第八十九話 『言葉の価値』
スリーラとアボラを見送った後、翔英はもう少しだけベンチに座って時間を潰していた。
スリーラと言葉を交わしたことで、彼の中のミネカへの思いがまた強くなったのだ。
目の前の森林を眺めながら、彼は思い出していた。
最初にこの世界に来た時も、こんな生い茂るような森林があったことを。
そしてその深い森から助けてくれたのが、ミネカ・ベルギアという女性だったことを。
少し水が溜まる。
もう日も墜ちてきている。
翔英は、また宿屋へ戻っていった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――――ただいまです……」
翔英が扉を開けると、お馴染みの二人の姿が飛び込んできた。
ケバロー・ホサルトン。そしてジュン。
このメデュンまで同行してくれた頼もしい二人だが、何やら様子が変だ。
「おかえりなさいショウエイくん」
ケバローの言葉が少し冷たい気がする。
そうか。
ジュンを任されていたのだ。
その仕事を放棄していたと見られていてもおかしくない。
翔英は慌てて頭を下げた。
「ごめんなさいケバローさん!! どうしても寄りたい場所があって……!!!」
だが、その事は全然関係なかった。
頭を下げた翔英に、ケバローは驚いた様子で彼を窘める。
「……ん? 何故謝る? それは君の自由だろう」
「………あれ? ……それで怒ってたんじゃないんですか……?」
「怒ってる? いやいや、怒ってなどいないよ。あの時は、帰るのが遅くなることを伝えてくれと言っただけさ」
「ああ、そうだったんですね。……勘違いしてました……!! すいません」
ひとまずそこは安心する翔英。
じゃあなんだ、この二人の雰囲気は。
よく見れば、ジュンの顔も何やら引きつっているように見える。
「……それよりもショウエイくん。君に伝えたいことがあってね。君が帰ってくるのを待っていたんだ」
「え、はい。なんですか?」
「僕はこれから、この町の西にあるという洞窟を調べに行ってくる。君はその間、ジュンとここで待っていてくれ。二人の夕飯はそこに買ってあるから」
ケバローが放ったその言葉に、翔英は目を丸くして驚きを露わにしてしまう。
『西にある洞窟』
先ほどまで座っていた場所の近くにあったという。
あの二人が素材を取りに行っていたという洞窟で間違いないだろう。
でも、あそこは……
「……え……? 何でですか、ケバローさん。何でそこに……?」
「さっきの聞き込みで、その洞窟に関する妙な噂を聞いてね。その真実を自らの目で確認したいと思ったんだ」
『妙な噂』
間違いない、あの洞窟だ。
「……それってもしかして…………ゴアナ族以外が入ると天罰を受けるとかなんとかってやつですか……?」
「おお、知っていたのかい? ……その通りだよ。でも、怪しいとは思わないかい? 『天罰』なんてものが、ほんとうにあるのか」
「……それはそうかもしれませんけど…………でも、行かない方がいいですよ。もしもケバローさんに何かあったら、ジュンも俺も困りますし、それに………」
翔英は先刻のスリーラとの会話を思い出す。
あの少女は洞窟に入ってはいけないと言っていた。
自分も入らないと約束した。
我々の身を案じて、彼女はそう言ってくれたのだ。
その忠告を無視してまで、洞窟に入る理由があるのか。
「………スリーラさんに言われたんです。俺たちの身に何かあったらいけないから、洞窟には入らないでくれって。……それを無視するのは、あの子の心配の気持ちをも……無視することになる……」
「……ショウエイくん、会っていたのか、彼女に。……なるほど、その話は彼女から聞いたのか………ならば尚更だ」
ケバローを止めるためにした翔英の話は逆効果となり、さらに彼の意思を固めることとなってしまった。
そんな状況に困惑する翔英は、いつもより声を張りながら、なんとか彼を止めようと試みる。
「え!? どうしてですか!! スリーラさんがダメだって言ってるんですよ!! 明日はあの人に薬をもらうわけだし、彼女の言う事は聞いた方がいいと思います!」
「……随分彼女の肩を持つんだね。……でも僕はまだ、彼女を信用仕切れていないんだ」
「……っ!! 信用仕切れていない!? 何で……!! 今日だって、あんなによくしてもらったじゃないですか!!」
翔英の脳裏に、スリーラの笑顔が蘇る。
信用するしないなんて考えるまでもない。
間違いなく彼女は、俺たちの力になろうとしてくれている。
そんな人をそんな風に言うなんて……
同じく信頼する男から冷たく放たれた言葉に、翔英はショックを隠し切れない。
「……うん。別に僕も、信用したくないわけじゃない。……ただ、ゴアナ族が辿った末路。洞窟の天罰という不可解な噂。レッドブランのご老人。そして、今日の昼のこと。……さらに………ジュンの話を聞いて、まだ踏み込み過ぎるのは危険だと、判断したんだ」
「……ジュンの話……? ……ジュン!! 何かあったのか!!? 教えてくれ!!!」
翔英はその視線を大男の影に隠れる少年へと移した。
そういえば、帰ってきたときからジュンの様子も何か変だった。
駄菓子屋に寄って時間を使っていた間に、彼に何かあったのは間違いなさそうだ。
「………変なんだ。この町の人は、なんか。………涙が流れないらしい………それがこの町じゃあ、当たり前みたいだったのが………ちょっと怖かった………」
「………確かに、それは変かもしれないけど…………でも……!! それがなんで、スリーラさんを疑うことに繋がるんですか……!!?」
「……彼女はメデュンのトップだよ。この町に根付いているものは、彼女が関係していると考えるのが自然だ。……ジュンの話に誤解がある可能性も否めなくはないが、調べるに越したことはない」
「……………でも……!!!」
翔英の頭はすっかり回らなくなっていた。
翔英の言い分は、『スリーラが言っていた』ということただ一つ。
ケバロー側の意見には、彼が集めた様々な情報が入っている。
正直、口論でこの男を止めることは無理そうだ。
翔英が拳を握ってうつむいている間に、ケバローは外出の準備に取り掛かり始める。
翔英にもケバローにも、中央都市には待っている人がいる。
この町に滞在するのは、明日までだ。
調査に向かうならば、もう今晩しかないのだ。
「……それじゃあ、ジュン、ショウエイくん。行ってくるよ」
準備を整えた(といっても両手には何も持たず手ぶら。ただ、黒いコートを羽織っただけだが)ケバローが、ドアの取っ手に手を掛ける。
その時、翔英は彼に待ったをかけた。
「ちょっと待ってください、ケバローさん……」
「……ん? まだ何かあるのかい?」
「……どうしても行きたいって言うのなら………俺を、この場からどかしてください」
『自分がいる場』から向かうのは辞めてほしいと思った結果出た言葉。
ミネカに似ているからか、それともただ可愛らしいからか、理由は定かではないが、翔英はスリーラとの約束を守りたいと思っていた。
「………変だよ。ショウエイくん、さっきから。……なぜそこまでするんだい?」
「……スリーラさんがそう言ったからです。スリーラさんの言う事は、明日のためにも聞いておくべきだと思います」
彼にその自覚はなかったが。
もう、彼女の言葉だけが、彼を動かしていた。
「……そうか。わかった。……ごめんよ」
ケバローが話終わる前に、翔英の身体は宙に浮いた。
何が起こったかも分からぬまま、翔英の視界は真っ黒になっていた。




