第10章:チェックメイト
彼女と横並びになって、一緒に新宿駅まで歩く。
僕は、歩くだけでも、やっとの状態だった。
今日は11月5日。季節はもう冬だ。
午後5時を過ぎれば暗くなり、6時になる頃にはスーパームーンも顔を出す頃だろう。
少しずつ、その時間が近づき、更に体調が悪くなっていく。
僕は、最早、彼女の存在を気にしていられるような状態ではなかった。
彼女は、時折、僕の横顔を見て、心配そうな顔をしてきたが、僕の体調を察して、特に何も言わなかった。
2人揃って、新宿駅のプラットフォームで、総武線を待っていると、彼女は自分のハンカチを取り出して、僕に渡してきた。
『課代。これよかったらどうぞ。汗拭いてください。』
僕は、彼女に言われるまで、自分が汗をかいていることに、全く気がつかなかった。
「お心遣いありがとう。でも大丈夫だよ。ハンカチは自分でも持っているから。」
僕は、ポケットから、自分のハンカチを取り出して、自分の顔を拭いた。
ベリーの香りが、まだ残っている。その匂いを嗅いで、少し気分が軽くなった。
『課代は、本当に完璧な人ですね。これだから、上長からも部下からも信頼されるんですね。』
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、買いかぶりすぎだよ。僕はそんなに大した人間じゃない。」
僕がそう言うと、彼女は含みを込めて言った。
『確かに、課代は人間じゃないですね。』
彼女は、確実に、何か僕の証拠を握っている。
頭痛が止まらないが、この課に異動してからの日々を思い返す。
しかし、彼女の前で、何か狼らしいことをしてしまった記憶は一つもない。
僕は聞こえなかったふりをして、そのまま目線を線路に向けて、総武線が来るのを待った。
総武線が来て、乗車をすると、本当に運良く席が空いていた。僕はぐったりと座り込んだ。
その横に、彼女も座った。マナーとしては、女性を先に座らせるべきだったが、今はそんな余裕はない。いや、この気遣い自体が、今の時代では、男女差別と批判されるのだろうか。
『課代。眠っても大丈夫ですよ。私、津田沼駅まで、一緒に行きますから。着いたら起こしますね。』
「いや、大丈夫だよ。君は東船橋だろ?僕より一駅先に降りるんだから、大丈夫だよ。」
『一駅ぐらい大丈夫です。気にしないでください。』
『課代は、そうやって、誰にでも気を遣いすぎるから、今までより疲労も心労も溜まって、スーパームーンの影響を受けるんですよ。』
僕は、心の底から、彼女のことが怖くなった。彼女は、おそらく、僕が狼であることを知っている。
僕は、会社の中では、誰にでも気を遣い、上長からも部下からも信頼される猫を被った自分を演じていたはずだ。
まぁ猫ではなく、本当は狼だけど。
それなのに、どうして知ってるんだ?どこでバレたんだ?
ダメだ。僕の負けだ。
正体がバレた人狼は、処刑される。
僕は、自分の運命を受け入れなければならない時が来たみたいだ。
お父さんと、お母さんと、彼が、僕の目の前に、現れた。
どうして?皆がここにいるの?
3人とも、僕に笑顔を向けてくれている。
僕は、彼が家に帰ってきて、最初に僕のことを抱きしめてくれるのが、とても嬉しかった。
そして、僕が彼の顔を舐めると、彼は喜んでくれた。
彼の喜んでくれる笑顔を見るのが、僕は大好きだった。
彼が亡くなった後、彼の代わりに生きていくと決めて、彼の名前を受け継いだ時、僕は狼なのに、彼のような優秀な人間と同じ名前を名乗ることが、とても歯がゆかったし、分不想応な気持ちになった。
それでも、お父さんとお母さんは、人間として生きていくことを決めた僕に、惜しみない愛を注いで育ててくれた。
そうだ。あの吹雪の夜、仲間の群れから見捨てられて、僕は一度死んだ。
そして、彼に拾われて、また生きる希望を見つけた。
でも、彼が死んだことで、僕はまだ死んだ。
しかし、お母さんの悲しむ顔を見て、再度生きる決心をした。
だけど、両親が亡くなって、また僕は生きる希望を失った。
それでもなお、夢の中で、お父さんが、僕に、また生きる希望を与えてくれた。
僕は、人間として生きていきたい。
お父さんと、お母さんと、君の分まで、僕はこの人間世界で生きていきたいんだ。
お父さんと、お母さんと、君は、笑顔で僕のことを抱きしめてくれた。
僕は、この家族の、この一族の、生き残りとして、ずっと人間として生きていく。
ハッと目が覚めると、僕は知らない部屋のソファーの上にいた。
第11章に続く。




