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会議④


 蓮華の叫びの残響が、埃の舞う会議室に居座り続けている。

 萌生は千切れたリボンを握りしめたまま、凍りついたように動かない。

 その停滞した空気を、無遠慮な拍手とともに切り裂いたのは霜汰だった。


「――あーあー、湿っぽい。で、海聖さんや、今何時?」

「十時二十四分三十二秒」


 海聖が、カチリ、と音を立てて懐中時計を開く。

 霜汰がわざとらしく椅子を鳴らして立ち上がると、卓上の重苦しい空気など知らぬげに、伸びをする。


「元より俺たちの居場所なんてどこにもねぇんだ。ここが地獄なのは百も承知だが、外はもっと広いだけの地獄だろ? ……俺は、父様に壊されたこの身体で、今更何者かになれるなんて思っちゃいない」

「……霜汰くん」


 里凪が縋るような声を漏らすが、霜汰はそれを一瞥もせず、窓の外の濁った空を見据えた。

 

「でもここで消えるよか、マシなんじゃねぇの? せっかく産まれてきたんだ、なんか見たことねぇもん見てから死にてぇな。……それくらいは、このガタのきた身体でも許されるだろ」

 

 霜汰の言葉は、希望というよりは、投げやりな生存本能だった。だが、それが皮肉にも、萌生の情念に飲み込まれかけていた一同を現実へと引き戻す。

 誰も反論しなかった。

 円卓を囲む子供たちは、視線を伏せる者、虚空を睨む者、袖を掴む者――それぞれの形で沈黙していた。

 

「……十時二十五分四十七秒。議題を戻そう。心の在り方については、各自が個室で向き合えばいい」

 

 海聖が時計を閉じる。その冷徹な介入に呼応するように、慧衣がゆっくりと卓を叩いた。


「海聖の言う通りだ。……我々の命を蝕む敵は、朽木たからと、阿良々木ミヤビという突然の来客によって取り払われた」

 

 慧衣の視線が、不安と期待に彩られた円卓を見据える。

 

「一度だけ、『境界』の突破を試みる。外部との接触の可否を実証する。……実行は三日後とする」

「そんな……! まだ心の準備もできていない子がたくさんいるのに!」

 

 里凪が椅子を蹴るようにして立ち上がり、声を荒らげる。だが、海聖は彼女を直視することなく、冷たく遮った。

 

「準備が整うのを待っていて、我々自身が霧散したら元も子もない」

 

 海聖と慧衣の間で、感情を切り捨てた事務的な合意がなされていく。

 

「……全員一致じゃないまま、外に行くことになるなんて。前じゃこんな話出来なかったとはいえ、あんまりにも急すぎるっていうか……」

「みんなに、どうやって説明しようかな。……全員を納得させるのは、骨が折れそうだ」

 

 里凪が自嘲気味に呟き、海兎は眼鏡を押し上げ、困ったように呟いた。

 返事をする者はいない。

 円卓には、重たい沈黙だけが沈殿していた。

 

「この屋敷の『理』を塗り替える機会は今しかない。各自、準備を」

 

 慧衣の宣告が、会議の終焉を告げる重い幕となった。


「あなたには期待しているぞ、朽木たから」

 

 たからはその視線を正面から受け止める。円卓に残る熱気が、妙に重たく肺に張り付いていた。――その時だった。

 会議室の重厚な扉が、立て付けを無視したような暴力的な勢いで跳ね上がる。

 

「たからさーーーん! やべぇっすよ! 大ニュースっす、神いた神! マジ神!」

 

 バタバタと騒々しい足音を立てて乱入してきたのは、包帯塗れの腕を振り回すミヤビだった。

 肩で息をしながら、彼女は円卓を囲む年長組たちの呆然とした視線など微塵も気に留めず、一直線にたからの元へ駆け寄る。


「ガチ神いましたって! やっべぇーー! 怒らせちまった!」


 興奮で顔を紅潮させ、身を乗り出して捲し立てるミヤビ。

 先程まで息苦しいほどだった会議室に、場違いな熱気が雪崩れ込む。

 たからは、こめかみに浮き出た青筋を指先で押さえ、深く、深くため息をついた。そして一喝する。


「帰れ!」

「なんで!?」

「我々は大事な会議をしていたんだ! アホの相手はできな……なんて?」


 たからは動きを止めて、ミヤビの胸ぐらを掴み、その顔を至近距離まで引き寄せた。


「な、何がっす?」

「さっきなんと言った?」

「神いた」

「その後」

「怒らせました!」

「何故!? どうやって!?」

「だって馬鹿にした程度でブチギレると思わないじゃないですかー! 暴風雨で外がえらいこっちゃですー!」


 ミヤビが窓を指差した瞬間、それまで静寂を守っていた屋敷が、激しい「唸り」を上げた。

 ガタガタと窓枠が悲鳴を上げ、視界の先では、厚い雲を切り裂くような稲光が奔る。門の向こう側は、文字通り世界がひっくり返ったかのような暴風雨に飲み込まれていた。


「……うそ。なにこれ……」

 

 玲香が呆然と窓の外を見る。

 稲光が奔るたび、庭木が生き物のように捻じ曲がり、叩きつける雨が硝子窓を白く濁らせていく。

 誰も動けなかった。風の音があまりにも巨大で、屋敷そのものが軋みながら悲鳴を上げているようだった。


「……やはり、ここは檻なんでしょうね」


 隣で奏楽が、乾いた笑いを漏らす。


「私たちを、外へ出す気などない……」

「……否定したかったんですけどね。こういう非合理を。ですが……ここまで露骨に見せつけられると……」


 加織の声は硬かった。唇を噛む横顔には、恐怖より先に、長年積み重ねてきた諦めが滲んでいる。

 たからにしばかれ、床に転がるミヤビを横目に、年長組の面々はもはや言葉も無かった。


「いってぇ! たからさん、拳骨は教育に良くないっすよ!」

「黙れ、馬鹿者っ! 何をどう馬鹿にしたら世界がこうなるんだ!」

「ひ……っ、はははははは!」

 

 その絶望的な嵐の音をかき消すように、突如として爆笑が響いた。

 霜汰だ。彼は暴れ狂う風に揺れる景色を見つめ、腹を抱えて笑い転げている。


「もう見たことねぇもん見たわ。こりゃ死ねるな!」

「……風って、あんな太い木も折れるんだ……」


 牧庭が窓ガラスに額をくっつけるようにして呟いた。呆然を通り越して、瞳は恐怖よりも、未知の景色へ向けられている。

 一葵は無言のまま、紫の空を睨むように見つめている。暗い顔のまま、でも瞳の奥に、長い間くすぶっていた何かが、激しく揺らめいていた。


「やっと全員いるのに……! みんな、揃ったのに……こんな嵐の中に出たら、みんな消えちゃうよ……!」


 里凪は椅子を掴んだまま青ざめ、それ以上の言葉を絞り出せずにいた。

 海聖は懐中時計を握りしめ、珍しく表情を強張らせていた。秒針の音さえ聞こえないほどの風の咆哮に、彼女はただ、唇を強く結ぶことしかできなかった。

 慧衣は卓を叩いた手を止めたまま、窓の外を凝視している。

 たからはもう一度ミヤビの胸ぐらを掴みあげる。


「どう責任を取るつもりだ?」

「ど、ど〜しましょ……どうしたらいいんです? こういう時」

「知るか! 謝って済む相手なら、今すぐお前を括り付けて門の外へ放り出してるところだ!」

 

 たからはミヤビを放り出すように手を離すと、窓枠に手をかけ、猛り狂う紫の空を睨みつけた。

 風の唸りは次第に高く、屋敷の重厚な石壁さえも微かに震わせている。

 

「……はぁ、全く、理不尽だなぁ」

 

 霜汰が涙を拭いながら、力なく笑う。その隣では、萌生が瞳を細め、窓の外を眺めている。

 

「神にすら見捨てられたと思っていたのに。……随分と豪華な、死に装束の用意ですこと」

「ははっ、全くだ。これに比べりゃ、さっきまでの俺らの言い争いなんて、おままごと以下だな」

「……そうだね」

 

 霜汰の言葉に、海兎は静かに相槌を打った。眼鏡の位置を直しかけた指が、途中で止まる。そのまま、膝の上に力なく落ちた。

 慧衣が苦々しく口を噤む。

 

「海聖、時刻は」

「……十時三十分四十五秒」

 

 海聖が懐中時計の蓋を閉じる音さえ、外の風の音にかき消されそうになる。

 

「いいっすか、たからさん! 神様は多分『礼儀がなってない』って怒ってたんすよ! つまり、今からでも最高級の土下座をかませば、ワンチャンあるんじゃないっすか!?」

「お前は神をなんだと思ってるんだ!」

 

 たからはそう言い捨てると、混乱する一同を鼓舞するように、声を張り上げた。

 

「全員、窓から離れろ! 境界が不安定になっている可能性がある。慧衣くん、各派閥の年少組を地下か、一番頑丈な部屋へ避難させろ。……外に出る相談は、この嵐を乗り越えてからだ!」

 

 たからの指示に、ようやく子供たちが弾かれたように動き出す。

 先程まで互いを睨み合っていた面々が、今は無言で避難の指示に従っていく。彼らはただ、ミヤビが招いた「神の怒り」という名の理不尽に、不本意な連帯で立ち向かうこととなった。

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