薬効
ヴェスピナは混乱していた。
「ウチが……女王……?」
自分を指差し、しばらく考え込む。
そして、隣に立つアピスを見る。
「いや、女王は姉貴だろ……」
戦場では誰にも引けを取らぬ力を誇ってきたヴェスピナ。
だが――
政や統率など、彼女にとっては未知の領域である。
アピスはそんな妹を見て、小さく息を吐いた。
「あなたはもう、スズメバチの女王として覚醒しているのよ」
「…………」
「敵兵たちは、すでにあなたを女王として認めた」
アピスは跪くスズメバチたちへ視線を向ける。
そして――
夜空を見上げた。
「もっとも……相手の女王が黙って見ていられるとは思えないけれど――」
その瞬間だった。
月明かりが――消えた。
「……噂をすれば。早速来たみたいね」
空を覆い尽くすほどの、大軍勢。
無数の部隊が連なり、その羽が月明かりを遮っている。
「敵の本隊よ」
その中には――
ヴェスタスほどではないが、それなりの猛者たちの姿もある。
鋭い眼光が、地上のミツバチたちを射抜いていた。
「…………っ!」
ミツバチたちは一斉に身構える。
だが――
その姿はあまりにも弱々しい。
長い戦闘によって、誰もが疲弊しきっていた。
そんな中――
ゆっくりと立ち上がる者たちがいた。
ヴェスピナの暴走によって気を失っていた、スズメバチの兵士たちである。
一匹の兵士がヴェスピナの前へ進み出る。
そして膝をついた。
「女王――ご命令を」
「…………」
ヴェスピナはしばらく兵士を見つめる。
そして――
「……姉貴!」
「何?」
「こいつら寝返ったぞ!!」
「…………」
アピスは頭を抱えた。
「バカ。話聞いてなかったの?」
「は?」
「あなたに従ってるのよ」
「…………」
ヴェスピナは兵士を見る。
兵士もヴェスピナを見る。
「…………」
「…………」
沈黙。
その様子に業を煮やしたアピスが、一歩前へ出た。
「あなた達」
スズメバチ兵たちへ視線を向ける。
「動けるなら、手を貸してちょうだい」
すると――
「なっ……!」
一匹の兵士が声を荒らげた。
「なぜ貴様の言うことを聞かねばならんのだ! ミツバチ風情が!!」
その瞬間。
ヴェスピナの瞳が――血走った。
「テメェら!!」
「ひっ!?」
「寝返った分際で女王の命令が聞けねぇのか!!」
真紅の槍が、激しく燃え上がる。
「手を貸せっつってんだろ!!」
「しょっ……承知しました……!」
「…………」
ヴェスピナは満足そうに槍を下ろした。
「なんだよ。最初から言うこと聞いとけよ……」
「…………」
この状況で――
最も混乱している者が、一人いた。
ネクトリアである。
「えっと……」
指を一本立てる。
「あの人は敵で……」
もう一本。
「この人も敵で……」
さらに一本。
「でも、お姉ちゃんの言うことは聞いてて……」
首を傾げる。
「でも……お姉様の言うことは聞かなくて……」
「…………」
アピスの眉間に、珍しく深い皺が刻まれた。
疑う余地もない。
――薬草の効能である。
そして――
鉛を引き摺るような、太く鈍い声が響いた。
「……ネクトリアァ……」
「ひっ!?」
「あなたは――座ってなさい」
「――――!!」
ネクトリアの羽がビシッと伸びる。
「は、ははははいぃぃ!!!」
その場に――
すとん。
子犬のように怯えながら、ネクトリアは大人しく鎮座した。
「…………」
アピスは再び戦場へ視線を戻す。
押し寄せる敵軍。
空を埋め尽くす、無数のスズメバチ。
その大軍勢を鋭く睨み――
アピスは扇を振り上げた。
「総員――前へ!!」
「…………」
しかし――
スズメバチ兵たちは動かなかった。
互いに顔を見合わせる。
女王と認めたヴェスピナの姉とはいえ――
彼女はミツバチ。
その命令に従ってよいものか。
兵士たちの間に、僅かな躊躇が広がる。
その瞬間――
ブゥゥゥゥゥン――!!
轟音。
ヴェスピナの羽音が、戦場そのものを震わせた。
「…………」
その瞳が、ゆっくりと光を帯びる。
「テメェら……」
兵士たちの身体が硬直する。
「いい加減にしやがれ!!」
「ひぃっ!?」
「さっさと出撃するんだよ!!」
真紅の槍が紅蓮の炎を纏う。
「やる気がねぇなら消えやがれ!!!」
そして――
燃え盛る刃が、最寄りの兵士の鼻先へ突きつけられた。
「テメェら一人残らず――」
ヴェスピナはアピスを指差す。
「姉貴の前に跪く資格すらねぇ!!」
「――――!!」
轟く怒号。
肌を焼くほどの熱気。
「ひぃっ!」
尻餅をつく者。
驚いて飛び上がる者。
口を押さえ、震え上がる者。
あまりの迫力に硬直していた兵士たちも、一斉に背筋を伸ばした。
「す、すみません! すぐ動きますっ!!」
「は、はい! 女王様!!」
「わ、わかりましたから! 槍を下ろしてください!!」
それまでの躊躇が嘘のように、兵士たちが一斉に動き始める。
慌てすぎて転倒した者など――
そのまま地面を這って前進していた。
「…………」
ヴェスピナはその光景を一瞥する。
そして――
怒りと呆れの入り混じった笑みを浮かべた。
「ったく……最初からそうしろってんだよ」




