アナグラム
まもなく天体観測会があるので最近の部活は遅くなることも多く、夏ながら帰宅時には星が見えるからと愛莉、紀子ともに満更悪くないようであった。
「愛莉、あのボールはどこにあるの?」
「昨日遅かったから車に積んだまま。お母さんとお姉ちゃんビックリするかも」
ふたりは自転車を押しながら昨日の出来事を振り返り、お互いが知恵を出し合って、次に進もうと話し合った。
「愛莉、ひとつ気になったことがあるんだけど。昨日車に積む時、おじさんと私たち三人でやっと持てたほど重たかったじゃない?あれを天井裏におじいさん一人で上げたのかなって・・・」
確かに紀子の言う通りである。ボールの素材がなにかは分からないが、金属製でそれなりの重量がある。
少し持ち上げるだけでも一人ではキツイ。高齢である権三がはるか頭上の天井まで持ち上げられるのか。
いや、おそらく無理であろう。紀子の疑問は的を射て、それが権三以外の人間の関与を意味している。
「そうなの、私もそう思ったからさっき電話で菜穂子さんに聞いたら、今の研究所の人はみんな知らないらしい。だから、調べてくれるって」
これはどういうことか。愛莉は少し不安を覚えた。
それはあれほどまでに祖父が他の者の関与を避けていたはずなのに、この疑問の通りだと第三者がいることになる。それがどのような人物なのか。今はまだ分からない。いずれにしても、その人物が鍵を握っている。
その人物が敵かそれとも味方なのか。
愛莉は星空を見上げた。
「紀子~、好きな星は?」
「プロキオン。だって、こいぬ座だから、かわいいじゃん」
「そうだね。私はシリウスでおおいぬ座、ご近所さんだね!よかった」
ふたりは各々、好きな星の蘊蓄を語り合い帰路に着いた。家に着くと何やら騒がしく、大きな声が外にまで聞こえていた。それは母と姉の声で、愛莉がドアを開けるまでもなく、それがボールのことで騒がしいのがわかった。リビングでは母娘が今にも転げるかのようにボールの前に座り笑っている。
「しかし、こんな大層なものをつくって、中身は封筒と絵だって?お父さんらしいわ」
里美は泣きながら笑い、望も手を叩いて笑っている。そんなふたりを見て愛莉と龍一は複雑な心境だった。
丸一日を費やし謎に挑んで大変な苦労をした。それはその場にいなかった里美や望にはわからない。
愛莉は龍一を見て小さく首を横に振った。父も頷いた。呆れた愛莉は自分の部屋へ戻り、着替えをしていると玄関チャイムが鳴った。
「愛莉~、かーくんよ!降りてらっしゃい」
リビングに行くと、さっきの笑いなど、どこ吹く風と言わんばかりに和んでいた。駆が店で修業のためにプリンを作ったからと、北山家の全員分を持ってきた。
「おいし~!さすが未来のパティシエ!」
「違うよ!お姉ちゃん。シェフだって」
相変わらず人の話を聞かない望に愛莉が突っ込み、少し戸惑う駆。
「ほんとにおいしいわ。かーくん、いつでもお店継げるわね。これで沢口さんも安心ね」
里美がそう言うと、龍一も頷いた。
「ありがとうございます。昔から知っている、おばさんたちに認めてもらえて、うれしいですよ」
「なによ!改まって・・・らしくない」
そう言いながらもパクパク食べる愛莉。
皆が満足したのを見届けて駆は挨拶をし、立ち上がって小さな声で愛莉に言った。
「ちょっと、いいか?」
父母姉が玄関で駆を見送り、愛莉は一緒に外へ出た。
駆がカバンから愛莉に借りていた天体図鑑を出して言った。
「サンキュー。勉強になったよ。この中で名前なんて言ったっけ、一番明るい星、俺はそれが好きだな!一番輝いていて。まるで俺みたいだ」
「えっ!そうなの?」
ギャグも聞こえないほど驚いた愛莉。
「なに?なんか問題でもある?」
あまりの愛莉の反応に駆も戸惑う。
「ううん。別に・・・それより、わざわざありがとう。ご馳走さま!」
図鑑を手にして駆を見送る愛莉。その頭上にはひときわ輝くシリウスが何かを語っているようであった。
翌日、愛莉と紀子は美術教師の川上マリのもとを訪ねた。もちろん例の油絵のことについて聞きたかったからだ。前日までのふたりの見解はまず画家を割り出して、描かれている山がどこか特定すること、あと案内図に書かれている文字はおそらく絵とは関係なく、暗号であろうという予想である。ネットなどで画家を調べたが該当する者がヒットせず、ここは専門の川上に聞こうということになった。キャンバスそのものは持って来ず、ケー
タイのカメラで撮った画像を愛莉は川上に見せた。
「先生スイマセン。ちょっと見にくいですけど、訳あってこんな画像で・・・」
「そうだね。少しわかりにくいな。赤外線で取り込んでパソコンに移すわ。それだったら、ちゃんと見えると思うし」
さまざまな絵が飾ってあり、イーゼルに立てかけて描き途中のキャンバスもあり、床や壁も絵の具がいっぱい付いて、ちょうど昼休みだったので弁当を広げたまま、川上は協力してくれた。
「う~ん、〈H・Ere〉ね。似たような名前の画家はいたような気がするけど、あとこの山がどこかだね?これだけの絵を描く人なら相当の腕だろうから、実在する山だろうね。少し時間くれる?美大の後輩にこういうの得意なヤツいるから調べてもらうわ」
「お願いします」
愛莉と紀子は頭を下げた。
ふたりは放課後、部活に向かう前に渡り廊下のイスで油絵の謎解きをもう一度考えた。まず絵の作者、これは美術教師川上に調べてもらっている。それから、この絵のメインである山。きれいな三角形を描いてその存在感を見る者に与える。また、その手前に柵があり、どこかの展望台のようなところから見ている風に描かれてあり、その中央に案内図らしきものがある。
そこに< S・E・NUTS> と書かれている。そして、左端に矢のような先の尖がった大きな岩。
「画家が判明したらどこの山かもわかるかもね。それはあとにして、問題は< S・E・NUTS> よね。わざわざ< S> と< E> のあいだを区切ってあるから、方角の東南かな?」
愛莉はケータイを見ながら言った。紀子も自分のケータイを開けた。ふたりはそれぞれのケータイに画像を保存して、いつでも見られるようにしていた。
小さいがキャンバスを持って歩くわけにもいかず、何より安全を期すためである。
「そうすると、残りの< NUTS> はピーナッツかな?東南のナッツ?意味わからないね。南国産ってことかな?」
そう紀子が言い終わると一瞬間があき、ふたりはお互いを見つめて同時に言った。
「アナグラム!」
ふたりとも自分のカバンからノートとペンを出し、一心不乱にアルファベットを書き、まるで競争するかのように文字を並べた。
「わかったぁ!」
手を挙げながら大きな声で愛莉が言った。
その声はかなり大きく、ふたりが座る渡り廊下のイスから中庭を挟んだ校舎にいる生徒もこちらを見るほどであった。
「え~!なになに?」
子供のようにはしゃぐ紀子。
「SUNSET」
クイズに答える回答者のように言う愛莉。
「日没かぁ?一度それを書いたと思ったけど、勘違いだった。山にサンセット合うね」
ひとつ片付いて取りあえずホッとしたふたりは部室へと向かった。その途中、愛莉はきっと野々宮が怒っていると予想し、紀子も頷きふたりで笑いながら扉を開けた。
「あれ、今日休み?」
ふたりは顔を見合わせた。
「おかしいな!そんな訳ないよ」
まるで部員が神隠しにでもあったかのように誰ひとりいない。考え込む愛莉。
その横で何かを思い出した紀子がクスっと笑った。
「愛莉ほんと面白いね。自分が決めて皆に言ってたのに・・・」
「あ~~!体育館!」
思わず叫んだ愛莉。天体観測会を間近に控え、大きな天体図を製作するため広い場所が必要だからと、自ら場所を取り部員全員と顧問に伝えていた。その本人が忘れていたのである。紀子が苦笑するのも無理はない。
ふたりは走って体育館へと向かった。
広い体育館で部員を前に集め、舞台に腰掛けて自分が知りえる天文知識をレクチャーする野々宮が扉の方を見て目を見開いた。それにつられて全員も後ろを振り返った。
「みんなゴメンね!遅れちゃった」
ペコリと頭を下げながら言う愛莉。横で手を動かしながらゴメンのポーズを取る紀子。
「遅れちゃったじゃない!君たちが遅いために僕が場を持たせていたのだぞ!」
いきり立つ野々宮。それに被せるように紀子が言った。
「ホントは嬉しかったんじゃないの?部長。先生みたいになってたよ。よかったね。発表できる場ができて・・・」
その場は遅れたこともあり、副部長でもある愛莉が謝って野々宮を納得させた。続いて愛莉は天体図製作の前に観測会の行程を説明した。当日、恵夢山キャンプ場ではサッカー部も合宿しており、食事のあと交流を兼ねて天文部が行う観測会に彼らを招待するということを計画した。その時に使う天体図をこれから製作するという。
サッカー部はその代わりに彼ら恒例の肝試し大会を催してくれるらしい。その辺の打ち合わせは友達同士である愛莉、紀子とサッカー部マネージャーの咲との間で話合われ、計画実行の運びとなった。
「愛莉先輩、サッカー部とのコラボ絶対中止とかならないですよね?」
愛莉の説明が終わるや否や手を挙げ、二年生の武田江美理が目を輝かせながら質問した。
「大丈夫よエミリ。向こうのキャプテンもちゃんと来るから・・・」
横から紀子が意味ありげに言った。それを聞いて江美理は隣の同級生、堤翔子と渡辺はるかの三人で喜んだ。
「翔子もはるかもそっち狙いなんだ!これは先が思いやられるわ!」
愛莉は小さな声で隣の紀子に言った。




