第百四十一話 『姉妹』
――――蘇る記憶。
数年前まで、毎日のように見ていた顔。
あの頃と変わらない、真っ黒に覆われた全身。
一つだけ違うのは、『大きさ』。
あの時のよりも数倍は大きくなっている。
ソルが人間として成長しているのだ。
当然と言えば当然か。
「…………やっぱり……そうなんだ……」
ヒナノから事実を聞いたティローナが零す。
彼女の中で確信が持てなかった、怪物の正体が確定した。
「……ええ、でも、今は…………」
万が一の時のため、ヒナノはソルにこの力をコントロールできるように言っていた。
だが、ソルは自分の意思でこの力を使ったことは一度もない。
現在はもう、怪物が怪物の意思で出て来ることもなくなったはずだ。
しかし、ソルの怒りと悲しみが爆発し、眠っていた怪物の力が戻ってきてしまった。
「とにかくヒナノ!! ソルは今、暴走状態になってる!! ヒナノ、ソルを元に戻す方法知ってるでしょ!!?」
「……方法ね……詳しい方法は知らないわ。ただ、あの時はいつも、こうなったソルを気絶させてた。また目が覚めると、いつものソルに戻るのよ」
「…………うん、それが分かっただけでもよしとする。とにかく……気絶させればいいのね……!! ――――ヒナノは動いちゃだめだよ!! 私がやるから!!」
目標が確定したティローナは、ソルの元へと向かって行く。
ヒナノは動けない。
ただ、親友と妹の戦いを見ることしかできない。
激突するティローナとソル。
それを見ていたヒナノは、いくつかの事に気付く。
まず、あの頃よりも怪物状態のソルがずっと強くなっていること。
あの頃なら、割と簡単に無力化することができていた。
だが、今はどうだ。
自身のコンディションが全快だったしても、気絶させるのに数分かかりそうだ。
ソル自身が成長していることも大きいのか。
とにかく、この状況で今のソルを無力化するのはかなり難しい。
もう一つ、ソルの意識はどうなっているのか。
最後にあの姿を見た時では、ソルの若干の意識が残っていた。
しかし今は、今見ている限りでは、あの子の意識は微塵もなさそうだ。
そして、この力をソルが自在に扱えていたなれば、「自身やティローナに匹敵する戦力になっていたのに」とも思った。
『もう少し、強く言っておけば……』とも。
「……ソル…………」
そっと呟くヒナノの前で、心を鬼にしたティローナが拳を叩き込んでいる。
傷が残らないように顔以外を狙うようにしているが、ソルはとにかく素早い。
少しずつ、ティローナが押され始めていく。
「……!! ソル……!! ごめんね……助けたいのに……!!」
ティローナが弾き飛ばされ、壁に激突した。
落ちた先でうずくまるティローナ。
ついに、彼女のダメージが限界を迎えたか。
そしてそのまま、トドメを刺さんと飛びかかるソル。
「(……う……動いてよ……私……!! ソルの手を……汚させるわけにはいかないでしょ……!!)」
必死にもがくティローナだが、間に合うはずもない。
彼女の顔面に、巨大な黒い牙が振り下ろされた。
――――だが、そこに割って入った人間が一人。
「――――ヒナノっ!!!!」
ヒナノ・スエリア。
これ以上、二人の戦いを見ているのは耐えられないと。
歩くことすらままならなかった彼女が、二人の間に立ちはだかった。
「……ぐあ……あああ……!!」
苦痛にまみれた声を出すヒナノ。
ティローナを庇ったことで攻撃の矛先はヒナノへと向いた。
ヒナノの右肩には、ソルの巨大な牙が食い込んでいる。
「ヒナノ!! 今助ける……!!」
「待って!! ティローナ!!」
加勢に入るティローナを制止するヒナノ。
ヒナノは肩に牙を食い込ませたまま、獣となったソルを抱きしめている。
「……お願いソル……!! ……戻ってきて……帰ってきてよ……あなたが頑張ってること、私、分かってるから……よく知ってるから……だから……もう、無理しないで……」
ここに来てからずっとこらえていた涙を流しながら、さらに強く抱きしめるヒナノ。
その涙は怪物となったソルにも影響を与え始める。
ソルは牙を抜くと、ヒナノとの距離を置いた。
そして――――死んでいるような真っ黒な目から、涙が零れ始めた。
「ギ……!!! アアァア……!! アアアアアア!!!!」
――――咆哮。
無慈悲なる獣は空を見上げ、天に叫ぶように雄叫びを挙げた。
「――――ソル……ありがとう……ごめんね……」
再び、ソルを抱きしめに行くヒナノ。
――――その姿は、姉妹のようだ。
そして、ソルの暗黒が身体から引いていく。
巨大な牙が、爪が、体毛が消えていく。
人間の物を取り戻しながら。
『破壊する意思』が消えたことで、獣は姿を消していく。
「……ソル……!!」
ティローナが言う。
ヒナノの胸の中で、少女が姿を見せたことに対して。
少女は力尽きたように眠っている。
しかし、その顔は、苦痛から解放されたような安らかな顔だった。
「……おかえりなさい……ソル……」
優しい姉は、勇敢な妹に涙ながらにそう告げた。
そして、妹をまた強く抱き寄せた。
「……よかったあ……ヒナノ、ソル……」
ティローナも二人のように涙を流した。
ヒナノとソルがこうやってくっついている姿を、また見られたことに対して。
これで、一件落着。
――――ではない。
「……じゃあ、ヒナノ。私、行ってくるね」
「……ティローナ……」
座り込むヒナノに声を掛けるティローナ。
二分くらい休憩して少し体力は戻った。
もう、動ける人間は自分しかいないのだ。
ティローナは決めている。
死ぬまで、命尽きるまで、進み続けると。
――――だが、
「素晴らしい素晴らしい!! 素晴らしいものを見せてもらいましたよ!! 実に素晴らしい愛でした!!!」
けたたましい拍手と共に、扉の奥から男の声が聞こえてきた。
そしてその男は、ティローナたちの前に姿を見せた。




