第15話 伯爵令嬢、透明シートの取り付けで大騒ぎ
王宮の庭園。
朝から温室の建設現場は賑わっていた。
組み上がった木製の骨組みを前に、職人たちが材料を運んでいる。
今日の作業は、透明シートの取り付けだ。
スライムを薄く伸ばして乾燥させ、蜜蝋で表面を加工した新しい建材。ガラスほどの透明度はないが、軽くて扱いやすく、温室の採光には十分な性能を持っている。
エレノアは現場に到着すると、真っ先に材料置き場へ向かった。
「おっ、昨日の差し入れはこれか!」
そこには、パンや焼き菓子、それに大きな籠に入った果物が並んでいた。
「騎士団の皆さんからです。昨日のお礼だそうですよ」
マリアが説明する。
「気が利くじゃねえか!」
「お嬢様、まずは作業の確認をお願いいたします」
「分かってるって。腹ごしらえも大事な段取りだろ」
「朝食はもう召し上がりましたよね?」
「現場に来たら腹が減るんだよ」
「……そうですか」
マリアは、もはや反論する気力もなかった。
エレノアは焼き菓子を一つ手に取ると、職人たちにも声をかけた。
「お前らも休憩時間に食えよ。差し入れはありがたくいただこうぜ」
「ありがとうございます、親方!」
職人たちの返事が揃った。
その後ろで、騎士団の若い隊員が小さく呟いた。
「……本当に親方と呼ばれているんだな」
「聞こえてるぞ」
「す、すみません!」
「別に怒ってねえよ。ほら、仕事を始めるぞ!」
作業開始。
透明シートは、職人たちが慎重に運んできた。
薄く軽い素材だが、無理に引っ張れば破れる。固定する際にも、強く締めすぎないよう注意が必要だった。
エレノアは見本を手に取り、全員に説明した。
「いいか。このシートはガラスと違って、力のかけ方を間違えると伸びたり破れたりする。取り付ける前に、端に傷がないか確認しろ」
「はい、親方!」
「固定金具も、強く締めればいいってもんじゃねえ。押さえる力が偏らないようにするんだ」
職人の一人が質問した。
「では、どの程度の力で締めればよいのでしょうか?」
「そこは試験して決める。素材の厚さによっても違うからな。まずは端材で確認だ」
エレノアは、用意していた小さな試験片を取り出した。
金具で固定し、少しずつ力を加える。
シートがずれないか。傷が入らないか。固定部分に無理がかかっていないか。
職人たちは真剣に見守った。
「よし。この方法ならいけそうだな。実際の取り付けでも、最初の一枚は慎重に確認しながら進めるぞ」
「分かりました!」
作業員たちは、シートを骨組みに合わせていった。
ところが。
「親方! ちょっと来てください!」
職人の声が響いた。
「どうした?」
「シートの端が、うまく合いません!」
エレノアはすぐに駆け寄った。
取り付けようとしているシートが、枠の一辺から少しだけはみ出している。
職人は困った顔をしていた。
「寸法は確認したはずなのですが……」
「シートを無理に引っ張るな。まずは一度、外して確認しよう」
エレノアは枠の寸法を測り直し、シートの幅も確認した。
そして、原因に気づいた。
「こりゃ、枠の内側じゃなくて外側の寸法を基準にしてるな」
「えっ?」
「図面には両方の寸法が書いてある。どっちを使うか、取り付け方法と合わせて確認しなきゃ駄目だ」
職人は顔を青くした。
「申し訳ありません、親方!」
「謝るのは後でいい。今分かったんだから、次から間違えなきゃいいんだ」
エレノアは図面を広げ、必要な寸法を整理した。
「取り付け用の寸法を、別に分かりやすく書いておこう。シートの大きさも規格を決めておけば、量産するときに楽になる」
「なるほど……」
「同じ失敗を何度も繰り返さない仕組みを作る。それも現場の仕事だ」
職人たちは深く頷いた。
その様子を見ていた騎士隊長が、感心したように言った。
「失敗した者を責めるのではなく、失敗が起こりにくい方法を考えるのですね」
「そりゃそうだろ。人間なんだから、間違えることもある。大事なのは、同じ間違いを繰り返さないことだ」
騎士隊長は、何度も頷いていた。
どうやら、騎士団にも持ち帰りたい教訓だったらしい。
昼過ぎ。
問題を解決した職人たちは、再びシートの取り付けに取りかかった。
今度は寸法を統一し、端から順番に固定していく。
最初の一枚を取り付けたところで、エレノアは少し離れた場所から全体を確認した。
「よし。歪みもねえし、固定も問題なさそうだな」
「親方、次のシートも取り付けてよろしいですか?」
「その前に、固定部分をもう一度確認だ。問題がなければ次に進め」
「はい!」
作業は順調に進んでいった。
透明シートが一枚、また一枚と取り付けられ、木の骨組みが少しずつ温室らしい姿へ変わっていく。
やがて、庭園の責任者が嬉しそうに近づいてきた。
「エレノア様! 外からでも中が見えるようになりました!」
「おう。光の入り方も確認しようぜ」
エレノアは温室の中に入り、壁や屋根を見上げた。
日差しは十分に入っている。
ただし、透明シートを通した光は、普通の窓ガラスを通した光とは少し違う。
「植物を置く前に、しばらく温度を測ろう。朝と昼、それから夕方でも変わるはずだ」
「そこまで調べるのですか?」
「当たり前だろ。日差しが入れば温室の中は暖かくなる。でも、暖かくなりすぎても植物にはよくねえ」
「なるほど……」
「温度計を置く場所も決めるぞ。入口付近だけ測っても、奥の方がどうなってるか分からねえからな」
庭園の責任者は、慌てて手帳を取り出した。
「記録を取るための帳面を用意いたします!」
「頼む。毎日同じ時間に測ってくれ。できれば天気も記録しておくといい」
「承知しました!」
エレノアは満足そうに頷いた。
建物を造って終わりではない。
実際に使い、問題がないか確かめる。
それが、彼女の考える仕事だった。
夕方。
透明シートの取り付けは、予定していた範囲まで完了した。
エレノアは温室の外に立ち、完成に近づいた建物を眺めていた。
「よし。今日はここまでだな」
「親方、お疲れさまでした!」
職人たちが声を揃える。
騎士たちも、すっかり現場の雰囲気に馴染んでいた。
「エレノア様。明日もお手伝いに来てもよろしいでしょうか?」
騎士隊長が尋ねた。
「警備に支障がなければ、頼む。あとは無理のない範囲でな」
「ありがとうございます!」
隊長は嬉しそうに頭を下げた。
その様子を見ていたマリアは、遠い目をしていた。
「……王宮の騎士団が、いつの間にかお嬢様の工事を楽しみにしているなんて」
「いいことじゃねえか。仕事は協力してやった方が早い」
「そうかもしれませんが……」
マリアは温室を見上げた。
美しい透明な壁。
木の骨組みも整っており、庭園の景色にもよく馴染んでいる。
そこには、これまで王宮で見たことのない建物が形になりつつあった。
「お嬢様。完成したら、きっと素晴らしい温室になりますね」
「まだ完成じゃねえよ」
「えっ?」
「これから植物を入れて、温度や湿度を確認する。排水も、雨が降ったときに問題がないか見なきゃならねえ。使い始めてからが本番だ」
「……そうでしたわね」
マリアは苦笑した。
この令嬢にとって、建物の完成とは、単に見た目が出来上がったことではないのだ。
実際に使えること。
安全であること。
そして、長く使い続けられること。
それらすべてが揃って、ようやく完成なのだろう。
エレノアは道具袋を肩にかけた。
「さて、明日は温度計の設置と、換気の確認だな」
「お嬢様。明日も朝からですか?」
「そりゃそうだろ」
「……せめて、朝食はゆっくり召し上がってくださいませ」
「現場に出る前に食えばいいだろ」
「そういう意味ではございません!」
マリアの声が、夕暮れの庭園に響いた。
こうして温室は、完成へ向けて一歩ずつ進んでいく。
しかし、翌日。
温室の中に設置した温度計を確認したエレノアは、予想外の数値を目にすることになる。
「……おい。ちょっと待て」
彼女は鉄兜を押さえながら、温室の中を見回した。
「これ、昼間はかなり暑くなるぞ」
温室の建設は、次の問題へと進もうとしていた。




