第12話 伯爵令嬢、巨大温室の計画を立てる
グランベル伯爵家の庭。
エレノアは、職人たちと一緒に木材の山を眺めていた。
「……足りねぇな」
「やはり、そう思われますか?」
職人の一人が尋ねた。
「透明板を作るための枠も必要だし、乾燥させる場所もいる。材料を保管する倉庫も必要だ。今の作業場じゃ、注文が増えたらすぐに手狭になるぞ」
「では、作業場を広げますか?」
「いや。いっそ専用の建物を作ろう」
エレノアは、地面に置かれた板を拾い上げた。
「材料を加工する場所、乾燥させる場所、完成品を保管する場所。それぞれ分けた方が仕事がしやすい」
「なるほど……!」
「作業する人間の動線も考える。材料を運ぶたびに遠回りしていたら、時間も手間も無駄になるからな」
「さすが親方!」
「よし、まずは敷地の寸法を測るぞ!」
「「「はい、親方!」」」
その光景を、屋敷の窓から見ていたマリアは静かに目を閉じた。
「……お嬢様。昨日、設計図を描くだけだとおっしゃいましたよね?」
もちろん、エレノアには聞こえていなかった。
昼過ぎ。
グランベル伯爵家に、王宮からの来客があった。
応接室に通されたのは、王宮の園芸責任者を務める初老の男性だった。
「エレノア様。突然の訪問をお許しください」
「いえ、構いません。それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」
エレノアは上品に微笑んだ。
頭には鉄兜をかぶっていた。
園芸責任者は一瞬だけ視線を上げたが、何も言わなかった。
王宮で働く者たちの間でも、彼女の格好は少しずつ有名になりつつあった。
「実は、王宮の温室を拝見した貴族の方々から、植物の栽培について問い合わせが増えておりまして」
「植物の栽培、ですか?」
「はい。今の温室は試験用として建てられたものですが、もっと多くの植物を育てられる施設を作れないかと考えております」
エレノアの目が輝いた。
「つまり、もっと大きな温室を作りたいということですね?」
「そのとおりです」
「どれくらいの規模をお考えですか?」
「まだ具体的には決まっておりません。ただ、王宮で育てている薬草や珍しい植物を、天候に左右されずに栽培できるようにしたいのです」
エレノアは、机の上に紙を広げた。
「なるほど。まずは栽培する植物の種類を教えてください。必要な温度や湿度が違えば、温室の構造も変わります」
「そこまで考える必要があるのですか?」
「もちろんです。植物に合わせて環境を整えなければ、せっかく建てても育ちませんから」
園芸責任者は感心したようにうなずいた。
「さすがエレノア様。建築だけでなく、植物についてもお詳しいのですね」
「いえ、植物については専門家の意見を聞きながら進めるつもりです」
エレノアは、きっぱりと答えた。
建物を作ることと、そこで育てる植物を管理することは別の仕事だ。
自分にできることと、専門家に任せるべきこと。
そこを間違えるつもりはなかった。
「では、栽培担当の方々にも参加していただきましょう。現場を見て、必要な設備を一緒に考えたいと思います」
「ありがとうございます!」
園芸責任者は、嬉しそうに頭を下げた。
ところが。
「それと、資材の搬入経路も確認したいですね」
「搬入経路?」
「ええ。木材や透明板を運び込む道です。完成後の管理用通路も必要ですし、水を運ぶ設備も考えなければなりません」
エレノアは紙に次々と書き込んでいく。
「作業員の休憩場所も必要だな。道具を置く倉庫もいる。修理用の材料を保管する場所も確保しておきたい」
「……温室以外にも、いろいろ必要なのですね」
「建物は建てて終わりじゃありませんから」
園芸責任者は、深くうなずいた。
そして、目の前の美しい伯爵令嬢が、すでに温室周辺の施設まで考え始めていることに気づいた。
翌日。
エレノアたちは、王宮の庭園に集まっていた。
園芸責任者と栽培担当者、それに建築職人たちが同行している。
エレノアは鉄兜をかぶり、敷地を歩き回っていた。
「こっちの地面は少し低いな。雨が降ったとき、水が集まる可能性がある」
「確かに、以前もこの辺りに水がたまったことがございます」
園芸責任者が答えた。
「なら、排水を考えましょう。温室の基礎を作る前に、地面の高さを確認する必要があります」
エレノアは職人に指示を出した。
「測量をお願いします。敷地全体の高さを確認して、排水の方向を決めましょう」
「承知しました、親方!」
その呼び方に、園芸責任者が目を丸くした。
「親方……?」
「現場では、そう呼ばれております」
「伯爵令嬢なのに?」
「本人は気にしていないようです」
マリアが、疲れた顔で説明した。
「むしろ、その呼び方を大変気に入っていらっしゃいます」
「……そうなのですか」
園芸責任者は、何とも言えない表情になった。
その間にも、エレノアは地面を確認していた。
「温室を一つの大きな建物にするか、用途ごとに分けるか……」
栽培担当者が口を開いた。
「薬草の中には、強い日差しを嫌うものもあります。また、湿度を高く保つ必要がある植物もございます」
「なら、全部を一つの環境で育てるのは難しいですね」
「はい」
「温室をいくつかに分けましょう。日当たりを重視する区画、湿度を管理する区画、それから薬草用の区画。まずは必要な規模を整理して、無理のない計画を立てます」
「それは助かります!」
栽培担当者は、ほっとした様子だった。
エレノアは続けた。
「ただし、いきなり全部を建てる必要はありません。まずは一つの区画を作り、透明板の性能と植物の育ち方を確認しましょう。結果がよければ、次の区画へ進めばいい」
園芸責任者は感心した。
「慎重なのですね」
「大きな工事ほど、最初の計画が大事ですから」
エレノアは胸を張った。
「見切り発車で始めて、あとから問題が見つかるのが一番面倒なんです」
その言葉に、職人たちが一斉にうなずいた。
「「「そのとおりです、親方!」」」
王宮の庭園に、妙な一体感が生まれていた。
数日後。
エレノアは、温室の建設計画書をまとめ上げた。
建物の配置、必要な材料、作業の順序、管理用の通路。
さらに、試験期間中に確認すべき項目まで整理されていた。
王太子は書類を受け取り、ページをめくった。
「……エレノア嬢」
「はい、殿下」
「これは温室の建設計画書だよな?」
「はい」
「なぜ、資材倉庫と作業員の休憩所の計画まで入っているのだ?」
「必要だからです」
「いや、必要なのはわかるが……」
「温室を維持するには、道具や予備の材料を置く場所が要ります。作業員が休憩できる場所も必要です。最初から考えておけば、あとで困りません」
王太子は書類を閉じた。
「君に仕事を頼むと、いつも想定より話が大きくなるな」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
即答だった。
エレノアは首をかしげた。
「ですが、必要なものを先に整えておけば、あとから慌てずに済みますよ」
「……それは確かにそうなのだが」
王太子は苦笑した。
計画そのものに無駄はない。
むしろ、建設後のことまで考えられている。
問題があるとすれば、エレノアに仕事を任せると、いつの間にか建物だけでなく周辺環境まで整備されてしまうことだった。
「よし、計画を進めよう。ただし、まずは最初の温室区画だけだ。試験結果を見てから、次を考える」
「承知しました、殿下!」
エレノアは敬礼しかけて、慌てて手を下ろした。
王太子は、その動きを見逃さなかった。
「……今、何をしようとした?」
「何でもありません」
「そうか」
王太子は、あえて追及しないことにした。
その日の夕方。
グランベル伯爵家へ戻ったエレノアは、さっそく新しい設計図を描き始めた。
「よし、次は資材置き場の位置を決めて……」
「お嬢様」
マリアが静かに声をかけた。
「はい?」
「本日は、王宮からお戻りになってから、ずっと設計図を描いていらっしゃいます」
「そうだな」
「お食事の時間も過ぎております」
「あと少しだ」
「その『あと少し』を、私は一時間ほど聞いております」
エレノアは手を止めた。
そして、机の上の設計図を見つめる。
「……わかった。今日はここまでにする」
「本当ですね?」
「ああ。明日は資材の見積もりを取らなきゃならんからな」
「お嬢様!」
マリアの悲鳴が屋敷に響いた。
エレノアは、楽しそうに笑った。
新しい建材には、まだ多くの可能性がある。
まずは品質を確かめ、使える場所を見極め、少しずつ広げていく。
その先に何が待っているのか。
考えるだけで、四十六歳の元土方の血が騒いだ。
こうして、王宮の新しい温室計画が動き始めた。
そしてエレノアは、次の現場に向けて、すでに準備を始めていたのである。




