北山家
天文部にとって一年で最大のイベントを終え、まだ始まったばかりの夏休みをどう過ごすか、それを楽しみに学生生活を送っているのは大半の三年生以外下級生たち。夏期講習で夏休みなどないといった生徒たちも多い中、愛莉は観測会で力を使い果たしたかのようにやる気が出ない。母や姉からはそんなことで大学受験は大丈夫かと、毎日突かれていた。
そんな愛莉を温かく見守っている父は自分も三年の夏休みはほとんど何もしなかったが、無事ストレートで合格したと自慢する。だから心配していないと言い、また母と姉を怒らせていた。愛莉にしてみれば、いくらやる気が出ないとはいえ、このままでいいとは思っていない。夢に向かって今この一瞬も無駄にはできない。
だが、体が動かない。それは一大イベントを終え、いわゆる燃え尽き症候群に陥ったのか、はたまたあの夜に起きた出来事が原因なのか、思春期の不安定な時期によくあることなのかもしれないが、そんな時に自分でもわかっていることを周りから言われると余計反発してしまう。そんな乾いた心に一滴の清涼剤が注がれた。
「もしもし愛莉ちゃん、元気?」
「菜穂子さん。それが・・・」
愛莉がちょうど考え込んでいるところに住吉菜穂子が電話をかけてきた。愛莉はここぞとばかりに思いのたけをぶちまけた。仕事中で忙しいにも関わらず、かけてきた菜穂子は真剣に愛莉の話を聞いてくれた。
そして、ひとつだけアドバイスがあると言って自分の受験体験談を話してくれた。それは愛莉の父龍一が言ったことと全く同じで、それを菜穂子に言うと電話越しに笑いが漏れた。菜穂子の用件は仕事で近くこちらの方に来るということだった。その時に会おうということになり、愛莉は料理を作るからと菜穂子を家に招待
した。
それから数日後の土曜日昼、愛莉と紀子はキッチンで今か今かと、菜穂子が来るのを待ちながら、食事の支度をしていた。今日は北山家の全員も在宅していて、まだ菜穂子に会っていない母と姉も心待ちにしていた。
「ねぇお母さん、菜穂子さんってどういう感じの人だろうね。ノリちゃんは会っているんだよね?」
姉の望が目を輝かせて言い、紀子は頷いた。
「相当美人だと思うわ。お父さんが東都大学に行って、次の日うるさかったのを覚えているから・・・」
龍一は聞こえない振りをしてリビングで新聞を読んでいる。望はピーナッツをかじりながら愛莉と紀子の手際を観察し、その横で母里美はふたりの補助的役割をして慌ただしく動いている。
「お姉ちゃんを見ていたら思い出したわ。ねぇ紀子。ほら食べている、アレ・・・」
そう言うと愛莉は望がバクバク頬張るピーナッツを指差した。
「あぁ。あの絵の案内図に書かれていた< S. E. NUTS> 東南のナッツだったよね?結局違ったけど」
紀子の笑みに一体何の事かわからない望は、ポカ~ンとした顔でふたりを見ている。口いっぱいに頬張っているから、何かを言っているのだけどわからず、だいたいで愛莉と紀子は返事した。
「ほら望、いい加減にしなさい。ご飯前にそんなに食べて・・・少しは手伝ったらどうなの?」
むくれる望に里美は玉ねぎを切り、むせながら言った。それに愛莉は手を何度も振り断る仕草。
その状況を見て紀子は笑っている。
∧ ピンポ~ン、ピンポ~ン∨
玄関チャイムが鳴り、もちろんここは手の空いている望の出番だ。望は歓迎の挨拶を玄関先でして、菜穂子をリビングへと案内した。
「どうも初めまして。本日はお招きいただきましてありがとうございます。住吉菜穂子と申します」
菜穂子はまず初対面の里美と望に挨拶をして、続いて他の三人にも丁寧に挨拶した。愛莉と紀子は久しぶりの再会に喜び、龍一と望もニコニコして菜穂子に話しかけている。ただひとり里美はなぜか菜穂子を見つめたまま固まっている。
「お母さん、お母さん、どうかしたの?」
里美は愛莉に声をかけられて正気に戻った。
「いえ、何でもないわ!菜穂子さんがあまりにも昔の知り合いに似ているからビックリしちゃったの。ごめんなさいね」
そう言って里美はキッチンに戻った。愛莉が誰に似ているのかと聞いても、お茶を濁した返事しかしない母に違和感を持ったがそれ以上は追及しなかった。
本日のメニューはまず、愛莉特製の生春巻きと紀子特製のサンドウィッチである。愛莉と紀子はそれぞれ自分が腕をふるった料理を運びシェフの如く説明をした。
メインディッシュがボリュームあるため、少なめに作り前菜とした。生春巻きは愛莉がピリっとしたチリソースとあっさりしたゴマだれを作り、お好みでつけて食べてもらうかたちにし、サンドウィッチは四角い形のクラブサンド風、それに皮つきポテトを添えて皿に盛った。 皆が「おいしい、おいしい」と褒めてくれて、愛莉と紀子はご満悦だ。そして、ほどなく里美と望が鍋の用意をし、龍一がエアコンの温度を下げた。
本日のメイン、北山家特製のトマト鍋の登場である。どこでもよくある光景だが、鍋をすると必ず鍋奉行が出てくる。しかも、その奉行は大抵、料理前からは存在せず、鍋に火をかけると突然やってくる。
そう、北山家の場合は長女の望である。彼女は紀子と菜穂子に材料と作り方を説明し、その段取りとちょっとした心得など大げさに語り、場を盛り上げているのか、いないのかよくわからない奉行である。
もちろん、その間作っているのは望ではなく、愛莉と里美であった。その光景が面白くて、紀子と菜穂子は笑った。龍一は少し恥ずかしそうにして、当の本人望は頷いている。鍋に火をつけ、オリーブオイルをたっぷり入れ、鶏、ブタを炒め、その上に輪切りにした玉ねぎ、ピーマン、しめじ、マイタケ、椎茸などのキノコ類を敷き、エビ、イカ、ホタテなどの魚介類、途中でトマトを潰したものを入れ、出来上がりを確認するためにあさり
を一番上に置き、最後にトマトピューレを流し込む。
フタをして出来上がりを待つ。そのあいだ、生春巻きやサンドウィッチを摘まんで談笑。愛莉と紀子はお茶を飲み、最近、酒を飲み始めた望は缶チューハイ、里美はこの日のためにデパートで選んだ赤ワインを菜穂子と飲み、龍一は大好きな芋焼酎を啜っている。
ぐつぐつと鍋が鳴きはじめ、音と香りで待ち人を引き込む。鍋のフタは熱くて重たいのでこの時が唯一、父の活躍できる場面である。三回目にフタを開けた時、赤いスープの海にあさりが口を開け、龍一の合図で各々が取り皿を手にした。
この北山トマト鍋の特徴は、皿に大根おろしを入れ、それをポン酢でいただくといった格好である。さらに、お好みで一味や七味をふりかけ、和洋折衷鍋の完成である。人数に応じて具がなくなったら、一旦スープを取り置き、また最初からの手順で作り始め、二~三回それを繰り返し、最後に残ったスープでパスタを入れ、締めとする。食べている間ずっと、皆はニコニコして、話しと食べるのとで口がいっぱいであった。
「菜穂子さん、最近、天文学の世界では何か面白い発見はありましたか?」
少し酔いの回った龍一が学者らしい質問をした。
愛莉と望は父を口笛で冷やかした。
「そうですね。基本的に地味な仕事なので、特に私の分野は・・・」
こちらも少し酔いが回っている菜穂子。
「どういう分野なんですか?今後の参考にしたいから、教えてください」
その分野を目指している愛莉が聞いた。
「私は電波を使って宇宙を監視しているの。ずーっとパソコンと、にらめっこして」
「え~!それって宇宙人を探しているんですか?」
少し顔の赤い望が言った。
「まぁ、それもあるけど現実的には彗星や遠くにある星とか、銀河とか、いろいろ」
一同は普段あまり接することのない壮大な世界に耳を傾け、料理、酒と共に堪能した。
「愛莉に菜穂子さんみたいな仕事できるのかな?こんな、おっちょこちょいに・・・」
「お姉ちゃんに言われたくないです!子供みたいな人が子供を教えられるの?」
軽い姉妹ゲンカにいつもの事と紀子は微笑み、菜穂子は少し俯いた。
「ゴメンなさいね。菜穂子さん」
元気がない菜穂子を見て里美が謝った。
「いえ、こちらこそすいません。私は一人っ子でふたりを見ていて、ただ羨ましかっただけなので、気にしないでください」
一同はキレイに鍋をたいらげ、お腹がいっぱいになったが、締めのパスタは入るようだ。間もなくそれも全部食べ終えて、皆はお腹を叩きながら笑った。
「もうダメ!入らない。どうだった?北山鍋の味は?」
鍋奉行最後の仕事である。
「こんなおいしい鍋初めて食べた。また作ってね!望さん」
少しスパイスを効かした紀子。
「ごちそうさまでした。凄く美味しかったです。今度私も挑戦してみます」
菜穂子も大満足のようだ。北山家一同も客二人の笑顔が見られて大満足であった。後片付けを里美と望に任せ、愛莉、紀子、菜穂子はリビングで話を始めた。
「まず結論を先に言うわね。桑野さんの前任の人、つまり私達の予想するボールの謎を知っているかもしれない人の行方はわからない。いろいろな所に問い合わせや独自で調べてみたのだけど、大学を辞めたあとの消息が全然つかめないの」
「それって、もしかして・・・亡くなっているかもしれないってことですか?」
片付けをしているはずの望が口を出した。愛莉が望をキッチンに送り出し、またリビングのソファーに座って考えた。
「そうですか。じゃあ、その線はダメですね。その人、名前はなんていうんですか?」
「確か、向井さんっていったわね」
愛莉も紀子も考え込んでいる。
「そうだ!お母さん、お母さん」
愛莉は里美を呼び、その人物を知っているか聞いた。というのも、里美は東都大学の卒業生なので知っているかもしれないと思ったからだ。
「えっ!向井さん?」
愛莉は一瞬、母が息を止めたように見えた。
それは先ほど、初めて菜穂子の顔を見た時に母が見せた態度に似ていた。
「いいえ、知らないわ。聞いたことあるような、ないような・・・」
明らかに里美の様子は不自然だ。愛莉はまた考え込んだ。いつかも母のあの顔を見たような気がした。
しばらくして、思い出した。母と買い物に行って、その帰りにオリーブでお茶を飲んでいたときだ。
あの時は確か名前すら出ず、愛莉が前任者の事を聞いただけで、明らかに動揺しているように見えた。
しかし、今回はその名前が判明している。
愛莉はとても小さな声で呟いた。
「お母さん、知っている」
独り言なのか、それともただ声が小さかっただけなのか、そばにいる紀子も菜穂子も聞き直した。
だが愛莉は首を横に振るだけであった。確信を得た愛莉は紀子と菜穂子に向井の件は自分に任せて欲しいと告げ、他のアプローチを試みた。
ふたりで菜穂子に観測会の日にあったことを話し、専門家である菜穂子の意見を求めた。菜穂子によると、詳しいことはもっと調べなければわからないが、超新星爆発を起こしたとされる恒星はどのような星だったのか、またその頃、ちりとり座に所属していたかもしれないという検証も必要である。これは科学と文献など歴史の側から双方で調べなければならない。
幸い今、愛莉たちの横で酔っている父、龍一は歴史学者だ。だが今はよしておこうと三人で話がまとまった。愛莉と紀子はただでさえ忙しい菜穂子に、このような事を頼むのは気が引けたが、そこは好奇心と探究心に負け、ふたりで菜穂子に手を合わせるのであった。
もっとも、菜穂子も二人のカワイイ後輩をほっておけるはずもなく、何より天文学者としての血が騒ぐ事に火を付けたのは、この女子高生探偵のふたりである。
北山家での宴もほどなく終了を迎え、紀子と菜穂子は帰り支度を始め、皆で今日一日を振り返った。
美味しい料理と酒、楽しい会話と謎解き。大切な家族と大好きな親友、それに頼もしい先輩。
かけがえのない時間はとても早く過ぎる。
「菜穂子さん。いつか時間の長さを感じなくなるような時がやってくるのかな?」
突然、愛莉が疑問を投げかけた。
「そうねぇ。それは物理の専門分野だね。ちょうど愛莉ちゃんのお爺さんが得意としていたところね。私も教授に師事したけど、結局天文のほうを選んだから・・・」
「物理と天文は全然違うの?」
「厳密には違うと言ってもいいけど、それは昔の話。分野は違うけど連携して宇宙の謎に挑んでいるの。もっとライバル関係みたいに張り合っていた数学の人たちも一緒に研究しているのよ。それだけ協力しないと、宇宙の謎は解けないってこと」
愛莉はなんとなく把握できているようだが、文系の望や紀子は解らないようだ。
「じゃあ愛莉はおじいさんに続き、物理学を目指すの?」
紀子が聞いた。
「いいえ。私は天文学。宇宙人探しの専門家になる!」
手を高らかに挙げて宣言する愛莉を見て、まるで子供の瞳みたいに感じたのは父母だけでなく、その場にいた全員が思った。
「今日はどうもありがとうございました」
客人二人は丁寧に挨拶して北山家の門扉を開けた。
皆が見送る中、愛莉も一緒に出て少し歩いた。
夜風が心地よく吹き、三人で夜空を見上げると頭上には菜穂子が好きだと言うWの形がよく見えるカシオペヤが輝いていた。




