第百十話 『名は笑顔』
――――六年前。
ある一人の少女が、メデュン付近へとやって来た。
その少女は、服も体も心もボロボロだった。
『戦い』から必死で逃げていたのだ。
命からがら辿り着いたのが、このメデュンだった。
町の外、森の中で倒れていた少女。
その少女を、一人の男が発見した。
男の名は、『スワナ』。
特別な力を生まれ持った少数民族、『ゴアナ族』の末裔である。
「大変だ……!!」
スワナは瀕死の少女を見つけると、一族の洞窟へと保護し、一族に伝わる特殊な薬を用いて、彼女に適切な治療を行った。
本来ならば、他所者の立ち入りは好まれない洞窟だったが、誰かの命の危機とあっては、そうも言っていられない。
仲間たちも彼女を洞窟で保護することを、快く受け入れてくれた。
一週間後――――
「…………ここは………?」
「おおっ!! よかった!! 目を覚ましたか!! 大丈夫かい!?」
スワナ達の懸命な看病もあり、少女は目を覚ました。
布団から見える景色には、嬉しそうな顔を浮かべた若者の姿が映る。
さらに辺りを見渡した少女は、目の前の男に尋ねた。
「……あなたは……?」
「おお、俺はスワナ。よかったよ、目を覚まして。――――君、名前は?」
スワナはそう聞いた。
だが、少女はスワナの簡単な質問に頭を悩ませる。
「……名前………名前………」
「……まさか、分からないの? 名前」
「……うん。分からない……」
思わぬ回答にスワナは焦る。
自分の名前が思い出せないとは。
「え……じゃあ、君が住んでいた所とか、家族のことは覚えてる……?」
「……家族…………いや、分からない…………」
何てことだ。
この女の子、『記憶』を失ってしまっている。
彼女が目覚め次第、故郷に送り届けようと考えていたが、それも難しくなりそうだ。
「……そっか………じゃあ……どうしよう……」
腕を組んで考えるスワナ。
一人で考えても難しい。
彼は仲間たちに相談しようと、椅子から立ち上がった。
「……あの……あなたが助けてくれたの……?」
「え? ああそうだよ。ここから東へ行った森の中で、倒れている君を見つけたんだ」
「……そうだったんだ。ありがとう……」
「いや、これくらいどうってことないよ。……あっ、そうだ!!」
少女から感謝を伝えられたスワナは彼女に提案する。
「少し外を歩いてみないか」と。
倒れていた場所を見れば、何か思い出すかもしれない。
少女はスワナの提案を受け入れ、二人は洞窟の外へ歩き出した。
「――――ここだよ。ここに、ボロボロの君が気を失っていたんだ」
「……ここで…………私が………」
「うん。……どう……? 何か思い出せない?」
先日、彼女を発見した場所へとやってきたスワナ。
少女は気難しそうな顔で、辺りを歩き回り始める。
だが、
「………だめ、分からない。……ここ、見たことある気はするんだけど……」
「……そっか……」
依然、進展なし。
二人はがっくりと肩を落とした。
だとすれば、もう手掛かりはない。
世界中の町を一軒一軒回っていくのは負担が掛かりすぎる。
そうなると、
「――――じゃあ、一旦戻ろうか。ここは少し寒いしね」
「……分かった」
とりあえず再び洞窟へ。
その帰り道の最中、スワナが尋ねる。
「……ねえ? 君はどうしたい……? やっぱり家に帰りたいよね……? あ、でも、それが思い出せないのか……」
「………分からない。……ごめんなさい……」
「…………どうしようかね……」
目的を見出せないまま洞窟に戻って来た二人。
そんな二人を入口で出迎える者がいた。
「――――おかえりなさい、スワナ様」
「ああ、ただいま」
スワナの妻、ノマナだ。
常に上品な笑顔を崩さない、気品に溢れたお淑やかな女性。
ノマナは一族の女性たちの憧れだった。
ノマナは夫の後ろからひょこっと現れた女の子を確認すると、
「あらよかったですわ。お目覚めになられていたのですね。わたくしはノマナ。スワナ様の妻ですわ」
と、声を掛けた。
少女は、
「……こんにちは……」とだけ挨拶を返す。
ノマナが彼女について尋ねる前に、スワナはこれまでの話を伝えた。
すると、ノマナは提案する。
「この子の家族が見つかるまで、または記憶が戻るまで、ここで面倒を見ないか」と。
そうしたい気持ちは、スワナも山々だ。
だが大切なのは、『この子が』どうしたいか。
まだ、「どうしたらいいかわからない」と言っているだから、今は様子を見るべきだと意見するスワナ。
それを聞いたノマナは、ビクビクしている少女の元に赴いた。
「――――おおよそのお話はお聞きしましたわ。どうすればいいのかわからなくて、困っていると。――――そこで、わたくしから提案がございますわ。もし、あなたがよろしければで構いませんが、わたくしたちと一緒に暮らしませんか?」
「え……? あなた……たちと……?」
「はい!! すぐに決めろとは言いません。じっくり考えて頂いて、もし、行先を探すのに困ってしまったら、わたくしたちを頼ってください……!!」
少女は驚いた。
真っすぐな目で、心に訴えてくるようなその言葉に。
そして、ノマナの姿は、少女の目に光として映った。
少女はうつむき、今後について考える。
確かにノマナの言う通り、私は今「どうすればいいのかわからなくて困っている」。
帰る場所も、待ってくれている人も、何もわからない。
考えた末、少女は決断する。
「……あ、あの……ぜひ、お願い……します」
彼らの元に身を委ねることを。
もちろん、路頭に迷っていたということもある。
だが、それ以上に彼女の決断を後押ししたのは、『ノマナ』だった。
ノマナの姿と言葉は、少女の心を魅了した。
この人と話してみたいと、この人の事をもっと知りたいと、そう思った。
「あら! 本当ですか!? 嬉しいですわ!!」
「……本当にいいの? それで。もしあれなら、君と一緒に故郷を探しに行くってのもありだけど」
「……いや。私には、帰る場所がない。……ううん。あるかどうかも分からない。……だから私は、あなたたちと一緒にいたい……そう、思う……」
少女の言葉に、顔を合わせるスワナとノマナ。
二人は頷き合うと、目の前の少女に手を差し伸べた。
「――――分かった。よろしくね!!」
「はい……!! 歓迎しますわ!! 何でも言ってくださいね!! ……えっと……」
「うん……!! ありがとう……!!!」
差し伸ベられた夫婦の手を両手で握る少女。
だが、ノマナの方は首を傾げている。
「……うーん……名前も覚えていないのですよね。………困りましたわ。あなたを何とお呼びしたらよいか……」
一緒に暮らすというのに、名前が分からないのはおかしいだろう。
そう思うノマナ。
「……じゃあ、俺たちで名前を考えてもいいんじゃないか?」
スワナが提案する。
その提案を受けた少女は少し微笑んだ。
「……うん。ぜひ、お願い。私も、名前がないのは困る」
と。
「よし……!! うーん、そうだな……」
心優しい夫婦は考える。
そして――――
「君がよかったらでいいんだけど、『スリーラ』ってのはどうかな?」
「……スリーラ……?」
「うん!! 俺たちに伝わる言葉で、『笑顔』という意味が込められている。今の君が、もっと笑顔になれるようにね!!」
「……うん。私もそれがいい!!」
命名。
少女も気に入ってくれたようで、彼女の名前が決まった。
「よろしくお願いしますわ、スリーラさん!!」
「みんなにもスリーラを紹介しよう!! ついておいで、スリーラ!!」
「うん!!」
新たに家族となった三人は、住処の洞窟へと戻っていった。
そして、彼女を迎え入れたゴアナ族の新生活がスタートする。
この日が、一族の運命の日だという事は、彼らは知らない。




