救出
ここに来てどれくらい時間が経ったのだろう。一時間ぐらいだろうか。いっその事、このまま桑野に数字を言ってしまった方が楽だろう。愛莉は少し弱気になった。
朝がウキウキしていただけに、その後の自分を振り返るとそれも仕方がない。そんなに自分は強くないのだ。身動きの自由がきかず、どことも知らない場所で、どれくらい、そしてあの最低な男と、どうしていなければならないのか。もう限界だった。
鍵の音がして、再び桑野が戻ってきた。
「お待たせ~。愛莉ちゃんもお腹空いたでしょう?何にも食べてないんじゃない?これ食べる?それとも水がいいかな?」
桑野は口に何か頬張りながら聞いたが、愛莉は首を横に振った。
「ゴメン!その状態だったら食べられないよね。代わりに僕が口移しであげるよ」
「・・・」
愛莉は横を向き、さっきより激しく桑野を睨んだ。
「わかった、わかった。そんなに睨まなくても・・・しかし、愛莉ちゃん。足細いね。スカートも短くて、見えちゃいそうだよ!」
愛莉は両足をイスのそれぞれ左右に縛られている。気持ちは足を閉じようとしているが、太腿はピッタリくっ付いていない。次に桑野の視線は愛莉の胸元に移った。ブラウスのボタンが上から二つ目まで開いている。
桑野の喉が鳴った。愛莉は本当にもう限界だった。
「いや~~~!」
目一杯の声で愛莉は叫んだ。慌てた桑野は冗談だと言ったが、その声は愛莉の絶叫と扉を叩く音で消えた。
扉を叩く音は小さく早く二回鳴った。続けざまに今度は大きくゆっくり二回鳴った。
「もう何だよ!向こうでモニターしているんだろ?」
桑野はあの運転手の事を言っているのだろう。
やはり別部屋にいたのだ。
「何のようだ!」
「・・・」
桑野は面倒臭そうに言ったが返答がない。
「・・・」
「えっ何?聞こえない。しょうがないな」
聞き取りにくいのか、桑野は扉を開けた。開いたと同時に鈍い音がして、その場に桑野が腹を抱え込んで倒れた。どうやら桑野はボディブローをくらったらしい。
一瞬の出来事であった。
「省吾さん!」
扉の前には省吾が立っていた。愛莉は彼の姿を見た瞬間、息が止まりそうになった。それは喜びと安堵感で胸がいっぱいになり、一瞬にして地獄から生還した気分であった。
「愛莉、大丈夫か?」
愛莉は小さく頷いた。省吾はうずくまる桑野を足蹴りして部屋に入った。
縛られているロープを解いていると、愛莉が叫んだ。
「危ない!省吾さん!」
省吾はその声で反射的に立ちあがり振り返って、桑野の顔面にストレートパンチを浴びせた。今度は甲高い音と共に桑野がその場に倒れ込んだ。
「ありがとう。愛莉」
愛莉は微笑みながら首を横に振った。
「ゴメンなさい。省吾さんに危ない時は逃げろって言われていたのに、無理だった」
省吾は微笑みながら頷いた。
「痛い、痛い」
目の前に転がる桑野の声など耳には入るはずもなく、省吾はロープを解き愛莉を解放した。そして、上着を脱ぎ愛莉に掛けた。振り返り倒れている桑野の髪を掴んで起こした。
「オマエ・・・もしかして、桑野か?」
「えっ・・・川上くん?」
どうやら二人は顔見知りのようだ。省吾が掴んでいた髪を離すと桑野は再び倒れた。省吾はイスを桑野から遠く離して、愛莉を座らせ落ち着かせた。そして話始めた。省吾と桑野は中高で同級生だったという。
話している最中、桑野が泣き叫んでいる。
「痛い、痛いよ。川上くん」
「何が痛いだ!そんなもん愛莉が受けた痛みに比べればどってことない!」
「だって鼻血が止まらないよ」
桑野は両手で鼻を押さえているが、指の間から血が溢れている。
「そらそうだ!鼻が折れているからな!でも有難いと思え!愛莉に指一本でも触れていたら、オマエをブッ殺しているところだ」
それを聞いて桑野は泣きやんだ。
「ホントに大丈夫なんだな?愛莉」
「うん。ありがとう!省吾さん」
愛莉は今にも泣き出しそうだが、必死に堪えている。省吾に謝りたい気持ちと、目の前の情けない男の前では涙を流したくなかったからだ。
「アイツは昔から、盗撮ばかりやって何回も捕まっている変態野郎だ」
そう言って省吾は再び桑野を睨んだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように桑野は鼻を押さえながら、身動きがとれない様子。
「落ち着いたか?そろそろ出ようか?」
「うん」
省吾に肩を抱かれながら、愛莉は一緒に部屋を出た。その際、桑野を見ることはなかった。外に出ると、監禁されていた所は地下ではなく一階で、向こうに見たことのある建物が建っていた。
「省吾さん、ここって・・・」
「ああ、東都大の敷地内だ」
どうやらここは東都大学の旧研究所で先の地震で使われなくなり、そのままになっていたようだ。向こうに見えるのがこの前、愛莉たちが行った、菜穂子がいる研究所である。愛莉と省吾が外に出るとサイレン音が聞こえ、数台のパトカーが到着し警官が数人、建物内に入って行った。愛莉は振り返って見ていると、遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた。
「愛莉~、愛莉~」
声と共に走って来たのは親友の紀子と咲であった。
長時間イスに縛られていた愛莉は走れないので、ゆっくり歩いた。
「愛莉、よかった。怪我はない?」
「うん。大丈夫!」
三人は抱き合って喜んだ。それから、今日一日の事を思い思いに語るので、収集がつかなくなって最後は笑い合う始末であった。また、愛莉を呼ぶ声がして近づいてきたのは、父龍一と姉望であった。
その後ろに菜穂子がいて三人で愛莉を労った。
「あっ!省吾さん」
「菜穂子!」
ふたりが固まってお互いの名前を呼んだ。
「お前、アメリカじゃなかったのか?」
「省吾さんこそ、パリじゃなかったの?」
ふたりを見守る一同。ようやく皆が注目しているのが分かった菜穂子と省吾はバツの悪そうな感じで少し照れた。
「え~、省吾さんと菜穂子さん、知り合いですか?教えてください」
こういう時は、やはり咲が真っ先に聞く。
「まぁまぁ、それは大人の事情なのよ、咲。あまり立ち入らない方がいいこともあるの」
紀子が咲を嗜めると皆は頷いた。愛莉はこの時わかった。菜穂子が言っていた、昔付き合っていた、少し変わった人が省吾で、昔自分に似ている娘がいたと言っていたのが菜穂子だったこと。みんなに笑顔が戻った。
ここにいる人は皆自分を心配して、探しに来てく
れた。そして、自分の元気な姿を見て、こうして笑っている。愛莉は今にも大声で泣きたかったが、皆が見たいのは大声で笑う自分だと思い、心からの感謝と共に笑顔が溢れ出た。
「みんな、ありがとう。わたし・・・」
愛莉がそれ以上何か言いたいのも皆わかっていて、もういいと、頷いていた。
「愛莉、これで全員じゃないんだ」
紀子はそう言うと、少し離れたところに停めてある愛莉の父の車を指した。
「足手まといになるからって、強がっているけど、一番愛莉のこと心配していた人」
「・・・あ~!」
愛莉は少し考えて、やっとわかった。皆を見ると、目や手で行けと、促している。愛莉は万全ではないが精一杯、駆け足で車の方に向かった。愛莉が父の白いミニバンの前に着くと、後部スライドドアが静かに開いた。
真っ暗な車内に白いギブスが光っている。
愛莉は思わず叫んで車内に入った。
「かーくん、かーくん。怖かった~!」
愛莉は小さな子供のように駆の胸に飛び込み、堪えていた涙をいっぱい流した。
「もう大丈夫だよ!アイちゃん」
次の瞬間、駆は大声で叫んだ。
「痛い!痛いよ、アイちゃん!」
あまりの勢いで愛莉の体がギブスの上に乗り、全体重がそこに掛った。愛莉は一旦、車外に出て様子を見た。
「大丈夫?」
「わからないけど、この間みたいになったら、また振り出しに戻るよ」
それは駆が無理をして愛莉を土手まで追っかけた日の事である。あのあと、あまりにも痛いのでレントゲンを撮ると、再度骨折していて入院が長引いたという経緯があった。
「ゴメン!わたしのせいで、また痛い思いさせて・・・」
「いいよ!今日のアイちゃんの事を思うと、どうってことないよ」
「ありがとう。いつも・・・」
「だから、もうイイって!」
「違うの・・・その・・・色々心配してくれて・・・」
「ああ、まぁ、当然だよ。だって・・・その・・・アイちゃんとオレは・・・」
言いにくそうな駆の気持ちは一番わかっている。
代わりに愛莉は言った。
「そうだね。わたしたちは*@¥だから」
駆は肝心なところが聞き取れなかった。ちょうど、自分たちの目の前を歩く男に車がクラクションを鳴らしたからだ。
「これ、いいのか?ノッポ野郎のだろ?」
そう言いながら駆は、愛莉が羽織っている上着を指して、前を歩く省吾を見た。
「ゴメン!ちょっと行ってくる」
そう言って愛莉は車から出た。
「省吾さん、ホントにありがとうございました。あなたがいなければ今頃わたし・・・どうなっていたことか・・・」
「それは皆のおかげだ!一人一人が真剣に君を心配しそれぞれ出来る事をして、その結果君を助ける事に繋がった。オレもその一部だってこと。自分のできることをしただけ」
そう言うと省吾は、愛莉の顔に近づいてきた。この前は顔を背けたが、今回はジッと省吾を見つめている。
すると省吾の手は愛莉が羽織っている上着のポケットに入り、ハンカチを手にして、それを愛莉に渡した。
「君もやっぱり、女の子なんだな。ちゃんと自分の泣き場所を知っている」
そう言うと省吾は、駆の乗る車を見た。
「あ~、彼は幼馴染なんです」
「愛莉、ひとつ教えてあげるよ。男はずっと幼馴染を忘れない。好き嫌いは別にして」
「省吾さんもいるんですか?幼馴染」
「ああ。オレの場合は君らと違って、同級生じゃないから、兄と妹みたいなもんだ」
愛莉は勝手に想像した。自分たちみたいじゃない、幼馴染とはどういう風なのだろうと。
「その人とは今でも会うんですか?」
「ああ。さっき会ったよ」
そう言いながら省吾は、まだ先ほどの所にいる皆の方を見た。
「な~んだ!菜穂子さんだったの。そんなに似ています?わたしたち」
愛莉は省吾と菜穂子が恋人同士だったと勝手に思い込んでいた。
「あ~、よく似ているよ。しかも、君も天文学者になるんだろ?」
「はい。ひとつ聞いてもいいですか?」
省吾はタバコに火を付けて頷いた。
「省吾さんて、ホントは何者なんですか?私の家へ簡単に入って、あんなに重い金庫を一人で持ち出して、さっきだって皆より早くここに着いて、なぜあの場所を?」
「超人だから・・・」
「もう冗談言って~!」
笑う愛莉をよそに、省吾は愛莉の頭を撫でて、その場をあとにした。その光景を見ていた駆は会話こそ聞こえなかったが、何だか少し安心した。皆が車の方に戻って来て、その横にさっき、クラクションを鳴らした車から、教師の志賀が下りてきた。
「どうしたのですか先生。大丈夫ですか?遅かったので心配していたのですよ」
紀子がそう言って、愛莉にこの場所を教えてくれたのは志賀であると説明した。どうやら志賀は怪我をしているようで、本人は大したことはないと言っているが、顔は傷だらけで、息苦しそうであった。愛莉は思った。
ここに連れて来られる前、志賀屋敷の受付で彼を見かけた。その時はどうもなかったようだが、今は怪我をしている。そのあと彼に何があったのか。そんなことはどうでもいいからと、志賀は言った。
「よかった。北山ホントに無事で・・・」
「先生ありがとうございます。それより、手当をしなければ。菜穂子さん、この近くに病院ありますか?」
愛莉がそう聞くと、菜穂子は愛莉と志賀のもとに近づいてきた。
「あっ・・・」
何か言った志賀は驚愕の表情で息をのんだ。
「えっ?」
不思議に思った菜穂子に志賀は言った。
「失礼しました。あまりにもあなたが知り合いに似ていたものですから・・・」
それでもまだ志賀は菜穂子を見つめている。愛莉は思った。菜穂子と初めて会った人が息をのむほど驚くのは、これで三人目だと。最初に母里美、次に棚機神社の宮司、そして志賀。間違いなく、三人の言う似ている人は同一人物で時間が経ってもなお、その三人の記憶に残る人物であると。愛莉はそう思うといてもたってもいられなくなった。三人の内、宮司はすでにこの世にいないが、少し手掛かりがある。
いま菜穂子がいるこの時に知りたかった。
「先生、こんな時に聞いてゴメンなさい。今誰の名前を言ったのですか?」
「あ~、聞こえちゃったかな?。先生の学生時代の友達だよ。この人がその彼女によく似ていて、ビックリしたので・・・」
「その人はわたしの母も知っている人ですよね?ちゃんと教えてください!」
「愛莉!やめなさい」
思わず興奮した愛莉に父龍一が止めた。
「先生。申し訳ありません。娘が失礼な事を言いまして・・・」
「いえ、お父さん。ちゃんと言わない私がいけないのです。いずれこの件で娘さんと話さないといけないのですけど、いまは話せないので、今日はこの辺で勘弁してください。それと今日は愛莉さん、思いもよらない事が続いて疲れていると思います。許してあげてください」
ちょうど近づいてきた警官に救急車の手配を頼んだ。警官が愛莉に事情を聞きたいと言ったが、父が後日にして欲しいと願い出て、そうしてもらった。
「菜穂子さん。紙とペン持ってない?」
首を捻る菜穂子に愛莉は続けて言った。
「菜穂子さんには大事な仕事があるでしょう?あの変態男から全部聞いたの」
「あ~、そうなの。愛莉ちゃんには悪いけど、話す手間が省けたわ」
それを聞いて皆が菜穂子のブラックジョークに頷いたので、愛莉は少しむくれた。
愛莉は紙に数字を書き込み菜穂子に渡した。
「ホントにこの数字、役に立つのかな?」
「ええ。わざわざ柴田教授が愛莉ちゃんに残したものですもの。未来が拓けるわ」
一同が未来に思いを馳せていた。
「ホント今日は長い一日だったわ」
「お姉ちゃんが言うな!」
背筋を伸ばしてボケる望と、突っ込む愛莉を見て皆は爆笑した。そして、皆リラックスをして星空を眺めた。
「キレイだね。天観はやっぱ冬に限るね」
紀子がそう言うと、星に詳しい愛莉と菜穂子は各々うんちくを競い合った。
「ずるい!菜穂子さん、プロだもの!」
お互い負けず嫌いな、笑う菜穂子と拗ねる愛莉。
皆はその光景が面白くて堪らない様子。
「でも、やっぱりこの時期は冬のダイヤモンドが、宝石みたく輝いてキレイだわ」
菜穂子は自分が付けているペンダントを見ながら星空と比較している。
「ダイヤモンド・・・どこかで聞いたような・・・あっ、菜穂子さん。あれよ!棚機神社でもらったおじいちゃんがメモしていた、あの言葉!」
「あ~、あれね。確か・・・」
< かつて冷たいダイヤの中にベテルギウスがいた>
経緯を知らない皆はサッパリの様子。
「きっと冷たいダイヤって、冬のダイヤモンドのことよ。その中にベテルギウスってなんだろう?」
「詳しく教えて!」
好奇心旺盛な咲と望が愛莉に聞いた。愛莉は久しぶりに解説員になり話し始めた。冬を代表する、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、ふたご座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、そして、ちりとり座のリゲルの六つの一等星を一周結ぶとダイヤモンドの形になり、それを冬のダイアモンドという。そう言い愛莉は星空を指しながら、ふたりに解るように説明した。
「ほんとだ。ダイヤモンドかぁ!」
咲も望もやはり女の子だ。キレイなものは大好きである。特に光り輝くものは。
「だけど、菜穂子さん。ダイヤは分かったけど、ベテルギウスは何だろうね?あの中にあって目立つものといったら、インフィニティ星雲ぐらいだもんね」
「まさかぁ!」
菜穂子が何かに気がついたようだ。
「愛莉ちゃん。前に聞いた時も思ったのだけど、どこかで聞いたことがあったのよね。ベテルギウス!ひょっとしたら、インフィニティ星雲の爆発前の星の名前かも・・・」
「そうだよ」
静かに志賀が言った。一同は志賀の突然の登場とまだ救急車が来ていないことに驚いた。
「ベテルギウスは今インフィニティ星雲と呼ばれる処にあった超新星爆発前の星。遥か昔、ベテルギウスはオリオン座と呼ばれていた星座のα星であった。その時のβ星が今ちりとり座α星のリゲルだ。ベテルギウスが無くなって、ちりとりの形に見えることから、そう名付けられた」
「先生、どうして天体観測の時に言ってくれなかったのですか?」
「北山。これはね、自分である程度のところまで知らなければならないんだ。降って湧いて来るものじゃないんだ。そうやってコツコツやっていると、必ず教え導いてくれる人が現れる。私の場合は柴田教授であったり、義父の志賀であったりした。そして、教えてもらった者は次の世代に繋いでいく。そうやって、何千何万年と積み重ねた結果、我々が今ここにいて語らっているんだよ」
夜は深まったがそこにいる全員が、志賀の言葉を噛みしめていた。なんと壮大な話だろうと、愛莉は宇宙の大きさと共に味わい、長い一日を終えた。




