殴り合いのエピローグ
初めて目にする天井だった。
「ここは」
起き上がり、部屋の全貌を眺める。もちろん、養育施設の病室ではない。陽の光が優しく差し込んでくる窓の額縁に、色とりどりの花が置かれている。透明な花瓶の水も、光を反射して綺麗だ。
ベッドから降りる。立って歩こうとした。止まって見下ろす。
「足がある。左手も」
グーパーと開閉した。足踏みもした。問題なく動く。全身を蝕んでいたはずの痛みもない。傷がすべて消えている。
「あれ?」
おかしい。906番……くれむにより壁に叩きつけられた挙句、「白震」という原理不明な技で以ってボロ雑巾にされた。両足と左手は分解され、跡形もなく失われたはずだ。が、無傷。禊力による自己治癒を行った覚えはない。そもそもあれでは、失われた手足は回復しない。
「祓い屋に治療されたのか?」
自分で言って、しっくりこなかった。Shamanismのグローバル化で知識の統合が為されてから、禊力の医療転用についても飛躍的に進んだだろう。が、それでも、短時間で元通りに生やせるのはせいぜい指の一本が限界だと思う。
じゃあ何故治っているのか。意識を失っている間、近くに誰かがいた気がする。しかし、記憶力には自信があるのに、まるで思い出せない。
「マクラ。起きてるか?」『……にゃー……』「退化してやがる」
考え込みつつ、病室から出る。ガランとしていた。その一方で、上の階と下の階は、足音や滑車音、悲鳴に怒号で溢れている。両方とも慌ただしそうだ。
ふと、建物の外から、濃厚な「死」を感じた。駆られる。そちらに足を運ばなくてはいけない気分になる。近くの非常階段を通って、導かれるように向かう。
次々と運ばれる重傷者を受け入れるために、医者や看護師が走り回る、ゴタゴタでめちゃくちゃな一階を抜けた。外に出る。時代や建築様式などについて整合性の取れていない仏閣群。「祓い場」の病院だったらしい。
早足で歩き続けた。やがて広場に辿り着く。早朝に花瀬と出会い、忘れ物のハンカチを拾った場所だった。閑静だったイメージが様変わりしている。
血臭が立ち込める。広場は、犠牲者の仮置き場になっていた。遺体、及び人間の欠片が、ズラリと並べられている。死人の側で嘆き悲しむ人もいる。
呆然としながら、トボトボ進む。遺体の中には知り合いもいた。史引先生のセミナー生。以前に夕食を共にした。段々リアリティが増してくる。この景色は現実なのだと思い知る。
足を踏み込む。走り出した。
町代は? 写魏は? 婀歴は? 史引先生は? 姫毎家の子供たちは?
姫毎梨沙々を見つけた。生きている。良かった。彼女はペタリと座り込み、じっと空を見上げている。ヒュッと心臓が凍った。
リサちゃんの前にいるのは。
「ナズ」「――っ。あんた、どこ行ってたのよ」
胃のあたりから下を失った、姫毎奈図十だった。目を閉じている。ピクリとも動かない。死んでいる。眩暈がした。吐きそうになった。堪えて尋ねる。
「アミちゃんは」「それ」
指が差されたのは、白布のかけられた生首だった。側まで寄る。膝を突く。どうしようもない絶望感を覚えた。取り返しがつかない。
布に手を伸ばしかけた。途中でやめる。
「死んじゃった。二人とも。死んじゃった」「…………」
「意地っ張りなだけのわたしよりも、ずっとすごい奴らだったのに。ナズは向こう見ずなところがあったし、アミは少し嘘吐きだったけど」
「いい子たちだった。話していて楽しかった」
「わたしにはない、将来の夢も持ってた。アミは査定士。言霊による呪いが好きだったの。ナズは、私たち二人を守れるくらいに強い祓い屋だって。漠然としてたわ、まったく子供っぽいんだから。でも本当は嬉しかった」
リサちゃんは、静かに横たわるナズの頬を撫でた。胸が痛くなる。
「ここ三日、二人とも突然『当瀬さんみたいになりたい』と言い始めたの。あんたみたいになりたいって」「光栄だ」
「だから。わたしじゃなくって。わたぢじゃなぐで」
小刻みに揺れる。顔を上げて、涙溢れる双眸で、僕をきつく睨みつけた。
「この子たちを守ってくれたら良かったのに!!」
慟哭を上げる。リサちゃんは、暗く曇った空に向けて泣いた。僕には、どうしてやることも出来なかった。額に冷たい感触。しと、と雨が降り始める。しと、しと、しとしと、しとしとしとしと。やがて本降りになる。「祓い場」にも雨が降る。猫又の里に雪が降るのと同じく。
遺体が濡れる。手足とともに、陽の気も回復していた。
「禊力椽転。簡易結界」
広場に傘をさしてやる。ポツポツと、雫の弾かれる音が響く。
張り付く髪から滴る水を拭った。黒い。染髪料が落ちてしまったようだ。
「ごめん。守れなくて」「……分かってる。八つ当たりだったわ」
「僕のせいだ。陰謀は、すぐ隣にあったんだ。さらに大きな危険のシグナルも感じ取ってた。なのに事前に暴けなかった。危険を危険と認識出来ていなかった」
透明な傘に、無数の波紋が立っている。立っては広がり、消えていく。
過去に囚われ過ぎていた。
逆走していた。
「誰のせいかは知らないけど。あんたのせいじゃないわよ」
「ありがとう」「ねえ」「ん?」
「死んじゃっても、生きてる自分の夢を見られるのかな。だって、あんまりにも不平等じゃない。まだ十三よ? もっといっぱい生きてる人も。妖怪もたくさんいるじゃないっ」
六百年生きている猫又を思い出す。十三。なんて短い。
リサちゃんは、また涙を流す。首を振る。
「この子たちは夢を見始めただけなの」「うん」
「だから。わたしの中では死んでない」「うん」
「わたしの中では、死なせたくないんだよぉ……」
「死なせなければいい。生かし続けろ。たとえ、墓碑の名前をなぞっても。君は今、彼らの夢を背負ったのだから」
さめざめと泣く彼女の顔を、ハンカチで拭いてやる。誤って花瀬のものを使ってしまっていた。構わない。あの世で少しでもいい思いが出来るように、徳を積んでおいてやる。
ようやく落ち着いてきた。「ありがと」と言ってソッポを向く。
「もう一人で大丈夫だから」「そうか?」
「いや、一人で考えたいの。あんたもあのお姉さんたちが心配でしょ? みんな生きてる。病院でお手伝いしてるみたいだわ」
頷きを返した。町代たちは病院にいたのか。仮置き場としての広場を後にする。多少雨に濡れようが知ったことではない。早く無事を確認したい一心だ。
道の途中で角を曲がる。曲がったその時、頬から大きな衝撃が走った。
予期せぬ攻撃だった。脳が揺らされる。水溜りに尻餅を突く。
「ひぶううぅぅん!!」
耳を擘く大声。
見上げる。ずぶ濡れの石済灰學がいた。胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。
「なんで!? なんでお前がいながら、こんな惨状になってんだよ! サボったのか! あぁん!?」「サボってねえ」
目を合わせて睨みつける。
「サボってなんかない」
「ああ、知ってるともさ! お前がサボるわけねえ!」
凄まじい力で放り投げられた。強化してるのか。が、今度はバランスを崩さず保つ。
「なんで。なんで、お前がいながら……っ」
蹲り、地面を叩きつけた。コンクリートにヒビが入る。拳から血が滲む。
彼は「祓い場」が好きだと言っていた。ここの皆を守りたいとも言った。姫毎奈図十と少し似ている。けれどスケールが違い、また灰學の場合、実力も伴っている。
だからこそ、耐え難く辛い。自室で寝ていたせいで「寄奇怪界」に入れず、虐殺を止められなかった。彼にとってあまりにも残酷な真実だ。ゆえに、「お前がいなかったからこうなった」とは絶対に返さない。
本人も痛いほど理解している。
「すまん。一番許せねえのは……何も出来なかった俺自身だっ……」
左頬を差し出してくる。
「俺も殴れ!」「分かった」
慈悲で殴ってやった。僕も左頬を差し出す。殴られた。左右を逆にして繰り返す。
そのままおよそ十分。冷たい雨の中、僕たちは互いを殴り続けた。
第二章はこれでおしまいです。章名を追加します。
もしお暇があれば、感想等入れてもらえれば大変嬉しいです。
次回更新は一週間後、6/23です。




