志賀から向井
落ち着いたふたりは久しぶりに部室に顔を出した。
三年生は天体観測会を最後に事実上、部活動を終えたが、たまにこうして様子を見に来ることもある。
新部長に決まった二年生の須田隆也と副部長になった江美理を含め、下級生たちを激励して三年生の最後の役目を果たした。
「先輩、寂しくなります~!観測会が昨日のように思えて・・・楽しかったですね」
涙声で新副部長の江美理が言った。
「大げさね、エミリ。部活動は終わりだけど、学校にはまだ半年もいるし、それにたまには顔を出すわよ。しっかりしないと・・・副部長になったんでしょ?」
前部長の代わりに前副部長たる愛莉が、涙を拭う江美理にそう言った。しかし、直前まで自分たちも涙でいっぱいだったので、目が赤いのはもちろん涙声なのは皆に気づかれていた。部室に入ってきた時からそうだったので皆は不思議に思っていたようだ。
そんな中、愛莉は腕組みをしている顧問、志賀が気になって仕方なかった。一刻でも早く先ほどの続きを聞きたかった。そんな愛莉の気持ちをわかっているのか、それとも自らも愛莉と話したいのか、志賀は愛莉に合図をして部室を出るよう促した。
愛莉は部室を出て、廊下で志賀と話した。
「何から話していいのか、正直先生は驚いている。もちろん君もそうだろう。まさか、君がお世話になった柴田教授のお孫さんだったとは・・・」
志賀は淡々と話し始めた。その説明は彼らしく、とても解り易くかつ明瞭だった。母と彼は東都大学の同窓生で学部は違ったけれども、同じサークルで知り合い仲が良くなった。付き合っていたということはなかったらしい。それでも周りにはそういう風に思っていた者も少なからずいたと、志賀は正直に話した。
「先生はその当時、母の事をどう思っていたのですか?」
愛莉は少しためらって聞いた。
「里美さんの娘の君にこんな事を言うのは可笑しいかもしれないが、好きだったよ」
志賀のあまりにも素直すぎる答えに愛莉は、正直驚いたが嬉しくて頭を下げた。それは、過去の自分の気持ちを正直に語ってくれたことに対しての敬意の表れである。本来、知らなかったとはいえ自分の教え子が若い時の好きな人の娘であることに加えて、その気持ちを素直に話す。それだけでも勇気のいること。
愛莉は志賀にまだまだ聞きたい事が山ほどあった。母との事はもとより、祖父のこと、それに一番の関心事は志賀がおそらく何か知っているであろう、『謎解き』のことである。だが、愛莉はそれ以上聞くことをやめた。あまりにも短時間で驚くような出来事が起き、それに帰宅すると母にも聞きたい事がたくさんあるので、とりあえず今日のところはそこまでにした。
志賀も話したい事がまだいっぱいあるようだが、愛莉の受験の事も考慮して時間のある時にまた話そうと約束して、その場は別れた。
家に帰ると暗いリビングで母が、ソファーに座りコーヒーカップを持ち考え込んでいた。テレビの明かりが母の顔を何度も通り抜けて、その憂いた表情をより際立たせている。愛莉はリビングの電気を付けて言った。
「お母さん。ただいま」
「あっ、おかえり。愛莉」
振り返った母の顔は笑っているが目が真っ赤で、何も言わないでも気持ちは通じた。
「何か作るね」
愛莉はブレザーを脱いでエプロンをつけた。
「いいの、愛莉。今日は私達ふたりだから、久しぶりに外へ食べに行こう。支度してくるから・・・」
そう言うと母は二階へと上がった。愛莉も部屋に戻って着替えをした。
「どこ行くの?」
愛莉が聞いた。正面には上弦の月が輝いている。
「わたし、久しぶりにかーくんのところに行きたいな。勝さんのハンバーグ食べたい」
先程の顔とは裏腹にまるで少女のような表情で里美は微笑んだ。好きなモノの前では年齢は関係ない。
ふたりは月明かりのもとブランコへ向かって歩いた。
愛莉はモヤモヤした気持ちで母の横顔を見ると、笑っているが時折俯く。母は何か言いたげではあるが、まだ決心がつかないらしい。そのまま待つことにした。
「いらっしゃい。あ~里美さん、お久しぶり。元気?」
「こんばんは。元気よ!あかねさんも元気そうでなにより。かーくんは?」
「まだ学校から帰ってないの。部活も引退したのに何やっているのかしら」
里美は奥で調理をしている勝に挨拶をして、邪魔をしているので愛莉は先に席に着いて本を読んで待つことにした。美味しい食事も済んでコーヒーを飲みながら、また里美はあかねと話し出した。
ちょうどその頃、駆が帰ってきて里美に捕まって未来のシェフの話をさせられている。愛莉は呆れてまたひとりで本を読んでいた。周りの賑やかしさなど全く耳に入らず、読書に集中していると、肩を叩かれた。
「なに読んでいるんだよ?」
駆がやっと里美に解放されてきた。
愛莉が無言で本の表紙を駆に見せた。
「ふ~ん。難しそうなのを読んでるな!」
「ここに置いてあった本よ。どうだったの、補習の結果は?紀子に色んな世話をかけたんだから、ちゃんとできたんでしょうね?」
「色んなって、なんだよ?古文だよ」
「どうしてそんな、言葉に引っかかるの?あ~、そうそう!紀子に聞いたから・・・野上くんの家であったこと」
それを聞いて駆はドキっとして、顔が少し赤くなった。
「え~!全部か?」
「そう全部。アンタが気にするほど、紀子は気にしてなかったわよ」
「そうかぁ・・・」
そこで話は途切れ、愛莉は本を読もうとした時、里美がきて帰ることになった。駆にしては何とも後味の悪い感じで、愛莉と里美を見送る家族に混じって手を振るのであった。ふたりは無言で歩きながら家へと向かっていた。愛莉はその雰囲気がたまらず、言葉を探しているが、こういう時に限って出てこない。
仕方なく夜空を眺めていた。
「お母さん。目の前のW形の星見える?」
「う~ん。ああ、あれね。見えるわ」
「あれはね、カシオペヤって言って、その右横にあるアンドロメダのお母さんなの」
「そうなんだぁ。そう言えば愛莉はおじいちゃんとよく星を見に行っていたわね。望は一回きりみたいだったけど・・・。私たちもそうだったな」
母は懐かしそうに言った。
「えっ、お母さんもよく行ってたの?」
「いいえ、逆。私は望と同じで一回だけ」
「じゃあ、弘美おばさん?」
「そう。姉は週末のほとんどは、お父さんに連れ出されていたわ。最初イヤだってよく言っていたけど、そのうちに自分から連れて行けと、よく言っていた」
愛莉は初めて母と叔母の話を聞いた。と言うのも、まだ母たちが結婚する前に外国に移住したとだけしか聞いていなかったからだ。里美の二つ上の姉、弘美は美術大学に通っていたが、卒業目前で突如パリへ留学することになり、そのまま移住したという。
それから、里美は一度も会っていないらしい。というよりも姉が一度も帰国していないと里美は語った。
「どうしたんだろうね?おばさん。元気にしてるのかな?」
里美を見ると、夜空を見上げながら涙を流している。
愛莉は母の姿を見て反省した。いつも姉とケンカばかりしているが、今の母を考えると、そんなのは贅沢であると。
「先生の名前は何て言うんだっけ?」
「志賀先生。でも昔は向井さんだったんでしょう?」
「ええ。どうして変わったのかな?」
「さっき、先生が言っていたのは結婚して養子に入ったんだって」
「そう。愛莉、ビックリしたでしょう?」
「とても・・・でも、お母さんの方がもっと・・・そうでしょう?」
ただ一度だけの母の頷きは、それ以上の説得力があり、激動の一日に相応しい瞬間であった。
愛莉と里美の頭上には、妻カシオペヤと娘アンドロメダを静かに見守る、ケフェウスがともに輝いていた。




