第百十二話 『真名は怒り』
目の前の『かつて』の主を悲しそうに見つめるアボラ。
『記憶喪失』
信じがたいが、こうして生きているのに一向に戻って来なかったことにも納得がいく。
それによく見れば、自分が知っているあの人とは大分顔つきが異なっている。
眉をひそめてどこかオドオドしている、以前のあの人ならば考えられない表情を浮かべている。
一番の違和感は、『口調』。
「――――あ、あの……アボラ様……でしたっけ。あなたにお聞きしたいことがあるのですが……」
「…………はい、なんでしょう……」
スリーラが沈黙を破る。
突如として現れた『自分が知らない自分』を知る過去の知り合いに、興味をそそられるのは当然か。
「……前のわたくしはどのような人だったのでしょうか? それから、どこに住んでいて、何をして暮らしていたのでしょう? ――――ぜひ、教えてくださいな」
記憶にない自分についての質問。
スリーラに恐れはなかった。
「逆に知っておかなければならない」
そう思っていた。
「……分かりました。しかしその前に、私からの質問に答えていただきたい。あなた様の質問には、その後お答えします」
「承知しました」
アボラにはそれについて話す前に、確認しておきたいことがあった。
それは、
「――――『今』のあなたは、何をしているのですか……? その服や荷物はどこで……? ……今、何をしていたのですか……?」
――――現状。
過去よりも今の彼女について知ることが先決だ。
「はい。わたくしは今、ゴアナ族という方々と一緒に暮らしています。この服や荷物も、わたくしと彼らのものですわ。それから――――」
「それは本当ですか……!?」
三つ目の質問に答える前に、アボラがスリーラを遮った。
聞いておいてなんだが、今何をしていたかなんてどうでもよくなった。
それほど、一つ目の答えが衝撃だった。
「(……『ゴアナ族』……あの特別な力を持つという一族ですか…………いや、そこは大した問題ではないか…………だが……)」
アボラが危惧していること。
それは、
「――――コレール様。その様子だと……もしかしてあなたは、自分が『何なのか』について気づいていないのではないですか……?」
「……はい。先ほども言いましたように、過去のわたくしについてわたくしは何も知らないのです。ですから、教えていただきたいのですが」
「……分かりました。お答えします。……ですが、まず伝えておかなければならない重要なことが……」
「重要なこと……? なんでしょう……?」
純粋な子供のような表情を覗かせるスリーラ。
その姿をアボラは直視できない。
重たい口を開き、アボラは真実を話し始める。
「あなたは人間ではありません。魔物です。私と同じように」
「…………は………?」
時が止まったように停止するスリーラ。
突然現れた男に、「お前は人間じゃない」と言われた。
ここまで信じられない言葉なんて存在しないのではないか。
スリーラがアボラの告白を飲み込む前に、アボラはさらに畳み掛ける。
「あなたの本当の名は『コレール』。そしてあなたは、ラスドラーゴ様が率いる『魔凰軍』の幹部の一人。西拠点を治めるコレール軍のトップです。私は、そんなあなたの副官を務めています」
「…………え………? も……申し訳………ありません……言っている……意味が……」
あまりの衝撃にしどろもどろになる少女。
彼が喋る情報に、理解できることは一つもない。
「心中お察しします。……しかし、事実です。あの日、あなたがいなくなってしまったのも、聖鳳軍との戦いが原因なのですから」
「……せ、せいほう……ぐん……」
スワナから聞いたことがある。
国のために、悪しき魔物と戦っている人間たちの名前だと。
そんな人たちと自分が?
なぜ?
まさか本当に……
「……とにかく、私と一緒に一度向こうへ戻りましょう。部下たちも探してくれています。ロジェ様もあなたを心配しています。さあ……!!」
スリーラに手を差し伸べるアボラ。
だが当然、スリーラは彼の手を取りはしない。
むしろ、
「…………あなたは……『最低』ですわ……!! そんなひどいことを言うなんて……!! わたくしが魔物……!? どこが……!? どこからどう見たって、人間ではありませんか……!!! 現にわたくしは、ゴアナ族の皆さまと家族として暮らしているのですから……!!!」
自分を覚えていないとはいえ、大好きな人から『最低』が飛んできた。
心にショックを覚えるアボラだが、歯を食いしばり主に言葉を返す。
「……それは、依然のあなたが人間の姿にしてもらったからです。私も一緒に。人間の姿の方が、あなたのお力は都合がいいですから。……それに、今は大丈夫でも、何年も彼らと暮らしていけば、『違和感』に気づきます。……あなたは『老いない』」
アボラが言っていることは、全て本当だ。
十年後、二十年後には嫌でも『おかしさ』を感じてしまうだろう。
スリーラは、十代後半の見た目のままなのだから。
しかし、スリーラにとっては、そんなことが信じられるわけがない。
彼女は涙を流しながら、男の言葉を否定し続ける。
「嘘ですわっ!!!!」
「嘘ではありません、コレール様!!」
「わたくしはそんな名前ではありません……!! 『スリーラ』という、大切な名前があるのです!!! もう消えてください!!! あなたとは喋りたくない!!!」
スリーラはアボラをどかして、前に進んでいく。
視界は涙で曇り切っている。
「……お、お待ちください!! コレール様!!!」
「うるさいですわ!! 二度と話し掛けないで!!!!」
スリーラはどんどんとアボラとの距離を引き離していく。
スリーラの歩くスピードが速かったこともそうだが、アボラが全く追いかけて来なかったことが大きい。
彼は、精神に深い傷を負っていた。
そして悲しみに暮れていた。
スリーラにとってこの再開は『最悪』だったが、それはアボラも同じだった。
せっかく会えたのに、『覚えていない』なんて。
あんな言葉を投げかけられるなんて。
そして、最愛の人を泣かしてしまうなんて。
アボラはまた、膝から崩れ落ちた。
数時間そこで虚無になった後、一人で本部へと戻っていった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――――おかえりなさい、スリーラ様!! 少し遅かったですね。何かあったのですか?」
自宅へと戻って来たスリーラをノマナが迎え入れる。
もう準備はほとんど終わっており、スリーラを待っていたようだ。
「……いいえ、なんでも……ありませんわ。」
スリーラは今日の出来事を話さない。
――――話せるわけがない。
その後、予定通りお祝いが行われるも、スリーラの表情が晴れることはなかった。
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そして、魔凰軍本部では――――
「――――というわけで、コレール様を発見したのですが、一緒に帰ることはできませんでした……」
「……そうか……」
アボラが先の出来事について話していた。
相手は魔凰軍司令、ラスドラーゴだ。
「……しかし、どうしたものか……」
ラスドラーゴにとって彼女は重要な戦力の一人であり、その特異な能力から、軍における貴重な人材でもある。
さらに、彼女に任せていた仕事は多岐にわたる。
彼女は、何でもする奴だった。
戻ってきて欲しいところだが、どうすれば。
アボラとラスドラーゴ、二人で頭を悩ませていると、
「――――私にいい考えがあるよー」
扉の奥から、脳に直接触られるような声が聞こえてきた。
そして、その声の主は二人の前に姿を現す。
その男の名は、『ジャーザンス』




