勅命
両軍のスズメバチが、一斉に駆け出した。
数では圧倒的不利。
加えて、こちらの大半を占めるのはミツバチ。
体格も。
膂力も。
単純な戦闘能力も――
敵のスズメバチが上。
明らかな戦力差である。
だが――
その戦場を、二つの光が駆け抜けていた。
一つは、太陽。
全てを照らし――
立ちはだかるもの全てを焼き尽くす、苛烈な光。
そして、もう一つは月。
その光は優しく――
太陽の届かぬ場所を照らし、その背中を守る。
ヴェスピナとネクトリア。
二人が駆け抜けた後には、次々と敵兵が地へ落ちていく。
そう。
――明らかな戦力差である。
「…………」
ヴェスピナは周囲を見渡した。
自分たちと共に戦うスズメバチ。
つい先ほどまで敵だった者たちが、今は自分の号令に従っている。
「ネクトリア」
「え……?」
「お前はどう思う?」
ネクトリアは首を傾げた。
「スズメバチが、ウチに従ってるって話だ」
「お姉ちゃん……」
ヴェスピナは前を向いたまま、小さく息を吐く。
「わかってる……」
そして――
「ウチが、こいつらのボスになっちまったんだ」
その言葉が戦場へ響いた。
――瞬間。
ブゥン――
スズメバチたちの羽音が乱れた。
「……?」
一匹。
また一匹。
敵兵の動きが鈍っていく。
ヴェスピナの声。
――女王の声。
彼らの本能が、二つの命令の間で引き裂かれていた。
『女王を守れ』
『女王に従え』
だが――
女王は、二人いる。
「…………」
槍を振り上げた兵士の腕が止まる。
突撃しようとしていた兵士が、空中で動きを止める。
一匹、また一匹と――
戦場から殺意が失われていく。
かつて戦慄と狂気に満ちていた戦場が――
今や、秩序と畏怖に塗り替えられようとしていた。
ヴェスピナは歩く。
ただ――
歩く。
もはや、彼女の前へ立ちはだかる者はいない。
そして――
道の先。
一匹の巨大なスズメバチが、静かに彼女を待っていた。
二人の女王。
その視線が――
真正面からぶつかった。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは、ヴェスピナだった。
「状況は変わった」
真紅の槍を地面へ突き立てる。
「降伏しろ」
「…………フッ」
敵国の女王が、静かに笑った。
「愚かな小娘よ……」
杖を持ち上げる。
そして――
「女王蜂の名において命ずる!!!」
空気が震えた。
「ミツバチ共を根絶やしにしろ!!」
ヴェスピナの表情が変わる。
「裏切り者共は――迷わず首を刎ねろ!!!」
――その瞬間。
戦場の空気が、一変した。
「――ッ!?」
先ほどまでヴェスピナの前で立ち止まっていたスズメバチ兵たち。
その瞳が――
一斉に、血走った。
「お、おい……?」
羽音が変わる。
迷いが消える。
殺意だけが残る。
「な……何をしやがった!?」
ヴェスピナの声は――
届かない。
スズメバチたちは一斉に向きを変えた。
その矛先は――
ミツバチ。
「――来るぞ!!」
次の瞬間。
無数のスズメバチが、一斉に襲いかかった。
「お姉ちゃん……!!」
ネクトリアの顔から血の気が引く。
つい先ほどまでの勝勢が――
一瞬で覆された。
「…………っ」
ヴェスピナは動けなかった。
自分の言葉に従っていた兵たち。
自分を女王と呼んだ兵たち。
その全てが――
今、自分の家族へ牙を剥いている。
「フフ……」
敵国の女王が冷笑を浮かべる。
「愚かな小娘よ……」
杖の先を、ヴェスピナへ向けた。
「貴様には――荷が重かったのだろう」
「……ッ!!」
その時――
「ヴェスピナ!!」
上空からアピスが駆けつける。
戦場を見渡し――
その表情が凍りついた。
「これは……」
血走った瞳。
命令を受け付けない兵士たち。
そして――
敵国の女王。
「……女王命令……!!」
数の暴力。
いかにヴェスピナが強かろうと――
押し寄せる全てを、一人で止めることなどできない。
そして――
数の防壁。
いかにネクトリアが速かろうと――
その小さな身体では、幾重にも重なる巨体を切り抜けられない。
「くそっ……!!」
「お姉ちゃん!!」
悲鳴。
怒号。
羽音。
再び戦場に血が舞い始める。
勝利へ傾きかけていた天秤は――
たった一つの命令によって。
一気に。
奈落へと、叩き落とされた。




