第2章 第09話『師匠』
第九話 師匠
那種がまともに目を覚ましていられるようになるまで、三日かかった。
最初の一日は、ほとんど眠っていた。
眠る、というより、意識が沈んで浮かび上がれない状態に近い。熱が上がり、下がり、また上がる。呼吸は浅く、時折、胸の奥で引っかかるように乱れた。
大樹の魔女は、そのたびに水を含ませた。
額の布を替え、薬を薄め、魔力循環の焦げつきを少しずつほどいた。
那種は触れられるたびに震えた。
腕に触れれば、肩が強張る。
額に布を置けば、まぶたが震える。
水を飲ませようとすれば、一瞬だけ唇を閉ざす。
それでも、逃げる力はなかった。
魔女は無理に急がなかった。
声を荒げず、命じすぎず、ただ同じことを繰り返した。
「水だ」
「毒ではない」
「飲める分だけでよい」
「吐いても叱らん」
「眠れ」
「火は出さなくてよい」
その言葉のどれも、那種にはまだ信じきれなかった。
だから、魔女は同じ言葉を何度も言った。
一度で届かないなら、十度。
十度で足りないなら、百度。
森の時間は長い。
人の子が怯えをほどくまで待つくらい、魔女には造作もなかった。
◇
二日目の夜、那種は火を出した。
意識は半分眠っていた。
熱に浮かされ、苦しげに息をしながら、胸元の布袋を握っていた。
うわ言のように、何度も名前を呼ぶ。
「かい……」
「お父さん……」
「紀良……」
「母様……」
魔女はその名を黙って聞いていた。
呼ばれるたび、那種の指先に小さな火が灯る。
赤い火。
弱く、細く、震える火。
それは人を焼く火ではなかった。
怯えた子供が、暗がりで誰かを探すために灯す火だった。
だが、火は火である。
寝台の布へ移れば燃える。薬草へ触れれば燃える。那種自身の袖へ移っても危ない。
魔女は手を伸ばした。
火を消すのは簡単だった。
大樹の森の水脈を呼べばいい。湿った苔を走らせてもいい。空気ごと冷やしてしまってもいい。
だが、魔女はそうしなかった。
ただ、那種の火の周りに薄い葉の輪を編んだ。
火を閉じ込めるのではない。
火が逃げないよう、道を作った。
赤い炎は葉の輪の内側で、小さく揺れた。
那種の眉間から、ほんの少しだけ力が抜ける。
「探しておるのか」
魔女は小さく言った。
返事はない。
「なら、燃やすな。照らせ」
那種の指先の火が、少しだけ丸くなった。
魔女は目を細めた。
無意識でも、言葉に反応している。
火そのものは荒れていない。
ただ、怯えている。
この子の炎は、誰かに似ているのかもしれない。
魔女は、そう思った。
誰かを照らすために生まれた火。
だが、火を持った子供は、火を恐れる大人たちに囲まれていた。
恐れられ、測られ、押さえつけられた。
それでも、焼かずに灯ろうとしている。
「難儀な火じゃ」
魔女は呟いた。
それから、火の近くへ小さな水の珠を浮かべた。
火は消えない。
水も蒸発しない。
火と水が、那種の指先で並んで揺れた。
那種の呼吸が、少し落ち着いた。
◇
三日目の朝、那種は自分で水を飲んだ。
器を持つ手は震えていた。
半分ほどこぼした。
それでも、自分で飲んだ。
魔女は見ていた。
口を出さなかった。
那種は水を飲み終えると、器を両手で抱えたまま、しばらく固まっていた。
何かを待っているようだった。
叱責か。
指摘か。
記録か。
魔女はわざと何も言わなかった。
沈黙が続く。
那種の目が、不安そうに揺れる。
やがて、耐えきれなくなったように、那種がかすれた声で言った。
「……こぼしました」
「見ればわかる」
魔女は答えた。
那種の肩がびくりと揺れた。
「ごめんなさい」
「謝るほどのことではない」
「でも」
「器を持てただけで十分だ」
那種は目を瞬かせた。
「十分……」
「ああ」
魔女は布を取り、床にこぼれた水を拭いた。
那種は慌てて身体を起こそうとした。
「私が」
「動くな」
魔女が言うと、那種は固まった。
その目に、また恐怖が浮かぶ。
魔女は内心で舌打ちした。
言い方が悪い。
命令に聞こえた。
魔女は声を少し落とした。
「今のお前では、起き上がるだけで倒れる。だから動かんでよい、という意味だ」
那種は少しだけ息を吐いた。
「……はい」
「返事はしなくてもよい」
「はい」
「だから、返事は」
魔女は言いかけて、やめた。
那種は困った顔をしている。
どうすれば正しいのか、わからない顔だった。
魔女は布を絞り、棚に置いた。
「まあよい。好きに返事をせい」
那種は戸惑いながら、小さく頷いた。
その仕草があまりにも子供らしく、魔女はしばらく黙った。
十二歳。
まだ、叱られて泣いて、飯を食べて、眠ってよい年だ。
なのに、この子はもう、自分の呼吸まで誰かに許可されなければならないような顔をしている。
◇
四日目には、粥を三匙食べた。
五日目には、寝台の上で少しだけ身体を起こせるようになった。
六日目には、窓の外を見た。
庵の窓の外には、森が広がっている。
濃い緑。
幾重にも重なる枝。
苔むした根。
光を受けて揺れる葉。
那種はそれを見つめていた。
怖がるかと思ったが、意外にも恐怖は薄かった。
不思議そうに見ている。
「森が珍しいか」
魔女が聞く。
那種は少し考えて、頷いた。
「こんなに近い森は、初めてです」
「森の縁で倒れておったがな」
那種の顔が強張った。
魔女は失言だったと思った。
那種は布袋を握った。
それから、小さく言った。
「捨てられたんですよね」
魔女は答えなかった。
那種は続けた。
「私、処分って聞きました」
声は静かだった。
静かすぎた。
「処分搬送って。誰かが言っていました」
魔女の中で、また怒りが動いた。
だが、顔には出さなかった。
今ここで魔女が怒れば、那種は自分が怒られたと思うかもしれない。
それほど、この子は壊されている。
「そうか」
魔女は短く答えた。
那種は窓の外を見たまま、言った。
「私は、失敗したんでしょうか」
「何を」
「ちゃんとできなかったから」
那種の指が、布袋を握る。
「火も、名前も、手紙も、ちゃんとできなかったから。だから、処分されたんでしょうか」
「違う」
魔女の声は、思ったより強く出た。
那種がびくりと震える。
魔女は息を整えた。
「違う」
今度は、ゆっくり言った。
「お前が失敗したのではない。お前を扱った者たちが、間違えた」
那種は魔女を見た。
信じられない、という顔だった。
「でも、私は」
「でも、ではない」
魔女は椅子を引き、那種の寝台の横に座った。
那種が少し身を縮める。
魔女は距離を詰めすぎないようにした。
「那種」
名を呼ぶ。
姓は呼ばない。
魔女はまだ、この子の姓を知らない。
知らないが、いま無理に聞く必要はない。
「お前は処分されるものではない」
那種の目が揺れた。
「ものではない」
魔女は重ねた。
「役に立たなくなったから捨てる。価値が落ちたから捨てる。そういう扱いを受けるものではない」
那種の唇が震えた。
「でも」
「人の子は、ものではない」
魔女は言い切った。
その言葉が自分の口から出たことに、少しだけ可笑しさも覚えた。
人ではない魔女が、人の子はものではないと語っている。
けれど、事実だった。
この少女は、ものではない。
魔術資産でもない。
測定対象でもない。
処分品でもない。
火の器でもない。
名を奪われてよいものでもない。
「お前は、那種だ」
魔女は言った。
「今は、それだけ覚えておればよい」
那種の目から、涙が落ちた。
すぐに拭こうとして、手が震える。
魔女は布を差し出した。
「拭けるか」
那種は頷いた。
布を受け取り、自分で涙を拭いた。
それだけのことに、時間がかかった。
魔女は待った。
◇
七日目、那種は初めて庵の外へ出た。
歩いたわけではない。
魔女が椅子を作り、そこに座らせて庵の前へ運んだ。
那種は最初、外へ出ることをひどく怖がった。
「戻っていい」
魔女が言うと、那種は驚いた。
「いいんですか」
「嫌なら戻ればよい」
「でも」
「外に出る訓練ではない」
魔女は言った。
「風に当たるだけだ」
那種はしばらく迷った。
それから、ほんの少しだけ頷いた。
庵の前には、小さな空き地がある。
苔が敷かれ、背の低い草花が点々と咲いている。木々は高く、空は枝の隙間から少しだけ見えた。
那種は椅子に座ったまま、森を見ていた。
風が吹く。
葉が揺れる。
木漏れ日が、那種の銀白の髪に落ちる。
その光景を見て、魔女は不思議な気持ちになった。
森に、人の子がいる。
それも、捨てられた子が。
普通なら厄介ごとだ。
皇国との誓約上、森の中に入った人間の扱いは魔女に委ねられている。放っておいてもよかった。追い返してもよかった。記憶を曇らせて、人里へ戻してもよかった。
だが、この子は戻れない。
今のままでは、戻った先でまた壊れる。
それに。
魔女は那種の手元を見た。
布袋がある。
相変わらず、握っている。
この子はまだ、帰りたいと泣く。
帰る場所を覚えている。
ならば、森が拾った以上、ただ森に隠して終わりというわけにもいかない。
「寒くないか」
魔女が聞いた。
那種は首を横に振ろうとして、少し考えた。
「少し」
「そういう時は、寒いと言えばよい」
「寒いです」
「よろしい」
魔女は那種の膝に薄い布をかけた。
那種は不思議そうにそれを見た。
「言ったら、いいんですか」
「何が」
「寒いとか、痛いとか、嫌だとか」
魔女は那種を見た。
那種は真剣だった。
本当にわからない顔だった。
魔女は、胸の奥が重くなるのを感じた。
「言ってよい」
「でも、迷惑に」
「妾が面倒なら、面倒と言う」
那種は目を瞬かせた。
「言うんですか」
「言う」
「怒らないんですか」
「怒る時は怒る」
「どんな時に」
「お前が自分を粗末にした時だ」
那種は黙った。
魔女は続けた。
「寒いと言うことは、粗末にすることではない。痛いと言うことも、嫌だと言うことも、悪ではない」
那種は膝の布を握った。
「嫌だって言っても、いいんですか」
「ああ」
「火を出したくないって言っても」
「よい」
「名前を変えたくないって言っても」
「当然だ」
那種の目に涙が溜まった。
「帰りたいって言っても」
魔女は少し黙った。
その言葉だけは、軽く返せなかった。
帰したい。
今すぐ本条の家とやらへ連れていき、この子を返してやりたい。
だが、状態が悪すぎる。
身体も、魔力も、心も。
それに、那種を捨てた者たちはまだいる。
今戻せば、また手が伸びるかもしれない。
魔女は嘘をつかなかった。
「言ってよい」
那種の顔が少し明るくなりかける。
魔女は続けた。
「ただし、今すぐ帰れるとは限らん」
那種の表情が沈む。
「……はい」
「だが、帰りたいと言うことは禁じぬ」
那種は魔女を見た。
「帰りたいと思っても、火は悪くなりませんか」
「なるわけがない」
魔女は即答した。
「火が揺れることはある。だが、帰りたいと思うことが悪いわけではない」
「でも、火が乱れたら」
「整えればよい」
「乱れたら、だめじゃ」
「乱れぬ火などない」
魔女は森を見上げた。
「風が吹けば火は揺れる。燃えるものが変われば火の色も変わる。抑えつけて動かぬ火にすることが制御ではない。揺れても戻れるようにするのが制御だ」
那種は息を止めるように聞いていた。
「揺れても」
「ああ」
「戻れるように」
「そうだ」
那種は自分の手を見た。
小さな指。
痩せた手。
火を出すことを恐れて、握りしめてばかりいた手。
その指先に、ほんの小さな火が灯った。
赤い火。
那種は慌てて消そうとした。
魔女が止める。
「消すな」
「でも」
「見てみろ」
那種は恐る恐る火を見た。
小さな火は、風に揺れていた。
揺れている。
だが、暴れてはいない。
布へ移ることもない。
森の草を焼くこともない。
ただ、指先で小さく灯っている。
「揺れておるな」
魔女が言った。
「はい」
「それでよい」
那種の目が大きくなった。
「いいんですか」
「今は、それでよい」
那種は指先の火を見つめた。
赤い火。
怖くない火。
まだ弱く、細い。
でも、消えていない。
那種の目から涙がこぼれた。
火は、少しだけ揺れた。
それでも、消えなかった。
◇
その日の夜、那種は少しだけ自分の話をした。
全部ではない。
話せるところだけだった。
本条家で育ったこと。
お父さんがいること。
戎がいること。
紀良がいること。
母様はもう亡くなっていること。
母様の布袋を持っていること。
ノーザス家へ魔術を学びに行ったこと。
最初は、ちゃんと学んで帰るつもりだったこと。
名前を変えられたこと。
手紙を見られたこと。
布人形を取られたこと。
戎が来たこと。
帰るぞ、と言ってくれたこと。
帰れなかったこと。
処分されたこと。
話している途中で、何度も声が止まった。
手が震え、火が揺れ、涙が出た。
魔女は急かさなかった。
途中で質問しすぎもしなかった。
ただ、聞いた。
そして那種が黙るたびに、水を差し出した。
那種は少しずつ飲んだ。
「その布人形は」
魔女が聞いた。
那種は目を伏せた。
「紀良がくれました」
「妹か」
「はい」
「取られたのか」
「……はい」
「そうか」
魔女は短く答えた。
その声は静かだった。
だが、森の奥で根が一つ、低く軋んだ。
那種は気づかなかった。
「短刀は」
那種は驚いた顔をした。
「どうして」
「お前の話に出てこなかった。だが、手元にないものをまだ探しておる顔をした」
那種は胸元を押さえた。
「お父さんが持たせてくれました。でも、最初に預けました。保管するって」
「返されたか」
那種は首を横に振った。
「そうか」
魔女はまた短く答えた。
森の奥で、別の根が軋む。
那種はやはり気づかなかった。
「布袋だけは」
那種は両手で布袋を包んだ。
「これだけは、渡しませんでした」
「なぜ」
「母様のものだから」
那種は言った。
「これを離したら、私、本当に誰でもなくなる気がして」
魔女は黙った。
「ノーザスでもなくて。本条でもなくて。那種でもなくて。ただ、火だけになる気がして」
那種の声が震える。
「だから、離せませんでした」
「よく離さなかった」
魔女は言った。
那種が顔を上げる。
「褒めて、いるんですか」
「そう聞こえんか」
「……あまり」
「妾は褒めるのが下手だ」
那種は、ほんの少しだけ目を瞬かせた。
笑ったわけではない。
けれど、泣き顔ではない表情が初めて浮かんだ。
魔女はそれを見て、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。
「よく離さなかった、那種」
今度は、少しだけ丁寧に言った。
那種の顔が歪んだ。
そして、また泣いた。
今度の涙は、少しだけ違っていた。
怖くて出る涙ではなかった。
叱られる前の涙でもなかった。
何かを認められて、ようやく力が抜けた涙だった。
◇
その翌日、那種は困ったように魔女を見た。
粥を食べ終えた後である。
器を両手で持ったまま、何か言いたそうにしている。
「何だ」
魔女が聞くと、那種は少しだけ肩を揺らした。
「あの」
「うむ」
「私は、あなたのことを、なんて呼べばいいですか」
魔女は目を瞬かせた。
予想外の問いだった。
「好きに呼べ」
そう答えると、那種はさらに困った顔をした。
「好きに」
「ああ」
「では、先生?」
魔女は眉を寄せた。
「そんな柄ではない」
「そう、ですか」
那種は真剣に悩み始めた。
「では、師匠?」
「……それも少し違う気がするが」
魔女は腕を組んだ。
弟子を取った覚えはない。
そもそも、人の子に師匠と呼ばれるような生き方をしてきたつもりもない。
だが、先生よりはまだましだった。
「まあ、先生よりはよい」
「師匠」
那種は小さく繰り返した。
その呼び方を口の中で確かめているようだった。
それから、少し迷って、もっと小さな声で言った。
「お母さん、は」
魔女の目が、静かに動いた。
那種は言った瞬間に顔を伏せた。
「ごめんなさい。違いますよね。変なことを」
「謝ることではない」
魔女は静かに言った。
那種は顔を上げない。
魔女は、少しだけ言葉を探した。
「そなたの中には、母がおるじゃろう」
那種の指が、布袋を握る。
「母様」
「ああ」
魔女は頷いた。
「その名を、急いで上書きする必要はない」
那種の目に涙が浮かんだ。
「でも」
「今は、まだ早い」
魔女は言った。
拒絶ではなかった。
突き放す言葉でもなかった。
ただ、今ではない、という言葉だった。
「そなたがそう呼びたい日が来たなら、その時にまた考えればよい」
那種は涙をこぼした。
「はい」
「今は師匠でよい」
那種は少しだけ頷いた。
「はい、師匠」
呼ばれた魔女は、やはり少し落ち着かない顔をした。
「……やはり、それも妙じゃな」
那種は目を瞬かせた。
それから、ほんの少しだけ笑った。
魔女はその笑みに気づかないふりをした。
◇
那種が眠った後、魔女は庵の外へ出た。
夜の森は深い。
月が枝の隙間から白く落ちている。
魔女は森の中心へ向けて歩いた。
途中で、狐に似た獣が道を開ける。
梟が枝の上で鳴いた。
根が、土の下で低く動く。
森は待っていた。
魔女が何を命じるのかを。
「まだだ」
魔女は言った。
「今はまだ、動くな」
森がざわめく。
不満そうだった。
魔女は苦笑した。
「怒っておるのは妾も同じじゃ」
ノーザス。
那種の口から出た名。
魔術名家。
教育。
測定。
処分。
どれも、人の言葉だ。
だが、その中身はあまりにも醜い。
魔女は空を見上げた。
皇国のどこかで、那種の帰りを待っている者たちがいる。
本条家。
お父さん。
戎。
紀良。
母様。
那種が熱に浮かされながら呼び続けた名。
その者たちは、まだ那種が生きていることを知らない。
知れば、どう動くだろうか。
魔女はしばらく考えた。
すぐに知らせることもできる。
森の鳥に手紙を運ばせることもできる。
風に声を乗せることもできる。
だが、那種はまだ動かせない。
状態が悪すぎる。
知らせれば、父親か戎という子供が森の縁まで来るだろう。
そして、人の領域の問題が森へ流れ込む。
それは避けたい。
まずは、那種を生かす。
食べさせる。
眠らせる。
泣かせる。
火を怖くないものに戻す。
その先で、どうするかを決める。
「……面倒なものを拾ったの」
魔女は呟いた。
森が小さく笑ったように、葉を揺らした。
「笑うでない」
魔女は言った。
だが、自分でも少しだけ笑っていた。
面倒だ。
厄介だ。
人の子など、拾うものではない。
それも、帰る家を持ち、火を持ち、傷を抱え、名を奪われた子など。
だが、捨てる気はなかった。
森の縁に落ちていた命を、拾ってしまった。
その命が、布袋を握りしめ、帰りたいと泣いた。
それだけで十分だった。
魔女は庵へ戻る前に、森へ告げた。
「この子に手を伸ばす者があれば、知らせよ」
森が応える。
「この子を品として語る者があれば、覚えよ」
森が応える。
「この子の名を奪おうとする者があれば」
魔女の目が冷たく光った。
「その時は、妾が裁く」
森が静かに揺れた。
大樹の森は、眠らない。
その夜から、森は那種の匂いを覚えた。
捨てられた子としてではない。
大樹の魔女の庵にいる子として。
まだ本人は知らない。
魔女自身も、その意味をはっきりとは口にしていない。
だが、森はもう知っていた。
その少女は、大樹の魔女が水を飲ませ、粥を食べさせ、火を見守る子である。
大樹の森が、傷ついた命として受け入れた子である。
そして魔女は、庵の寝台で眠る那種を見て、静かに思った。
親と呼ぶには、まだ早い。
けれど、捨て直すには、もう遅い。
森の夜は深く、庵の灯りは小さかった。
その小さな灯りの下で、那種は眠っていた。
胸元に、母様の布袋を抱いたまま。




