第16話 伯爵令嬢、温室の試運転をする
王宮の庭園に、巨大温室の一角が完成した。
木材と金属で組み上げた骨組みには、スライムから作った透明シートが取り付けられている。
外から見ると、まるで大きなガラス箱だ。
ただし、近づいて見れば、窓の部分が少し波打っている。
それでも、日光は十分に取り込める。
「よし。今日は試運転だ」
エレノアはドレスの上に作業用の上着を羽織り、頭にはいつもの鉄兜をかぶっていた。
その姿を見た王宮の庭師長は、深々とため息をついた。
「エレノア様。せめて完成披露の日くらい、普通のお召し物ではいけませんか?」
「普通の服で現場に入るのか?」
「温室の完成披露です!」
「だから、完成した建物の確認をするんだろ。現場監督が現場を見るのは当然だ」
「……もう何も申しません」
庭師長は諦めた。
最近、この伯爵令嬢に常識を説くこと自体が無駄なのだと理解し始めていた。
エレノアは温室の入口に立ち、手元の図面を確認した。
「じゃあ、まずは植物を入れる前の点検だ。入口、よし。通路、よし。排水溝、よし」
しゃがみ込んで床を確かめる。
「水を流してみよう」
「水ですか?」
「植物に水をやるんだ。排水できなきゃ困るだろ」
庭師たちが用意した水桶から、床の一角に水を流す。
水は緩やかな傾斜に沿って流れ、排水溝へと入っていった。
「よし。流れは問題ないな。次は屋根だ」
エレノアは顔を上げた。
透明シートの継ぎ目を、一つずつ目で追っていく。
「そこの継ぎ目、ちょっと確認してくれ」
「はい」
作業員が脚立に上り、接合部分を調べた。
「問題ありません!」
「本当か? もう一度、固定具を確認しろ。風が吹いたときに外れたら大変だからな」
「承知しました!」
作業員はすぐに確認をやり直した。
その様子を見ていた庭師長が、感心したように呟く。
「建物が完成してからも、ここまで確認するのですね」
「当たり前だ。完成したからって、仕事が終わるわけじゃない。使ってみて初めて分かることもある」
エレノアは胸を張った。
「建物は建てて終わりじゃない。使って、直して、長持ちさせる。それが大事なんだ」
「なるほど……」
庭師長は真剣に頷いた。
その横で、マリアが小さく呟く。
「お嬢様が普通の令嬢らしいことをおっしゃっています……」
「マリア、聞こえてるぞ」
「失礼いたしました!」
点検が終わると、いよいよ植物の搬入が始まった。
庭師たちは鉢植えを慎重に運び込み、日当たりや水やりの頻度を考えながら配置していく。
エレノアは、その様子を見て頷いた。
「植物の種類によって、置く場所を分けるんだな」
「はい。日光を好むものもあれば、強い日差しが苦手なものもございます」
「なら、最初から全部を同じ環境にするのは駄目だな。必要なら仕切りを設けて、管理する場所を分けよう」
「仕切り、ですか?」
「そうだ。温度や湿度が違うなら、管理方法も変える。無理に一つの環境へ押し込む必要はないだろ」
庭師長は目を見開いた。
「確かに……。これまで、植物を置く場所には苦労しておりました」
「建物に合わせて植物を我慢させるんじゃなく、植物に合わせて建物を工夫するんだ」
エレノアは何気なく言った。
しかし、庭師たちにとっては目から鱗の発想だった。
植物を運び終えると、庭師長が一鉢を抱えて近づいてきた。
「エレノア様。こちらの植物も置いてよろしいでしょうか?」
鉢には、幅広い葉を持つ見慣れない植物が植えられていた。
「これは?」
「南方の国から取り寄せた珍しい薬草です。寒さに弱いため、王宮でも育成に苦労しておりまして」
「へえ。じゃあ、温度管理が必要だな」
「はい。ただ、どの程度の温度が適切なのか、まだ分かっておりません」
「分からないなら、いきなり大量に置くなよ。まずは一鉢で試して、記録を取るんだ」
エレノアは近くの机を指差した。
「温度、湿度、水やりの量。毎日記録する。葉の状態も書いておけ。変化が分かれば、次の対策を考えられる」
「かしこまりました!」
庭師長は勢いよく頭を下げた。
その後も、エレノアは温室の中を歩き回った。
通路が狭い場所を見つければ、鉢の配置を変更する。
水桶の置き場所が悪ければ、運びやすい場所へ移動させる。
道具が散らかっていれば、収納棚の設置を指示する。
気がつけば、温室の使い勝手は見違えるほど良くなっていた。
「……すごいですね」
庭師長が感嘆の声を漏らした。
「何がだ?」
「温室を建てただけでなく、私たちが仕事をしやすい環境まで整えてくださいました」
「そりゃ、使いにくい建物じゃ意味がないからな」
エレノアは当たり前のように答えた。
そして、満足そうに温室全体を見渡した。
「よし。これで第一段階は完了だ。あとは実際に使いながら問題点を洗い出そう」
「第一段階……?」
庭師長の顔が引きつった。
「ええと、エレノア様。温室は、これで完成ではないのですか?」
「建物としては完成だ。でも、運用はこれからだろ。問題が出たら改善する。それを繰り返して、使いやすい温室にしていくんだ」
「な、なるほど……」
庭師長は納得しかけた。
しかし、ふと嫌な予感がして尋ねた。
「ちなみに、今後の予定は?」
「この温室で管理方法を確立したら、残りの区画も建設する。植物の種類に合わせて構造も変えるつもりだ」
「残りの区画……」
「そうだ。せっかく広い敷地があるんだから、無駄にする理由はないだろ?」
庭師長はゆっくりと天を仰いだ。
王宮の庭園に、巨大温室が次々と建ち並ぶ未来が見えた気がした。
その頃、温室の入口では、王太子が完成した施設を眺めていた。
「エレノア嬢。君に頼むと、いつも話が大きくなるな」
「そうですか?」
「最初は温室を一つ建てる話だったはずだが」
「はい。まずは一つ建てました。計画どおりです」
「……そういう問題なのだろうか」
王太子は苦笑した。
エレノアは気にせず、図面を広げる。
「殿下。次は残りの区画の設計について、ご相談があります」
「もう次か!」
王太子の声が温室に響いた。
マリアは両手で顔を覆った。
「お嬢様……お願いですから、少しは休んでくださいませ!」
「休憩なら昼に取る。現場は待ってくれないんだ」
「ここは王宮です!」
「現場であることに変わりはない!」
鉄兜をかぶった美貌の伯爵令嬢は、今日も堂々と図面を広げるのだった。




