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寄奇怪解  作者: オッコー勝森
第二章 寄奇怪界

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「906番?」


 夢で何度も見た顔だった。

 養育施設の最優個体。見た目は華奢な女の子。明るく親しみの持てる性格。高い声。大らかな喋り方。

 そしてスペックはモンスター。


「906番、だよな?」


 彼女の背中に何度も憧れた。目標だった。輝いていた。退屈な施設の中で、唯一の光だった。彼女と比べれば、僕など地味な石ころだ。

 手を伸ばす。


「なあ。何やってんだよ」


 四日前に感じた気配は、本当に906番のものだったのか。生きた人間から心臓を抜き取り、あまつさえ完食するという、常識と照らし合わせてあまりにあり得ない行動を取った彼女に向けて、僕は怒鳴る。


「何やってんだよお前!」「906番って何?」


 じとりと睨め付けられた。「お洒落じゃない。囚人番号?」と露骨に嫌な顔をされる。胸に手を当て、自信満々に自己紹介した。


「私はくれむ。温矢(ぬくや)くれむ。かわいい名前でしょ?」


 大妖怪ギツネは言った。906番は、バイオハザードに伴う毒物摂取の影響で、施設での記憶をなくしている。代わりに、平均的日本人女性から大きく外れず、かつ並外れた身体スペックに矛盾しない記憶を植え付けられた。番号ではない、普通の名前を与えられ、906番は普通の女性として、普通の生活を送っている。

 だから、僕は漠然と思った。自分から彼女を探すのは、妖怪たちに止められているけれど。僕も、普通の男性として、普通の生活を送っていれば、いつか偶然906番に会えるんじゃないかと。

 ボーイミーツガールアゲイン。いつか。人がよく集う、カフェとかでばったり。

 こんな出会い方は望んでいなかった。


906(くれむ)

「そう。それが私の名前。あなた……イケメンね! 誰だっけあいつ? そう、アリマ! アリマよりもかっこいい! 死んじゃったけど。一応聞いといてあげようかな。あなたの名前は?」

「120番」「えっ? あなた囚人? 脱獄囚?」

「冗談だ。忘れてくれ。僕の名前は当瀬日文」「いい名前」


 温矢くれむは満足そうに頷く。あの頃の彼女よりも受け答えがかなりバカだが、口調も性格も変わっていない。懐かしい。ノスタルジーに浸りかける。

 眼球が意図せぬ方向に動いた。マクラの介入だ。視界に、血の海で倒れ伏し、半目で事切れている根守の姿が映った。

 気付けば、「祓い場」に貼り付けられた牢獄、寄奇怪界は解除されていた。体にのしかかっていた重みが消えている。我に返った。


「くれむ。まだ答えてもらっていない」「うん?」

「何やってんだと聞いたよな」「何って、もらっただけだけど。心臓を」


 キョトンとした表情。「もらっただけ」のその結果を、まったく認識していないようだった。理由も合わせてくる。


「そこにエネルギーがあったから」

「人間は、心臓を抉られたら死ぬ。殺したんだよお前は。一人の人間を」

「怒んないでよ。私は別に、殺そうとしたわけじゃないんだから」


 やれやれと、くれむは肩を竦める。


「よく分からないけど、とにかくエネルギーをたくさん持ってる心臓があった。だから奪って取り込んだ。そしたら勝手に死んだの。人を殺そうとして殺した悪い連中と一緒にしないで」

「もう一度言うが、人は心臓を奪われたら死ぬ。当然の帰結だ。幼児でもなければ分からないはずがない。死ぬと分かっていたのに自己利益を優先して心臓を取った。なら殺人だ」

「奇妙なロジックね」「お前の方がおかしい」


 話が通じない。激しい違和感を覚える。昔の彼女はもっと理知的で、また理性的だった。施設に閉じ込められていたあの頃、僕たちに世間常識などあるはずもなかったが、それでも命の尊さ、命を奪う罪深さは理解していた。

 殺害という現象を起こしてしまったが、殺そうとして殺したわけではないのだから、悪業ではない。そんな壊れた主張、906番には似合わない。記憶が入れ替えられて、旧人格が消滅し、くれむという新しい人格が芽生えた? ハードが同じでも、ソフトはまったくの別物なのか。

 このまま殺人の定義を語り合っても埒が明かないだろう。


「質問を変えよう。なぜエネルギーを欲する」


 人魂から得られた、という連体修飾語は付けなかった。ややこしくなるだけだ。「なぜって」と答えかけたが、くれむは黙って考え始める。

 荘厳な仏閣に囲まれた道で悩む彼女は、まさしく僕の理想だった。中身はくれむ。906番ではないのに。絵の才能と絵の具があれば、キャンバスか筆のどちらかが欠けていても、きっと手が動いていた。

 春らしい風が吹く。くれむは口を開いた。


「日文くんはさあ。今の世界を、××してやりたいと思う?」


 聞き取れない箇所があった。正確には、音としては頭にインプットされているのに、意味の解釈が為されず、ノイズとして処理される所があった。

 世界にしてやりたい××? 訊ね返してもどうせ分からないと、直感で理解した。推測する以外にない。

 分析。祝福。啓蒙。救済。


「もう十分整っている。僕が僕らしくいるためには」


 結局誤魔化した。良い感じに取り繕った。

 世界という言葉は、推測の材料とするには曖昧だった。分析するにも、祝福するにも、啓蒙するにも、救済するにも、スケールが大き過ぎた。


「そっ。残念」


 大して落胆した様子はない。自らの右掌を眺める。

 突然僕に向けてきた。


「えいっ」


 可愛らしい掛け声とともに、衝撃が襲い来る。寺の外壁に叩きつけられた。激しく咽せる。赤い血を吐いた。

 咄嗟に防御してなきゃ死んでいたかもしれない。


「いきなり何を……っ」

「あはは。油断しちゃダメじゃない。奪ったエネルギーを試してみたくて。相棒の妖力乗せて打ってみた。日文くんは発症しない(・・・・・)んだね! 保有資産の時価総額は二億に満たないわけだ」

「発症? 相棒。妖力。くれむお前、VOTE参加者なのか?」

「そうだけど。ついこないだ申請したら通ったの。マネクズシ。真似する九つ頭の子どもと書いて、真似九頭子。転じて『マネー崩し』。お金持ちをぶっ殺す、性格の悪い庶民のヒーロー。元々は人の真似するだけの、顔がたくさんある小妖怪に過ぎなかったのにね」


 真似九頭子。VOTEのリストにいた。加わったのはごく最近だ。

 電子ニュース、そして捜査士用タブレットで見た、資産家の奇病事件を想起する。あれの犯人か。


「君も参加者でしょ? あはは。はは。私が参加者って分からなかったでしょ? あ、別に隠してるわけじゃなかったよ。ただ私」


 くれむは怪しい笑顔を浮かべた。


「妖気妖力のコントロールも上手くなって」「嘘だ」


 否定する。


「人間に妖気妖力を操れるわけがないだろ」

「えー。でも実際出来てるよ。ほら。右手に緑の炎。左手に紫の波ぃ」

「なっ……」「合わせてえ」


 一拍鳴らした。反発するはずの緑と紫が混ざり、黒く濁る。

 かと思いきや、色がふと消失し、強い純白の光を放った。


「白震」


 背筋が跳ねた。卒倒しかける。

 ホワイトアウト。細胞同士の繋がりを切り離す高速振動。

 頭、肺、心臓、そして、マクラのいる右手を必死で保つ。痛みのフィードバックループで、マクラはすぐに気絶した。地面に投げ出される。

 わずか数秒の間に、左手と両足が持っていかれた。分解されてしまったらしい。花瀬卯架の死に様と同じだ。

 目はどうにか無事。力なく周囲を見渡す。辺り一面、まっさらになっていた。約百メートル先に仏閣が見える。


「こういうことするために、エネルギーが必要なんだよね」


 側でくれむが屈む。


「世界を××するのが私の使命。そのために」


 真っ直ぐとどこかを見つめている。言葉には、強い意思が込められていた。


「人も魔物も等しく抹殺するの。じゃあね」「待っ」


 激痛が走る。その隙に、くれむは消えた。弱々しく右手を上げる。上げていられず、ポトリと下げる。

 瞼が重い。抗えず、眠りに落ちた。


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