第19話 悪魔の計画書(1)
宮廷の喧騒から遠く離れた、離宮の一室。窓には固く鎧戸が下ろされ、燭台の炎だけが静かに揺らめいていた。マリーが厳重に人払いを命じたこの部屋には、彼女とルイの二人だけがいた。
――正確には、二人と、誰にも知られていない「もう一人」が。
ルイは、包帯の解けた右手を膝の上に置いたまま、真剣な面持ちでマリーを見つめていた。
「マリー。……話とは何だい? 昨日話してくれた“声”のことかい?」
マリーは、一瞬だけ言葉に詰まった。頭の奥で、シャルルの気配が静かに待っている。この存在のことを、目の前の優しい夫にどう説明すればいいのか。
(……言えない)
その思いは、以前よりもずっと強くマリーの中に根を張っていた。
シャルルは男だった。粗野で、口が悪く、けれど紛れもなく「男」としての意識を持つ何者かが、自分の頭の中に四六時中住み着いている。着替えの時も、湯浴みの時も、夫と夜を共にする時でさえも――彼はずっと、そこにいたのだ。
夫となったルイにさえ晒したことのない無防備な姿を、見ず知らずの――しかも得体の知れない、別世界の男にずっと晒し続けてきた。
それを打ち明けることは、まるで己の不貞を告白するに等しいような気がしてならなかった。ルイに嫌われたくない。いや、それ以上に――マリー自身が、その事実を直視することが恐ろしかった。
(……ごめんなさい、ルイ様。今は、まだ)
マリーは胸の奥で小さく詫びながら、頭の中の男と目の前の夫との間に、静かに境界線を引いた。
「……はい。昨日あなたにお話しした“心に浮かぶ声”のことです。あの声が、また私に語りかけてきました」
嘘ではない。だが、真実のすべてでもなかった。マリーは慎重に言葉を選びながら続けた。
「何もしなければこれから起こってしまうこと。そして、それを防ぐために私たちがすべきことについて……聞いていただけますか」
ルイは戸惑いながらも深く頷いた。彼にとって、マリーの中に時折現れるという「不思議な声」は、未だに信じがたい存在だった。だが、折れそうになったマリーの心をギリギリのところで救ってくれたのもその声の助言だったと聞いている。少し嫉妬じみたわだかまりも感じてしまうが、信じるほかに道はなかった。
マリーは静かに語り始めた。頭の中で紡がれるシャルルの言葉を、自分自身も十分検討して同じ考えであるのだと、一つひとつルイに伝えていく。
「このまま貴族の特権を放置していては、飢饉によって民は困窮し、国が乱れてしまいます。内乱が起き、多くの人たちが死んでしまいます……」
「内乱……が?本当にそんな事が?」
「はい、その内乱は数年間続き、国内で50万人もの平民や貴族達が死んでしまうそうです……」
「そんな……ことが……」
「――それを防ぐために……民の安寧を図り、国を豊かにするために、私たちがすべきことは大きく分けて三つあります」
革命の凄惨な結末をルイに伝えれば、あまりにも衝撃が大きすぎる。だからシャルルは「飢餓から国民を救うためだ」と表向きの論理を組み立てていた。
マリーはシャルルの指示をなぞるように語った。
「一つ。技術振興と食糧の増産です。この国の農業はあまりに非効率的すぎるそうです。輪作、品種改良、農具の改良……それらをすぐに広めていくべきだと、その声は告げるのです」
ルイは真剣な面持ちで耳を傾けている。
「二つ。医学と衛生の向上。今のフランスでは、生まれた子供の半数近くが五歳になる前に命を落とします。簡単な衛生知識や予防法を広めるだけでも、救える命は多いのだそうです。そして三つ目……」
マリーは一度言葉を切った。この先の言葉を自分の口から告げることに、僅かな躊躇いがあった。
「親衛隊の創設です。私たち――王太子と王太子妃に、直接忠誠を誓う独自の実力組織を……」




