前編
その神は偉大であった。この世界の頂点に座する力を持っていた。
――しかし、尊大ではなかった。
その神は清廉であった。この世界を正しく育てていった。
――しかし、狡猾ではなかった。
その神は寛容であった。この世界に信じあう心を広めていった。
――しかし、偏屈ではなかった。
ゆえに、多くの者に信奉された。ゆえに、多くの者が対立した。ゆえに、一部の者に陥れられた。そして、世界には大争乱が訪れた。
世界が創られてしばらく経った頃。マナより生まれ出る魔獣の大攻勢、いわゆる始まりの大氾濫時代。災厄に見舞われる地上の姿を、楽園のような庭園から、遠見の術で物憂げに見守る二柱の神が居た。美しい銀髪をたなびかせる信頼の神トラストと、神の座一の美貌を誇る愛の女神ラブだ。
傍から見れば、お似合いの夫婦または恋人のようにも見えるが……実際は、強い絆で結ばれた主従の関係のほうが近いだろう。いや、そう思っているのはトラストだけで、ラブからすれば忠誠と共に愛も捧げているのだろう。しかし、人類のように家庭を築く文化が存在しない神々において、愛だの恋だのは不必要な要素。よって、叶わぬ想いを胸に秘め、彼女は彼に寄り添っているのだ。いつか報われる日が来ると信じて。
ただ、地上の様子を考えれば、ラブが今すべきことは愛の成就を目指す事ではない。従者としての責務を果たすべきだ。
「主様、中級以上の多くの神々が、早急な解決を図るべきと結託。例の計画を進めるべきだと声を上げております」
「人類を強制的に進化させるというあれか……」
苦肉の策ではあるが、人類(只人)には、すでに魔を扱う術理……魔術を授けていた。魔獣に対抗するための武器として、そして……マナを効果的に消費する手段としてだ。だが、魔術の研究・研鑽が進む速度よりも速く、魔獣の増加・侵攻が進んでいるのが現状である。
そのため、神の座では意見が真っ向から対立していた。トラストを筆頭に、人類や他の動植物の可能性を信じて、これ以上の急進的干渉を行わないとする一派。そして、ディスガストを筆頭に、神の力で以って干渉を行い、人類を魔獣に対抗し得る存在へと進化させようとする一派だ。……後に、正と負という陣営に分かれていく事となる対立である。
「ディスガスト様によって、三十二柱会議の開催も提案されようとしている様子。いかがいたしますか、主様?」
「多数決による評決を望むという事か……。ならば、仕方がないだろうな」
「いえ、そういう事では無くてですね……」
ラブが伝えたかったのは、諦める事ではない。むしろ、会議の開催阻止についてを問うたつもりだった。しかし、トラストには正しく伝わらなかった。いや、伝わったところで阻止に動いたかは怪しいところだが……。その愚直さこそが、トラストがトラストである所以なのだから。
「そういう事ではない? まあ、いい。会議の開催を受け入れると伝えてくれ」
「……はい、了解しました」
こうしてトラスト派は、多数決の原理が働く三十二柱会議開催を受諾。その結果、人類への改造処置が可決され、多くの新人種が生み出されていくこととなったのだ。
ただし、この会議の結果は、ディスガスト派をつけあがらせる発端となったのである。トラストがどれほど強大な力を持っていようと、数を揃えて要求すれば……受け入れられる。その前例を作ってしまった事が、問題だったのだ。そして、ディスガスト派は、司る感情の方向性から負の陣営を名乗り始める事となる。それに合わせ、トラスト派も正の陣営と名を改め、神の座は正と負に二分されたのだった。
長く続いた大氾濫の時代には終止符が打たれた。原初の人類である只人を中心に、新たに生み出された新人種も団結。神々から与えられた魔術を発展させ、巧みに用いて魔獣を撃退。そして、神人や加護持ちを結集した英雄の一団が、魔獣の頂点であるドラゴンを討伐。その後、各地に散った英雄たちは、残存する魔獣を迷宮へと押し込む戦いに身を投じ……何世代かを経た後、完遂したのだ。
これにより、人類は生存圏を確保し、徐々に拡大へと向かっていった。
しかし、魔獣という共通する脅威が後退した事で、人種間の団結も薄れていった。そして、生存圏の拡大と共に同一人種が集住を始め、各地に国家が形成されていく事になる。……大建国時代の到来だった。
「主様、大小の国々が乱立し始めております。きっと、この先は……」
「ああ、空白地が無くなるのは時間の問題。更なる領土を得ようと、争乱が始まるのだろうな……」
飽和の後に続くのは、争いの時代だ。しかし、それを止める事は……神であっても難しい。もっとも、難しいであって不可能だとは思っていないようだが、トラストは成り行きに任せるつもりの様子。そこで、ラブは提案する。
「争乱を少しでも減らすため、地上の国々に働きかけてはいかがでしょうか?」
「いや、それは……過干渉ではないか?」
「そうでしょう。ですが、導く事こそ神の務めでもあります。神託という形ではなく助言。それならばどうでしょうか?」
トラストは悩んだ。地上の生物を導く事は、確かに神々の使命である。しかし、過ぎた干渉は、可能性の芽を摘む行為ではないのか、と。だが、あくまで助言というのであれば……従う従わぬの選択を委ねるのであれば、それは良案のようにも聞こえる。そんな事を考えていたのだろう。そして、すぐには結論が出せなかったようで……。
「……少し考えさせてくれ」
そう言って、話を途切れさせてしまったのであった。
しかし、事態は急変するもので、しばらく経ったある日の事。
「主様! 負の神々が、地上の国々へと肩入れを開始しました!」
ラブによってもたらされた情報に、トラストは落ち着いて返答する。
「肩入れというのは、どの程度の?」
「庇護というには過大で、支配というには過少な程度です」
それなりの干渉だと判断したトラスト。次は、その目的について尋ねる。
「負の神々のやり口と狙いは?」
「おそらくですが……自身を信仰する見返りに、神人指名や加護の授与を打診していると思われます。そして、安定した神力の獲得を建前に、神の座の外にまで陣営間抗争を広げるつもりなのでしょう」
そこまで聞いたトラストは、慌てる事無く考え込んでいた。そもそも、陣営同士の勢力争いに頓着が無く、慌てる必要が無いからであった。だが、考えねばいけない案件である事は承知しており、判断を誤れば……地上を大きな災いが襲うであろう事も――
負の神々が望むのは、人々の対立。それは、負の感情を多く生み出すからだ。一方、正の神々が望むのは、人々の協調。それは、正の感情を多く生み出すからだ。それゆえに、負の神々が動き出したという事は、積極的に対立を煽り立てる目論見があるのは必然。そして、地上の大小入り混じる国家の乱立構造は、争乱を起こすのに最適な盤面である。
もし、静観を決め込めば……必要以上に乱れた世の到来は間違いない。しかし、正と負の抗争を地上にまで持ち込むのは、神々の傲慢である。
だが、傲慢であっても動かぬ訳にはいかないのだろう。負の陣営が対立を扇動するのなら、正の陣営は協調の素晴らしさを説くしかないのだ。そうしなければ、地上は……人と人とがこぞって争う、悲惨な争乱の時代へと突入してしまうのだから――
トラストは心を決めた。人々が手を取り合って生きられる世界を創るために。
「こちらも動こう。だが、あくまで平和的にだ!」
「はい、主様! 早速、他の正神へも伝えて参ります」
トラストが決断した事によって、正と負の勢力争いは地上へと広がり、争いの火種を消すために……別の争いの火種をまき散らす事となったのだった。




