじゃあ次に太刀打ちできないだろう! どうすんだ!」
軽い調子のまま、ミヤビが笑う。
だが、その視線は誰とも合っていなかった。
「……ミヤビ?」
「いや、でも大丈夫っすよ。ほら、『ひとり』でしょ?」
指を一本、立てる。
「まだ、増えてないっすから」




