探索③
「いやぁ、望浠ちゃんもえっちだったなぁ。父親に唆された姉によって殺されかけて、跡取り争いに巻き込まれて、顔に消えない傷を作られちゃった女の子っ! 名誉の負傷ってのもあながち間違いじゃあないんでしょうけどなぁ」
長い廊下を歩き進め、その突き当たり。ミヤビはようやく一つの部屋にたどり着く。
突き当たりの倉庫。近くには木製の椅子が置かれている。黒い染みがついた鉄製の扉に手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。
「ふぅー! ほんとにあったぁ! ふわっと考えていただけなのに、やっぱり実装されてんだよなぁ。……お、開いてーら」
鼻をつくほど埃臭い、薄ら寒い部屋。親たちが消えた後、忌まわしい記憶ごと封印され、誰一人として近づかなかったのだろう。
「……いっその事、このまま閉じ込めてしまおうか」
「うおあっ!? 良くないですよそういう物騒な冗談!」
不意に背後から降ってきた低い声に、ミヤビは文字通り飛び跳ねた。
振り返ると、そこには不機嫌を絵に描いたような青年が立っている。撫子色のリボンを胸元につけ、ラフな格好が映える色男だ。その後ろには、ヘアバンドに撫子色の布を巻きつけた、幼さの残る少年が、親の仇でも見るような目でこちらを睨みつけている。
「おお! 撫子の尋都くんに日暖くん! ちっすちっす! 奇遇っすね、こんな暗がりにデートですかぁ?」
「……うちの束颯が世話になったみたいでね。それに、椿紗ちゃんと望浠ちゃんも」
「情報共有、はっや! え、爆速じゃないっすか」
「……さっきそこですれ違ったんだよ! 三人とも、すっげぇ怯えてたぞ! あんた、何したんだよ!」
日暖が震える声で叫ぶ。その瞳には、恐怖よりも強い拒絶が宿っていた。
「……へぇ、怯えてたんだ。やだ、可愛いっ!」
ミヤビは悪びれる様子もなく、倉庫の奥へとずいと踏み込んだ。
埃が厚く積もった床。かつて「お仕置き」という名の虐待に使われていたこの場所は、子供たちの苦痛を吸い込みすぎたせいか、空気が妙に重く、ねっとりと肌にまとわりつく。
「おい、無視すんな! ……あんた、この部屋がどういう場所か分かってんのか!?」
「知ってますよぉ。子供たちを閉じ込めて、心を折るための素敵な『反省室』でしょ?」
「……。何故それを知ってるんだ? ご客人」
尋都の目が、刃のように鋭く細められ、その問いは冷徹で逃げ場を許さないものだった。背後の日暖を庇いながら、ミヤビを逃がさないよう扉の前に立ち塞がる。
だが、ミヤビはそれを柳に風と受け流し、楽しげに口角を上げた。
「え? だって、漂ってるじゃないっすか。絶望とか、後悔とか……尋都くんが、暗闇の中で必死に『出口』を探して、爪が剥げるまで壁を掻きむしった……そんな匂いっす」
「……デタラメを言うな。そんな傷、この屋敷の古い部屋ならどこにでもある。適当な推測で住人を愚弄するのは、客人のマナーに反するんじゃないか?」
「それはそうかも!」
ミヤビは尋都の顔を覗き込み、その青ざめた唇を面白そうに眺める。
「でも鍵開いてたのはそちらの失態っすよね? お客様が迷子にならないように、ちゃんと閉めておかなきゃ〜」
「……ああ。それは失礼した」
彼は自らの失態を呪うように、無意識に震える右手を反対の手で押さえつけた。ここは、彼が二度と誰も入れないと誓ったはずの「地獄」だ。
尋都は寄りかかっていた体を無理やり起こし、逃げるように扉へと歩み寄る。その足取りは、どこか重苦しい。
「出ていってくれないか。今すぐに」
「ええ〜、んな堅いこと言わないでくださいよぉ。もう少し、見学させてくださいっ!」
ミヤビは無邪気を装って、尋都に懇願する。
「……見学? 勘違いしないでほしい。ここはあなたの遊び場でもなければ、展示場でもない」
「だめぇ?」
「当たり前だ」
ミヤビは無邪気な笑みを浮かべたまま、小首を傾げている。まるで会話そのものが噛み合っていないかのように。
背後で日暖が息を呑む気配がした。
尋都の身体は、それに応じるようにほとんど反射で片腕を広げた。
「百歩譲って、鍵の管理に不備があったことは認めよう。だが、迷い込んだ先が『倉庫』と記された密室だと判明した時点で、速やかに退出すべきだった」
尋都は鼻で笑ってみせた。
「あんたがどこでこの部屋の噂を聞いたかは知らない。これ以上続けるなら、相応の報告をさせてもらうことになるが?」
「んん〜……それは困るのでぇ……部屋を出ますぅ」
ミヤビはあっさりと引き下がり、扉の方へと身体を向けた。
尋都はわずかに安堵し、肺に溜まった澱んだ空気を吐き出そうとする。
ミヤビの視界に、とある物が映る。そこには、歴代の子供たちが縋るように積み上げた歪な石積みと、泥で捏ねられた小さな人形が供えられていた。
この屋敷で細々と信じられている、風の守り神の依代だ。
「……あーあ。こんな泥人形を拝んだところなぁ……誰も助けちゃくれねぇのに。……えっちだなぁ」
恍惚の表情と共にポツリと呟いて、ミヤビは尋都に向き直った。
何も知らないフリをして問いかける。
「あの人形と石ってなんすか? 」
「ん? ああ、あれは……」
「あれは神様だよ」
尋都の代わりに日暖が答える。怒りの滲んだ声で、咎めるようにいう。
その幼い肯定に、ミヤビは「へぇー」と気の抜けた声を漏らし、泥人形の首をひょいと摘み上げた。
「な、触るなっ!」
「だったらこんな埃臭いところに置いておくのは可哀想じゃないっすか。ちゃんと管理されてる場所に置くべきっすよね」
「……何を言っている。返せ……!」
尋都が手を伸ばすが、ミヤビは身軽にそれをかわした。
尋都の喉が浅く上下した。この部屋に満ちる澱んだ空気が、肺の奥へじわじわと沈み込み、記憶の底に沈めたはずの息苦しさが、じわりと喉を締めつける。
ミヤビは尋都の、その些細な変化に瞳を細める。
「ここの鍵が開いてたのも、きっと神様が『もうこんな暗い部屋は嫌だ、もっと広い拝殿に移してくれ』って言ったからじゃないっすか? ……あ、名案! 私が責任を持って、奥の拝殿まで運んであげますっ!」
ミヤビはそう言うと、積み上げられていた石を一つ、また一つと、無造作に自分のポケットへ放り込み始めた。
「放置は管理不足っす! ほら、日暖くんも、神様が綺麗なお社に引っ越すのは嬉しいっしょ?」
ミヤビは無邪気に日暖へ同意を求めながら、残りの石をすべて拾い上げた。
日暖はミヤビと尋都の顔を交互に見る。
「……尋にぃ……いいの?」
「……いいんだ、日暖。あのご客人が、ちゃんと祀るって言ってるんだ。……任せよう」
そう答える尋都の顔は、死人のように青ざめていた。日暖を安心させるための言葉が、自分自身の首を絞める。
聖域が消え、ただの汚い小部屋に戻っていく光景を、彼は瞬きもせずに焼き付けていた。
「さて、神様も確保したことだし! 私は行きますね〜! どうも〜!」
ミヤビは、懐に「神様」を詰め込んで、軽やかな足取りで部屋を後にした。
尋都は、空っぽになった部屋の隅を見つめたまま、立ち尽くすことしかできなかった。ポケットの中で握りしめた拳は、奪われた石の重みを知る由もなく、ただ虚しく震えていた。
「う〜ん、何で開いてたんだろ、平和になったから思い出に浸りたかったとかだったらえっちだなぁ。日暖くんも、あ、そーいや日暖くんには何もしてなかった。また今度いっか!」
ミヤビはスキップ混じりの歩調で廊下を戻り、屋敷の心臓部、重厚な扉に閉ざされた『奥の拝殿』の前を通りかかる。
そこには二人の少年がいた。一人は青々とした坊主頭が実直そうな印象を与える蒼天。
もう一人は、男性にしては長いミディアムヘアを遊ばせた、一見すると軽薄そうな龍空だ。対照的な風貌の二人だが、その胸元には揃って菖蒲のリボンが揺れている。
「……何の御用ですか。ここから先は、関係者以外立ち入り禁止です」
「神様のお届けでーす! 埃くせぇ場所からのご移動ですぅ!」
ミヤビは持ってきた石と泥人形を2人に見せる。すると途端に二人の顔が一斉に青ざめる。
「……それは」
「あんた何持ってきてんスか!? それは尋都兄さんの大事なもんスよね!?」
龍空が詰め寄るが、ミヤビはひらりと身を翻してそれをかわした。
「何って、引っ越しのお手伝いっすよ。名付けて『プロジェクト・神様を日の当たる場所へ』! 尋都くんも最後には納得して私に預けてくれたんっす。ね? 感謝されてもいいくらいじゃないっすか? あ、なんかちょうどいい場所ある〜!」
ミヤビは屈託のない笑顔で、泥人形の汚れた頬をこれ見よがしに撫でて見せる。小さな石たちも取り出して、それらを低い神棚にそっと置いた。
その手つきには、対象への敬意など微塵も感じられない。
蒼天は、ミヤビの瞳の奥にある「底知れなさ」に冷や汗を流した。
「……それらを置いて、お立ち退きください。あなたは危険だと、兄様たちが口を揃えて言っております。……たからさんとは大違いだ、と」
「うっそぉ!? 君たちへの脅威を取り払った実行部隊は私っすよ!? 感謝の印に、高級煎餅の一つでもくれていいと思うんっすけど!」
ミヤビの言葉に、二人は言葉を失った。
彼らは雑巾と箒を動かす手を止め、石像のように硬直してミヤビを睨みつけている。誠実そうな蒼天も、チャラそうな龍空も、その瞳に宿した色は等しく「嫌悪」を孕んだ強い警戒の一色だ。
「『はぐいさま』がお怒りになる前に、どっか行ったほうが身のためっスよ、ミヤビさん」
「お、はぐいさまだ! 知ってる知ってる。最強ビジネスライク豊潤神! マジでいるんだ〜! すっげぇ!」
「……なぜ」
ミヤビは冷え切った二人の視線を背中で受け止めながら、満足げに鼻歌を漏らした。
そして拝殿の扉に刻まれた古めかしい紋章を、無遠慮に指先でなぞった。近くには神格への貢物として、輸血パックが数個置いてある。
「ねぇ、神様ぁ! 本当にいるなら、この閉まりきった屋敷の澱んだ空気を、少しはマシにして見せてくださいよ。ちょっとくらい怒ったってバチは当たりませんよ〜? ……なんて」
ミヤビは雑巾がけをしていた蒼天のすぐ後ろにしゃがみ込むと、その耳元に、熱を帯びた吐息を吹きかけるように囁いた。
「ねぇ、蒼天くん。今っすよ? 今なら、あの奏楽お兄様の『代わり』に、問題に対処できますよ? な〜にやってんすかぁ」
「……っ、うるさいですね。なら大人しくしていてください」
蒼天は雑巾を握る手に指が白くなるほど力を込め、低い声で言い返した。だが、その声は微かに震え、隠しきれない動揺が滲み出ている。
「兄様たちが完璧にやってる横で、自分は『まあ、代わりに頑張ってるよね』って言われるのって、どんな気分なんだろ〜。本当は自分なんかじゃ足りないって、毎日思ってるんでしょ? 苦しそ〜!」
「……っ!?」
心臓を素手で掴まれたような衝撃に、蒼天の指先から力が抜けた。
視界が一瞬ぼやけ、息が浅くなる。アイデンティティの根底を、軽い口調で放たれた言葉が、胸の奥を抉るように響く。自分がずっと抱えてきたものを、簡単に暴かれたような気がした。
ミヤビは数歩離れた場所から、冷めた紅茶でも眺めるような目で彼を見据えながら、楽しげに付け加えた。
「奏楽くんって優しいっすよねぇ。君が失敗しないよう、最初から何も任せないんだから。……だから、代用品にできることなんて、掃除くらいしかないっすもんね!」
「うるさい……っ!」
激しい動揺に、蒼天の膝が笑う。龍空が慌てて蒼天の肩を掴もうとしたその時——ふらついた彼の手が、龍空の腕を避けようとした拍子に、掃除のために仮置きされていた、低い神棚に力なく触れる。
ガタッ、と不吉な音がして、神棚が抗いようのない重力に従って傾いていく。
「あっ……!」
蒼天は声にならない声を漏らしたが、思考が真っ白に染まり、その場に釘付けになったように動けない。
凄まじい破壊音と共に、神棚が床に叩きつけられ、奉じられていた供物と、先程置かれた泥人形が無惨に粉々に砕け散った。
「あーあ。やっちゃった」
ミヤビは冷ややかに見下ろしながら、口角を吊り上げる。
「蒼天くんが壊したぁ! 自分で壊したぁ! ねぇ、今の気分はどうっすか? ずっと抱えてた劣等感、少しは晴れた?」
ミヤビの乾いた声が、静まり返った拝殿に不気味に響く。
破壊された神棚、床に散らばった供物。
彼女の背後では、絶望に打ちひしがれた蒼天が、ただ震える膝を床について立ち尽くしている。
「……ちが、う……僕は、そんなつもりじゃ……」
震える唇から、かすれた否定が零れた。
龍空はそんな兄を守るように前に出ると、拳を固く握りしめ、地を這うような低い声で言葉を紡いだ。
「……大丈夫だ、蒼天兄さん。見てる。ちゃんと、見ててくれてるから」
「あ、なんだ龍空くんいたんだ!? 空気みたいだから気づかなかった〜! つぅか実質空気?」
龍空は言い返すこともなく、ミヤビを睨みつけている。
「蒼天くんは『兄の代用品』ってお役目があった。その代用品ですらなく……なんのお役目も無い龍空くんに、何ができるんすか?」
龍空の喉仏が、ひくりと痙攣するように上下した。
何かを言い返そうと開かれた唇は、しかし、肺から空気を吸い上げることさえ忘れたかのように、ただ頼りなく震えるばかりだ。
「あはっ、反論もなしっすか! そりゃ空気の言葉なんか誰も聞かねぇもんなぁ! 言えない、届かない、聞いてくれない〜で、出し方も忘れちゃったんだ!」
「……ち、が……」
龍空の射抜くような眼光とは裏腹に、喉を震わせた音は、湿った土に吸い込まれる羽虫の羽ばたきほどに心許ない。
「うん、それも途中で止まるんだ。声がちっちゃくて聞こえないっすよ〜! ……って、ん?」
次の瞬間、拝殿の奥から、あまりにも静かな風が吹いた。
それは嵐の前触れとは思えぬほど穏やかで、膝をついた蒼天の頬をそっと撫で、乱れた前髪を優しく梳き、震え続けていた肩を包み込む。
蒼天を庇うように広げられた龍空の腕が、小さく震えた。髪や衣服が軽く揺れる。
風は砕け散った供物の破片を音もなく押しやり、蒼天の膝元にだけ、何ひとつ触れさせなかった。
泣きじゃくる子供を抱き寄せ、「お前のせいではない」と宥めるように。
「ま〜た風だぁ。医務室ん時にも同じ風が……」
ミヤビが言い終えるより早く、世界から「音」が消失した。
すべてが真空に吸い込まれたような不気味な静寂。
「……え?」
蒼天が目を見開く。頬を撫でる風に、あんなに震えていた彼の肩から、ふっと力が抜けた。
だが、神の慈悲はそこまでだった。
一転して、屋敷の土台を粉砕せんばかりの衝撃が走る。
「ぎゃっ!? いってぇ!? なんで!?」
ミヤビの視界が火花を散らした。彼女の周囲だけ、空気が目に見える刃となって荒れ狂い、着慣れた衣服を、そして不遜な笑みを浮かべていた頬を鋭く切り裂いたのだ。
これまで嗅いだこともないような、古色蒼然とした嵐の匂いが鼻を突く。
「……私だけ、攻撃されて……っ!?」
ギギギ、ギギッ、と屋敷の石壁が軋む音は、巨大な獣が目覚め、その不快な羽虫を叩き潰そうと身をよじった際の骨鳴りのようだった。
「ちょ、え、何……これ。冗談、っすよね?」
「……いるんだ。やっぱり、見ててくれたんだ……」
蒼天は、自分たちを優しく守り、目の前の「悪意」を峻別して排除しようとする風の意志を感じ取り、涙を流しながら笑った。
一方で、龍空は悟る。この神威の先にあるのが、屋敷そのものを崩壊させかねないほどの、凄まじい「神の憤怒」であることを。
「――知らねぇぞ。あんたは、神を怒らせたっ!」
龍空の憎悪に満ちた絶叫さえ、窓ガラスが内側へ向けて一斉に爆ぜる衝撃音にかき消された。
屋敷全体を包み込む凄まじい破壊音が、彼女の思考を真っ白に塗りつぶす。
「ちょ、え、嘘!? マジ!? 本当に居たの!? 怒らせた? ガチの神様を怒らせちゃった!?」
ミヤビは自分のしでかした事の大きさに、初めて本気で顔を引きつらせた。
背後からは、剥き出しになった天井から濁流のような雨がなだれ込み、青白い稲光が絶え間なく回廊を焼き尽くしていく。
「やばいやばいやばい! 冗談だって神様ぁ! ちょっとつついただけで世界滅ぼそうとしないでー!! 沸点低すぎじゃないっすかぁぁぁ!!」
ミヤビは脱兎のごとく駆け出した。
物理的な嵐と、目に見えない巨大な殺意に追いかけられながら、なりふり構わず廊下を爆走する。
「たからさーーーん! 助けてぇーーー! 本物が出たぁぁぁぁ!!」
バタバタと騒々しい足音を立て、彼女は全速力で「会議室」の重厚な扉へと、弾丸のような勢いで突っ込んでいった。




