逆鱗
混沌とした戦場の中――
スズメバチの女王が、ゆっくりと口を開いた。
「さて――状況が変わったぞ?」
黒い羽が、静かに震える。
その声は怒号と羽音の渦巻く戦場にあって、不思議なほど遠くまで響いた。
「見るが良い。もはやミツバチ共に勝機はない……」
女王の視線が、ヴェスピナへ向けられる。
「そこに跪き、忠誠を誓え」
「…………」
「貴様ほどの戦士ならば――存分に利用してやる」
唇が歪む。
「もちろん――ただのスズメバチとしてな……」
「…………チッ」
ヴェスピナが槍を握る手に力を込める。
「それから――」
女王の視線が動いた。
その先にいるのは――ネクトリア。
「そこのちっぽけなミツバチは……そうだな」
ネクトリアを品定めするように眺め――
女王は笑った。
「良き玩具となりそうだ……」
「――――」
その言葉に。
アピスの眉が、鋭く吊り上がった。
「……貴様……!!」
次の瞬間――
ゴォォォォォォッ!!
アピスの掌から放たれた炎が、遥か上空へと昇る。
炎は膨れ上がり――
瞬く間に、巨大な火球となった。
「――ッ!?」
轟く熱風。
空気が焼ける。
羽音と砂塵が渦を巻き――
戦場にいる誰もが、思わず空を見上げた。
まるで――
小さな太陽。
「ほう……」
女王は頭上の火球を見上げる。
そして、僅かに目を細めた。
「よいのか?」
アピスへ視線を戻す。
「そんな物を放てば――この品の無いお姫様はさておき……」
「誰が品がねぇって!?」
ヴェスピナの怒号を無視し、女王は続ける。
「そこのミツバチの小娘は、ひとたまりもないであろう?」
「…………」
アピスは答えない。
ただ――
先ほどの言葉だけが、頭の中に残っていた。
『良き玩具となりそうだ』
――玩具。
その一言が。
アピスの誇りを――
深く、深く抉った。
「…………ッ」
歯を食いしばる。
血が全身を駆け巡る。
怒りに呼応するように――
頭上の炎が、さらに膨れ上がった。
ゴォォォォォォッ!!
「なっ……!?」
敵兵たちがざわめく。
上空から降り注ぐ熱だけで、羽が焼けそうになる。
「さあ……どうする?」
女王はゆっくりと両腕を広げた。
「どちらにしても――ミツバチ共は助から――」
その瞬間。
「跳びなさい!!!!」
「跳べ!! ネクトリア!!」
二人の姉の声が――
同時に響いた。
「――ッ!!」
ネクトリアは。
一切、迷わなかった。
考えるより先に――
身体が動く。
地面を蹴る。
跳ぶ。
その瞬間――
ドンッ!!
崖下から、小さな火球が飛び出した。
「きゃっ!?」
火球が地面を穿つ。
土が弾け――
ネクトリアの足場そのものが砕け散った。
その爆風が。
小さな身体を――
さらに上空へと押し上げる。
「――――ッ!!」
ネクトリアの身体が宙を舞う。
同時に――
足元を狙っていたスズメバチ兵たちの体勢が崩れた。
「どけェ!!」
ドゴッ!!
ヴェスピナの蹴りが、一匹の顎を捉える。
巨体が吹き飛ぶ。
道が――開いた。
そして。
ネクトリアが空へ逃れた、その瞬間。
「――燃えなさい」
アピスの瞳が、冷たく輝いた。
天上の火球が――
戦場を照らした。




