第二百七十二話 『ソル・スエリア』
胸を貫いた拳。
ラフェルを庇うように立ち尽くすソル。
マビュートが拳を抜くと、ラフェルが叫ぶより速く、ソルは地に倒れた。
「ソル!!!」
背中は黒く、大きい。
普段のソルとは全く異なる姿だが、ラフェルの目には心優しい少女の背中が映っている。
「……びっくりしたわ。いきなり飛び出してくるなんて。まるで、ラフェル君を庇ったみたいね……」
「……何を見てたんだ……!? みたいじゃなくて……庇ったんだろ……!! どう……見たって……!!」
敵が目の前にいることを忘れ、自分が重傷なことも忘れ、倒れたソルへ一目散に駆け寄るラフェル。
彼女に手を触れるが、ぐったりとしたままソルは動かない。
「ソル……!! ソル……!!!」
彼女の名前を叫ぶラフェル。
それを見下ろすマビュート。
ラフェルの発言について、考えている。
「……『庇った』……? アンヴァサイトが人間を? ……馬鹿馬鹿しい。そんな訳ないでしょ。『それをしない』から私の子供なのよ。私に襲い掛かって来たのが、たまたまそんな形になっただけだわ。…………聞いてるかしら?」
聞いていない。
マビュートの考察など、二人の耳には入ってこない。
ラフェルの耳には、何も入ってこない。
彼にあるのは、この少女の安否だけ。
そして、ソルの耳には――――
『……あれ……? 姉さま……母さま……それに…………』
家族の声が聞こえていた。
何を言っているのか聞き取りづらいが。
目にも見えている。
母が、姉が、そして、
『…………父さま……?』
初めて見る男の姿も映っていた。
だが、ソルが父だと分かったのも当然のこと。
ヒナノとクーレと一緒にいるし、何より、似ている。
『……それに……あれは……』
よく見たら、三人だけではない。
クーレの胸の中には、小さな赤ん坊が抱かれている。
考えるまでもなく、それもわかった。
『……私だ……』
ソルが見ているのは、過去の記憶か。
生きている父と母、小さい頃の姉。
そして、赤ん坊の自分。
……でも、何でだろう。
みんなの顔は悲しそう。
ソルは、家族へと耳を傾けた。
「……くそっ……!! どうして……!! いつからだ……!?」
父が声を荒げている。
母は今にも泣きそう。
姉は、妹の顔をじっと見つめている。
「……ごめんなさい……。分からないわ……」
重い声色で言葉を返すクーレ。
何が起きたのかは分からないが、事態は深刻らしい。
と、心配そうにソルが見つめるなか、父があっちの自分の手を取った。
「……この手……。……昔の文献で読んだことがある……。ある日を境に、身体がゆっくりと怪物になっていく現象が起きていたと……。これはまさに……それだ……」
『……そんな……』
昔の自分の手を見たソルは絶望した。
あの手だ。
人間のものではない、敵を引き裂くだけの真っ黒な手。
今、理解した。
父親じゃなかった。
『そう』だったのは、自分自身だ。
「……このままではやがて……全身に及んでしまう……。ソルは……人間ではなくなるぞ……」
「……何か……助かる方法はないの……? パッと……治すことはできないの……?」
「……ヒナノ……。……昔いた優秀な魔法使いは、皆いなくなってしまった……。そんなことをできる人間は、もういないんだ……」
「……そんな…………」
「…………でも、文献には、解決方法が書かれていた……」
「えっ……!? それじゃあソルは……!!」
「ああ、僕が必ず助けて見せる。何を捨ててでも、この子の未来を取り戻して見せる」
解決方法は二つ、記されていた。
一つは、殺すこと。
人を殺す前に、魔獣として処理すること。
そして、もう一つは、
「……よし……!! 完成だ……!!」
かつての魔法使いが生み出した魔法を用い、体内のアンヴァサイトを他人へと移すこと。
ヒナノとソルの父、ラーズ・スエリアは、この魔法を完成させ、
「……ねえ、あなた……。……本当に……それしかないの……?」
「ああ、それしかない。それに見ろ、もう半分以上、ソルの身体は怪物になっている。完全に顕現された後じゃ手遅れだ。――――ソルとヒナノを頼んだぞ、クーレ」
ソルの力を、自分に移した。
その後、完全に侵食される前に自ら首を切って、ラーズは命を落とした。
この件を機に、まだ幼かったヒナノの目標は明確になる。
元々魔法に強い興味を持っていた彼女であったが、こんな理不尽を跳ね退けられるような力を、自らの手で作りたいと思うようになった。
父の犠牲で助かったソルは人の姿を取り戻し、人間として成長していく。
だが、やがてスエリア家に事件が起きる。
解決したはずのソルの力が、再び顕現されるという事件が。
数日で無理矢理習得したラーズの魔法は完全とはいかず、僅かにソルの中に留まってしまったのだ。
しかし、アンヴァサイトの力は大幅に削られており、ソルはこの力を自分の物にすることができた。
これが――――ソルの人生。
『……そうだったんだ……。父さまは……私のために……。それに、姉さまも…………。……お礼を言いにいかなくちゃ。父さまに「人生をくれてありがとう」って……』
命の瀬戸際、自身に宿る記憶を目にしたソル。
知らなかった父に、想いを馳せる。
『……あれ…………?』
だが、ソルの景色は消えていく。
記憶が生み出した光景は、闇へと消えていく。
「――――ル……!! ソル……!! ソル……!!!」
代わりに聞こえてくるのは、見えてくるのは、友達の声と姿。
『……ラフェルくん。そんなに揺らさないでよ。眠れないよ……』
「おいっ!! ちょっと待ってくれよ!!! ソル……!!!」
起こそうとするラフェル。
ソルを見て出そうになる涙を堪える。
消え始めている。
巨大な手足がゆっくりと透明に、世界と同化していく。
「ソル……!!! もう少しで、ヒナノさんが来るから……!!! それまで頑張ってくれ……!! 生きてくれよ……!!!」
『……姉さま。そうだ……姉さまにも……お礼を……お別れを言わなくちゃ…………。後、謝らなくっちゃ……。もう少しだけ……起きなきゃ……』
闇ではない、光へと。
怪物の姿の少女は、ゆっくりと向かっていく。
「ソル……!!!」
「どうやら、その子は終わりのようね。安心しなさい。直ぐに貴方もついていけるから」
ラフェルに拳を構えるマビュート。
当のラフェルは全く気にできず、無防備な背中を晒し続けている。
「最後くらいこっち向きなさいよ」
打たれる、拳。
それを、拳が受け止めた。
「……へえ……。生きていたのね、貴女」
マビュートの視線の先。
ティローナ・カルダートが大粒の涙を流しながら立っていた。




