第21話 伯爵令嬢、セメントの配合を考える
王宮の地下水路から石灰石が見つかった翌日。
エレノアは朝から自室の机に向かっていた。
机の上には紙が何枚も広げられ、中央には大きく書かれた文字がある。
『セメント製造計画』
その横には、石灰石の絵まで描かれていた。
「よし。まずは材料の確保だな」
エレノアはペンを動かした。
前世で土木作業員として働いていた頃、セメントは当たり前のように現場にあった。
袋に入ったセメントを使い、水や砂、砂利を混ぜてコンクリートを作る。
現場では珍しくもない材料だ。
だが、セメントそのものを一から作るとなると話は別だった。
「石灰石を砕いて水と混ぜれば完成、なんて簡単な話じゃないからな」
エレノアは腕を組んだ。
セメントは、原料を適切な割合で混ぜ、高温で焼成し、できたクリンカーを細かく粉砕して作る。
さらに、仕上げには石膏を加え、固まる速度を調整する必要がある。
つまり、石灰石を見つけただけでは、まだ出発点に立ったにすぎない。
「石灰石だけじゃ駄目だ。粘土もいる。あとは珪石と鉄原料。それから石膏だな」
エレノアは必要な材料を書き並べた。
石灰石は、セメントの主原料となるカルシウムの供給源だ。
粘土からはシリカやアルミナを得られる。
珪石はシリカの調整に使い、鉄原料は鉄分を補って焼成時の反応を助ける。
そして、石膏は仕上げの段階で加え、セメントが急激に固まりすぎるのを防ぐ。
「問題は、この世界で必要な材料が手に入るかどうかだな」
エレノアは手帳を閉じた。
まずは材料探しから始める必要があった。
そのとき、部屋の扉が開いた。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
メイドのマリアが入ってきた。
机いっぱいに広がった書類を見て、彼女は足を止めた。
「……お嬢様。また何か始められたのですか?」
「セメントを作る」
「はい?」
「昨日話しただろ。石灰石を使って、新しい建築材料を作るんだ」
「昨日の今日でもう計画を立てられたのですか……」
「材料を集めて、配合を調べて、試験する。順番にやればいい」
「簡単におっしゃいますが、セメントというものは、そんなにすぐ作れるのでしょうか?」
「いや。試行錯誤が必要だろうな」
エレノアはあっさり答えた。
「だから、最初から大量に作るつもりはない。まずは少量で試すんだ」
マリアは少し安心したようだった。
「それなら、よろしいのですが」
「それで、父上に相談したいことがある。材料を調達できる商人と、鉱物に詳しい職人を紹介してもらいたいんだ」
「……旦那様にお伝えしてまいります」
「頼む」
マリアが部屋を出ていく。
エレノアは再び机に向かい、材料の一覧を見つめた。
「石灰石、粘土、珪石、鉄原料、石膏……。まずは、どれがどこにあるか調べないとな」
前世の知識があっても、材料の産地までは分からない。
この世界の地質も、鉱山の場所も、まだ知らないことばかりだ。
だからこそ、現地の専門家の力が必要だった。
数日後。
グランベル伯爵家の応接室に、数人の商人と鉱物に詳しい職人が集まっていた。
その中央に座るのは、もちろんエレノアだ。
ドレス姿に鉄兜という格好は、相変わらず周囲の視線を集めていた。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
エレノアは丁寧に頭を下げた。
「さっそくですが、石灰石のほかに、粘土、珪石、鉄分を含む鉱石、それから石膏を探しています」
商人たちが顔を見合わせた。
「石灰石なら、王都から少し離れた採石場で採れます」
「粘土でしたら、河川沿いにもございますな」
「鉄鉱石なら、北部の鉱山から運べます」
次々と情報が出てくる。
エレノアは手帳に書き留めた。
「なるほど。では、それぞれの産地と、どの程度の量を確保できるか教えてください」
「量まで必要なのですか?」
「はい。ただし、最初は少量で構いません。いきなり大量に買い付けるつもりはありませんから」
エレノアは念を押した。
「まずは材料の性質を調べたいんです。同じ石灰石でも、産地によって成分が違う可能性があります。見た目だけで判断せず、試験をしてから使います」
鉱物職人の一人が、感心したように頷いた。
「確かに、鉱石は産地によって性質が異なります。石灰石も不純物の量などに違いがございます」
「そうです。だから、産地ごとに分けて記録したいんです」
「承知いたしました。採取場所と特徴をまとめてお持ちしましょう」
「助かります」
エレノアは満足そうに頷いた。
材料探しは、思った以上に順調だった。
ただし、問題はその先にある。
集めた材料を、どうやって適切な割合で混ぜるのか。
そして、どうやって焼成し、セメントに仕上げるのか。
ここからが本番だった。
その日の午後。
エレノアは伯爵家の作業場へ向かった。
そこには、木工職人と金属加工職人が待っていた。
「お嬢様。ご依頼の道具について、お話を伺いたいのですが」
「ありがとう。まず、これを見てくれ」
エレノアは紙に描いた図面を広げた。
そこには、大きな桶のような容器と、内部に取り付ける回転式の羽根が描かれていた。
「材料を均一に混ぜるための道具を作りたいんだ」
「混ぜるための道具ですか?」
「そうだ。手作業で混ぜることもできるが、量が増えたら大変だろ。できるだけ均一に混ぜられるようにしたい」
エレノアは図面を指差した。
「この容器の中に材料を入れて、取っ手を回すと、中の羽根が回転する仕組みだ。最初は小型のものでいい」
木工職人が図面をじっと見つめた。
「なるほど……。桶の中に回転する羽根を取り付けるのですね」
「そうだ。軸がぶれないように、支えをしっかり作ってほしい。材料が漏れない構造にもしたいな」
「承知しました。ただ、細かい粉を混ぜるのであれば、羽根と容器の隙間にも注意が必要でしょう」
「その通りだ。そこは試作品を作りながら調整しよう」
エレノアは笑顔で答えた。
前世では、機械で材料を混ぜるのは当たり前だった。
だが、この世界では、まず道具を一つずつ作らなければならない。
それでも、手作業だけに頼るよりは効率を上げられるはずだ。
「それから、もう一つ頼みたい」
「まだございますか?」
「材料を細かく砕くための道具も必要だ。最初は小さな量で試すから、大型の機械はいらない。安全に使える手動式のものを考えてほしい」
職人たちは顔を見合わせた。
次々と新しい道具の注文が舞い込んでくる。
だが、エレノアの説明は具体的だった。
何に使うのか。
どのような性能が必要なのか。
どこに注意しなければならないのか。
それらが明確なので、職人たちも仕事を進めやすかった。
「分かりました。まずは試作品を作り、使い勝手を確認していただきます」
「頼む。使いにくければ、遠慮なく直してくれ。最初から完璧なものができるとは思っていないからな」
「かしこまりました!」
エレノアは職人たちを見送った。
そして、作業場の隅に置かれた空の桶を見つめた。
「よし。これで材料を混ぜる準備も進められるな」
その様子を見ていたマリアが、そっと尋ねた。
「お嬢様。まさか、その道具も王宮へ持ち込まれるおつもりですか?」
「必要なら持っていくぞ」
「……やはり」
マリアは深いため息をついた。
さらに数日後。
注文していた材料の見本が届いた。
石灰石、粘土、珪石、鉄分を含む鉱石、そして石膏。
それぞれ別々の容器に入れられ、机の上に並べられていた。
エレノアは鉱物職人と一緒に、材料の特徴を一つずつ確認していく。
「まずは石灰石。次に粘土。それから珪石……」
彼女は手帳に産地と特徴を書き込んだ。
「ただし、材料の割合は固定で考えない方がいいな。石灰石が七割から八割程度というのは出発点として考えられるが、残りを適当に混ぜればいいわけじゃない」
「それぞれの成分を確認する必要がある、ということですね?」
「そうだ。粘土や珪石の成分、鉄分の量も調べる。材料の組み合わせによって、必要な配合は変わるはずだからな」
エレノアは小さな容器を並べた。
「最初は少量ずつ配合を変えて試す。結果を記録して、うまくいかなければ原因を考える。それを繰り返すんだ」
「なるほど。職人の仕事にも通じる考え方ですな」
「そうだろ? 勘だけに頼るんじゃなく、結果を記録して再現できるようにする。これが大事なんだ」
エレノアは胸を張った。
もちろん、ここから先は簡単ではない。
原料を混ぜるだけでは、現代的なセメントは完成しない。
適切な焼成温度を保てる窯も必要だし、焼き上がった材料を細かく砕く工程も必要になる。
さらに、完成したセメントがきちんと固まるか、十分な強度を持つか、水にさらされても問題がないか、試験しなければならない。
「まずは試験用の窯についても考えないとな……」
エレノアが呟くと、マリアの肩がぴくりと動いた。
「お嬢様。今、窯とおっしゃいましたか?」
「ああ。原料を焼く必要があるからな」
「……新しい設備を作るのですね?」
「試験用の小さなものからだ」
「本当に小さなものなのですね?」
「最初はな」
「最初は……?」
マリアは、嫌な予感を覚えた。
エレノアは机の上の材料を見渡し、満足そうに頷いた。
「よし。材料の手配は進んだ。混ぜる道具も作り始めた。次は試験用の設備を整えて、配合を確かめるぞ」
「お嬢様!」
マリアの悲鳴が作業場に響いた。
しかし、エレノアはもう次の図面を描き始めていた。
石灰石から始まった、新しい建築材料の開発。
まだ成功するかどうかも分からない。
それでも、彼女の頭の中では、すでに次の現場が動き始めていた。
「やっぱり、建築は材料からだな!」
鉄兜の伯爵令嬢は、今日も元気に新しい仕事へ取りかかるのだった。




