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第三夜


「うっ、うっ……なんで私が、こんなことしなきゃいけねぇんすか! 埃臭いし、腰は痛いし……。大体、神様なんているわけねぇのによぉ!」

 

 半泣きで床を拭くミヤビの手つきは、案の定、雑だった。絞りきれていない雑巾から溢れた水が、修復したばかりの木床をまた汚している。

 

「子どもたちは避難させた。危険なことはさせられない」

 

 たからは、倉庫から運ばれてきたという歪な石積みを、祭壇の隅へと慎重に戻した。

 泥人形の汚れを指先でそっと拭う。それはまるで、名もなき子供たちの折れた心を繋ぎ合わせるような、静かな手つきだった。

 

「認めませんよ! あんなの、ちょっと性格の悪い超常現象っす! 謝れってんなら、あいつの方から菓子折り持ってくるのが筋ってもんでしょうがぁ!」

「神に菓子折りを要求するな」

 

 たからは呆れたように息を吐き、地面に落ちた神棚を元の位置にはめ込む。

 

「……だが、神がいないというなら、これは単なる整理整頓だ。君が壊したものを、元あった場所へ戻す。それだけの、至極真っ当な後始末だ」

「なんで後始末なんか……!」

「馬鹿みたいに壊すからだろう」

「壊したのは私じゃありませんっ!」

 

 祭壇に灯された蝋燭が、不意に、命を宿したかのように細く揺れる。


「つか、たからさんはどうだったんすか? 会議とやらは」

「ああ、実に有意義だった」


 たからは、石積みの頂点に、祈りの象徴である泥人形をそっと置いた。


「結論から言えば、方向性だけ決まったよ。この屋敷から、全員で出る。それをもう一度試してみよう、とな」

「はぁ……ここから出られるんです? 外の世界なんて設定してませんけど」

「ああ、だから今までは出ることができなかった。それに関しては彼らも彼らなりに理解していたよ。だが、私たちがいる、ということを理由に行うことになった」

「ふぅん……じゃあエンディングはそれっすね。嵐が収まったら、荷物まとめて全員で屋敷を出る。近くの町を見て、役所に行く? みたいな」

「そうなるな。……随分と興味が薄い」

「ぶっちゃけどうでもいいっす。あ、会議の方ね? エンディングはむちゃくちゃ気になります」

 

 ミヤビは雑巾を放り出し、祭壇の階段に腰掛けた。鼻歌を歌うでもなく、ただぼんやりと天井を見上げている。

 

「そうか。……だが、蓮華くんがあれほどの大声を出した時は驚いたよ」

「ほぇー……蓮華くんが、大声……。大声!?」

 

 ミヤビは目を丸くし、たからを凝視した。

 

「ああ。震える声ではあったが、萌生くんに真っ向から言葉をぶつけていた」

「……たからさん。山吹派の蓮華くんは、超優秀跡取り候補遊梨ちゃんを事故で階段から突き落として半身不随にさせたことを、父親からバチくそに責められて、それ以来遊梨ちゃんの足として誠心誠意尽くす無感情ロボットになっちゃった子なんすよ!? なんてことしてくれるんすか!? まるで人間みたいじゃないっすか!」

「ああ。彼らは等身大の人間だ」

 

 たからは厳かに、しかし確かな体温を感じさせる声で告げた。

 

「たとえ君が作った創作物だったとしても、今は生きている。君の書いた設定資料の中に、彼らのすべてが収まると思うな」

「……はぁ。マジかぁ……」

 

 ミヤビは、自分の指先をじっと見つめた。自分が生み出したはずの「物」たちが、自分の知らない場所で呼吸し、叫んでいる。その事実への戸惑いは、やがて静かな、けれど底知れない興味へと変わっていく。


「おもしろ。じゃあマジでたからさんが言った『心のケア』ってのが響くんすね。無駄な壁打ちじゃあないんだ」

「……そうだな」


 たからは立ち上がる。ふとその時脳裏にとある言葉がよぎった。

 博喜が言った「父様が認めてくれた」。蓮華が言った「父様はそう言いました」。萌生が言った「お父様に認めてもらうために」。霜汰が言った「父様に壊されたこの身体で」。

 子供たちの言葉には、いつも「父」という絶対的な重力が、まるで鉛の錘のように垂れ下がっていた。

 たからは泥人形の顔のない表面を指先でゆっくりと撫でながら、静かに口を開いた。

 

「……どうして、母親の影が一切ない? この屋敷の子供たちが語る過去には、決まって『父様』という単語だけが登場する。まるで母親という存在が、最初からいないみたいだ」

 

 ミヤビは雑巾を放り投げ、祭壇の階段にドカッと腰を下ろした。埃を払う素振りも見せず、足をぶらぶらさせながら、いつもの軽薄な調子で答える。

 

「簡単な話っすよ、たからさん。母親は死ぬ設定なんです。

 多産の呪い——これがまた実に残酷で効率的なシステムでしてね。七つ子、八つ子が当たり前。十つ子ともなれば、母体は文字通り裂ける。内臓が破れ、血が溢れ、命が尽きる。生存率? ほぼゼロに等しいんす。ゼロではないですけど。

 つまり、この奉日本家において、母親という役割は『子供を産むための消耗品』に過ぎなかったわけです。産んで、裂けて、死んで、終わり。

 だから子供たちは、母親の顔を一度も知らない。知る由もない。生まれた瞬間から、すでに母の不在が確定していたんすから」

 

 ミヤビは指を一本立てて、講義を続ける。

 

「一方、父親は生き残る。名家の当主として、莫大な屋敷と資産と体面を背負いながら、死んだ妻の代わりに大量生産された子供たちを少ない人数で育て上げなけれりゃあならねぇ。

 経済力は圧倒的、管理能力も異常なまでに高い。派閥を分け、役割を与え、教育し、屋敷という巨大なシステムを機能させ続ける。

 ある意味では、極めて優秀な『管理者』だったと言えるでしょうね。……ただ、優秀すぎたが故に、致命的な欠陥も生まれちまった! どうしよう!」

 

 たからは無言で先を促す視線を送った。

 ミヤビはにやりと笑って続けた。

 

「……愛情を分かち合う相手がいないんですわ。

 伴侶という緩衝材が欠落した状態で、ただ『家を絶やすな』『もっと強く』『もっと多く』という名家のプレッシャーだけを浴び続け、大量の子供たちを前にして、父親は徐々に壊れていった。

 情愛は歪み、期待は暴力に変わり、子供たちは『資源』や『道具』や『在庫』として扱われるように!

 白藍には透明であれって教え込み、瑠璃と黄金には完璧を求め、菖蒲と撫子には神への従順を叩き込む。山吹は生まれた価値を査定され、翡翠は出来損ないを切り捨てる側に回された。

……全部、父親が壊れながら最適化した結果っすよ。

 すべては、父親という人間が、限界を超えて背負い続けた結果生まれた『歪みの産物』なんです」

 

 ミヤビはそこで一度息を吸い、目を細めた。

 

「要するに、父親は構造的な悲劇の申し子でありながら、同時にこの屋敷の全ての残酷さを生み出した張本人!

 愛すべき怪物であり、哀れな独裁者であり、優秀なる失敗者……ま、そんなところっすかね〜!」

 

 たからは顔のない泥人形をじっと見つめ、静かに息を吐いた。

 

「……極めて論理的で、極めて残酷な家族の形だな」

「あ、そういえば」

 

 ミヤビが、不意に思い出したように指を鳴らした。


「みのりちゃんだけはここの生まれじゃないっすよ。奉日本家の父親の一人がたまたま他所で作った、婚外子って設定でした!」

「みのり……」

 

 その名がたからの鼓膜を震わせた、その瞬間だった。

 不自然な音が静寂を裂いた。

 たからが先ほど丁寧に並べ直した祭壇の泥人形。その一つが、まるで内側から時間が崩壊したかのように、音もなく砂となって崩れ落ちたのだ。

 

「……っ、これは」

「あらまぁ。砂になっちゃった」

 

 ミヤビの声から余裕が消え、純粋な好奇心に近い困惑が混じる。

 崩壊は止まらなかった。隣の人形の腕が透け、足元から色が抜けていく。それは屋敷全体の「存在」が、何者かに急速に吸い上げられているかのような光景だった。

 

 ――ちょーだい。

 

 嵐の風音に混じって、幼い、けれどこの世の誰よりも無垢な声が響いた。

 

「……ちょうだい? 一体、何を」

「みのりちゃんだ」

 

 ミヤビが、楽しげな表情で呟いた。

 

「あの子、やっぱり無力化されてなかったみたいっすね。どうやら今このタイミングを狙って復活したみたいっす」

 

 その時、大広間の方から、子供たちの悲鳴が上がった。

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