第二百六話 『トライフ』
――――打つ。
拳を、ただひたすらに。
全ての想いを、乗せながら。
――――でも、これしかなかったのかな。
こうして殴り合うことしか、答えはなかったのかな。
もう一度、拳以外の物を交えることは、できなかったのかな。
もっと早く会いに行っていれば、あの時あなたを引き留めていれば。
『一緒にいたい』って言っていれば、こうはならなかったのかもしれない。
――――でも、これが現実。
私、決めるよ。
皆を護るために生きていく、覚悟を。
――――耐える。
傷つける痛みに、傷つけられる苦しみに。
既に、身体はボロボロ。
ずっと、トライフの破壊拳を受け続けてきたティローナ。
彼女以外の人間であるならば、とっくに壊れてしまっているだろう。
だが、ティローナは喰らいつき続けていた。
トライフも攻撃の手を緩めない。
ティローナが完全に起き上がって来なくなるまで、拳を振り続ける。
ティローナの戦う意志を叩き潰すまで、振り続ける。
だが、いくら殴っても――――
「(……なぜ……なぜだ…………なぜ、倒れない……。ティローナの身体はもう動かないはずだ……。……なぜ……なぜなんだ……!!)」
起き上がる。
何度吹き飛ばされても、何度倒されても、立ち上がってくる。
そして、攻撃を受けながら無理やり反撃をしてくる。
またトライフが、殴り飛ばす。
だがまたティローナが立ち上がる。
「(……ありえない……ありえるわけがない…………。――――ティローナは……人間だよな……? ずっと、人間だったよな……? ……おかしい……やっぱりおかしいぜティローナ…………)」
――――恐れた。
永遠に倒れないこの女を。
休むことなく向かってくるこの女を。
段々と、トライフに焦りが生まれ始めた。
ティローナに殴られた箇所。
カルダ無しとはいえ、全快の状態ではないとはいえ、かなりのダメージを受けている。
それが、積み重なっていく。
――――こっちの方が、動かなくなってきた。
そんなわけがない。
あんなに優勢だったのに、抜かれることなんてあるのか?
人間を超えた肉体を得ているというのに。
まさか俺の身体は、生身のティローナよりも脆いというのか。
人間であることを手放して尚、まだ下回っているというのか。
――――俺はあの日からずっと、ティローナを超えられなかったというのか。
「……いや……!! そんなはずはない!!! 俺は…………お前を、超えたはずだ!!!!」
八年前のあの日。
トライフはかつてない絶望を味わった。
その一年前に不合格を突き付けられた時も生きた心地がしなかったが、ティローナのあの姿を見た時の絶望はそれ以上だった。
それからの八年間。
トライフは、一つの目的のために死ぬ気で鍛錬をし続けた。
と同時に、肉体を人間の物から脱出するべく、ラスドラーゴやジャーザンスに力を引き出させた。
全ては、ティローナを超えるために。
――――そこまでやっても、まだ劣っているのか。
一体何をしたら超えられるんだ。
お前の強さを。
全てを込めた拳を繰り出したトライフ。
その拳は、ティローナの腹に命中する。
「ああっ……!!!!」
痛みの声を挙げるティローナ。
トライフは一瞬笑みを見せるが、すぐにその表情は曇り切る。
ティローナが――――拳を構え出した。
最後の一撃を、叩き込むために。
「(……そんな……馬鹿な…………。やめろ…………やめてくれ…………)」
トライフの表情は怯え切っていた。
絶対に超えることができない壁を目の当たりにして。
そして、敗北を目に見て。
「――――はあっ……!!!!」
――――直撃。
ティローナが放った右拳が、トライフの胸に炸裂した。
トライフは叫び声にもならない声を挙げながら、膝から崩れ落ちた。
ティローナもまた、彼の真似をするように倒れた。
両者――――ダウン。
「…………負けだ……完全に…………俺の…………」
「……トライフ……」
「……ダメだった……俺は……全てを捨てても…………お前に……勝つことは……できなかった…………やっぱり……強いな……ティローナ…………」
「……ううん……私が強くなれたのは……トライフのおかげ……だから…………」
「……ふっ……だが、お前に勝てないと分かった以上……俺の生きる意味は、もうない…………」
「…………トライフ……私は、それでもあなたと…………」
ティローナが言葉を終える前。
トライフは震えながら右腕を上げ、腰の辺りに振り下ろした。
「……いいや……俺にはもう、生きる意味はない…………」
「……!! ……なんでよ……トライフ……」
「……じゃあなティローナ……。俺以外の人間に……絶対……負けるなよ…………」
「……トライフ……!!!」
ティローナは消えゆくトライフの身体を抱き寄せた。
強く、強く抱き寄せた。
トライフは最後まで笑っていた。
自分の人生を壊した憎むべき愛する人の胸の中で、最期を迎えることができたことを喜びながら。
「――――ティローナさん……!!!」
戦況を見守っていた翔英が彼女の元に駆けつける。
彼の後ろには、母のニーファがいる。
「大丈夫ですか……!! ティローナさん……!! ……いや、大丈夫なわけないですよね……」
ずっと待っていた人が、自分の胸の中で消え去った。
聞くまでもない。
精神も肉体も、限界のはずだ。
しかしティローナは、笑顔を見せながら翔英の方を見た。
「ううん……!! 大丈夫だよ、ショウエイくん……!!」
ティローナは立ち上がり、心配そうな二人の顔を見渡した。
そして、さらに言う。
「……もう、敵はいなくなったから、避難してる皆を呼びに行かなくちゃ……!! これから村を復興させないと……!! のんびりしちゃいられないよ……!!」
「……ティローナさん……」
から元気なのが丸わかり。
心配を掛けまいと、明らかに無理をしているのが翔英にすら伝わった。
何か、言葉を掛けようとする翔英だが、それをニーファが制止する。
「……そうですね、ティローナ……。では、私たちは彼らを呼んできます。あなたはそこで、休んでいなさい。――――ショウエイくん、行きますよ」
「え……!? ……あ……分かりました……」
ズタボロなのは翔英も同じだが、ニーファと共に村の外へ。
たった一人になったミドルハイムに、ティローナはまた座り込む。
まだ時間が足りない。
一人になると急に涙が零れてきた。
「……うう………う……トライフ…………」
ティローナはしばらく泣いていたが、皆が戻ってくる頃には立ち上がった。
彼女の手は、黒い帽子を持っていた。




