第23話 伯爵令嬢、セメントの試験施工をする
セメントが完成した。
いや、正確には試作品が完成した、というべきだろう。
俺は完成した粉末を小さな袋に詰め、机の上に並べた。
「よし。次は実際に使ってみるか」
「お嬢様。もう次ですか?」
背後から、マリアの疲れ切った声が聞こえた。
「当たり前だろ。材料ってのは、作っただけじゃ意味がねえ。使って、確かめて、問題がないか調べる。そこまでやって初めて現場に出せるんだ」
「……そのお話は、何度も聞いております」
「何度聞いても大事なことだからな」
「そういうところです!」
マリアが叫んだ。
だが、俺は気にしない。
現場では確認を怠った奴から痛い目を見る。
これは前世で嫌というほど学んだことだ。
せっかく新しい材料を作ったんだ。ここで浮かれて、いきなり大きな建物に使うわけにはいかない。
まずは小さな試験施工だ。
「場所は、あの古い水路の近くにしよう」
「水路ですか?」
「ああ。水に触れる場所で、どれくらい使えるか確かめたいんだ」
俺は机の上に広げた庭園の図面を指でなぞった。
以前、王宮の庭園を調査したときに見つけた古い排水路。
長年の改修で一部が塞がれていたが、今後の庭園整備では排水機能を見直す必要がある。
その近くなら、新しいセメントの試験にもちょうどいい。
「よし。親方、出動だ!」
「お嬢様は伯爵令嬢です!」
「現場では関係ねえ!」
「関係あります!」
マリアの叫び声を背中に受けながら、俺は鉄兜を手に取った。
王宮の庭園に到着すると、以前から一緒に作業している職人たちが待っていた。
「親方、お待ちしておりました!」
「おう。今日は試験施工だ。いつもの工事とは勝手が違うぞ」
「試験施工、ですか?」
「ああ。新しい材料が本当に使えるか、実際に施工して確かめる」
俺は持ってきた袋を職人たちに見せた。
「これが新しく作ったセメントだ」
「おお……!」
職人たちが興味深そうに袋を覗き込む。
「これが、あの石灰石から作ったっていう材料ですか?」
「そうだ。ただし、まだ試作品だ。何にでも使えると思うなよ」
俺は念を押した。
「今日は小さな試験用の壁を作る。普通のモルタルを使った壁と、セメントを使った壁を並べて作るんだ」
「二つ並べるんですか?」
「そうだ。条件をなるべく揃えて、違いを確かめる。材料の量も、使う石も、壁の大きさもな」
新しい材料を試すなら、比較対象が必要だ。
新しい方だけ作って、なんとなく丈夫そうだった、では話にならない。
「それと、作ったらすぐに結果が出るわけじゃねえ。固まるまでの時間も必要だし、何日か置いてから強度や水への耐性も確かめる」
「なるほど……」
「記録係も決めておけ。材料の配合、練ったときの状態、施工した時刻、天候。全部記録するんだ」
「了解しました、親方!」
職人たちの返事が揃った。
うん。
やっぱり現場はこうでなくちゃいけない。
試験施工が始まった。
まずは従来のモルタルを使い、小さな壁を作る。
次に、俺たちが開発したセメントを使った材料で、同じくらいの大きさの壁を作る。
ただし、新しいセメントを使う方は、砂などの材料との配合を慎重に調整する必要がある。
「親方、こちらは少し粘り気が強いようです」
「水を足す前に、材料が均一に混ざってるか確認しろ。水を入れすぎると、固まった後の強度に影響が出る可能性がある」
「分かりました!」
俺は職人が練った材料を確認した。
見た目は悪くない。
だが、見た目だけで判断するわけにはいかない。
「よし。まずはこの配合で施工してみよう。次の試験では、砂や水の量を変えたものも比較するぞ」
「まだ配合を変えるんですか?」
「当然だ。材料ってのは、配合ひとつで性質が変わることがあるからな」
俺は壁の基礎部分を確認し、石を一つずつ積ませていった。
新しい材料を使うからといって、基礎や施工手順をおろそかにしていいわけじゃない。
むしろ、初めて使う材料だからこそ、普段以上に丁寧にやる必要がある。
「目地の厚さを揃えろ。石の据わりも確認。余った材料は勝手に水路へ流すなよ」
「はい!」
「それから、試験区画には柵を設ける。材料が固まるまで触らせるな。見学に来る人間にも近づかせるな」
「了解です!」
職人たちが動き出す。
小さな壁とはいえ、手は抜かない。
その様子を見ていたマリアが、呆れたように呟いた。
「お嬢様……。王宮の庭園に、まさか試験用の壁が二つ並ぶことになるとは思いませんでした」
「いいじゃねえか。見た目だけじゃなく、役に立つ壁を作るための試験だ」
「庭園の景観は大丈夫なのでしょうか?」
「試験が終わったら撤去するか、必要に応じて整備する。最初からそのつもりで場所を選んでる」
「……そこまで考えていらっしゃったのですね」
「当たり前だろ。段取り八分って言うだろ?」
「また、そのお言葉ですか……」
昼過ぎ。
二つの試験壁が、ようやく形になった。
片方は従来のモルタルを使ったもの。
もう片方は、新しいセメントを使ったものだ。
どちらも小規模なものだが、比較するための条件はできるだけ揃えてある。
「親方、完成しました!」
「おう。よくやった」
俺は壁の周囲を歩き、施工状態を確認した。
石の並びに問題はないか。
目地に隙間はないか。
基礎部分に異常はないか。
気になるところを一つずつ確認していく。
「今のところ、施工自体は問題なさそうだな」
「では、新しいセメントも成功ですか?」
「いや、まだだ」
俺は即答した。
「今分かったのは、ひとまず壁を作れたってことだけだ。材料として使えるかどうかは、これから確かめる」
職人たちは真剣な顔で頷いた。
「まずは固まるまで待つ。その間に、試験用の小さな板も作っておく。あとで水に触れさせたり、荷重をかけたりして比較するんだ」
「荷重をかけるんですか?」
「そうだ。ただし、いきなり無茶な重さを載せるなよ。段階を決めて、安全を確保しながら試すんだ」
新しい材料がどれだけの力に耐えられるのか。
どれくらいの時間で固まるのか。
水に触れたらどうなるのか。
時間が経つと、ひび割れたり崩れたりしないか。
調べることはいくらでもある。
セメントは、ただ固まればいいってもんじゃない。
建物を支える材料として使うなら、長く安全に使えるかどうかが重要なのだ。
「親方、これが成功したら、王宮の工事にも使えるようになりますか?」
若い職人が期待に満ちた顔で尋ねてきた。
「試験の結果次第だな。良い結果が出ても、すぐに大きな工事へ使うわけじゃねえ。まずは小さな補修や、影響の少ない場所から試していく」
「なるほど……」
「焦るな。新しい技術は、確かめながら育てていくもんだ」
俺は試験壁を見つめた。
前世では、材料の選定ひとつで現場の作業効率が変わることもあった。
だが、便利だからといって、何でも使えばいいわけじゃない。
適材適所。
それが基本だ。
その日の夕方。
俺は試験施工の記録をまとめていた。
材料の配合、使用量、施工時間、天候、職人たちの所見。
細かいことまで書き残しておく。
後日、同じ試験を繰り返すときに必要になるからだ。
「お嬢様、そろそろお戻りになりませんか?」
マリアが声をかけてきた。
「もう少しだ。明日以降の確認項目を整理しておきたい」
「明日以降も、こちらへいらっしゃるのですか?」
「当然だろ。固まり具合を確認しなきゃならねえからな」
「……そうですか」
マリアは深く息を吐いた。
「お嬢様。セメントが完成したら、少しは落ち着かれると思っておりました」
「何言ってんだ。完成したからこそ、これからが本番だろ」
「そのお言葉、聞きたくありませんでした!」
マリアの悲鳴が、夕暮れの庭園に響いた。
俺は笑いながら記録帳を閉じた。
試験は始まったばかりだ。
明日は固まり具合の確認。
その後は強度試験に水への耐性試験。
必要なら配合を変えて、何度でもやり直す。
この世界に、まともな建築材料を増やす。
それができれば、もっと丈夫で安全な建物を作れるようになるはずだ。
「よし。明日も安全第一でいくぞ!」
「お嬢様! せめて今夜くらいは休んでください!」
……まったく。
現場ってのは、いつだって忙しいもんだ。




