消えたボール
愛莉はスポンサーがいるということでいつもより贅沢にオリーブ特製のパフェを、母はコーヒーを注文した。ゆったりパフェを食べながら愛莉は今日、昼からの時間が早いことに気がついた。それほどバタバタして時間を忘れるほどであった。
そして、思い出した。先ほど紀子と動かしたボールの重さである。この間、父と紀子の三人で苦労して運んだことを・・・。
「ねぇお母さん、桑野さんってずっとおじいちゃんの助手だったのかな?」
「いいえ、お父さんが亡くなる二年前に大学に来られたって聞いているわ」
「じゃあその前の人って誰か知ってる?」
「いいえ、知らないわ。大学のことはそんなに詳しくないから・・・」
そう言ってコーヒーを飲み不自然に目をそらす母に愛莉は違和感を持った。それから母とは家に着くまでほとんど話をしなかった。愛莉は何かマズイことでも聞いたのか気になったが聞かないでおいた。
オリーブでゆっくりしたので思ったより遅くなり家に着くと姉の望が帰宅していた。望はお腹が減って早く食べたいから、手伝うと言うと、母に普段からもっと手伝いなさいと叱られた。望は手伝いをほとんどしないので家事が苦手だ。
いつも結婚前にはするから心配ないと、呑気に構えている。一方、愛莉は小さい時から母を手伝い、見よう見まねでしてきたので高校生にしては割と家事ができると家族みんなも認めている。
愛莉は妙な胸さわぎがしたので納戸に向かった。
扉を開け電気をつけ先ほどしまったボールのところに目をやったが何かおかしい。微妙に感じが違う。
近づいてよく見てみるとさっき置いたところにボールがない。あのボールは見た目こそ丸いが、下部は平坦になっており転がりにくい。しかも周りはぎちぎちに他の荷物が置いてある。愛莉はよく考えた。
間違いなくほんの数時間前、紀子と目の前の場所にあったボールが消えるなんてあり得るのか。
なぜここにないのか冷静になりもう一度考えてみた。あの日自分たちが東都大学の研究所からボールを持ち帰った翌日、研究員たちも同じ状況だったはず。
ある者は論理的に、またある者は非科学的に考えた。そしてそれは自分たちが持って帰ったのだった。
「誰かが運びだした」
静かな納戸では独り言でも大きく聞こえる。
愛莉は自分でも驚くほど冷静であった。家に見知らぬ者が入ってきて、普通では考えられないところにある、考えられないモノを盗み出す。しかも、極めて短時間に狙いのものだけを運び出す。
そして、このモノは絶対に普通の泥棒が持っていくものではない。先に帰っていた望が異変にも気づかないほどだ。愛莉はただならぬ見えない大きな力に巻き込まれている。このまま進んでよいものか、家族や友達を巻き込んで・・・。
「解らない時は星に訊け!」
一瞬、権三の声が聞こえた。納戸の窓を開け夜空を見上げた。そこには青白くキラキラとシリウスが輝いている。そして、このことは当分の間伏せておこうと決め、まだ今の段階ではみんなには言わないほうが賢明だと悟った。
「愛莉~ご飯よ~!」
キッチンから望が呼んでいたが返事がないので納戸まで来た。
「そこにいたの?どうかした?」
珍しくエプロンをしている望が言った。
「ううん別に、本を整理しているの」
「ふ~ん、ご飯出来たわよ」
少しぎこちない愛莉の返事にも気づかない望は鼻歌まじりでキッチンに戻っていった。
「先に食べて!」
キッチンのほうに向かって大きな声でそう叫び電気を消し、扉を閉めて二階の自分の部屋へ戻り、ベッドに横たわった。大の字になりフ~っと息を漏らしケータイを開けた。
「もしもし紀子、いま大丈夫?」
愛莉は相棒の紀子にだけは話さなければと、先に電話をした。そして、話を聞いて紀子は自分よりも愛莉たち北山家のことが心配だと言った。
優しい紀子らしい言葉である。
「大丈夫!紀子、私思うんだけどこの泥棒は普通のヤツじゃないわ!あのボールだけ狙ったの。それが証拠にそれ以外なにも手を付けてなくて、お母さんもお姉ちゃんも全然気づいてないもん!」
人を傷つけるのではなく、狙ったモノだけを持ち去る。極めてプロの犯行だと愛莉はにらんだ。
そして、いずれその者に行きつくと絶対の自信をもち紀子に語った。
「わかった。愛莉がそう言うなら私も安心できるわ。でもくれぐれも気をつけようね。ワトソン君!」
「もう!紀子ったらぁ」
そんな冗談で締めくくり、電話を切って一階に下りるとリビングで桑野が待っていた。
「こんばんは。大きくなったね」
桑野と会うのは権三の葬儀以来であり、愛莉がまだ小学生だったときである。
「こんばんは。お久しぶりです」
挨拶を交わし、食事時だから話を聞けばすぐ帰るというのでさっそくそうした。
「率直に伺います。柴田教授から何かお聞きになってないですか?あと、ボールの中身が封筒だけだったと聞いていますが、言える範囲で結構ですので研究のことを何か書かれてなかったですか?」
桑野は自分の教え子より若い愛莉に恐縮しながら、なお且つ丁寧に質問した。
「とくにそのようなことは書かれてなかったです。私達家族のことばっかりでした。祖父はあまり仕事のことを言わなかった人でしたので・・ごめんなさい、お役に立てず」
「そうですか・・・」
取り留めのない、ごく普通の言葉で返す愛莉ではあったが、桑野の顔を見るとガッカリした様子なので少し可哀そうに思った。
「でも桑野さん、祖父は昔からいたずら好きでよく私達を驚かしていたんですよ。それと今後参考になるかは分かりませんが、祖父は一代で解明するのは到底無理な事だから後世につなげというような事を言っていました」
せめてもの愛莉の言葉であった。それを聞いて納得したのか、桑野は北山家を後にした。
愛莉は食事を早々に終え部屋の机の中にしまってある祖父の手紙を読み返した。
そして、読み終えると電話をかけた。
「もしもし菜穂子さん、こんばんは。夜分にすいません。いま話してもいいですか?」
東都大学の住吉菜穂子である。
「愛莉ちゃん、こんばんは。さっき仕事が終わったとこなの。どうかした?」
愛莉は先ほど桑野が訪ねてきたこと、それとボールと一緒に絵が消えたことを話した。
当然菜穂子も紀子と同じ心配をしたが、紀子に言ったように菜穂子にも説明した。
それから愛莉はずっと気になっていた、桑野の前任の助手を調べてもらうように頼んだ。
分かり次第会うという約束で電話を切った。




