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新しき王




 そこは地獄だった。

 生暖かい風が虚しく、心と肌身に感じる光景。


 俺達は上空から街を見下ろし、愕然としていた。いつも賑わいを見せていたはずの色合いは掻き消え、争いと殺戮の暴徒が街を支配している。

 各商店や近隣の民家から火の手が上がり、その乱闘は更に力を広げる。



「……なんだこれ」


 俺は、そう呟くのがやっとだった。

 言葉が見つからない。

 たった数時間で、こんなにも様相が変わるものだろうか?


「溜まっていた憎しみや妬み、怒りが暴発しただけですよ。主……」


 赤竜が突き放すように言うと、黒竜は苛立ちを露わにする。


「分かったぞっ! こんなだから、俺は今回の新月でかなり暴発しかけた。今まで以上に本能を抑えられなかったのは、やっぱり人間の心が作用してたからなのかっ」


 それより、とミラーが話し掛けてくる。


「一刻も早くこの事態を抑えないとっ。どうすればいいんだ?」


 彼だけの術で抑えられるものではない。いっそ天変地異で綺麗にしてしまった方が楽かもしれない……が、俺達は均衡を保つ存在だ。故意に人間を襲う事はできない。



「あら、信は忘れたの? アンタが完全覚醒した時、どうだった?」



 何?

 いきなりレンは何を言ってんだ、こんな時に。それともそこに何かヒントでもあんのか? 悪いがそういうもんは一切浮かばねぇな。


 俺が不快に眉をひそめると、赤竜と黒竜が同じように問いただしてきた。


「そうです主。ハッキリ目覚めた時の事を思い出して下さい!!」

「あとは応竜自身にかかってるんだぜ? 目覚めた瞬間が鍵なんだよっ」


 上空で浮遊したまま詰め寄られても困る。

 ったく、また記憶探しかよ……。だがそれにはディーネが応えてくれた。


 

「確か……あの傀儡に入る前、貴方はミラーさんに言ったわよね? 『信じるぜ!』って」


 ……ん。確かに言ったな。だがそれは関係ねぇだろ。

 ディーネのその言葉に反応したのはミラーだった。自慢の髪を掻き上げながら、呆れるように吐き捨てる。


「あの時は参ったよ。何を『信じる』だか……。ハラハラしたぞ。まあ結果的に、御祖父様の意識を内側から消滅させる事ができたけどね」


 彼が言い終わると、事情を知らなかった者は感嘆しながら激しく頷いた。

 赤竜が腕を組み、ありえない事を口に出す。


「ならばミラー、貴方が次の王だ」






 待て。

 ちょーっと待て。



「なんでコイツが王なんだよ! 俺は……」

「主、貴方は彼を認めたんですよ。信じる、という意志が本来の姿に戻った証です。あ・か・し」




 ……待て、と言いたい所だが。確かに応竜は最も『仁』、愛を尊ぶ。そしてそれを持つ君主こそ世界の王と認めるのだ。

 つつつつまり、ミラーは身を犠牲にしてでも人間達を守ろうとした……て事で……ううぅん。



 俺は頭を抱えながら身を翻して唸った。


「や、でもちょっと待ってくれよー。コイツが? つかコイツが王になったら魔王だろうー」

「た、確かに……私自身も混乱してしまうぅなぁあははは」


 情けない事に、傍らでミラーも頭を抱えていた。すると堪らずディーネとレンが吹き出した。


「アンタ変わったよねぇ、アハハ。昔は男らしかったのにさぁ。やっぱ妖魔だった時の名残りが残るのかしらねぇ」

「ああそういえば物心ついた時から貴方は側にいた。私が黄帝になる時も、貴方が側にいてくれたから違和感無かったけど。……昔、母から聞いた事があるわ。鳳凰は『優れた知性を持つ者が生まれると姿を現す』と」





 ――んん? それってつまり……。




 


 頭と心を整理する為に一先ず俺らは別次元空間へ移動した。

 本来なら、人間はおろか魔道士も寄せ付けない守護神の世界にある一城。そこに俺ら以外の者が介入したのは、ミラーが初めてだった。


「どうでもよいが姫、この膜は取れないのか?」

「駄目よ。それ外したら人間界に真っ逆さまに落ちるわよ? それでもいいなら」


 レンの言葉にミラーはあたふたしている。


「いやいや結構快適だぞ、うん。むははは、はぁ」


 笑う声も枯れたな。相変わらず滑稽な奴だ。


 ここは、俺達が最後に別れた城だ。

 東屋程小さくはないが、人間のように寝台や箪笥があるわけではない。木枠で建てられた城は、簡素といえば簡素だが卓と椅子があれば十分な広さだ。

 時折ここで俺らは会議をする為のもの。

 そしてあの日、人間になると決めて背を向けた最後の――。



「とにかく話の続きをしようぜ、なあ主」


 黒竜は席に付かず、卓から少し離れた柱に寄り掛かり、この城に戻った感覚を懐かしんでいるようだ。言葉とは裏腹に、目を細めて辺りを眺めている。

 ディーネは肝が座ってるせいか、微妙な感情など現さない。赤竜は腕を組んで、ミラーを値踏みしているように視線を向ける。


 何とも言えない俺は、レンに話を振った。


「レンは、どう思う?」


 虚を突かれたように深緑の目を大きくした彼女は、やや躊躇いがちに応えた。


「……ま、まあアタシが最初にミラーと接触したのは、下手な術の練習にハラハラして見てたからだけど」

「ええぇっ! そうなのか? 私がそんなに可愛らしく見えたのか?!」



 やっぱ勘違い男だな。


 

「まあどちらにせよ、主が潜在的に目覚めたのは彼のおかげです。同時に、千年ぶりの新しい王の誕生という」

「赤竜、ちょい待て」


 ここまで来るとさすがの俺様も頭では分かっちゃいるが、やはりその先を訊いたが最後という感じでつい恐れてしまう。

 淡々と言えてしまえる赤竜の言葉を俺は遮った。


「皆も……見て、分かるだろ? ど、どう見繕ってもミラーが千年ぶりの王に見えるかぁ?」

「うむ、私も同感だ!」

「お前ぇの意見は訊いてねーよ」


 つい突っ込んだが賛同はミラー本人だけだった。俺は背中が丸くなる程うなだれた。皆も何故か嘆息したが、ディーネは目元を綻ばせ真っ直ぐにミラーを見つめながら話を切り出す。


「あながちそうでも無いんじゃない? 一国を制する者は自らをも制す。これは私の父の言葉よ。貴方、自分を演じ続けてるわね?」


 さすが元黄帝の言葉には説得力がある。

 皆が一様に唸った。


 だが確かに何かが引っ掛かる。俺は遠慮なく今度はミラー自身を問い詰めた。


「そういえばあの封陣図があった地下から出てきた時、なんかいつものミラーとは違う雰囲気を持ってたよな? つかどうやって爺さんに悟られず仲間をやっつけていったんだ? てか元々、魔道士の人口は何人だったんだ?」


 俺の口から出た質問の嵐にミラーは足を三角に折り腰を後ろにずらすが、ひと呼吸置いて淡々と真顔で応えた。


「魔道士の人口は歴史的にも少ない。私が十歳の時には既に三百人ぐらいしかいなかった。他種混血は認められなかった為に、濃い純血者は我々にも治せぬ病で次々と死んでいく。そのせいか、私は仲間の死に対して疎い。麻痺、というのだろうか」


 ああだからお兄さんも亡くなったのか、と皆で軽く頷き納得した。彼は伏し目がちになり言葉を続けた。


「だが御祖父様だけは、自分のかけた呪いに縛られ魔道士の復活を願った。皆は賛同したが、私には愚の骨頂としか思えなかったのだ。やがて後継ぎだった父が死に、そして兄までもが……。最終的に私が後継ぎとなっただけの事」



 



 ん? おいおい、随分な重さで話すじゃねーか。



 ずっと黙って訊いていたディーネが眉を潜め首を傾げる。


「訊いてるとどうやら貴方の身内は皆、全滅ね。でもどうして貴方だけ生き残れたの? 血筋としては……可能性高いわよね?」


 確かにそうだ。血筋的には。性格的には別だろうが。

 ディーネに言われて俯いていたミラーが、やがて自嘲しながら更に俯く。


「私は……人間との間に生まれたのだ。母が、外の者に……手を出した。だが私を産んでから罰を食らう筈が、先に病で亡くなった。だから私はいつも蚊帳の外だったのさ」



 なにっ?! ――つまり、混血!!



「だから魔術が下手くそだったわけね! そんなアンタがやっぱり好きよ」

「おお、レン姫! 君に出会わなかったら私は闇の泥沼な人生に身を浸し、この世を無きものにしていたであろうっ」


 膜を挟んで互いに手を合わせる二人の姿は、俺らに軽い頭痛を引き起こす。さっきまでの重い空気ギブミーカムバック。


 ディーネは軽く咳込み言葉を挟んだ。


「どちらにしろ、貴方はずっと自分を演じ続けてきたわけね。そしてこの時まで自らを偽り、仲間を一網打尽にした事に変わりはないわ。私から見れば、かなりのクセ者であり機転の良さに感服させられるんだけど?」


 溜め息まじりに言いながらも、ディーネの目元は再び輝いていた。まるで逸材を見つけたように。


「やっぱり貴方は王たるべき人になれるわ。王は、最初から王じゃない。王たらしめていく人々に育てられるものよ。学び学ばされてね。それをどう悟り、行動に移すかで器が決まる。貴方にとって、学び育て上げてくれた第一人者は……鳳凰ね」


 成る程、さすがは元黄帝。さっきからいちいち説得力がある。


「……要するに、引き合うって事じゃねーのか? なぁ、主」


 ここへきてようやく黒竜が口を開いた。俺は怪訝に首を捻る。


「……引き合う?」


 

「事情はどうあれ、あの勘違い男が王になるって意味だよ。それを鳳凰が無意識に感知していた。主だってそうだったんじゃねーか? その、つまり何だ……」


 黒竜が言いごもるのは、俺が黄帝に抱いた気持ちのすり替えを差してるんだろうな。

 まあ薄々分かってたさ。だがそれを認めたくないだけだ――。


「信、元気出して。私は……振り返らない。貴方の愛の形が定められたものであろうと、いつも側にいてくれた事に変わりは無いわ。今が、その証よ」



 ――今?



「普遍なる愛、ですかね?」


 赤竜が答えをくれた。

 普遍なる愛、か。



 その一言に全てが詰まってるように思える。


 ――うん、成る程。

 そうかもしれない。神仏が俺らを存在させ人間と自然を守護させる事も、神仏が全てを愛し、慈しんでるから……なのかな。


 目には見えないが、確かに守護神としての役目を与えられた。

 偉大な天上からの声に抗う必要もなく、俺らは頭を垂れて受け入れた。

 単なる(みずち)から徐々に『力』を持ち、気が付けば四神の一人となり竜族の王となっていた。


 ああ、その頃からいつしか人間達を見ているのが俺の全てになってったんだよなぁ。



 ――全て。そう、神仏の全ては大きなものだろうが……俺にとって、人間が『全て』になっていた。





「で、どうすんの?」


 感慨に耽っていたようだ。ふいにレンから投げられた言葉で俺は我に返った。


 そんな事言われても、今の現状から考えつくものが無い。すると黒竜が近付き、決定案を出す勢いで卓を強く叩き満面の笑顔を浮かべる。


「いっそ、ミラーだっけ? そいつが千年ぶりの王だっ! って宣言しちゃえば?」



 


「いや、それではあまりに唐突過ぎるでしょう」


 冷静な赤竜がこめかみに指をあてながら言ったが、今度はディーネが勢いよく机を叩き立ち上がった。


「それよっ! それで行きましょう!!」


 なんだこの二人はっ。机は叩くもんじゃねーぞっ。しかも息合ってるしっ。


 だが俺らは勿論、提案した黒竜でさえもディーネの発言に圧倒された感は否めない。

 そんなのはお構いなしに、ディーネは続けて訴える。


「私の戴冠式でもそうだったけど、今回は皆が顔を並べて人間の前に姿を現し彼を王として奉れば――」

「もう遅いですよ。そんな事で磁場は治まらない。……感じるんですよ……私の中で」


 遮る赤竜の言葉は、苦々しい色を見せていた。 再び火山が噴火するのを本能的に恐れているんだろう。よく見れば、額から一筋の光が流れ落ちそうだ。黒竜は無意識の動作だろう。胃袋あたりを摩っていた。


 再びの凶兆。



 ――今、俺らに出来る事。

 それはまず自然の均衡を守る事が先決だ。

 人間同士の争いならば、人間が治める事こそ価値がある。


 ……て事は。




「おしっ、俺らは自然の均衡を調えるぞ! ミラー、お前は何が出来る?」



 

 投げられた問いに、眉根を寄せて俯くミラー。何度見ても難しい表情が似合わねぇ。それはコイツの純粋さが邪魔をしてるせいかもしれないな。


 少しの沈黙が俺を苛立たせた。


「てめぇ今更ひとごとかよ。あん時言ったろ? 『戦争も飢饉も無い世界作りしてぇ』って」

「してぇ、では無い。したい、だ。だが『力』で抑えつけたくは無い。君はもう一度記憶を失った方がよいぞぉ。私は以前の君の方が可愛いと思う」

「ばっ、馬鹿野郎! 言うなっ。気持ち悪ぃんだよっ」


 何故か皆が俯き、あからさまに笑いを堪えているのが分かる。

 くそっ。かつて主と呼ばれていた威厳がどんどん崩れていくぜ。


「ふんっ。それよりどうなんだよミラー」


 椅子に踏ん反り返り、俺は投げやりな態度でもう一度同じ言葉を繰り返す。意外にも早く、彼は意を決したように真っ直ぐな視線を向けて俺に告げた。


「先程の言葉通りだ。だが私が王である必要は無い。ただ、皆が笑顔であって欲しい。支え合って欲しい。助け合って欲しい。素晴らしいものを素晴らしい、と互いに理解し合って欲しい。詰まらぬ事に争いを生まず、新たな文明を築き上げて欲しい。それに」


「だあーっ!! もう分かった分かった! なら、その為にお前は何をするんだ?」


「む……ムムム。うむー」



 悩むのかよ。



「それだけの気持ちがあるなら、貴方に出来る事は『扇動と約束』よ」


 ディーネは東の国の元王、黄帝だ。

 さすが、王としてまずはどうすべきかを知っている。彼女の言葉に何かを感じたのか、ミラーは青い目を大きく見開いた。




 


 何か閃いたのか、途端にミラーの表情が輝きを増した。


「なるほどっ! 私の美貌と美声で彼らを扇動し、一応魔道士だから人間よりは長生きするから何とか約束を守れる……と思う」


 気のせいか、『一応』の所辺りから若干自信無さげな発言だな。


「そろそろマズイですよ。早く何とかしないと……」


 赤竜が体内で起きる異変に焦りを見せる。気が付くと、黒竜までもが苦しげに頭を抱えうずくまっていた。


 俺が感じるのは、胸騒ぎだけ。彼らを見ていて切ない。どうすればいいんだ――。

 もう……あの手で行くか?


「アンタ応竜でしょっ。ちゃんと仕切りなさいよ」


 レンの言葉を皮切りに、俺は卓を強く叩いて立ち上がった。

 あっ。……俺も叩いちまった。ま、真似っこじゃねぇぞ。


「ごふっ。よしっ。じゃあこれから言う計画をひとつ残らずしっかり守ってくれっ。これは決定だ!」


 一瞬にして空気が変わった。皆の緊張感が張り詰める。それでも苦しげな赤竜と黒竜を見つめ、俺は言った。




「赤竜と黒竜は、そのまま本能に身を任せろ。人間の作り出した念には抗えない。それを制するはミラー、お前だ」


 彼らは声無き声で驚嘆した。

 だが、これが得策だ。


「だが私なんかが彼ら、竜の力に勝てないぞ!?」


「なんか――だと? てめぇは魔道士だろっ。力はそういう時こそ使うもんだ! そして災害で争うのも一旦は止まる。あとは人間を保護するのが鳳凰であるレンだ。取り敢えずそこまでは精一杯やれっ! てめぇの根性見せやがれっ!」


 俺がそこまで言うと、レンは全てを悟ったように深く頷き、地上へ降りる為にミラーを覆っていた膜を無言で外した。



「き、君いぃぃ――――っ!!」


 遠ざかるミラーの声を背にして、赤竜と黒竜にも確認した。

 彼らもまた、深く頷き地上へ降りていった――。




 

 地表に溢れる争い。怒号や罵声。そして安易な殺戮。何ひとつ心を踊らせる光景は無い。


 人間は強いのに、ひとたび刃を剥ければその者は弱者に落ちる。


 強者は争わない。

 強者は進歩と調和の中で文明を築き上げる。それがどんなに険しい道でも、強者は他を陥れない。おのずと発展の道を歩み続けるからだ。

 強者は他者を否定しない。全てを受け入れる大きな器があるからだ。




 やがて弱者になり果てた人間達の足元で、大きな振動が走る。その衝撃に、彼らは動揺の色を見せた。

 人間によってもたされた自然の破壊が、始まりを知らせている。だが彼らに自覚はない。自ら引き起こしたなどとは到底想像がつかないのだろう。



 ――本来あなた達は、自然を動かす程強いのだよ。


 今それが功を奏したのか、地表に現れる不穏な空気は先程までのどす黒いものよりずっと優しいものに変化して俺の目に映る。


 人間は人間を恐れる前に、自然の猛威を恐れた。激しく振動するたびに、崩れ落ちる家屋。

 その崩れ落ちた瓦礫から、愛する者を救おうとする者。先程まで殴り合っていた者が、互いに体を支え合う姿。腹を刺したはずの者に必死で呼び掛ける者もいた。

 ――ああ……やはりまだ人間は腐っていない。


 今、彼らは我に返り一瞬の感情をコントロール出来ず自らが犯した罪の意識に苛まれているのだろう。



 次元を超えた壁から見つめる俺は、胸が熱くなる。不覚にも目頭まで。

 俺は彼らを責める事が出来る立場じゃない。

 俺も、同じだったから。

 だからこそ導ける。均衡の取り方を教えてやれる。いや、それを言葉にするのはやはり難しい。

 その役目が俺じゃなくてよかったよ。


 俺は“理解”してればいい。



「ミラー、レン。頼むぞ」


 


 さて次に襲うのは洪水津波か噴火。どちらにせよ、ミラーはレンに指示を送った。俺はその様子を次元を超えた空間、上空からただジッと見詰める。



「姫、人間達を保護しなさい! 私は洪水津波が来るのを抑える」


 東の街に面した大河が波打つ。商店は既に崩壊し、人々が逃げるには西へ向かうしかない。

 だが彼らの動く足元が、続く振動によって覚束ない。レンはいつものように右手から青い膜を発光し、彼らを包みこんだ。が、人々は口々に言う。


「な、なんで洪水津波なんか来るんだ?」

「海じゃねぇぞ」

「あの人おかしいんじゃない?」

「河が津波って、無い無い」


 それを耳にしたレンは苛立って怒鳴る。


「馬鹿っ!! 言葉を変えれば大洪水の事でしょっ。この大河は海が近いでしょっ? アンタ達、平和ボケしてんじゃないわよっ!!」


 保護されてる者に怒鳴られて、人々は萎縮した。



 確かにそうだよな。この街の人間達は、何かがあってもいつもレンとミラーに守られ次の日には記憶を消されてる。なのにあの二人は……。

 全く、いいコンビだぜ。



 レンの言った通り、東の大河が激しく増水したかと思えば荒々しい波まで生む。

 ミラーは宙に浮いたまま、洪水から街への侵入を防ぐ為に大きく杖をかざし、厚いバリアを作った。


「へぇ。アイツ、やればできるじゃん」


 次元が違う空間から呑気に見る俺は、腕を組み感心した。傍らでは、ディーネが真剣な面持ちで拳を固く握って彼らを見詰めている。


「信、私達は手をこまねいて見てるだけなの?」


 不安げに言う彼女に俺は首を横に振った。


「んな訳ねぇーだろ。まあ見てなって」


 地上で、二人の活躍をもう暫く続けてもらわなきゃな。


 


 レンが叫ぶ。


「ミラーっ、アタシの館に彼らを連れていくわ。でもすぐ戻るからね!」


 だが不思議とミラーの見解は違った。


「ダメだっ! 姫の洋館は、この地震で崩れている! どうせなら西へ!!」


 その言葉を訊いたレンは怪訝に眉を潜め宙を飛び、館のある北西の森の奥を見た。俺もまたそちらに視線を移す。

 それは確かに半壊していた。高さが災いしたのか、壮大なエネルギーによって結界さえも破れているのだ。

 正直、これは予想外だ。



 どうすんだアイツら……。



 さすがの俺様も眉を潜めた。俺の考え方は単純過ぎたか?

 だが俺の不安をよそに、レンは肩を落とす事なく瞬時にしてミラーの言葉に従った。


 膜の中で安全を約束されたと思っている人間達はまた、口々に文句を言い出す。


「大丈夫なのかよ」

「西に行くなら家に帰らせて」

「今更、魔道士なんかの言う事信じられるか!」


 魔道士への憎悪はあろう。今まで見えない呪縛に脅え、窮屈な感情に自らを隠すしかなかったのだから。だが宮城の崩壊と共に呪縛から開放された反動は、未曾有の負を暴発させた。

 俺にはどちらがよかったのかもう分からない。だが少なくとも、存在否定となる人類滅亡からは救えた。

 人間達はその事実までは知らないのだから、荒れただけに留まってマシだったのかな。


 残念なのは、いつも自分達を守ってくれてた者を覚えていない人間達の姿だ。俺らみたいな守護神ならまだしも。


 普通なら逆切れするところなのに、そんな中でもあのミラーは動じない。


「姫の為っつってっけど、案外アイツは懐のデカイ奴なのかもな」


 そう呟く俺に、今更分かったの? とディーネが微笑む。



 レンが素早く人間達を西にある街の中心部より更に外れまで運んだ。


 それを確認した俺はミラーに対抗心を持つような勇ましさをみなぎらせた調子で、必要最低限の言葉を伝える。


「よし、ディーネ出番だぜっ。あの荒れた河、頼むな」


 それだけ言うと、ディーネは待ってましたとばかりに頷き、颯爽と次元の壁を超えて地上へ降りた。





 空が一瞬光る。

 上空から突然現れた白竜の姿は、西へ避難した者達にもハッキリ見えただろう。

 案の定誰もがその姿に釘付けになった。彼らから見れば、まるでミラーが白竜を呼んだかのように見えただろう。


 俺はその心理を利用しただけの指揮者だ。


 白竜ディーネは、ミラーに向かって飛びながら小声で言う。


「ここはもういいわ。私が止めるから貴方は人間達の所へ行って」

「いやぁ私が行っても用は無いと思うが……」

「あら、貴方の美声で皆を扇動するんでしょ?」



 おいおいディーネ。その台詞じゃもう何を扇動するのか分からねぇだろ。

 一瞬俺はそう思ったが、ミラーは違った。


「そうだ、私の高らかな美声を聞かせなくてはな!」



 いいのか……意味分かんねぇがアイツには分かるんだな、よし。


 彼が去った後、ディーネは豪快に鴇の声を上げて波打つ大河の上を旋回しながら息を吐く。

 息が吹きかかった大河の一部は、黄金の石へと変貌し、次々と硬化していった。

 これで溢れる大河の水が街へ侵入する事は無い。人間達への思惑もミラーへの羨望と重なるだろう。だがまだだ。


 やがてミラーは、飛行移動で西に固まる人間達の元に足を落ち着かせる。


「皆の者、私が来たからにはもう安心だ!! ……えぇっと」



 ダメだこりゃ。

 アイツ何も考えてねーじゃねぇか!



 途端、まだ疑心暗鬼が残る人間達がミラーに罵声を与える。


「魔道士なんぞ信じられるか」

「これもどうせあんたの仕業でしょ」

「もう見張りはいねぇんだ! あとはお前一人、やっつけちまえっ」



「いい加減にしなっ!!」


 レンは膜を強化し、縮小させて身動きを取れなくした。


 


「忘れてるから言っとくけどね! 彼は二百年、アンタら人間の為にいろいろ画策して今やっと開放してくれた大恩人なんだよ! 魔道士皆が敵な訳じゃない!」


 レンの怒号で人間達は一様に黙り込む。

 確かに今までの様子を見る限り、ミラーは人間達を脅かす対象ではない。そんな表情が各々浮かんでいる。


 此処で上手くいけばいいがミラーのあの調子じゃあなあ。


 するとミラーがいつになく、静かに口を開いた。


「確かに魔道士達のやり方は横暴だったかもしれない。だが、彼らが崩壊した途端あなた達は何をした? ……私は、人間と魔道士の間に生まれた。だから、他の者より魔術は得意じゃない。だからという訳ではないが、私は……あなた達人間にはいつも笑顔であってほしい」


 それから、と彼は続ける。


「レン姫もずっとあなた達を守っていた。魔術のせいで断片的にしか記憶はないだろうが、彼女もまたあなた達に笑顔であって欲しいと思っている。だからこそ、何百年も保護してきた。なのに何だ、 このザマはっ! 自然の崩壊は、あなた達の想いと行動に反応しているのがまだ分からないのかぁーっ!!」



 おお、珍しくだんだん熱くなってるぜミラー。




 ――ああ、そうか。分かった。ようやく分かったぞっ!


 アイツは、ミラーはただのナルシストでも単純でも無ぇ。アイツは自分の事より、他者を大切に想う力が人一倍強いんだっ!

 そして、善悪の基準を心の明るい部分に比重を置いてる。


 ……成る程、持って生まれた正しい目か。後は、王に足る器……いや、それは既にディーネからお墨付きだ。ただ、あとは人間達がどう思うかだな。


 たとえ我々が『選んだ者』であっても、人間達がついて来なくては意味が無いからな。



 ミラーが顔を紅潮させて言う姿が果たして人間達にどう映ったかは分からない。


 ――と。突然、北に聳える山が地響きを轟かせ唸りを上げた。


 ああ、始まったか。



「噴火だあ――っ!!」

「嘘ーっ!? 活火山だったの!?」

「ああ、もう終わりだあ!」

「俺達の街があぁ――っ!!」


 目の前にする現実に泣き叫び、世界の終わりのように嘆く人間達。

 過去にもあった噴火の事も忘れてるのが悲しいが。


 そんな中でもミラー達は冷静だった。


「レン、どうする? 私の力では噴火までは抑えられない。白竜は今、河を抑えたが……」


 真剣なミラーの眼差しに、レンは悪戯っぽく笑って言った。


「ハッキリ言いなさいよ。あれを抑えられるのは、アタシだけなんだから」


 山の頭を突き破る赤い飛沫に向かって、レンは瞬時に飛び去る。同時に人間を保護していた膜が剥がれ、彼らは更に不安の色を濃くした。


「あ、あんた魔道士なんだろ? 何とかできないのかよ」

「そういえば私、ちょっと思い出したよ! ねぇ、あの子大丈夫なの? あんな所に飛び込んで」

「俺ら……どうすればいいんだよ! それとももっと西へ逃げるか?」


 口々に出る言葉の中には、他人を思いやるものも混じっていた。

 だがミラーは、まるで別人のように今まで以上の怒気をはらみ、大きく声を響かせる。



「たわけ者っ! あれだけの災害を生んだ者が何をぬかすかっ! 彼女は誰の為にあの灼熱へ飛び込んだと思っている!! お前達が今できる事といえば、心を調えて祈るしかないであろう!! 自らの行いを反省せよ! 開放感から人を殺めた者、暴力を奮った者、憎しみや嫉妬に支配された者、皆の心の力が自然のバランスを崩した結果がこれだっ!! お前達は本来、愛の心に満ちてるはずだろう!」



 うわー……すげぇ事言ったなぁおいミラー。アイツ意外に怖ぇなぁ。つかどんだけ『愛』にこだわるんだよ。



 


 俺の引き具合いとは逆に、人間達は静かに瞳を潤ませる。

 自分がやった行為に目が覚めたのか、胸を押さえて俯く者。自らの血に汚れた両手を広げて見つめる者。頭を抱え込み唸る者。顔を覆い隠しむせび泣く者。両手を合わせて鳴咽を漏らす者。


 まさか自分達の思いや行動が自然を動かすエネルギーになってるとは思ってなかったのだろう。


 ミラーの言葉によって、悪夢から覚めた人間達の罪の意識がほと走る。

 ミラーの青い目は、それを真っ直ぐ見ていた。責めている訳ではない。慈愛の目でもない。

 ただ、証人として――。



 やがて、噴火口から美しい紅い羽根を雄々しく広げ五色の長い尾を引き、天を仰ぐように鴇の声を上げて飛び出した。その時、既に火山は静けさを取り戻していた。


「姫、いや――鳳凰!」


 振り返り、見上げるミラーの瞳は安堵と喜びに輝く。鳳凰は白竜と共に並び、誇るかのように空を旋回する。俺はその姿に頬の筋肉が緩む。

 彼女達はそのままミラーの傍らに降りていった。その威圧感はいかばかりか。

 人間達は皆、揃って身を引いた。


「姫、じゃなくて鳳凰と白竜だ。あなた達はこれから、自分達で新たに街を造り国を守っていかなくてはならない。人間の力は、大地をも揺るがし天をも動かす強いものだ。決して軽んじる必要は無い」


 ミラーは己のやるべき事をやったとばかりにそう言い残すが、人間達は身を乗り出した。


「待ってくれ! あんたが……国を」

「国王になって下さい!」

「纏め役がいなきゃダメだろ?」

「あなたのおかげで俺らは目が覚めたんだ!」

「無償で助けて頂いて感謝します! 共に街をいや国造りをしていきましょう!!」

「お願いします!!」


 彼らは一様に懇願する。ミラーは意外な言葉に狼狽していた。




 ふふん、俺様の計算通りだな。見込みがいがあったもんだぜ。……まあ、少々不安だが。


 


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