第九十話 『全力疾走』
「――――あ………えっ!!? ………あれえ!?」
翔英の視界に再び光が戻った。
先ほどまでの記憶が全くなく、床に倒れていた自分に驚きを見せる翔英。
「あっ! 目、覚めたか」
声の方を振り向くと、ジュンが立っていた。
そうだ、思い出してきた。
外出しようとするケバローを止めたら、いきなり意識が飛んだのだった。
とりあえず立ち上がるが、胸のあたりに軽い痛みが残っているため、ふらつきを抑えられない。
何かが起こっていたのだ。
あの一瞬の間に。
「……なあ、ジュン。ケバローさん、俺になにかしたのか……?」
「……いや、俺にもよくわからなかったよ。父ちゃんが指を弾いた瞬間、ショウエイがフッ飛んでた」
「い……!? なんだそりゃあ。……なんか俺に飛ばしたってことか……? …………はっ……!! そうだ……!! 俺が気絶してた時間ってどのくらいだった!!?」
「そうだなあ………二十分ぐらいかなあ………」
今の翔英にとっては、ケバローが己に何をしたのかは重要ではなかった。
重要なのは、ケバローの行方だ。
あの大男はもう、洞窟についているかもしれない。
ならば時間はない。
翔英は即決した。
「………ごめんジュン。俺、ケバローさんを追いかけてくる。……できるだけすぐに戻ってくるから、待っててくれ」
「え……!? ………うん、分かった。お願い、ショウエイ。行ってあげて。……父ちゃんのためにも……」
「おお、助かるぜ。ありがとう。じゃあ、早速行ってくる……!!!」
予想とは異なり、意外にも素直に認めてくれたジュンに驚きながらも、翔英は勢いよく玄関を飛び出していった。
ジュンが止めなかったことに対して、翔英は特に理由を考えはしなかった。
だが、ジュンもまた、本心ではケバローに行ってほしくないと思っていたことは誰も知らない。
もっとも、翔英の理由とは正反対のものではあるが。
「(――――あの図体だ。もしかしたらまだ間に合うかもしれない……!!!)」
失礼な予想を立てながら全速力で駆けて行く翔英。
この時間はとにかく冷える。
見ている者にも寒さが伝わるような白い息を吐き出しながら、後を追っていく。
翔英は、足の速さにはそこそこ自信がある。
学生時代も、リレー選手の補欠に選ばれていたくらいだ。
洞窟の正確な位置は分からないが、山に追いつく見込みはあると捉えていた。
だが、彼には一つ、不安がある。
「どうやって止めよう」
さっきは一秒もかからないまま負けてしまった。
見た目の雰囲気に油断していたが、彼もまた『強者』の可能性は高い。
ならば武力では止められない。
では、どうする。
「(……そうだ……!!!)」
ふと名案を思い付いた彼は急ブレーキを踏むと、とある建物を訪れた。
『スリーラ宅』である。
スリーラの力も借りて説得すれば、さすがの山も揺れるのではないかと考えた結果だ。
まだ午後七時。
常識的にも問題はないだろう。
「……………いない………!?」
インターホンに続いて強めのノックも試したが、なんと音沙汰なし。
ぐるりと家を回ってみても、電気はどこにもついていなかった。
「いやなんで……!? ……もう寝てんのかな……………まさか……!!!」
スリーラの留守を確認した翔英は、さらにスピードを上げて目当ての洞窟へダッシュする。
「(……くそっ………!! まさか居ないとは思わなかった………!!! それにもし……スリーラさんが洞窟に居るとしたらまずい……!!! 約束を破ったのがバレたら、明日の取引が無しになっちまうかもしれない………!!!)」
頭を悩ませながらの全力疾走。
ただ、翔英はまだ気づいていない。
その心配の源流を。
「――――ここか……」
町を抜け、森を駆けること十五分。
誰に会うこともなく、噂の洞窟へと着いてしまった。
小さなトンネルのような入口が口を開いて待ち構えており、外からもその全容を見ることはできない。
もちろん中を覗いてみても、何も映ることはない。
天罰とか関係なしに、足を踏み入れば事故が起こりそうだ。
『さて、どうするか』
全力で長距離を走った疲れからか、もう追いつけないと分かったからか、翔英の頭は走り出す前よりも冷静になっていた。
自分まで入るのはさすがにやめた方がいいだろうか。
とは言っても、もう片割れが入ってしまっているのだから、今更遅いともいえる。
そうだ、それに噂が本当で、自分の身になにか起こってもまずい。
普段は祟りなんて信じる質ではないが、それは向こうでの話だ。
こっちの世界では否定できない。
『よし、決めた』
引き返そう。
わざわざここまで走ってきたことが無意味になってしまうが、もうしょうがない。
後はケバローさんにもスリーラさんにも何事もないことを祈り、明日薬を受けとれることを願おう。
諦めがついたように後ろに一歩踏み出す翔英。
しかし、その歩みは一歩目で止まった。
彼の脳裏に浮かび上がった二言が、下がる足を止めたのだ。
『頼むよ、ショウエイ。父ちゃんのためにも……』
ジュンの言葉だった。
「………そうか………あの言葉の意味は………」
翔英は頼まれていたのだ。
ケバローの帰りを。
ジュンが洞窟に行ってほしくなかった理由。
それは、義父の身に危険が起こるかもしれないという心配だった。
スリーラの話の真偽はともあれ、未知の領域に一人で乗り込もうとする大切な人を止めたかった。
翔英は思い出す。
ケバローにはたくさんの子供たちがいることを。
一緒に食事をして、親交を深めて翔英にとっても、あの子たちは無視できない存在だ。
このまま部屋に戻ったとして、もし明日、自分は薬をもらえたとして。
それは、満足がいくだろうか。
『答えは否だ』
そう、翔英の勝利条件は、二つの薬をもらって、三人で中央都市に戻る事。
ケバローの身に何かが起こったとしたら、そのことをジュンに、待っているみんなに伝えねばならない。
考えただけで恐ろしい。
あの子達から、父親を奪ってしまうのは。
それはもう、またしても翔英の心に刻まれてしまうだろう。
どうしようもない『後悔』として。
『決まりだ』
翔英は、踏み出した後ろ足を元に戻した。
そして、反対方向にまた、足を踏みだす。
ケバローと一緒に帰るしかない。
翔英は覚悟を決め、ゴアナ族が眠る洞窟へと足を踏み入れた。
「(……ごめんなさいスリーラさん。……でも、約束を破ったわけじゃないですよ。ケバローさんを止めるために、ほんとうはいやだけど仕方なく入っているんです。断じて……あなたを裏切るわけではありません………だから許してね……)」
頭の中でめちゃくちゃ呟きながら、微かな光しか刺さない洞窟を進んでいく翔英。
思った以上に中は広い。
突き当りが全く見えないし、左右の壁の間もずいぶんある。
ただ真っすぐ進んでいく翔英だが、少し歩いたところで異変が起こる。
「ああ……!! み、見えない……全然……!!」
もう日も暮れている。
洞窟に電灯はついていない。
奥に進むに連れ、光が消えていくのは当然だ。
一旦ライトを取りに引き返そう。
入場から三分。
翔英は一時帰宅を決めた。
ところが。
入口とは全くの別方向。
翔英の目にギリギリで捉えられるほどの超微かな光が見えた。
「……もしかしてケバローさんか……!? よし………」
その光とケバローを重ねた翔英は、灯に導かれるように走った。
何とそこには、使い古されたガラガラするタイプの扉があった。
その奥から、人口的な光が漏れていたのだ。
恐る恐る扉を開いた翔英は、さらに驚きの声を上げる。
その先では、地下へと続く階段が現れた。




