空港
それから数日後、愛莉と里美は空港に向かっていた。伯母の弘美がフランスに帰国するので見送るためである。菜穂子にも伝えたが返事はなかった。
先日、まともな話も出来なかったのを悔んだ弘美は、出発よりかなり前に時間を開けて待っていた。
どうしても愛莉に伝えたいことがあるという。空港内のレストランで三人は落ち合い、弘美は話はじめた。
ちょうど祖父権三が亡くなる一年前、学会のためパリを訪れていた権三に会ったのだと。もちろん、日本を出て初めて再会したのだという。ふたりともパリのセーヌ川で人目もはばからず、泣いてそれぞれに謝ったという。権三は弘美が家を出てからは後悔の毎日だったらしい。二十年の歳月は感じず、お互い許しあえたと弘美は涙ながらに語った。そのあと、権三は日本にいる家族の話、二人で行った天体観測の話、それに今でも謎の探究をしており、弘美がいなくなってからは、愛莉を代わ
りに教育していると笑いながら話していたという。
そしてある時、教え子で助手を務めていた向井が弘美の相手だということがわかって、しかもその二人の間の子供が自分の教え子の中にいることも分かり、権三は彼を解任したらしい。それをもって、向井をそれ以上責めることをしなかったという。
「じゃあ、おじいちゃんは菜穂子さんを自分の孫だと知っていたの?」
愛莉は思わず立ち上がるほど驚いた。
「ええ。父は彼女に決して言わなかったのと同時に、贔屓じゃなくあの子の力量と意思を確認した上で登用したの」
愛莉も里美も頷いている。弘美は権三にどうして、自分の所在がわかったのかと聞くと、ある人物が偶然仕事で調査をしている時に伯母の日本での過去を知って教えて貰ったと言っていたらしい。それから一年後、権三に自分の所在を教えたという男から、権三が亡くなったと連絡が入ったが、ちょうど同じ頃に夫、ジャンが亡くなったので葬儀に行く事はできなかった。弘美が昔話はこれぐらいにして、本題に入ろうと言って話はじめた。
「愛莉ちゃん、どのあたりまで調べたの?それを聞いてから、私が知っていることを話すわ」
愛莉はできるだけ詳しく弘美に伝えた。金庫を開けたとこから始まり、絵に描かれたアナグラムを解いて、光が差し込む槍ヶ岩のサイン。それが天空のちりとり座やインフィニティ星雲を示し、続いて棚機神社と巨石群。学校裏にある真魚古墳と、うお座の時代との関係。
そして、金庫を開けた数字が電波受信の際に必要であったこと。それがまた新たな、人類史を揺るがす謎になりそうなこと。
「愛莉ちゃん、よくこんな短時間でここまで解いたわね」
「ううん。みんなのおかげだよ。志賀先生も、必ず誰かが助けて導いてくれるって言っていたけど、ホントその通り」
「そんな風に言ってくれる人が近くにいて幸せね。愛莉ちゃん」
「おばさん知らないの?そうだよね。先生は婿養子に入って向井から志賀になったの」
「向井って、正樹・・・くん?」
弘美は驚きながら里美を見ると、頷いているので納得したようだ。愛莉は向井を挟んで姉妹のわだかまりが取れているのか心配だったが、ここ最近の母を見ていると、それも大丈夫だろうと感じていた。
「そうか、学校の先生になったのか彼。きっといい先生なんだろうな!人に教えるの好きだったから・・・」
弘美は紅茶を飲みながら昔を懐かしんでいる。目を細めたり微笑んでいたり、きっと頭の中はその頃に飛んで行っているのだろう。
「そう言えば、アナグラムを考えていたの、いつも彼だったの。それを絵に入れたの」
「へぇ、そうなんだ!毎日友達と必死に考えていたのに、作った人がすぐ近くにいたなんて皮肉だね。でも、そんな先生がなぜ私に解らないからと、頼んだのかな?」
「なに?解ることなら答えるよ」
愛莉は絵に付けられた名前< ユダヤ> を弘美に尋ねた。すると弘美は笑いながら言った。
「ゴメンね。笑ったりして、いつも彼にからかわれていたの、私。アナグラムを出題されて、答えられなくて、それでよくむくれていたのを思い出したから。まさか愛莉ちゃんを介して、この問題を尋ねられるなんて、可笑しくて・・・これはね私がフランスに渡ってからだから、解らないのも当然。ユダヤというより正確には< ユダヤの> って意味なのだけど、フランス語で< juⅰ f> って言うの。それをアナグラムすると?」
そう言って弘美は愛莉に問題を出した。愛莉はテーブルに置いてある紙ナプキンにスペルを描き始め考えた。しばらくして言った。
「fujⅰ かな?花の藤だよね?伯母さん合ってる?」
弘美は微笑んで言った。
「半分ね。花じゃないの。それはね、あの絵に描いてある山の名前。フジ山」
「どこかに実在する山?」
「ええ。今はひとつじゃないけど、愛莉ちゃんも行ったでしょ?」
「まさか、恵夢山?」
「正解!」
驚きながら意味が解らない愛莉に弘美は語った。恵夢山はふたつの山をセットでそう呼んでいるが太古の昔、山はひとつで長い間何度も噴火を繰り返し、いつしかふたつの山に形成され、今の恵夢山になったという。
昔ひとつの山だった時代に呼ばれていた名前が< フ
ジ山> だという。漢字では< 不二> や< 富士> と書かれていた。
「伯母さん。そのひとつの山だった時って、今からどれくらい前か知っているの?」
愛莉はなぜか恐る恐る聞いた。
「だいたい五万年ぐらい前だって」
愛莉はそれを聞いて頭の中のどこかで音が鳴っているような気がした。五万年というキーワードは先日、聞いたばかりである。これは偶然ではない。
愛莉はそう直感した。
「お姉ちゃん、時間大丈夫?」
里美の言葉で弘美は時計を見て少し慌てた。
「思ったより時間が過ぎたわね。これが私の伝えたかったこと。あとは愛莉ちゃんが組み立てて!最後に父が亡くなって確認が取れないけど、晩年父が調べていたことだけど、三桁の数字四組の唄があるでしょ?あれはね。どうも、何かの座標みたいな事を言っていた記憶があるのだけど・・・」
そう言って弘美は愛莉に後を託した。
早いもので別れの時間が近づき、里美、弘美ともに涙ぐんで何かを言おうとしているのだが、言葉になっていない。里美は弘美にまた必ず戻ってきて欲しい事と、自分がパリに行くことを約束して搭乗口に向かう弘美をふたりで見送った。弘美が手を振ってハンカチで涙を拭っていたが、突然そのハンカチを落として、手を合わせて泣き出した。愛莉と里美が後ろを振り返ると、そこには菜穂子が立っていて頭を下げている。
その光景を見て愛莉は堪らず、菜穂子のもとに駆け寄り、彼女の手を引っ張って弘美のところに連れて行った。愛莉がふたりの側から離れようとした時、菜穂子の小さな声が聞こえた。
「産んでくれて、ありがとう」
その一言が今までの時間を全て飛び越し、いま旅立つ母と見送る娘を包み込んだ。愛莉が里美のもとに着いて振り返った時には、ゲートをくぐり何度も振りかえる弘美と静かに見送る菜穂子の姿があった。




