ショッキングピンクなプロローグ
第三章スタートです。
午後四時、町代祝は自宅の扉を開けた。父も母も家にいない。職場にいる。靴を脱ぐ。のそのそとリビングに向かった。この時間帯、日は差し込まない。薄暗いにもかかわらず、彼女に電気を点ける素振りはなかった。忘れているようだ。
「お腹減った」
湯を沸かし、夜食用に備蓄していたカップ麺に注ぐ。二分で我慢出来なくなった。ズルズルと口に掻き込む。一つじゃ足りない。また湯を沸かす。二つ目を作り上げた。食べる。足りない。全然足りない。
『なあ。太っちゃうぜ』「はあ」
カムイは町代にそう忠告する。聞く耳を持たれなかった。
右手の中で、彼は至極戸惑っていた。一つ目ナイセキを倒してから、タッグ相手が変だ。話しかけられても生返事。後処理の手伝いでは戦力外通告。挙げ句の果てには、写魏たちに一言もなく、一人で自宅に帰ってきてしまった。
抜けているところはあるが、本来の彼女は心優しく、かつ高い集中力を誇る。正義の言葉をベラベラと並べたりはしないが、人助けはきちんとするタイプ。カムイは訝しむ。どうにもおかしい。
六杯目を食べ終えて、町代はようやく満腹に達した。フラフラとした足取りで、鏡の前に向かう。『これは』とカムイが驚く。
髪はすべてが塗り替わっていた。左目の虹彩も、派手なピンクに染まっている。ナチュラルに。浮世離れした風貌。眼の下をそっとなぞる。それ以外の反応はせず、町代は階段を上り、自室に赴く。
座った。いつもなら小説の執筆か、あるいは受験勉強に着手するところだったが、今日の彼女は机上の道具、タイプライターや参考書などを見つめるのみ。
何もする気がないというよりかは、何も理解出来ていないようだった。
「私、何をしなくちゃいけないんだったっけ」
引き出しを開ける。当瀬日文からもらった式神がいくつかあった。彼が猫又の里へと旅行に行く際にくれたものは使い切ってしまったが、その後も定期的にもらえた。一つ手に取る。
食べた。ムシャムシャと。
『えっ?』「むしゃむしゃばりばり」
『ダメじゃないかそんなの食べちゃ。我がバディ。さっきから意味不明だよ? どうしたというのだね?』
答えない。ひたすら式神を口に運ぶ。やがて全部平らげてしまった。奈良公園の鹿でも途中で吐き戻しそうな勢いだ。
「おいしい」『味覚までピンクに染まったのかい?』
「あはは。そーかもね」
返事をくれた。カムイは少し安心する。それも束の間だった。
町城は、左手に禊力を発する。紫色の波が揺蕩う。しばらく見つめたのち、いきなり左目に叩きつけた。
『おいやめないか! 医者に言われたろう! なるべく使うなって』
「ピンク嫌だ。この紫がいい」
右手からカムイが出てきた。口で左の袖を引っ張り、タッグ相手の奇行を止めようとする。無駄だった。異常に力が強い。
「むーらーさーきーがーいーい」
駄々をこねる。しばらくしてから左手を離し、ベッド下の手鏡を乱暴に拾い上げた。覗き込む。左目の色は、ピンクから変わっていなかった。「なーんーでー」と口を尖らせる。地団駄を踏む。
明らかにバカになっている。あの猫又といい勝負だ。まさか脳がやられたのか。カムイは目を見開いた。あの医者が示唆した危険とは、もしかしてこれのことだろうか。処方された薬を急いで取り出す。
「さあこれを飲むんだ。溶けた魂を治してくれるよ」
「おいしいかな?」「ピンクになった味覚なら」
「ガリガリ。にっが。まずい。もう一粒!」「一日一錠だよ!」
薬を飲んでも、町代に正常化の兆しはなかった。遅効性なのか、あるいは、溶けた魂を治してくれるだけで、溶けた脳は治してくれない可能性もある。
前足で頭を抱えた。
「ただいまー」
玄関から声が聞こえる。町代の母が帰ってきた。「祝ちゃん、いるんでしょー?」と言って、階段を上がってくる。カムイは右手の中に隠れた。
部屋の扉が開かれる。
「おかえりお母さん」
「ねえ聞いてよ。大石さんが無断欠勤したせいで、彼女の担当新人お世話してたんだけど、その子がまた――」
言葉を止めた。目を細めて、自分の娘をじっと見つめる。「祝ちゃん?」と首を傾げた。自信なさそうに尋ねる。
「祝なの?」「そうだけど。やだなあ。忘れちゃったの?」
「忘れちゃったっていうか……え? 全然違うじゃない。変な男にでも引っかかったの?」「変な男って。ぷふっ」
町代祝は噴き出した。変な男と言われて、当瀬日文を思い出す。確かにその通りだと納得した。自分は彼に引っ掛かり、コケたのだ。
堕ちたのだ。地獄まで真っ逆さまに。
「まったく。目までピンクになっちゃって。髪までなら許すけど、カラコンは大学生になってからにしなさいな」
「うるさいなあ。じゃあね。【矢】」
至近距離から放つ。母親の頭を貫通した。絶命して倒れる。カムイが出てきて怒鳴りつけた。
「自分の親になんてことを!」「うるさいなあ。スマホ貸して」
貸してと言いつつ、一方的に取り上げる。VOTEのリストを眺めて、町代は微笑んだ。情緒が不安定過ぎる。カムイは心底恐怖を覚えた。
機嫌を損ねれば、自分も殺される。
「決めた。VOTEで優勝しよう」「なんだって? もう何がなんだか」
「轍破を倒す。他の有象無象にも容赦しない。ついでに白々燐も殺そうかな」
雪女白々燐は「タッグなし」。殺しても票には無意味。カムイには、バディの意図が分からない。
「ピンクになる前からさあ。あいつ殺したかったんだよね」
町代は嗤う。もう我慢しない。もう自分を抑えない。当瀬日文が、紫色の禊力が、彼女の心に真なる解放をもたらした。羽ばたく時が来た。
夜まで待って、呑気に帰宅してきた父親も殺す。父母の死体は風呂場に放り込んだ。財布とスマホ以外は何も持たずに、町代は旅に出る。
「式神じゃない本物は、どんな味がするのかなー」




