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会議②


 たからが居燭に促されて重厚な扉を押し開くと、そこには食堂の熱気から不自然に隔離された、真空のような静寂が横たわっていた。

 広い円卓を囲むのは、前回の異変から生還し、数日間の療養を経てようやく回帰した年長組の面々だ。

 

 かつての土気色だった顔面には、人工的なまでの赤みが戻りつつある。その瞳には平穏への安堵と不安が綯い交ぜになった、硝子細工のような危うい光が漂っていた。

 派閥ごとに固まって座る彼らは、自分たちの恩人であるたからの入室を確認すると、一斉に、そして深く頭を下げた。

 

 その円卓の中心――ひときわ大きな存在感を放っていたのは、車椅子に乗った少女、遊梨だった。

 彼女の頬にはようやく血色が差し、山吹派の象徴たる凛とした気品が戻りつつある。しかし、その眼差しはどこか遠く、まだ現実の輪郭を掴みかねているようにも見えた。

 

「おはよう、遊梨くん。……顔色が良くなったようで安心した。気分の方はどうかな」

「はい。皆様のおかげで、こうしてまた義務を果たすことができます」

 

 遊梨は細い指を組み、微かに微笑んだ。その背後には、一切の感情を排したような顔立ちの少年、蓮華が、音もなく立っていた。

 たからは静かに声をかけた。

 

「蓮華くんも、おはよう。君もこの会議に、自分の意思で出席しているのか?」


 たからの問いは、静まり返った会議室で鋭い礫のように響いた。

 蓮華はぴくりとも動かなかった。ただ、遊梨の背後に影のように溶け込み、一切の感情を排した無機質な声で答える。


「はい。遊梨様の足となることが、僕の全てですから」

「蓮華」


 遊梨が、制するように少年の名を呼んだ。その声には、慈愛よりも深い、どこか諦念の混じった色が宿っている。

 彼女は膝の上で固く結ばれた自分の指先を、痛々しいものを見るように見つめ、たからに向き直った。


「……すみません。私の足が不自由になってしまった原因が、ずっと自分にあると思っているようで……聞き分けがないのです」


 遊梨は自嘲気味に微笑み、動かない両脚を無意識に強く押さえつけた。

 たからは、その手の震えと、背後に立つ少年の凍りついたような忠誠心を一瞥した。


「僕が悪いんです。父様はそう言いました。僕がいたから、遊梨様は――」

「だから、あなたのせいではないと……ただの不幸な事故だったと、何度も言っているでしょう?」


 遮る遊梨の声は、もはや悲鳴に近い。

 蓮華はそれに答えることなく、ただ視線を床の一点に落としたまま、石像のように硬直していた。

 たからは、あえて二人から視線を外し、窓の外や円卓の他の子たちを眺めてから、低く、しかし通る声でこう言った。


「……『父様がそう言った』か。それを疑ったことは?」


 蓮華はぴくりとも動かなかった。その問いは、彼にとって意味を成さない雑音と同じだった。

 たからは、その無反応すら見越したように言葉を継いだ。


「なるほど。君の中では、父親の言葉が絶対なんだな。まるで『神』だ」

「……え?」


 その言葉を聞いた瞬間、蓮華の背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 蓮華の顔に、初めて明らかな困惑、そして隠しようのない戦慄が灯る。

 

「遊梨くんの足になろうと、ガラクタのまま停滞しようと、君の自由だ。……だがな、蓮華くん。君が『自分の罪』に酔いしれている間、君の主は、自分を壊した原因そのものに背後を預けさせられているわけだ」


 たからはそれ以上、蓮華を見ようとはしなかった。すがるような少年の視線を無造作に振り払い、ポケットに手を戻す。

 

「それは献身じゃない。ただの傲慢だ。……本当に彼女のためか? 君の言う『神様』の言葉を信じるのは勝手だが、そのせいで彼女を一生『被害者』に縛り付けていることに、いつまで気づかないふりをするつもりだ?」

 

 たからの言葉は、慈悲のない事実だけを残して蓮華の耳元を通り過ぎた。

 石像のように固まっていた少年の指先が、今度こそ、目に見えて大きく震える。

 

「少しは、その頭で考えてみることだ。君が守っているのは、彼女の尊厳か。それとも、君自身の居心地がいい地獄か」


 蓮華が受けた衝撃が、円卓の静寂を耐え難いほどに重く塗りつぶす。誰もが言葉を失い、たからが提示した「地獄」という断罪の残響に耳を塞ぎたがっていた。

 その、張り詰めた糸が切れる寸前の空気を、場違いなほど軽やかな笑い声が切り裂いた。

 

「まあ、酷い御方。そんな言い方をされてしまっては、悲しくなってしまう……今までが否定されてしまうではありませんか。せっかくの献身を……残酷な人ですこと」

 

 くすくすと、鈴の鳴るような、それでいて底の知れない笑い声がする方角へたからが向く。

 瑠璃色のリボンを揺らしながら、見覚えのない少女が愉しげに目を細めていた。その隣では、同じく瑠璃色のリボンを胸元に括り付けた一葵が、自らの正義を真っ向から否定されたかのように、苦虫を噛み潰した顔で俯いている。

 どうやら彼にとっても、たからの指摘は他人事ではなかったらしい。


「……一葵くん。……と、君は……?」

「お初にお目にかかります。萌生(めぐみ)と申します。瑠璃派の長を任されておりますの」


 少女――萌生は、優雅に、しかしどこか獲物を品定めするような手つきでリボンを指先に絡め、たからの視線を真っ向から受け止めた。


「隣の彼を見ろ。君の言う『献身』とやらに、今にも押し潰されそうな顔をしているぞ」


 萌生は一葵の顔を見るなり笑いだした。

 その笑い声は、静まり返った会議室で、まるで美しい硝子細工が粉々に砕け散るような、残酷な響きを帯びていた。

 

「あなた様は本当にお優しいこと。博喜の勉学に対する執着も、雫桜や舞妃の介錯も、望浠(のぞみ)のお顔の傷も、ましてや鐘雨(しょう)と雪羽の破滅願望ですら、すべてご自分のせいだと思い込んでいらっしゃることでしょう?」

「そ、そこまでじゃ……」

 

 一葵は言い淀み、何かを言おうとして、結局、ただ静かに目を伏せた。握ろうとした手が、そのまま宙に落ちた。

 しかし、萌生はその震える手を見透かすように、彼の耳元へ、甘い毒を含んだ吐息を寄せる。

 

「いいえ、否定なさらないで。その傲慢なまでの責任感こそが、一葵様の美しいところなんですもの。そのままでいてくださいね、ずぅっと」

 

 たからは、萌生の指先が一葵の髪に触れる寸前で止まっているのを見逃さなかった。それは、壊れる直前の玩具を愛でるような、歪な愛着の形だった。


「……なるほど、いい性格をしてる」

「いやいや、彼女の性格の悪さはこんなもんじゃねぇぜ。探偵さんよ」

「まぁた一葵くんを虐めてるなぁ? いい加減言い返せって言ってるじゃない。そんなんだから萌生ちゃんの性格が悪くなるの」


 たからの皮肉に重なるように、気だるげな声が響いた。

 扉から入ってきたのは、撫子色のリボンを揺らす男女の二人組だ。世捨て人のような虛無感を纏った青年と、迷いなく他人の庭に踏み込んでいくような、無防備な明るさの少女。

 たからには、どちらも見覚えがなかった。


「君たちは……」

「撫子の霜汰(そうた)と申します。こちらは牧庭(まり)

「牧庭です。遅くなってごめんなさ〜い……あら遊梨ちゃん、顔色が良くなったね〜」

「牧庭さんも。随分と元気になられましたね」


 牧庭は、重苦しい空気が停滞していた円卓の空席へと、迷いなく歩み寄る。霜汰もそれに続き、たからの横を通り過ぎる際、微かに視線を合わせた。

 その双眸には、この屋敷の異常性を冷めた目で見つめる、独特の知性が宿っている。


「翡翠の二人は遅れるってよ」

「海兎様はともかく……海聖様が? あら、時計依存症の彼女が珍しい」

「問題が起きたらしい。大したことじゃねぇらしいが」


 霜汰はそう吐き捨てると、萌生の刺すような視線を避けるようにして、乱暴に椅子を引いた。

 その背もたれに深く身を沈め、気だるげに天井を仰ぐ。

 

「……あら、そんなに冷たくしないで。私、彼女が来ないとなると、この場に正論を振りかざす人がいなくなって寂しいんですのよ?」

「正論なら、そこの探偵さんが嫌というほど聞かせてくれるだろうよ」

「確かに、聞き心地のよろしい正論でしたわ」

 

 霜汰の冷淡な拒絶を、萌生は愉しげな笑みで受け流す。その横で、一葵はまだ「地獄」という言葉の余韻に囚われたまま、ただ俯いていた。

 会議室の重い空気は、撫子派の合流をもってしても、完全には晴れない。むしろ、各派閥の「毒」が混ざり合い、より複雑な色味を帯び始めていた。

 

「後は黄金と、菖蒲、白藍が来てないか」

 

 たからは、円卓の空席を指折り数えるようにして、場を仕切り直した。その時、外から楽しげな声が聞こえてきた。


「よっしゃー! いくよ〜?」

「静粛に、静粛に〜?」


 たからが怪訝そうに廊下を覗くと、そこには菖蒲色のリボンを輝かせた青風と玲香が、互いに身を乗り出して対峙していた。その傍らには、いつものことだと諦め顔で佇む奏楽の姿がある。

 

「――じゃんけん、ぽん!!」

 

 玲香のパーが、青風のグーを力強く包み込んだ。

 

「よっしゃあああ! 私の勝ち!」

「ちっくしょう……! 汚名返上ならず……!」

 

 玲香が勝利のポーズを決め、青風が本気で悔しそうに床を叩く。

 

「……一体、何をしているんだ君たちは」

 

 勝負の余韻に浸り、聞く耳を持たない二人の代わりに、奏楽が一歩前に出て肩を竦める。

 

「毎回ここで『どちらが会議に出席するか』を決めるんです。……彼女らにとって、この会議に出席することは、じゃんけんで勝ち取らなきゃいけないほどの『特権』だそうですよ」

「次は負けねぇからなぁ!」

「あっはは、しっかり休みなよぉ!」


 勝利した玲香が胸を張って会議室へ進み、敗れた青風が悔しげにそれを見送る。

 その賑やかな二人の横を、黄金色のリボンを揺らす慧衣が、冷ややかな視線を投げながら通り過ぎていった。


「……邪魔だよ。毎回毎回、飽きないね」


 その後ろを、黄金色のリボンと共にニコニコと微笑む少女が通り過ぎる。

 慧衣はたからの顔を一瞥だけし、すぐに席に着いた。後ろから着いてきていた少女が、たからに笑いかける。


「元気になって良かった。この真剣勝負があると、いつも空気が良くなるの。素敵でしょう?」

「……ああ。助かった」


 たからは素直に頷いた。彼女らの放った無邪気な熱気が、溜まっていた毒をわずかに中和したのを感じていたからだ。

 

「……君に会うのも初めてだよな?」

「はい。晶貴(あき)と申します。私にも李苺(もも)という双子の妹がいるのですけど、私たちは当番制なんです」

「平和的だな」


 じゃんけんで権利を奪い合う菖蒲派と、合理的に役割を回す黄金派。たからは、派閥ごとに異なる「秩序」のあり方に、皮肉混じりの感嘆を漏らした。同じ屋敷で育ちながら、こうも違うものか。

 バタバタと騒がしい足音が廊下に反響し、開け放たれた扉から、涼やかな白藍色のリボンが弾けるように飛び込んできた。

 眼鏡の奥に冷静な光を宿した知的な佇まいの青年と、その横をすり抜けるように、微かに清涼な水の匂いを振りまいて走る少女。二人の対照的な闖入者に、円卓の視線が集まる。


「まだ会議始まってない!? 間に合ったよね、セーフだよね!?」

「今日は海聖ちゃんが遅刻なので、私たちは無罪放免で〜す!」

「うっそぉ!? 海聖ちゃんが遅刻!? 大事件!?」

「揉め事っぽい。どうせ和竢くんと心麗ちゃんが派手に喧嘩してるんでしょ」

「あ〜あ、あそこは一度火がつくと激しいからなぁ〜……」


 少女は嵐のような勢いで牧庭に駆け寄って話しかけると、そのまま吸い込まれるように隣の席へと滑り込んだ。

 対照的に、青年は乱れた呼気を一つも漏らさず、真っ直ぐにたからの前まで歩み寄る。彼は指先で眼鏡のブリッジを軽く押し上げると、洗練された動作で静かに一礼した。


「初めまして。白藍の加織(かおる)です。挨拶も忘れて素通りしていった失礼な女性は里凪(りな)と言います。お見知り置きを」


 加織が苦笑混じりに紹介を終える間もなく、自分の名前を聞きつけた里凪が「はっ!」とした表情で椅子から飛び起きた。

 彼女は今度こそたからの真正面まで猛スピードで戻ってくると、壊れた玩具のように何度も深く腰を折る。


「あー! ごめんなさいごめんなさい! たからさん、初めましてぇ! 前回の事件の時はほんっとうにありがとうございました! 感謝してもしきれません!」


 顔を上げた里凪の瞳は、潤んだ水面のようにキラキラと輝いている。その真っ直ぐすぎる感謝の熱量に、たからは微かに気圧され、苦笑いを浮かべながら軽く手を上げた。


「……いやいや。私はできることをしたまでだよ。当然さ」

「それでも、ありがとうございました! 私たち年長組がみんな不甲斐なくも倒れてしまって……残された下の子たちは、どれほど不安だったか。全員こうして、死なずに顔を合わせられました。本当に、本当に良かった……!」

 

 里凪はこらえきれないといった様子で、握りしめた両手をブンブンと力一杯に振り回した。その拍子に、彼女が纏う清涼な水の匂いが風となって円卓に広がり、淀んでいた空気を強引に塗り替えていく。

 

「たからさん。あんたがいなきゃ、今頃この椅子は半分以上空席だったはずなんだ。だから感謝してますよ」

 

 気だるげに天井を仰いでいた霜汰が、不意に視線を落として短く同意した。その言葉に、隣にいた牧庭も深く、何度も頷く。

 

「そうそう、本当に感謝してるんだよ〜? ほら、みんなも。たからさんを困らせるような空気出さないの!」

 

 牧庭が茶目っ気たっぷりに周囲を見渡すと、それまで「地獄」という言葉の余韻に凍りついていた面々の肩から、わずかに力が抜けた。

 車椅子の遊梨もまた、膝の上で固めていた指の力を緩め、穏やかな眼差しをたからへと向ける。

 

「……里凪さんの言う通りです。私たちは、あなたに救われた命を携えて、今日ここに集まることができました」

 

 円卓のあちこちで、小さく、けれど確かな肯定の呟きが重なっていく。里凪はなおも止まらないといった風に手を振り続け、しまいには加織に「落ち着きなさい」と苦笑しながら肩を掴まれる始末だった。

 先ほどまでの刺すような緊張感は、里凪が放つ無邪気なまでの熱量によって、少しずつ溶かされ始めていた。


「……すまない。七分十五秒の遅刻だ」

「ごめんね。いつもの喧嘩が始まっちゃって。いやぁ、平和な証拠だね」


 里凪がもたらした熱気が残る会議室に、凛とした、それでいてどこか柔和な気配が差し込んだ。

 現れたのは、翡翠色のリボンを携えた二人。眼鏡の奥で柔らかな微笑みを湛えた青年と、寸分の狂いもないフォーマルな男装に身を包んだ、涼やかな顔立ちの少女だ。

 

 彼女は手元の懐中時計をパチンと閉じると、遅刻という「瑕疵」を苦々しく噛みしめるように唇を真一文字に結んだ。対照的に、青年は困ったように眉を下げつつも、円卓の空席へと少女を促す。

 席に着き、ようやく一息ついた里凪が、弾むような手つきでたからを指し示した。

 

「あ、海兎くん、海聖ちゃん。あちらの方が、私たちの恩人のたからさんだよ!」

 

 その言葉に応じるように、海兎が椅子から腰を浮かせ、穏やかに会釈をした。

 

「ああ、あなたが。初めまして、海兎です。……海聖共々、お見知り置きを」

「……海聖だ。遅参した無礼、後ほど改めて」

 

 海聖は短く、けれど誠実な響きを込めて告げると、背筋を正して着席した。

 これで、円卓の全ての席が埋まった。

 山吹、瑠璃、撫子、菖蒲、黄金、白藍、そして翡翠。

 鮮やかな七色のリボンが円卓を囲み、それぞれの思惑を抱えた「年長組」が、ひとつの輪として繋がる。


 外からの風がカーテンを揺らし、館の静寂が再び部屋を満たしていく。

 円卓の端で一連の流れを静観していたたからへと、慧衣が値踏みするような鋭い視線を向けた。

 彼は組んでいた腕を解き、指先で卓を軽く一度叩く。その小さな音が合図となり、誰からともなく差し出された沈黙が、公式な会議の始まりを告げる色を帯びた。

 

「――さて、全員揃ったようだな」


 慧衣の低く、有無を言わせぬ声が、円卓の静寂を切り開いた。

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