第11話 伯爵令嬢、新建材の商談をする
王宮にスライム製の透明板を使った温室が完成してから、数日が経った。
グランベル伯爵家の屋敷では、エレノアが机に向かっていた。
机の上に並んでいるのは、優雅な便箋でも刺繍道具でもない。
木材の見積書、材料費の計算書、そして新建材の設計図だった。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「おう、そこに置いてくれ」
「お嬢様」
「……ありがとう。そこに置いてくださる?」
侍女のマリアは、深いため息をついた。
「言葉遣いを直すくらいなら、最初から気をつけてくださいませ」
「すまん。つい癖でな」
「その癖が問題なのです!」
マリアの小言を聞き流し、エレノアは書類に目を落とした。
そこへ、新しい手紙が届けられた。
「お嬢様、王宮からのお手紙です」
「王宮? 温室に何か問題でもあったのか?」
エレノアはすぐに手紙を受け取った。
内容を確認すると、思わず口元が緩んだ。
「ほう……。見学希望者が増えているのか」
「どういうことでしょう?」
「王太子殿下の温室を見た貴族たちが、この透明板を使いたいと言っているらしい」
窓に使えないか。
温室を作れないか。
屋敷の中を明るくできないか。
そんな問い合わせが、王宮に次々と届いているという。
「お嬢様、それは素晴らしいことではありませんか!」
マリアが嬉しそうに声を上げた。
「新しい建材が、多くの方に認められたのですから」
「いや、まだ早い」
「えっ?」
エレノアは手紙を机に置いた。
「耐久性の試験も終わっていないし、量産できるかどうかもわからない。今の段階で大量に売る約束はできねぇ」
「お嬢様、言葉遣いが……」
「できませんわ」
「もう遅いです」
エレノアは気にせず、手元の書類をまとめた。
新しい建材を作れたからといって、すぐに商売ができるわけではない。
材料となるスライムを安定して確保できるのか。
加工にはどれだけの時間がかかるのか。
職人によって品質に差が出ないか。
考えなければならないことは山ほどある。
「マリア、職人たちを集めてくれ。それから、透明板を作っている者たちにも声をかけておいてくれ」
「まさか……」
「生産体制を考えるぞ」
「お嬢様! まだ朝食を召し上がっておりません!」
「飯を食いながら考えればいい!」
「そういう問題ではありません!」
その日の午後。
伯爵家の応接室には、エレノアと数人の職人、そして父であるグランベル伯爵が集まっていた。
机の上には、試作品の透明板が並べられている。
「まずは、材料の確保についてだ」
エレノアが話を切り出した。
「今は、スライムを加工できる職人が手作業で作っているんだよな?」
「はい、親方。スライムを薄く伸ばして乾燥させ、蜜蝋を塗るところまでは、これまでどおりです」
職人の一人が答えた。
「ただ、大きな板を作ろうとすると、厚さを均一にするのが難しくて……」
「そこが問題だな」
エレノアは透明板を手に取り、窓から差し込む光にかざした。
よく見ると、場所によってわずかに厚みが違っている。
「厚さが違えば、光の通り方も変わる。強度にも差が出るかもしれない。大きな板を作るなら、加工方法を見直す必要があるな」
「加工方法を、ですか?」
「そうだ。職人の腕だけに頼るんじゃなく、誰が作っても同じ品質になる方法を考えるんだ」
職人たちは顔を見合わせた。
誰が作っても同じ品質。
これまで彼らは、自分の経験と技術を頼りに作業してきた。作業手順を統一するという考え方は、あまりなかったのだ。
エレノアは紙に簡単な図を描いた。
「まず、板を伸ばすための枠を作ろう。大きさを決めて、その中で加工すれば、寸法をそろえやすくなる」
「なるほど!」
「乾燥させる場所も必要だな。風の強さや日差しによって、仕上がりが変わるかもしれない。条件を変えて試してみよう」
「さすが親方!」
「まだ何も試してねぇだろ。うまくいくかどうかは、やってみなきゃわからん」
エレノアは笑った。
「だから試すんだよ」
職人たちの表情が明るくなった。
新しい建材を作るだけではない。
よりよいものを、安定して作れるようにする。
それもまた、職人の仕事だった。
「エレノア」
話を聞いていたグランベル伯爵が、咳払いをした。
「技術的な問題はわかった。だが、商売のことも考えなければならないのではないか?」
「商売ですか?」
「そうだ。欲しがる者が多いのなら、いずれ販売することになるだろう。価格や販売先を決めておく必要がある」
エレノアはうなずいた。
「確かに、そのとおりですね。まずは原価を計算しましょう」
「原価?」
「材料費、人件費、加工にかかる時間。それから運搬費です。これがわからないと、いくらで売ればいいか決められません」
伯爵は感心したようにうなずいた。
「お前がそこまで考えているとは思わなかった」
「建材は、作れば終わりというものではありませんから」
エレノアは新しい紙を広げた。
「それと、最初から大量注文を受けるのは避けた方がいいです。作れる量がわからないのに約束すると、納期に間に合わなくなるかもしれません」
「のうき?」
「約束した日までに商品を届けることです」
「……お前は、どこでそんな言葉を覚えたのだ?」
「いろいろありまして」
エレノアは、前世の記憶を思い出した。
四十六歳の土方時代。
材料が足りず、作業が止まる。
見積もりが甘く、予算が足りなくなる。
人手が不足して、予定がずれ込む。
そんな経験は、嫌というほどしてきた。
異世界に来てまで、同じ失敗を繰り返すつもりはない。
「まずは少量だけ作って、信頼できる相手に使ってもらいましょう。そこで問題点を確認してから、本格的に生産を増やせばいいんです」
「なるほど……」
伯爵はゆっくりとうなずいた。
「お前の言うことにも一理あるな」
「使った人が困らないようにする。それが一番大事ですから」
エレノアは真剣な顔で答えた。
職人たちも、その言葉に深くうなずいた。
翌日。
伯爵家の門前に、数台の馬車が並んだ。
「お嬢様、大変です!」
マリアが慌てて駆け込んできた。
「どうした? 今度は屋根が落ちたのか?」
「違います! 商人の方々が大勢いらっしゃっています!」
「商人?」
「新しい透明板を購入したいそうです!」
エレノアは、手元の書類を置いた。
「……もう来たのか」
「どうなさいますか?」
「話を聞こう。ただし、今すぐ大量に売る約束はしない」
「承知いたしました」
応接室へ向かうと、身なりのよい商人たちが待っていた。
彼らはエレノアを見るなり、次々と頭を下げた。
「エレノア様! 王宮の温室で使われた透明板について、お話を伺いたいのです!」
「ぜひ、我々にも販売していただけませんか!」
「我が商会なら、王都全域へ流通させることができます!」
商人たちは、我先にと売り込みを始めた。
しかし、エレノアは落ち着いていた。
「皆様、ありがとうございます。ただ、現在はまだ試験段階です。耐久性や生産量を確認している最中ですので、すぐに大量販売することはできません」
「そこを何とか!」
「品質が安定しないまま販売して、皆様にご迷惑をかけるわけにはいきません」
商人たちは顔を見合わせた。
すると、一人の商人が手を挙げた。
「では、試験用として少量だけ購入することは可能でしょうか?」
「試験用、ですか?」
「はい。我々の商店の窓に取り付けて、使い心地を確かめたいのです。光を取り込めるなら、店内の商品も見やすくなるでしょう」
エレノアの目が輝いた。
「……店の窓に使うのか。それはいい考えですね」
思わず口調が元に戻った。
「お嬢様」
マリアが小声で注意する。
「……いい考えですわね」
「もう遅いです」
エレノアは咳払いをして、商人に向き直った。
「ただし、いくつか条件があります。試験用であることを明記していただくこと。そして、使用した期間や天候、何か問題が起きたかどうかを記録して、報告していただきたいのです」
「もちろんです!」
「取り付ける場所も、事前に確認させてください。建物の状態によっては、取り付けに向かない場合もありますから」
「承知しました!」
商人たちの顔が明るくなった。
単に商品を買うだけではなく、一緒に性能を確かめる。
それならば、彼らにとっても利益がある。
エレノアは、さっそく条件を紙に書き出した。
「では、数量、価格、使用期間、報告内容をまとめましょう。それから、問題が起きた場合の対応も決めておきます」
商人たちは真剣にうなずいた。
ところが、エレノアが最後に付け加えた言葉で、全員が一瞬固まった。
「あと、取り付け工事は安全第一でお願いしますね」
「……はい?」
「窓枠の寸法を確認すること。固定部分を点検すること。無理な取り付けはしないこと。必要なら、こちらから職人を派遣します」
エレノアは、にっこりと微笑んだ。
「建材を売るだけではありません。きちんと使えるところまで、面倒を見ますから」
その笑顔は、社交界の貴婦人たちを魅了するほど美しかった。
しかし商人たちは、別のことを考えていた。
この伯爵令嬢は、商品の販売だけでなく、工事の段取りまで仕切るつもりなのか。
いや、そもそもこの人は商談をしているのか。
現場監督をしているのか。
もはや区別がつかなかった。
商人たちが帰ったあと。
エレノアは応接室の椅子に深く腰掛け、満足そうに息をついた。
「よし。これで実際の使用例を集められるな」
「お嬢様……」
マリアは疲れ切った顔でつぶやいた。
「とうとう商売まで始めてしまわれましたね」
「商売も現場も、基本は同じだぞ」
「同じではありません!」
「段取り、材料、人員、品質管理。ほら、共通点は多いだろ?」
「その理屈で、何もかも現場仕事にしないでくださいませ!」
エレノアは豪快に笑った。
新しい建材を作り、品質を確かめ、使ってくれる人を探す。
四十六歳の元土方にとって、それは慣れ親しんだ仕事の延長だった。
ただ、今の彼女は、泥だらけの作業着ではなく美しいドレスを着ている。
そして、その頭には鉄兜が乗っていた。
「さて、次は生産場所の確保だな」
「お嬢様?」
「今の作業場じゃ、注文が増えたら対応できねぇ。材料を保管する場所もいるし、乾燥させる場所も必要だ。作業場を新しく作るか」
「……お嬢様」
「どうした、マリア?」
「本日は、もう何も始めないと約束してください」
エレノアは少し考えた。
「わかった。今日は設計図を描くだけにする」
「そういう意味ではありません!」
マリアの悲鳴が、伯爵家の屋敷に響き渡った。
こうして、スライム製透明板は王宮の温室から街の商店へと広がり始めた。
だが、エレノアはまだ知らない。
この新建材に興味を持ち始めたのは、建築関係者や商人だけではなかった。
思いもよらない人物が、透明板の噂を聞きつけていたのである。




