会議③
「――さて、全員揃ったようだな」
慧衣の冷ややかな声が、里凪が残した余熱を強引に冷やしていく。
「現状を確認しよう。まずは各派閥の状況だ。前回の異変による衰弱は、処置と療養で概ね回復したと見ていいか」
「山吹派は問題ありません」
遊梨が代表して答える。その背後で、蓮華は、まだたからの言葉に射抜かれたように硬直していたが、主の言葉に応じて微かに顎を引いた。
「瑠璃も、私と一葵くんは見ての通り。……ただ、下の子たちにはまだ怯えが残っておりますわ」
「菖蒲も一緒。やっぱり怖いみたいで、夜とかは皆で集まってる感じ」
「黄金もです。やっぱり不安で仕方ないのでしょうね」
萌生は一葵の肩を指先でなぞりながら、愉悦を隠そうともせずに告げる。玲香は肩を落とし、晶貴は心配そうに眉を下げている。
「撫子も似たようなもんだ。肉体は戻っても、中身が追いついてねぇ」
「白藍も変わらず〜、翡翠は? 喧嘩増えた?」
「増えたねぇ。不安からか、安心したからか……」
霜汰が欠伸混じりに呟き、里凪が明るく問いかける。海兎はため息混じりに答えた。
「結局は変わんねぇな」
「……そんな言い方しなくてもいいじゃない。みんな一生懸命、日常に戻ろうとしてるんだから」
霜汰の言葉に、牧庭が嗜めるように言うが、その視線はどこか冷めている。
「日常、か。その日常の定義が、この屋敷の『外』にあるのか『内』にあるのかで、話は変わってくる」
翡翠の海聖が、懐中時計の蓋を規則的に叩きながら、氷のような言葉を投げ込んだ。
「……外、だと?」
海聖の言葉をなぞるように、慧衣が低く、押し殺したような声を漏らした。
その瞬間、円卓の空気が凍りついた。
誰かが息を呑み、誰かが視線を伏せる。椅子の軋みさえ、不自然なほど大きく響いた。
「あ、のさ……海聖ちゃん。それは禁句じゃあ……ない、かな」
里凪が震える声で問いかけた。先程までの活気ある様子が無くなり、怯えたような様子だ。
たからは、その異様な拒絶反応に眉をひそめた。
「待ってくれ。海聖くんの提案は至極全うだ。屋敷の危機が一時的に去り、君たちの体調が戻ったのなら、一度外に出て助けを呼ぶなり、ここを離れるなりを検討するべきではないのか?」
たからの問いに、萌生はくすりと喉を鳴らした。
「うふふ、探偵様。それはちょっと、残酷な冗談が過ぎますわ」
「冗談じゃない。物理的に不可能なのか、それとも心理的な壁があるのか、どちらなんだ」
たからが重ねて問うと、今度は慧衣が卓を指の背で叩いた。
「両方だ。……門の付近には、見えない『境界』がある。物理的な距離は数メートルなのに、歩いても歩いても辿り着けない。無理に突破しようとした奴は、例外なく意識を失って、自分の部屋で目を覚ます」
「そうそう! 私たちも昔みんなで突撃したことあるけど……ありゃダメだね!」
玲香が、これまでの賑やかさを嘘のように消し去り、吐き捨てるように言った。
「足が地面に吸い付くみたいに重くなってさ、最後には鼻の奥がツンとする変な匂いがして、全員アウト。……思い出すだけで吐き気がするよ」
「……最初は体調不良だと思っていました。けれど、距離には明確な個人差がありました。門へ近づくほど症状が強くなる者もいれば、比較的平気な者もいる。……ですが、最終的には全員が動けなくなってしまう」
奏楽が自らの腕を抱き、諦観を表すように首を横に振る。
加織が、震える指先で眼鏡を押し上げ、静かに、しかし断定的に付け加える。
「たからさん。貴方がこの屋敷の異変を鎮め、私たちの消失を食い止めてくれたのは事実です。ですが、この土地の根底に染み付いた『理』までもが霧散したのかは、まだ誰にも実証できていません」
「だから、海聖様のおっしゃることは検討ですらありません。……それはただの、可愛らしい無理心中のお誘いね」
萌生は自らの瑠璃色のリボンを指先に絡め、退屈そうにその造形を眺めながら言い放った。
ただ、三日月のような細い眼差しを海聖へと向け、愉しげに唇を吊り上げた。
「可能性の模索と呼んでいただきたいものだが」
挑発的な萌生の視線を、海聖は塵でも払うかのように淡々といなす。手元の懐中時計の針が刻む音だけが、静まり返った室内で冷徹に響いた。
「状況は一変した。過去の失敗を絶対的な真理として据え置くのは、思考の停止だ。……我々には今、たからさんとミヤビさんがいる。彼女らが持ち込んだ未知の力を計算に入れれば、もう一度試す価値はある」
「確かにそうだよ!」
牧庭が身を乗り出し、瞳に熱い輝きを宿して叫んだ。それは、長年押し殺してきた自由への渇望が、たからという存在を触媒にして溢れ出したかのようだった。
「あの不思議な道具たちがあれば……今度こそ、あの重たい空気の壁をぶち抜けるかもしれないじゃない!?」
「事実、彼女たちは存在そのものが消えかかっていた私たちを、本当の意味で救い上げてくださいました」
晶貴が、隣に座る慧衣の顔を覗き込むようにして続ける。
「奇跡を一度でも目の当たりにした以上、何の検証もせずに希望を捨てるのは、あまりに早計かと思います」
誰かの希望が、誰かの恐怖を刺激していた。円卓の空気は、じりじりと音を立てるように張り詰めていく。
霜汰は欠伸混じりに黙り込み、一葵は萌生の横で視線を伏せ、海兎もまた何も言わなかった。議論そのものが無価値であると悟っているような、深い断絶がそこにはある。
その沈黙を切り裂くように、車椅子の軋む音と共に遊梨がゆっくりと手を挙げた。
「今試すか否かはおいておいても、皆様『は』、遅かれ早かれ、ここを出ていかれるべきではありませんか?」
穏やかだが、冷徹な一線を引くようなその言葉に、たからは思わず息を呑んだ。
「……君は。遊梨くん」
たからの問いに対し、遊梨は自嘲気味に目を伏せ、動かない自らの両脚に細い指を置いた。
「両足の不自由な私に、議論の舞台にすら上がる資格はありませんよ。……私は、ここの一部として残るのがお似合いです」
遊梨が静かに告げたその絶望を、萌生は甘く柔らかな笑みで受け止めた。彼女は自らの瑠璃色のリボンを指先に絡め、まるで幼子をあやすような声音で言葉を継ぐ。
「ええ、そうね。足のない遊梨様はもとより――ここには貌のない子、傷だらけの子、一人では到底生きていけない子もおりますもの。誰もが皆、陽の当たるお外で幸せに生きられるわけではありませんわ。……そう思いませんか、探偵様?」
萌生の三日月のような瞳が、品定めするようにたからを射抜く。
円卓を囲む年長組の面々は、自らの欠損を突きつけられ、石像のような静寂の中に沈んでいった。
「……なるほど。実に筋の通った、完璧な飼育論だ」
たからの声は、驚くほど低く、冷めていた。彼女はポケットからゆっくりと手を出し、円卓の端を指先で叩く。
「外の世界は残酷だ。足がなければ歩きにくいし、貌がなければ奇異な目で見られることもあるだろう。……だがな、萌生くん、遊梨くん。君らがやっていることは、彼らを慈しむことじゃない。彼らがいつまでも『被害者』であり続け、『弱者』の椅子から立ち上がらないよう、その傷口を丁寧に飾り立てて固定しているだけだ」
「あら、心外ですわ。私はただ、彼らが傷つかないようにと……」
「傷つかないように、檻の鍵を内側からかけているんだろう? 」
たからの言葉が、重苦しく停滞していた会議室の空気を鋭く切り裂いた。
しかし、萌生は答えない。ただ、指先に絡めたリボンを、無意識のうちに白くなるほど強く引き絞っていた。
円卓を囲む者たちの呼吸さえもが止まったかのような、刺すような静寂。たからは、その沈黙を慈悲なく踏みにじるように、さらに一歩、言葉を重ねた。
「君は彼らを愛しているんじゃない。変わられるのが怖いだけだ。それを救済とは呼ばない。『現状維持』という名の、『贅沢な虐待』だ」
一葵は弾かれたように顔を上げ、救いを求めるような、あるいは恐怖に満ちた瞳で萌生を振り返る。たからの放った最後の一撃が、萌生の顔に貼り付いていた完璧な微笑を、微かに、けれど確実に歪ませた。
三日月のように細められていた瞳が、初めて剥き出しの不快感を伴って、たからを真っ向から射抜く。
「……あなたに、何が分かるとおっしゃるの?」
萌生の唇から、それまでの優雅さをかなぐり捨てた、地這うような声が漏れた。
指先に絡んでいたリボンが、ぶつりと音を立てて千切れる。彼女は剥き出しの敵意を瞳に宿し、たからを、そしてこの場にいるすべてを拒絶するように言い放った。
「私たちがどれだけこの暗闇で、互いの傷口を慈しみ合い、命を繋いでいたか! 絶えずしなる鞭の音に、どこにいても聞こえてくる怒号……あの切り裂かれるような痛みの、何が、分かるというの!」
たからはすぐには言葉を返さなかった。昔の古傷を思い出すように、右の指先で、左の手首を掴んでいた。
萌生の叫びに宿る生々しい痛みが、軽々しく何かを断じることを拒んだからだ。
彼女は止まることなく、声は次第に鋭く、悲鳴のような響きを帯びていく。
「たかだか数日ここへ来ただけのあなたに、知られてたまるものですか! 私たちは、ただ、生きるために、お父様に認めてもらうために、懸命だっただけよ! それを、何を知ったような口を――っ!」
円卓の誰もが、彼女が吐き出す「共有された絶望」の重圧に押し潰され、呼吸を忘れる。
たからは何かを言おうとして、しかし言葉を見つけられずにいた。
萌生がさらなる呪詛を口にしようと大きく息を吸い込んだ、その時。
「――やめてくださいっ!」
張り詰めた空気を、蓮華の裂帛の叫びが叩き割った。
石像のように直立不動を貫いていた少年の顔が、今、激しい拒絶と苦悶に歪んでいた。
「……やめてください。どうか……」
絞り出すようなその懇願は、砕け散った円卓の静寂に、冷たく重い幕を引いた。
「……君たちが、生き延びるために必要だった理屈まで否定する気はない。だが、その理屈は、彼らが傷を抱えたまま動けなくなることと隣り合っている」
たからは静かに告げる。
誰もが言葉を失い、自らの影を見つめるような沈黙の中で、遊梨がゆっくりと顔を上げる。
「……結論は、急ぐべきではないのでしょう。ですが、何もなかったかのように留まり続けることも、また……正しい選択ではないのだと、私は思います」
誰にも強制しない、けれど確かに方向を孕んだ声だった。




