第九十八話 『虚構の中で』
――――精神世界。
ひたすら虚構が広がっているこの場所で、翔英は地面にうずくまっていた。
そんな彼の前には一人の女性が立っている。
翔英は、彼女と話していた。
「――――ショウエイ様。わたくしをお助けください。……平和のために……皆様が笑って過ごせる、苦しみの無い世界のために……」
話相手はスリーラ。
精神の中なので、翔英が心で作り上げたスリーラだ。
多分。
スリーラは、翔英を説得しようと甘い声で話し掛けてくる。
このまま彼女の言う事を聞けば、気持ちが楽になりそうだ。
ただ、翔英の心にある『何か』が彼の歩みをかろうじて止めている。
「……うん、俺もスリーラさんを助けたい。君の理想を叶えてあげたい。……でも、いいのかな………本当にこれで………引っ掛かるんだ。俺の中で、何かが………」
「……それは、あなたを蝕む危険なものですわ。それを消し去ることができれば、あなたはもっと幸せになることができます。……どうか、忘れてください。あなたが無理をすることはないのです。……さあ……わたくしの手をお取り下さい」
座り込んでいる翔英に対して、気持ちのいい言葉を掛けながら手を差し伸べるスリーラ。
翔英をその手を見つめながら考える。
――――ここに座っているままでは辛い。そして苦しい。
彼女の手を取れば、辛いことのない幸福の世界へと入門できるかもしれない。
――――そうだ。何も苦しむことなんてない。
人生は楽しくあるべきだ。
翔英をゆっくりと頷き、スリーラの手のひらに腕を伸ばした。
――――でも、何か忘れてないか。
辛くても、苦しくても、大事なものがなかったっけ。
――――まあいいや、思い出せない。
思い出したら、また辛くなるような気がする。
スリーラに身を委ねることを決めた翔英。
その気持ちは、天国のように楽なものに変わった。
「――――ください……!!」
ん、なんだ。
頭の中で声が響く、響く。
誰だ、この声は。
俺を呼ぶ、この声は。
――――翔英は腕を伸ばしたまま硬直した。
「ショウエイ様……? ……どうしました? まだ何かがあなたを縛り付けているのですか……?」
目の前で固まった男に心配の声を掛けるスリーラ。
だが、違う。
頭の中の声は、スリーラじゃない。
スリーラの言葉を聞くと心が安らぐが、聞こえる声は心を奮い立たせ、戦う力を与えてくれるような声だ。
懐かしい――――大切な、声。
「――――お待ちください……!! ショウエイさん!!」
今度は彼女の言葉がはっきりと聞き取れた。
彼の名を呼ぶこの声は――――
「行ってはいけません!! ショウエイさん!!」
翔英の目には涙が溢れていた。
彼を呼び止めていた『何か』の正体が分かったから。
「――――私は、知っております……!! あなたが最後まで諦めずに、戦うことができる強い人であることを……!!」
なんで忘れていたんだ。
「――――そして、私は信じております……!! あなたは必ず……私を助けに来てくれることを……!!!」
俺は、大馬鹿だ。
「――――私は、いつまでも、あなたを待っております……!!」
――――ミネカ。
翔英の目に闘志が舞い戻る。
戦意を宿らせる、女神の声を耳にして。
翔英は、伸ばしていた手を元に戻した。
そして、目の前の女性に初めて、戦う目を向けた。
「――――ど、どうしたのですか、ショウエイ様。……なぜ、わたくしの手を拒んだのですか……? ……いけませんわ、そのような目をするのは。あなたにそのような目は似合いません。使命など忘れていいのです。あなたも願っていたではありませんか。辛いことのない、幸福のみの世界を。それを……拒否するのですか……?」
「――――ごめんよ、スリーラさん。……俺には、戦わなければいけない理由があるんだ。たとえ、どんなに辛くたって、苦しくたって、立ち止まれない理由がある。……だから、ごめん。俺、スリーラさんの誘いには、乗れない」
スリーラにショックが走る。
初めてだった。拒まれたのは。
これまでに自分に頷いた人間は、ものの数分で完了していた。
それなのにこの男はなんだ。
二時間経っても完全には発動しないどころか、力を弾き返しただと。
なんという、強烈な精神力、そして自我なのだ。
いや違う――――これは『呪い』だ。
『何か』が呪いとなって発動し、翔英の歩みを強制的に止めたのだ。
「――――なんて可哀そうなのでしょう、ショウエイ様。……あなたのその呪い、今すぐ解いて差し上げます。……そして、あなたに永遠の解放を……!!!」
スリーラも本気だ。
何としてでも翔英を救おうと、彼を掴みにかかる。
流石にスリーラの力を自力で突破することは難しい。
スリーラが動いた途端に、再び頭に痛みが走り出す。
「……スリーラさん……!! やめてくれ……!! 頭が痛い……!!!」
「はい……!! ですからわたくしの手を取って下されば、その痛みは消えますわ……!! だから……どうか…!! …………!? これは……!?」
苦しむ翔英に迫るスリーラだが、彼女の動きが突如制止する。
スリーラは目をこすりながら後ろを見ると、慈悲の顔つきを一変させた。
「――――そういうことですか。……先程からわたくしとショウエイ様の邪魔をなさっていたのは――――あなたでしたのね……!!」
スリーラの背後には、『何か』がいた。
「……そうですわ。ただし一つだけ訂正させてください。ショウエイさんの邪魔をなさっているのは、あなたの方ですわ……!!!」
ミネカ・ベルギア、登場。
ミネカがスリーラの後ろから彼女を抑えている。
そして、二人の娘が、ここで対峙した。
「ミネカ……!!」
翔英は彼女の名前を呼ぶ。
精神の中とはいえ、夢の中とはいえ、彼女が動いている姿を見られたことに涙した。
「――――ショウエイさん……!! 私がこの方を抑えている間に行ってください……!! ……そして、私が消える前に、この方の力を解くのです……!!」
「……そうはさせませんわ……!! ショウエイ様はわたくしが救うのです……!!」
ミネカとスリーラ。
翔英の目の前で、二人が手を取っ組み合う。
スリーラの能力の浸食をミネカが食いとめている間に動かなければ。
「――――さあ!! ショウエイさん!!」
「……うん。……ありがとう、ミネカ……!! 話せてよかった……!! じゃあ、行ってくる……!!!」
翔英の意識が遠退いていく。
ミネカの姿が光となっていく。
「――――私もです……!!」
翔英は、精神世界から脱出した。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――――現実世界。
青年は目を覚ました。
そして、震える足で身体を起こす。
「ショウエイくん!!」と、その様子を見たケバローが叫ぶ。
レランカは彼が立ち上がった姿を怪訝そうな目で見つめる。
彼がどういう状態か分からないから。
そしてスリーラは、ホッとしていた。
彼がようやく、苦しみから解放されたのだと。
――――しかし、事実はそうではない。
翔英は、手に握った赤く輝く剣を目の前の少女に向けた。
彼女は驚きで言葉も出ない。
自分の予想とは正反対の行動をこの男が取ったのだから。
「……スリーラさん。……まだ俺は、戦いを止める訳にはいかないんだ…………今は、あなたの手を取る訳にもいかない………でも、あなたと戦いたくもない………だから――――」
「――――話そう。スリーラさん」
翔英は剣を向けながら、彼女にそう告げた。




