体育館
放課後の体育館で愛莉たち天文部員は天体図製作の大詰め作業に入っていた。タタミ三畳分ほどある大きな紺色の布に星座や惑星などを書き入れ、天体観測をしたことのない人にもわかりやすく見えるようにポスターカラーで色を塗っていく。
夜空を模して紺色の布で空を表し、星の色は白が多く使われるが星の種類によって赤や青、オレンジや黄色などで色分けして実際の星空に限りなく近づけている。
愛莉は体育館の舞台に上がり、そのほかの部員が床で色を塗る。上からバランスを見て全体の構図を整える。今回の天体観測会幹事としての大きな山場である。
皆は小学校の図工みたいにはしゃぎ、顔や服にも絵具が付き、楽しんでいるようだ。ただひとり、大人ぶって腕組みをしている野々宮を除いては・・・。
野々宮はいつも同級生の愛莉や紀子にも態度が横柄で人を見下すようなところがあり、今回の天体図製作も自分たち天文部のためではなく普段、夜空をあまり見上げることがないサッカー部のためにつくるのであって、どうしてそんな初歩的なものを今さら製作するのか、わからないと不機嫌に言っている。
そんな態度の大きな野々宮にも弱点があり、下級生ながら唯一その者には気をつかっているようだ。いや恋をしているといったほうが合っている。
大半の部員もそれに気が付いていて、それを紀子は上手く利用している。それは二年女子三人の中で妹的存在の小柄で甘えた声の渡辺はるかである。
ほかのふたりは行動的で物おじしない武田江美理と神秘的で不思議な雰囲気の堤翔子、それぞれ個性的でいいトリオである。
「はるか、それ野々宮に聞いてみたら?」
紀子は手が止まって難しそうな顔をしている、はるかに言った。それを聞いて紀子に頷き、はるかは野々宮の側に行った。
「部長、ここわからないんで教えてくれませんか?」
甘えた声に思わず顔がほころぶ野々宮。
「どうした?渡辺さん。どれかな?」
俄然やる気が出た野々宮がはるかの横に座る。
それを見て紀子は口元が緩み、愛莉を見たら同じく笑っていた。そんな中、体育館の扉が開き美術教師の川上が入ってきて愛莉と紀子を見つけて言った。
「北山さんと村田さん、忙しいところゴメンね。ちょっといいかしら?」
川上に呼ばれたのはもちろん、調べてもらっている油絵についてのことだろうが、何か川上の様子が違っていたので直感的に体育館の外へと三人は出た。
「絵のことだけど、もう一度確認したいことがあって」
何とも煮えきれない態度の川上。
「わかりました?先生」
心配げに愛莉が聞いた。
「それが・・・画家でH・Ereという人はいなくて、フランスにジャン・エレーという画家はいたのだけど、もう亡くなっているの。山もかなり調べてくれたのだけど、どうしてもわからなくて・・・」
やはり川上の言葉は歯切れが悪い。
「そうですか。あれだけじゃ難しいんですね。どうもありがとうございました」
愛莉は申し訳なさそうに言い、紀子も隣で口を真一文字に閉じて目を伏せた。
「ゴメンね!お役に立てずに、それとね、確認したいのはあの絵、カメラに写っていたでしょう?ふたりともどこかで、あの絵を見たの?」
正直ふたりはドキっとした。先日川上に依頼したときは絵の出所を聞かれなかったからだ。あえてそれは言わずにいた。別に川上を疑っているわけではないが、今後も極力、絵の存在は言わないほうがいいと、愛莉と紀子はそう話し合っていた。
それを知っているのは愛莉と家族、紀子、それに東都大学の菜穂子である。そのうち、詳しく知っているのは愛莉と紀子だけだ。そして、どうして川上が絵の存在を気にするのか、不安に思いながら愛莉は答えた。
「いえ、あの絵の写真は都市伝説のようになっていて、興味があったので絵に詳しい川上先生に聞きたかっただけです」
嘘を言って少し気が引けた愛莉だが、同じく紀子もそうだろうと、お互いが控えめに頷いた。
「そうか!よかった。後輩では調べられなかったので、ある人に相談したら逆にしつこく絵のことを聞かれたから、あの絵に何かあるのかなって思って・・・」
川上の言葉は行く先を暗示しているようだ。その表情に不安が増した愛莉。すると川上の肩越しに人影のようなものが見えた。体育館の横扉から外に出た三人であったが、そこは敷地の端にあり草が茂っている。
その草が微かに揺れ、そこにいた人影は消えた。
愛莉が草むらを見たので正面にいた川上は振り返り、隣の紀子もそちらを見た。
「どうかした?北山さん」
「いいえ別に・・・何もないです」
愛莉はそう言ったが明らかに動揺していて、川上は心配になった。自分がさっき言ったことが関係しているのか、何か変なことを言ったのか、気にしながらその場を去った。愛莉は川上の話と人影を見たことでより不安が増し、ケータイを出し自宅にかけた。
長いコールのあと母が出た。
「お母さん、おうちで何か変わったことなかった?」
電話越しのその声は不安でいっぱいなのが母里美にはすぐわかった。さすがは母親である。
同じような感じに言っては余計不安が増すのでいつもと変わらず里美は言った。
「とくにないよ。お母さん今日は短縮授業で早かったから、久しぶりにケーキ作ろうかと思って帰ってきたら、材料買ってくるの忘れちゃって・・・アハハ~」
明るい母の言葉に思わず笑う愛莉。
「あっそうそう、さっき東都大学の桑野さんが近くまで来たからって寄ってくださって、仏壇に線香をあげてくださったわ」
それを聞くと愛莉は慌てて、すぐ電話を切った。
そして紀子に一緒に来てと言い、自転車置き場に向かった。帰路途中、紀子にさっきの電話の内容を話して自転車を漕いだ。
愛莉は家に着くと一目散に自分の部屋へと向かった。
紀子は里美に挨拶をして愛莉の部屋へ入った。
「よかったぁ!無事だったぁ」
愛莉はそう言うと床にへたり込んだ。壁に掛けられた絵は小さいながらもその存在を誇示しているようだった。それは描かれている山がそうしているのか。
それとも、作者の念がそうさせているのか。かなりのスピードで帰ってきたのでふたりは汗だくになり、タオルで拭っていると丁度いいタイミングで里美が冷たいジュースを持ってきた。
一気に飲み干し落ち着いたところで愛莉は何かを思い出し叫んだ。
「あ~~部活!」
慌てる愛莉を見てすかさず紀子が言った。
「大丈夫!電話しといたから、野々宮に」
「ゴメン!なんか言ってた?部長」
「ブチブチと言ってたけど、いつもよりはマシ。だってほら、愛しのはるかちゃんにレクチャー中だったから・・・」
「そうだったね!」
そう言ってふたりは何事もなかったように笑った。
それを見て里美も微笑ましく思った。
「紀子ちゃん、いつも迷惑かけるね。こんなおっちょこちょいの娘で・・・」
「そんなことないですよ!おばさん、それはお互いさまです。私のほうが愛莉に助けられる事が多いくらいですよ」
そんな娘と友人を見て里美は何か閃いたのか、手を叩き言った。
「差し詰めふたりは女性版名探偵ホームズってとこね!どっちがホームズでワトソンかわからないけど、いいコンビだわ」
ふたりは我こそがホームズだと言い張って譲らず、ホームズにならって微妙な知識を出し合った。
それが出尽くすと、なぜワトソンではいけないのかと、お互いが譲り合った。
「桑野さん、どうしてウチに来たのかな」
突然何かを思い出したように愛莉が言った。
「なんでも近くで調査があったとかで、寄ったって言ってたわ。桑野さん、お父さんの後を継いで研究をしているらしくて、何か愛莉に聞きたいみたいよ。帰りにまた寄るって」
「桑野さん何か言ってた?お母さん、絵のこと話した?」
「いいえ、あなたが絵のことは誰にも話すなって言うから何も・・・」
もちろん知っている誰もが言わないのはわかっている。とりあえず、絵を壁に掛けておくことはやめてあのボールに収めることにした。そのほうが鍵もかけることができ安全である。重たいので紀子と一階にある納戸に行き、一緒に引っ張り出して絵を入れ奥にしまった。
それから、紀子が帰るというので一緒に出て母と買い物に出かけた。久しぶりに母と外出するので愛莉はテンションが上がって、思わず小さな子供のように母に色んなものをねだった。文房具、コロッケ、ジュース、母もしょうがない、と言いつつ財布の紐が緩んだ。
結構な荷物になりノドが渇いたので、ふたりはいつも愛莉と紀子の行くオリーブに入ることにした。相変わらずの人気でやはり学校帰りの学生が多い。




