第13話 伯爵令嬢、温室の基礎工事を始める
王宮の庭園。
朝早くから、庭師たちが集められていた。
これから建設するのは、珍しい植物を育てるための大型温室。その第一段階として、一部区画を試験的に建設することになったのだ。
そこへ、銀髪の美しい令嬢が姿を現した。
ドレス姿に鉄兜。
腰には道具袋。
その格好を見た庭師たちは、そろって首を傾げた。
「……あの方が設計を担当される、グランベル伯爵令嬢ですか?」
「そうらしい」
「なぜ兜を?」
「さあ……」
エレノアは周囲を見回し、満足そうに頷いた。
「よし。人員は揃ってるな」
「お嬢様! せめてご挨拶くらいはなさってください!」
後ろから追いかけてきたマリアが声を上げた。
「挨拶なら後だ。まずは現場の確認だろ」
「ここは王宮です!」
「現場であることに変わりはねえ」
「その口調をどうにかしてくださいませ!」
エレノアは聞こえないふりをして、庭園の地面に目を向けた。
まずは地盤の確認だ。
温室を建てる場所は一見平らだが、わずかに傾斜がある。雨が降れば水が流れる方向も決まってくる。
彼女は図面を広げ、地面に目印を打つ場所を確認した。
「庭園の責任者は?」
「は、はい! こちらです!」
年配の庭師が慌てて進み出た。
「この辺り、水はけはどうなってる?」
「雨が降った際には、あちらの花壇の方へ流れていきます」
「その先は?」
「庭園の排水路へ流れます」
「排水路の容量は?」
「えっ?」
庭師の表情が止まった。
エレノアは眉を寄せた。
「温室を造ると、屋根に降った雨水がまとまって流れる。今までと同じ感覚で排水路に流したら、あふれるかもしれねえぞ」
「そ、そこまで考える必要があるのでしょうか?」
「あるに決まってんだろ。水が逃げなきゃ、建物の足元に溜まる。足元が傷めば、建物全体に影響が出る」
庭師たちは顔を見合わせた。
温室といえば、珍しい植物を育てるための建物だ。
まさか排水路から話が始まるとは思っていなかった。
エレノアは図面の端に書き込みを入れた。
「まずは排水。次に基礎。順番を間違えるなよ」
「は、はい!」
庭師たちが思わず返事をした。
その様子を見て、マリアは額を押さえた。
「……完全に親方になっていらっしゃる」
「何か言ったか?」
「いいえ、お嬢様!」
地盤の確認が終わると、エレノアは工事を担当する職人たちを集めた。
「今日やるのは、位置出しと基礎の準備だ。いきなり掘り始めるなよ」
職人の一人が首を傾げる。
「ですが、設計図には基礎の位置が記されていますが?」
「図面に書いてあるのと、現場で正しい位置に印が付いてるのは別の話だ。寸法を確認して、対角線も測る。四角形が歪んでたら、後で骨組みが合わなくなる」
「なるほど……」
「あと、地下に配管が通ってないか確認。分からないまま掘るのは禁止だ」
エレノアは鉄兜の位置を直した。
「安全第一。急いで失敗するより、確認してから動け」
職人たちは真剣な顔で頷いた。
そこへ、王宮の庭園を管理する責任者がやってきた。
「エレノア様。植物を育てる場所なのですから、できるだけ早く完成させたいのですが……」
「気持ちは分かる。でも、基礎を急いで失敗したら、完成がもっと遅れるぞ」
「それは……そうですが」
「植物だって待ってくれねえんだろ? だったら、最初から長く使えるものを造るんだ」
責任者は口を閉じた。
エレノアの言葉は乱暴に聞こえるが、内容は正論だった。
「それに、今回は試験区画だ。ここで問題を洗い出してから、残りを造る。最初から全部造って、後から欠陥が見つかったら目も当てられねえ」
「……確かに、その通りです」
「よし。じゃあ始めよう」
エレノアが手を叩くと、職人たちはそれぞれの持ち場へ向かった。
王宮の庭園に、工事の音が響き始めた。
昼前。
位置出しを終えたエレノアは、地面に打たれた杭と張られた糸を確認していた。
「ここの寸法、もう一回測ってくれ」
「先ほど測りましたが?」
「だから、もう一回だ。測定ミスは一回目で気づかねえこともある」
「は、はい!」
職人が測り直す。
しばらくして、彼は驚いた顔をした。
「……二センチ違います」
「だろ?」
「なぜ分かったのですか?」
「いや、分かったわけじゃねえよ。確認しろって言っただけだ」
エレノアはあっさり答えた。
「測り直して違いが出たなら、どっちが間違ってるか確認する。そこで誤魔化したら、後の工程まで全部狂うからな」
職人は深く頷いた。
「勉強になります、親方!」
「おう。分かればいい」
「親方!」
「親方!」
気がつけば、近くの職人たちまで同じ呼び方を始めていた。
マリアが慌てて割って入る。
「皆様! こちらは伯爵令嬢でいらっしゃいます! 親方ではありません!」
「いや、別にいいだろ」
「よくありません!」
「呼びやすいなら、それでいいじゃねえか」
「お嬢様ぁ……!」
エレノアは気にする様子もなく、図面へ視線を戻した。
「よし、寸法を修正。基礎の位置はこれで確定だ。次は掘削に入るぞ」
職人たちが動き出す。
そのとき、庭園の奥から王太子が歩いてきた。
「エレノア嬢。進み具合はどうだ?」
「順調です。今は基礎工事の準備をしています」
王太子は、杭と糸で区切られた地面を見渡した。
「まだ何も建っていないようだが?」
「建物は基礎ができてからです。今は、その基礎を間違いなく造るための準備ですね」
「なるほど。建物を建てるというのは、思った以上に手間がかかるものなのだな」
「手間を惜しむと、後でもっと手間がかかります」
エレノアは真顔で答えた。
王太子は笑った。
「君の話を聞いていると、どんなことにも通じる教訓のように思えてくるよ」
「まあ、だいたいの失敗は段取り不足か確認不足ですから」
「……それは耳が痛いな」
王太子は苦笑した。
そして、ふと地面に目を向ける。
「ところで、あの者たちは何をしているのだ?」
庭師たちが、エレノアから渡された木の板を並べていた。
「作業場所と通路を分けています。資材置き場も決めました。通路を塞ぐと作業しにくいですし、道具を探す時間も無駄になりますから」
「そこまで決めるのか……」
「当たり前です。物が散らかってる現場は危ないですからね」
王太子はしばらく黙った後、真剣な顔で言った。
「……王宮のほかの工事も、一度君に見てもらった方がよさそうだ」
「お待ちくださいませ!」
マリアが叫んだ。
「お嬢様は温室の工事でお忙しいのです! これ以上お仕事を増やされては困ります!」
「そうか。では、温室が完成してから頼もう」
「そういう問題ではございません!」
エレノアは図面を見たまま、ぽつりと呟いた。
「……王宮の修繕計画も、そろそろ整理した方がいいかもしれねえな」
「お嬢様!」
マリアの悲鳴が、王宮の庭園に響き渡った。
こうして、温室の基礎工事は始まった。
まだ地面に杭が立っただけ。
しかし、エレノアの頭の中では、すでに完成後の使い勝手から維持管理まで、次々と計画が組み上がっていた。
そして彼女は、まだ気づいていなかった。
この温室の建設が、王宮の建物そのものを見直す大きなきっかけになろうとしていることに。




