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探索②


 ミヤビは屋敷の奥、光さえも届くのを拒むような、淀んだ冷気の満ちる回廊へと足を踏み入れていた。

 

「およ……?」

 

 ミヤビの足が止まる。

 網膜に張り付くような濃い暗がりのなか、二つの小さな影が、獲物を待つ獣のように佇んでいた。

 一人は撫子色のリボンを、もう一人は菖蒲色のリボンを、重苦しい沈黙とともに纏っている。

 

「ほらな……ここで待ってりゃ、来ると思ったんだ」

 

 撫子色のリボンをつけた影から、少年の声が漏れた。

 彼が顔を上げても、その容貌を伺い知ることはできない。異様なほど長く伸びた前髪が、カーテンのように顔のすべてを覆い隠していた。

 

「……すごい。……本当だ。……すごいね」

 

 隣の少女が、羽虫の羽音にも似た、消え入りそうな声で追従する。彼女もまた、厚い前髪で外界を遮断していた。ミヤビはその髪の奥に潜む「何か」を透かし見るように、細めた瞳でじっと観察する。

 

「……マジか! 束颯(つかさ)くんに椿紗(つばさ)ちゃん!? お部屋に引きこもりのはずの君たちがどしてこんな所に!?」

 

 ミヤビは道化のように小躍りしながら近づき、獲物を品定めする剥製師の眼差しで二人を見下ろした。

 

「……あんた、持ってんだろう? なんかすげぇ道具とか、薬とか……。色々、隠し持ってるって聞いた」

「……顔。……治す……やつ、とか」

「あ〜! そういうことぉ!」

 

 ミヤビはわざとらしく顎に手を当てると、空中で見えない算盤を弾くように指先を細かく動かし始めた。カタカタと骨が鳴るような幻聴さえしそうなその指の動きとともに、三日月の形に歪んだ口角が、暗がりに白く浮き上がる。

 

「……ええ〜、でもさぁ。私はボランティアじゃないんすよ。タダじゃあ渡せんなぁ!」

「俺らも、タダで貰えるなんて思ってねぇよ」

 

 束颯は吐き捨てるように言う。握りしめられた手は、恐怖と期待が混ざり合った冷や汗でじっとりと濡れていた。

 

「対価は何だ? 金か、それとも他の何かか。俺たちに差し出せるものなら……なんだっていい」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ミヤビの指の動きがぴたりと止まった。

 死神が滑るような、音のない足取り。ミヤビは一瞬で間合いを詰め、子供たちの鼻先まで顔を寄せた。

 

「おやぁ……? 今、『なんでもいい』って言いましたねぇ?」

 

 ねっとりとした粘り気のある声が、束颯の耳元を這い回る。

 ミヤビは愛おしい骨董品に触れる寸前のコレクターのように、二人の顔を覆う重い前髪を凝視した。

 その瞳は、暗闇の中で獲物を追い詰めた獣のように、ぎらぎらとした愉悦に濁っている。

 

「金も、命も、そんなありふれたつまらないものは要らねぇんすわ。……そ〜だなぁ……」

 

 ミヤビの手が、ゆっくりと椿紗の顔へと伸びた。

 細く白い指先が、彼女の額を隠す髪の端を、まるで蝶の羽に触れるような軽やかさで愛撫する。

 椿紗はビクリと身体を震わせて、二歩、三歩と後ずさる。

 

「その、劇薬に焼かれたという貴女の素顔。……お代の代わりに、この私が、この手で、めいっぱい『かきあげさせて』いただけますか?」

「……え。……あ……」

 

 凍りついた椿紗の肩を、背後から束颯が力任せに引き寄せた。ミヤビの指を払いのけ、拒絶の意思を明確にする。

 緊迫していた空気は、彼の苛立ちを含んだ足音によって無惨に霧散した。ミヤビはそれを惜しむどころか、獲物が罠にかかったのを楽しむような、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせる。

 

「もちろん君もだぞ〜、束颯くん。何でもいいって言ったのは君の方でしょぉ? ど〜するど〜する?」

「……あんた、本当に性格悪いな」

 

 束颯は奥歯を噛み締め、ミヤビから逃れる術を必死に探した。しかし、目の前の瞳には、逃げ道など最初から用意していない者の冷徹さが宿っている。


「……わ、私でいい。……私の方が、ひどいから」


 椿紗のか細い声が、震えながら零れた。俯いたまま、それでも彼女は自ら髪へ指をかける。

 ほんのわずか、焼け爛れた皮膚を覆う帳が持ち上がりかけた、その瞬間。


「やめろ!」


 束颯が止めに入った。椿紗の肩がびくりと跳ねる。

 そしてゆっくりと、止められたまま宙で固まった椿紗の手が、縋るように束颯の裾を掴む。

 束颯の喉が上下する。その弱々しい重みが、最後の逡巡を断ち切らせた。

 

「……いい。……ただし、俺だけにしてくれ」

「ええ〜、束颯くんだけぇ?」

「……ああ。あんたが見たいのは、こういう醜い顔なんだろ。だったら、こいつより俺の方がよっぽど見応えある」


 剥き出しにされる恐怖に、束颯の膝がびくりと跳ねる。

 爪が食い込むほど拳を握りしめ、逃げ出しかけた足を、彼は辛うじてその場へ縫い留めた。


「ん〜? 物好きだなぁ。じゃあ、遠慮なく」


 ミヤビのひんやりとした指先が、束颯の髪の隙間から差し込まれた。

 宣言した「かきあげる」という強引な動作とは裏腹に、その指は驚くほど繊細に、慎重に、束颯の重い前髪をわずかだけ割り開く。触れた瞬間、束颯の震えが指先へとかすかに返ってきた。

 

 髪の向こう側に潜んでいた「かつて頬だった場所」――熱で溶け、赤黒い筋となって固まっている。見るだけで皮膚の裏がざわつくような、生々しい痕だった。

 わずかに開かれた隙間から、束颯の瞳が覗く。それは怯えと、自らの醜さを晒す屈辱に濡れ、激しく揺れていた。


「へぇ……」


 ミヤビの声に、感嘆も嫌悪もなかった。

 ただ、珍しい玩具の仕掛けを確かめた子供のような、乾いた納得だけが滲む。


「……なるほどなるほど。これはたからさんが見たら卒倒しますわ」


 ミヤビは満足げに、パッとおどけたように両手を広げた。

 

「はい、鑑賞終了! いやぁ、おもろかった〜」

 

 そう言って、何事もなかったかのように鼻歌を歌いながら身を引く。

 

「……なんで」

「んぇ? ちゃんと対価は貰ったじゃん。じゃ、報酬のお時間ね〜」

「そっちじゃねぇって……! なんで、見たかったんじゃねぇのかよ」

 

 束颯の手が、自らの髪を、ミヤビが触れていた場所をなぞる。そこにはまだ、あのひんやりとした死人のような指の温度が、粘りつく不快な感触として残っていた。

 ミヤビは束颯の問いかけを無視して、二本の瓶を取り出した。

 

「はいこれ〜。見た目はドブネズミの煮こごりみたいだけど、効果は絶大。それを塗れば、焼けた皮膚が新しく作り替えられるのを実感できるはず〜」

 

 瓶の中で、どろりとした液体が生き物のように微かに蠢いている。

 束颯は、毒を受け取るような心持ちでその瓶を手に取った。

 

「少しずつ、じっくり馴染ませてつかってくだせぇ。……あ、痒くても絶対に掻いちゃダメだよ? 剥がれちゃうから。……君の皮膚がね」


 ミヤビはひらひらと手を振りながら、踊るような足取りで暗闇の奥へと溶けていく。その姿は死神というよりは、いたずらに成功した子供のようでもあった。


「あ、そうだ。効果が出すぎちゃっても、私のせいにしないでくださいね?」

 

 背後から聞こえてくるはずの子供たちの返事を待つこともなく、彼女はただ、自分の愉悦を噛みしめるように軽やかな口笛を吹き鳴らした。

 ミヤビは上機嫌のまま、長い廊下を歩いていく。


「いやぁ、束颯くん、えっちだったなぁ。ああして自分から差し出してくれる子って最高だよなぁ。合意が見えると、こっちも遠慮なく楽しめるし。実に健全。……んー、もうちょい上手く誘導して、椿紗ちゃんにもちゃんと選ばせてあげればよかったかぁ?」

「――待ちなさい!」


 その時、背後から鋭い声が響いた。ミヤビが振り返ると、そこには顔に大きな傷を持つ少女が、真剣をこちらに向けていた。


「……束颯くんと椿紗ちゃんに何を渡したの」

「わぁ、望浠(のぞみ)ちゃんだぁ! 元気?」

「茶化さないで!」


 彼女の叫びに応じて、髪に括り付けられた瑠璃色のリボンが大きく揺れる。


「場合によっては舞妃姉様か萌生姉様に報告するから」

「おお〜こわっ。何って皮膚を治すお薬っすよ。欲しいって言われたからあげたんす」

「……嫌がってた。束颯くんが、椿紗ちゃんを引き戻してた。あれは拒否でしょう?」


 怒りの感情がひしひしと伝わってくる。真剣の柄を握る手が、白くなっていた。


「いや別にぃ? 合意の上っすよ〜! 見てたんなら分かるでしょ?」

「……本当?」

 

 望浠の疑念に満ちた声が、回廊の冷気に鋭く刺さる。突きつけられた切っ先は微塵も揺れていない。

 けれどミヤビは、恐れるどころか、まるで愛犬に吠えられた飼い主のような、ひどく間の抜けた顔で笑ってみせた。

 

「嘘ついてどーするんすか。私はいつだって、求められたから応えてるだけっす。ねぇ、望浠ちゃん?」

 

 ミヤビは一歩、あえて剣先の方へと歩み寄った。喉元に刃が届く距離。望浠の眉間に力がこもる。

 

「彼らは『変わりたい』と願った。そのために、自分たちの意思で一番大切なカーテンを私に開けた。……それを『嫌がってた』なんて言葉で片付けるのは、命がけで対価を払った彼らに対して、ちょっと失礼だと思いません?」

「それは……。あなたが、そう仕向けたんでしょう……!」

「おやおや、心外だなぁ。私が仕向けたのは『機会』であって、『選択』じゃない」

 

 ミヤビは細い指先を伸ばし、望浠の剣の側面を、まるでピアノの鍵盤でも叩くように軽やかに弾いた。キィィ、と硬質な金属音が不快に響く。

 

「君も治したいんすよねぇ? その、綺麗な顔を台無しにしてる忌々しい線をさ」

「違う! これは――」

「ええ? 何が違うんすか?」


 ミヤビは一歩、あえて剣先を喉笛に食い込ませるように歩み寄った。刃の冷たさが皮膚を割り、一筋の赤い線が滲む。


「その線、近くで見るとどんな手触りなんだろ〜? ……確かめさせてくれたら、もっといい薬を〜、あげちゃうっ!」

「黙りなさい……!」

 

 ミヤビの手が、彼女の頬へとゆっくり伸びる。望浠は大きくその手を振り払った。


「この傷は名誉の傷なのっ! 治したいなんて思わない!」

「へぇ、嘘ばっかり。裏切りの代名詞みたいなもんなのに」


 望浠の瞳が、図星を突かれたかのように大きく揺れる。

 ミヤビはその動揺を逃さず、獲物の粘膜に直接触れるような熱を孕んだ声で、さらに距離を詰めた。


「じゃあ毎晩、鏡の前で見惚れたりしてる?」

「……っ」

「するでしょぉ、普通。本当に、『名誉』なんて綺麗なラベル貼ってるなら、さぞかし大事に大事にしてるんでしょ?」

 

 ミヤビは振り払われた方の手を、まるで名残惜しそうに自分の唇に当てた。

 望浠が拒絶すればするほど、ミヤビの愉悦は深まっていく。彼女は逃げようとする望浠の視線を、逃がさない。

 

「――嘘ばっかり。その傷を見るたびに、君は思い出してるんでしょ? 自分が誰を守れなかったのか、誰に裏切られたのか」


 ミヤビは望浠の傷に手を伸ばす。指先が、ゆっくりと傷の輪郭をなぞるように宙を滑る。

 あと紙一枚分。触れていないはずなのに、その冷気だけで皮膚を撫でられたような錯覚が、望浠の喉をひきつらせた。


「……本当は、鏡を見るたびに指先でなぞって、消えてしまえって、呪いみたいに願ってるくせに」

「……違う。そんな、こと……!」

「束颯くんたちはえらいよぉ。ちゃんと自分の醜さを認めて、欲しいもののために差し出せた。でも君は、それに『名誉』なんて綺麗な札を貼って誤魔化してる」

 

 ミヤビは望浠の耳元で、甘く、毒を含んだ息を吹きかけた。

 望浠の唇が戦慄く。反論の言葉は、喉の奥で凍りついたままだった。

 

「……かわいそうに。その立派な勲章、剥がれないといいっすね」

 

 ミヤビは満足げに肩をすくめると、あどけない子供のような笑みを浮かべて、今度こそ興味を失ったかのように背を向けた。

 

「……それじゃ、あんまり正義を振りかざして、あの子たちの『決意』を汚さないであげてね? 嫌われちゃうよぉ?」


 軽やかな口笛が、冷たく淀んだ回廊に響き渡る。

 口笛が完全に遠ざかったあと、望浠の指先は、気づけば頬の傷をなぞっていた。

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